3話

「里の人間と山の動物、化け物でもだ。お互いに距離を取り、お互いの領域を、お互いが守るなら、お互い、相手を敬うもんだ。だが、相手が不遜、不条理に攻めてくるなら話は違う。こちらも命を守るために迎え撃たねばならん。そうじゃろう? これはもう戦じゃ。訳も分からず攻められてばかりではいかん。今度はこちらから攻めるんじゃ」

「そうかもしれない。でもだからって、なんで狐が? そもそも、狐の仕業っていう証左はあるのかよ」

「何をおまえが知るというのだ、小童が」

「俺だって、思うことはある!」

 負けず、ケンタは権助をにらみ返した。

 山の動物たちは、村では腫れ物扱いにもされるケンタにとっては遊び相手でもあった。狐だってもちろん、そのなかにはいた。勝手に山に入れば大人には叱られると権助にも隠していたが、友達を疑われ、まして根絶やしなど穏やかならず、声を荒げずにはいられない。

 フッと、権助の顔がまた優しくなった。

「言うようになったもんじゃな。ついこのあいだまで、わしの後をちょろちょろとついてくることしか出来んかった童(わっぱ)が」

 優しげなまなざしに理解してもらえたと、ケンタは安堵の息。

 しかし、違った。

「おまえがどういおうが、しょせん相手はけだもの。話の通じる相手ではない。奴らにはやつらの道理があるかもしれんが、人の道理を犯してまでそれを押し通そうとするもの、わしは許せん……、許さん! いったい何人が犠牲になった? これはもう、喰うか喰われるかの戦じゃ! 悪狐どもめ、根絶やしにしてくれん!」

 よほどの恨みを胸の内で燃やすか。

 その炎で持って山をも燃やし尽くそうかというような迫力。老いたりといえど、長年険しい山の中に身を置く権助である。心の強さがまるで違う。老骨に鞭打ち、これが村に為せる最後の仕事と息巻き、心を据えて気迫込めれば、ケツの青いケンタなど、その目のにらみ一つで金縛りになってしまう。

「そういえば……」

 山をにらんで息を荒くしていた権助が、ふいにケンタに向き直った。

「そういえば、おまえはなんで山に入った? 狐が仕業と、わしは誰にもいわず自分一人で始末を付けようとしていたところだ。村の怪異、おまえはなんと見て山に入った?」

「俺にだって、考えはある」

 権助の気迫に負けるものかと、ケンタは足を踏ん張った。

「ならば、何を考えた? まさか、わしに助けを求めに来たか?」

「また笑う! 子供扱いばかりして……。でもまあ、そうといえば、そうともいえるか。……なあ、権じぃ、あの刀の社って、どこなんだ?」

「刀?」

「ほら、お侍さまの。狒狒退治の。あの時、俺は道案内程度のことしかしてないけど、狒狒を斬った刀は護り刀として、山に納められたのは知ってる。それがどこか俺は教えられていない。子供だからって、祭りの時でも山の社には連れて行ってもらえないし」

「なるほど!」

 権助はパッと顔を明るくして、それがあったかといわんばかりに手を打った。

「賢いのう、おまえは。うむ、そうじゃ。確かに、あれならば化け物に対抗できるだろう。わしの得物は鉄砲じゃから、すっかり忘れておったわ」

 しわがれた声で笑う権助は、よくぞとばかりにケンタの頭を、老いて肉が削げ落ち節くれだった手で乱暴に撫でてくれた。認められたと、そこは無邪気に熱を上げて頬を赤くする少年ケンタだったが、胸の奥に湧いた疑問の黒いもやをそれで消してしまったこと、浅はかだったとそこは時をおかず後悔することになる。

「そうじゃ。おまえに社の場所を教えるなといったのはわしだ」

 権助、そこはかわいいいたずらっ子を叱る目も見せて、

「おまえに教えれば、なんぞいたずらに使うと思ったのだ。三年前の狒狒退治のあとにはすっかり、取り付かれたようにあの侍のことに夢中になったおまえぞ。刀を持ち出して侍ごっこでもやるんじゃないかと忠告しておいたんじゃ」

 返す言葉もない。

 お侍さまが狒狒退治の手際の良さ、その技も、力も間近で見た。それを誇るでもなく、報酬も求めず、逆に大事な刀をくれという貧しい村の無茶な懇願にも二つ返事でうなずいた。農夫にはない侍の体の大きさ、豪放磊落名な人柄に、十にもならないうちから活発なケンタが遠い憧れを抱かないわけがない。その憧れの残照である刀、叱られて泣きたい夜には思い出し、見てみたい、触れてみたいと山を眺めたのも少なくなかったのである。

「ハハハハ! ほれ見ろ、わしが正しかった」

「うぅ……。でも、こんな事態にこそ、今こそ、あれが必要だろう?」

「うむ。まあ、そうじゃな」

「じゃあ……」

 小屋にいったん入ったはいいが、道具袋などを取り出せば、それをケンタに預け、

「狐にもあれは利くじゃろう。他の化け物でもいれば、それこそ……。日の落ちんうちに刀を取りに行こう」

 老いれば堪え性もなくなるというが、せっかちな権助は休んでいる暇はないとばかりに山の奥へと入っていくのである。もちろん、それにケンタは付き添う。


 森の奥に入れば、山は傾斜をきつくするごと、険しさも増す。

 これまで子供には危険だからと立ち入ることを許されなかった山である。

 大人の道を歩いているのだとケンタの胸には熱が湧き上がるが、しかしすぐにそんなものは消し飛んでしまった。

 太い木々は根を地面の上まで張り出してつまずかせる。岩肌を登るような急坂もあれば、足をかけるだけでも四苦八苦。権助がけもの道を選べば、葉に、枝に、顔を引っかかれては擦り傷、切り傷こさえる。ところが権助は確信を持って進む、我が庭を歩くように。これが七十も過ぎた老人かと驚くほど、権助はすたすたと登っていくのである。ケンタの未熟な足では、それについていくだけで息を荒くするのである。

「待て、止まれ」

 息を切らせたケンタを、後ろも見ずに手を広げて権助は止めた。

 おもむろに背負った銃を下ろし、ゆっくりと弾を込める。

 権助の背中越しに、ケンタも見た。

 眼下に、うずくまる一人の男。

 そのそばには確かに、長い尾を少し巻き、男に寄り添うような狐の焦げ付いた背。

「おのれ狐め! また人をだまそうとしているなっ。一匹たりとも生かしてなるものか!」

「待って、ダメだ!」

 弾を込め、鉄砲構えた権助にも、果敢にケンタは体を張ってそれを止めた。

「何をする!」

「だ、だって……」

 その一瞬で、

「ええい、くそ! 逃げられたではないか」

 苦々しげに吐き捨てた権助だったが、

「大丈夫か」

 と、ケンタにこだわるよりも、まだうずくまる男のもとへ駆け寄った。

「おお、権助爺! いいところで会った」

 それが呆れるほど明るい声である。心配したことも、まるでこちらがバカを見たような。

「足をくじいて難儀していたところだ。いやあ、良かった、良かった、助かった。……うん? 後ろにいるのはもしかして、ケンタか?」

 うかがう顔見れば、それはなるほど、お互いよく知った顔だ。

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