7話
「着いたわよ」
ついに目的の社へと。
(ここが……?)
素直が過ぎて鈍感なケンタも、それにはいぶかる。
「権じぃと一緒に行こうとしていたとことは違う」
「……」
「権じぃは上に向かっていたはずだ。こっちは、どっちかっていうと、下だろう?」
「……」
「オサキ?」
ケンタの問いかけも、オサキはまるで白い人形、身を硬くして応えない。
「オサキ?」
もう一度、ケンタが心配げに覗き込めば、黙ったままぎこちなく、右手を上げて指し示す。
その手は震えている。
夕陽が降りそそぐ、森の中にぽっかりと切り取られたような空間。
大きないわくらを背に、朽ちかけた、苔むした社が一つ。祠といってもいいほどに小さいそれの周りは掃き清められて、森の中のこの空間が如何に大切か、清浄に保たれているかも知れる。心の拠り所として敬われている、神社の境内と同じだ。
「ここが? ここに……」
ケンタの感慨持ったつぶやきにも、オサキは応えない。
ケンタは正面に回りこんで、オサキをしっかり認めた。真っ青な顔には悲しみの雨と、それをたたえた恐怖の海の冷たささえ見るようではないか。
「オサキの母ちゃんと兄ちゃんはどうしたんだ? ここにいるはずだろう?」
いまだ震えるオサキの手が、ゆっくり、社とは反対のほうを差す。
「あ、あいつが……、あいつは……」
それは、土饅頭? まだ新しい……。
「だまされるな!」
驚いた小鳥たちが悲鳴をあげて逃げ去っていく。
夕暮れも近い薄暗くなった森に、しわがれた、でもよく通る、銅鑼のごとき怒声であった。
世界が一変する。
びくっと肩をすくめたのはケンタだけではない。オサキなど、白い顔はさらに白く、真新しい紙のよう。手の震えは体全体に伝わって、見るも悲しくなるほどに。
広場の向こうである。
木々を縫って正面から、ぬっと鉄砲の、無慈悲で冷たく、黒光りして熱い銃口が覗く。
まるで銃そのものにでもなったかのような、凄みを見せる権助の、獲物を狙っては外さない猟師としての姿がそこにあった。
「権じぃ!」
「だまされるな、ケンタ。さあ、ゆっくりこっちに来い」
仔犬を招くような優しげな声音も、ケンタは突然のことに足を動かせない。
「だましたのはどっちよ!」
キンと音がするくらい、甲高く、精一杯にオサキは叫んだ。
「母さまも、兄さまも、あんたを信じていた。距離を取って私たちには近付いてはこない、でも私たちの存在を認めていた、あんたを。それなのに、あんたは……。よくもぬけぬけと、私の前に姿を見せられたものねっ!」
「何をいうか」
「あんたが、母さまと兄さまを殺したんじゃないっ!」
(権じぃが、人を? オサキの母ちゃんと、兄ちゃんを?)
峻厳な祖父がそんなことをするわけないと首振るが、オサキの殺気もはらむ態度が真実を語る。嘘だと首振っても、どちらの嘘を否定しようとするものか。ケンタの動揺は天地が引っくり返ったのを見たほど。予想だにしなかった展開に、金槌で殴られたように頭が痛い。
「ケンタ、よく聞け。だまされるなというたろ? こやつは……」
信頼深いはずの権助の声さえ、どこか遠い。
「こやつも、狐じゃ!」
「だったら、なによ! 何もしていない私たちをっ、だまし打ちで! 母さまも、兄さまも……ッ。私がもっと早くに化けられるようになっていたら……、母さまも兄さまも、私をかばって死ぬことはなかった! おまえ、なんか、きっと二人なら……」
間、髪を容れず、オサキはかたきに噛み付かんばかり。
権助は小ばかにするように冷ややか。
「いいたいことはそれだけか? 母と兄が殺されるのを見て、貴様も化けられるようになったと? ならばまだ化けるのにも慣れておらんな? 今のうちに……」
鉄砲を構えなおし、権助は勝ち誇ってオサキにその銃口を向ける。
「待って!」
ケンタは叫んだ。
やっと気を取り直し、今にも殺し合いを始めそうな二人の間にも入れた。
どちらかがだまそうとしている、それは理解出来ても、どちらも信じたいのである。
「オサキが、オサキの一家が狐だったとしても、だからって問答無用で殺していいわけじゃない! 話が通じる相手じゃないか。なんで……」
ケンタは強くかぶりを振り、真っ直ぐ権助を見据えた。
熱い想いが涙となってほとばしっても、権助は冷たく笑う。
「おまえはまだ子供じゃ。道理を分かっておらん。狐はな、人を化かす。おまえが見ていたものは全てまやかしじゃ。そやつはそれ、口を割った、自ら狐だと。ほっとけばさらに人間をだまし、陥れようとしているのだ。おまえも、おまえの父も、その犠牲となるところぞ」
権助が諭すような口調となっても、ケンタは大きく広げた手を下げない。
むしろより強く、根を張ったように足を踏ん張る。
今ここで信じるのは、おのれの心のみ。
「オサキは決して、悪い奴じゃない!」
「ええいっ、もういい!」
この機を逃すものかと、権助は銃の引き金を……、引いた。
暮れなずむ森に轟音がとどろく。
撃ったのか? 孫とかわいがるケンタも、狐もろともと?
小鳥どころか鹿も逃げ出す。
その弾はしかし、ケンタを貫かず、オサキも捉え得なかった。
ケンタは信じていた。権助は自分を撃たないだろうと。化け物退治の決意固くとも、それより情の深さを信じた。それでも最後は反射の域である。蜂が飛んでくれば考えるよりも速く避けるように、ケンタは身を投げ出すようにしてオサキをかばい、倒れこんだのである。
「ケンタ、邪魔をするな! 化け物に惑わされたかっ?!」
「目の前で泣いてる小さいのを見捨てたら、それこそ男がすたる!」
「今そいつを止めないと村は全滅するのだぞ!」
「そんなことにはならない! オサキは、そんなことをしない!」
「何を、小童が」
「絶対に、俺はオサキを守る! 村を守るのと同じだ!」
チッ……。
「これだから子供は……」
感情を消した、真冬の朝のような底冷えのする目で、権助は再び鉄砲を構えた。
もう、言葉もない。
倒れこんでいる子供など、二人まとめても虫を叩くよりも簡単に撃ち貫くことは出来るだろう。そこにいるのが狐だろうと、かわいいケンタだろうと。
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