夏の残映、夜の残煙

目々

深夜行

 あらかたツブれたんじゃないですかね。

 村坂先輩もさっき床に転がってましたし。家主なんだからちゃんとベッドに寝ればいいのに……他の連中はほら、学祭の出し物。あれの申請が無事にOBさんたちに通ってはしゃいだんでしょう。一次会の時点で結構飲んでましたから。ちゃんぽんにしてあれだけ飲めば象だって寝ますよ。

 何してるんだって見りゃわかるでしょう。煙草吸ってんですよ。ベランダで吸うとほら、ご近所の迷惑になるんで、台所で換気扇回して。他の連中あっちで寝てるし、ちょうどいいでしょう。


 先輩、あんまり飲んでなかったですよね。俺もですけど。


 そうですね、俺はほら、村坂先輩が飲み代出してくれるから来たんで。タダで飲む酒は好きですよ。暇が潰れますから。それに俺んち終電十時台なんですよね。だから二次会に行った時点でどうしようもなかったんで、屋根と冷房がある場所に転がり込めてよかったです。親には前もって先輩んちに泊まるって連絡してあるんで、大丈夫です。だいぶ涼しくなってきましたけど、今日は思い出したみたいな熱帯夜気味じゃないですか。外はキツいですよ。ほら、不審者とか出ますし。非力ですもん俺。

 あ、良かったら先輩も吸います? いいですよ、別に。横にいるのが俺で申し訳ないですけど、俺もほら、暇だから吸ってるだけなんで。気にしないでください。


 寝つけないんですよ。どうにもこの時期になると。


 先輩もですか? アルコールって最初の眠気を凌いじゃうとかえって目が冴えません? 下手に酔ってるとじりじり煮られるみたいに熱がこもってしんどくなるんですよね俺。だらだら飲んでる分にはそういうことないから、別に困ったりはしないんですけど。

 しかし暇ですね。居間戻ったらテレビありますけど、みんな寝てるところでうるさくするわけにもいきませんし。今何時です──それでももう三時なのか。始発五時だからなあ、駅前の店で時間潰すにしても、今からだと追い出されるやつですしね。せめて四時ぐらいまではここで粘りたいな。


 ──あ、この煙。


 いや、ちょっと気になっただけなんですけど。先輩、今吸ってる銘柄って……あ、そうなんですか。先輩の年代だと珍しいんだ。そういうのありますよね煙草。俺はなんとなく吸ってるんで、よく分かんないんですよね。

 そうですね、知ってる匂いだったんで、びっくりしました。

 違いますよ彼女とかじゃないです。叔父ですよ、親戚の。その人が多分これと同じの吸ってたなって……煙の匂いをね、覚えてたんです。

 

 どんな人だったかって、普通に叔父ですよ。親戚ぐらいいるでしょう先輩も。仲良かったのはそうですけど、なんですか食いつきますね……いや、いいですけど。ある意味色んなもん教えてくれた人ですよ。

 そうですね。

 思い出話ですけど。聞きたいんなら話しましょうか?


 そうですか。いや、別にいいんですよ。そんなに面白くない話だとは思うけど、暇潰しぐらいにはなるかな。大丈夫です。あんまり大きい声だとほら、皆起きちゃうんで。このくらいで話しますけど、ちゃんと聞いててくださいよ。換気扇、回してますから。


 父のね、七つ下の弟なんですよ。漢字だと部首がよく分からない方の叔父です。父が就職で実家出ちゃったんで、残ってそのまま就職したんです。さすがに祖父母婆ちゃんたちとは別居してたけど、ちゃんと家借りて車買って、優雅に独身貴族やってました。俺たちが夏休みに帰省すると顔見せてくれて、蔵の漫画一緒に読んだり、日課だって隣区の神社まで連れだって散歩したりしてました。散歩だと、帰り道に看板の錆びまくった個人商店があって、そこでアイス一個買ってくれるんです。叔父さんいつもソーダ味のばっか食べてたな。俺はモナカ派でした。ボリュームがあるじゃないですか。

 で、俺その頃から寝つきが悪かったんですよ。

 中学くらいだったかな、もうとにかく寝付けない。家族も婆ちゃんたちもみんな寝たのに、俺だけ目が冴えて仕方ない。布団入っても寝返りばたんばたん打つばっかりで、暗い部屋に目が慣れて棚の上の人形の表情なんかが見えてくる。


 そういうときに諦めて台所に降りると、叔父さんが換気扇の下で煙草吸ってるんです。


 叔父さんも眠るのが下手な人だったんですよね。そうやって煙草吸いながら俺の方見て、眉毛を綺麗に八の字にして笑うんです。「お前も寝れないのか」って。

 そんで、深夜のドライブに連れて行ってくれるんです。煙草が切れるとか小腹が空いたとかそんなこと言って、車で三十分のコンビニまで。

 助手席に座って、真っ暗な窓をぼんやり眺めて……開けた窓から温いような風が吹き込んで、叔父さんの吸ってる煙が俺の方に流れてくるんですよ。父の吸ってるやつとは違う、甘いような、ちょっと喉に絡まるような匂い。そんで小さい音量で、古い洋楽が流れてる。

 そうやって過ごす夜は、好きでした。行きついたコンビニで口止め料みたく買ってもらえるコーヒーも、誘蛾灯の下で煙草吸ってる叔父さんの隣でそれを飲むのも、とても。そうして帰って寝床に入ると、不思議なくらいにすぐ眠れました。


 いつの夏だったかな。俺一度だけ、「まだ帰りたくない、まだ車に乗っていたい」ってコーヒー飲みながら叔父さんに言ったんですよ。こんなに楽しいのに、飲み終わったら家に帰らないといけない、ドライブもおしまいだっていうのが嫌で。

 叔父さん、二回黙って煙を吐いてから、俺の方を見て──「どこに行くんだ?」って。そのまま、俺の答えを待ってくれました。

 結局、家に戻りました。聞かれて、俺も困っちゃったんで。行き先とかね、何にも思いつかなかった。


 そんで、帰省の度に深夜のドライブしてたんですけどね。

 高校二年の夏に、全部おしまいになりました。


 叔父がね、んですよね、人。それが見つかって。怨恨とか金銭とか、何だったのかってのは俺は知りません。教えてもらえなかったんで。

 何にも気づかなかったんですけどね。いつもと同じように過ごしてました。叔父さんとの夜のドライブでも、やっぱりコーヒー買ってもらって。来年は受験だから来られないね、とかそんな話をしてたくらいで。それが突然こう、大騒ぎになって。婆ちゃんたちは泣くし、親父も夏中ずっとすごい顔してたな。

 なんか俺乗せてたときも、トランクに乗せてたらしいんですけどね。結構、埋めるのに躊躇したっていうか。いい場所が見つからなかったってだけかもしれませんけど。死体乗せて走り回ってたってのもすごい話ですね、霊柩車でもないのに。今自分が乗ってる車にとか、あんまり考えませんよね。


 叔父も車もそれっきりです。


 俺は特に何にも。甥ですしね、親父がもう無茶苦茶に怒って実家にも顔出さなくなったんで、親戚付き合いもぷつんと切れて。何やかんやも最初に警察に聞かれたくらいしかなくって、まあ、普通に生きてました。

 んで、順当に年取って大学受かったんで、免許取ったんですよね。それで地元の大学に進学するからって車買ってもらって、土日とか私用で出かけるときは自分で運転するようになったんです。

 一人で好きなところに行って、適当に過ごして、好きなように走るっていうのはね、楽しいです。あの頃みたく夜に走ることだって、問題なくできる。けどね──


 眠れない夜にね、あのときみたいに車を走らせてると、乗るんですよ。助手席に。


 ぼんやりしたやつなんです。

 溜息とか、一瞬助手席に街灯が射したときに真っ黒な影が張り付いてるとか、煙草の匂いが突然するとか、そういうささやかなやつばっかりなんです。それだって気のせいかな、で片づけられるくらいで……微妙なところですよ、本当。絵面的にも地味でしょう。心霊番組とかでバックミラーに映る血だらけのお姉さんとか見てると、ああこういう派手なやつなら認めざるを得ないよなあって俺思いますもん。何目線の何なのか分かんないですけどね、この感想。

 でもそのくらい地味なんで、怖いとかそういうのは正直ないですね。山ん中走ってたとき、天井から蜘蛛が下がってきた方が怖かったですね。嫌いなんですよ、蜘蛛。


 そうですね。

 どっちなんですかね。


 叔父さんなんですかね。いや、本当にあれきり何にも聞いてないんで、微妙なところじゃないですか。いなかったこと、みたいな扱いなんで、生死とかはちょっと。親父には当然聞けませんし、調べるのだって、ねえ。嫌でしょうそういう決定打を自分で打ち込むの。

 そうですね。もし叔父さんだったら──だとしたら、ちょっと複雑ですよ。やっぱりね、嫌いじゃなかったんで、俺。

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夏の残映、夜の残煙 目々 @meme2mason

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