待ち人

尾八原ジュージ

待ち人

 通っている大学の近くに「川の公園」と呼ばれている場所がある。わりと大きな敷地内に人工の川や噴水がいくつかあって、夏なんかは家族連れでよく賑わう。

 北側の入口近くにゆるやかな滝があり、その両サイドが階段になっている。近くに駅やシネコンがあるし、日陰になる場所が多いし、水が近くを流れていて涼しいので、夏はそこで待ち合わせをする人がわりと多い。

 今年の八月、わたしもそこで友達と待ち合わせをしていた。観たい映画の上映時間が朝九時で、だから待ち合わせは八時半。少し早く着いてみると、滝の近くには珍しく誰もいない。階段の中ほどに立ち、うつむいてスマートフォンをいじっていたら、少し手前を誰かが通り過ぎていくその足だけが見えた。

(今の人のサンダル、友達のと同じじゃなかったっけ?)

 そう思って顔を上げると誰もいない。気のせいかなと思ってまた下を向いていると、もう一度誰かが通りすぎた。黒い厚底のサンダルにオレンジっぽい赤のペディキュア。どちらも見覚えがある。今度こそ友達だ、と思って顔を上げるとまたいない。

 足を見てからすぐに顔を上げたのに、前を通り過ぎた人の後姿すら見えないのは不自然だ。そう言えば近づいてくる足音も聞こえなかった。水音がするとはいっても、気配くらいは察していいはずじゃないか――そう思うと背筋がぞわっとした。その反面、何が通ったのか確かめたい、とも思った。

 次こそ足の持ち主の姿を見たい。好奇心が抑えきれず、怖かったけれどその場にとどまった。スマホを見つめるふりをしながら、ひたすら自分の目の前の地面を見ていた。もう一度サンダルの足は現れるはず、という謎の確信があった。来い、来い、来い――その時、左目の端にペディキュアをした爪先が映った。

 わたしは顔を上げた。そして、目の前にいるひとの顔を見た――はずなのだが、その後の記憶がない。気がつくともう友達がいて、「ぼーっとしてるけど大丈夫?」と言いながらわたしの顔の前で手を振っていた。時間は八時半ぴったりだった。

 あのとき、わたしは前を通ろうとするサンダルを見てからすぐに顔を上げた。確かにそのはずで、だからその人物の顔や服装なんかも目に入ったはずなんだけど、全然思い出せない。記憶がぽっかりと抜けている。無理に思い出そうとすると頭蓋骨の内側を虫が這うみたいにぞわぞわぞわぞわしてくるので、そのうち考えるのをやめてしまった。

 あれが何だったのか結局謎のままだ。友達も何も見ていないらしい。別にわたしや彼女の身に何か不吉なことが起こったということもなく、今も普通に過ごしている。

 ちなみにその後、例の公園の階段付近で殺人事件が起きたため、現在その辺りは立ち入り禁止になっている。あの朝見たものと因果関係があるのかどうか、わたしにはわからない。

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