6話

「なあなあ、オサキはどこに住んでいるんだ?」

「なによ、いきなり」

「だって、オサキは村では見ない顔だろう? 友達のことは知りたいじゃないか」

「私は友達になるなんて……」

「いいだろう? 俺のことも何でも訊いてくれていいからさ」

「あんたのことなんて、別に……」

 先を行くオサキは、それきりまた黙ってしまった。

 振り向きもせず、すたすたと、無愛想な道案内。

 山に慣れた権助ほど達者に山道を行くオサキだが、厳しい権助とは違うところもある。オサキは不慣れなケンタを気遣ってくれているのだ。犬の先行きなら、尻尾も振れば、時々振り向いてもくれて愛想がいい。オサキにそれはないのだが、痛む足にあわせてゆっくり歩いてくれるのは、同じように心が和む。

「山よ」

「え?」

 突然、オサキの口から出てきた言葉に、ケンタは一瞬何のことか分からなかった。

「山に住んでるって、いってるの。あんたが訊いたんでしょ? 山のお社の守りを、母さまと兄さまとね」

「そうなのか!」

 オサキが応えてくれたことにケンタは飛び上がるほどうれしかったが、オサキはどこかさびしそうだ。

「人里へは滅多に下りないわ。あんたが私のこと、知らないのは当然よね」

「そうか、そういうことか。だから、社の場所も知っているんだな」

「そういうこと」

 合点がいくとともに、オサキへの感情もまた別のものが湧く。

「オサキは偉いなあ」

「何が?」

 振り向いてくれたオサキがうれしい。

「だって、山のなかでずっと、だろう? 人知れずというか、さびしくないのか?」

「別に。これがお役目だもの」

 ぶっきらぼうな返しも、オサキはどこか誇らしげである。褒められてうれしいのは誰だって同じだろう。まして、自分の仕事に誇りも持っているなら。

「あんたは運が良かったのよ、感謝しなさい。私に見付かってね。命も助かったようなものだし、社にだって案内してもらえるんだから」

「うん! ありがとう!」

 オサキの棘を、一種の鈍感さかもしれないが、それと感じずに受け止められる。それはケンタの性分であり、オサキとは違う人の良さである。

 オサキは毒気を抜かれた。

「まったく、調子が狂うわ、あんたと話していると。素直すぎるのも毒よね」

「そうかなあ。俺はオサキと話していると楽しいぞ」

「な、なによ、それっ!」

「言葉どおりの意味さ、俺は楽しい」

「お気楽なものね。化け物退治でもしようってときに」

 一瞬、また暗い翳がオサキの顔に差したが、ケンタは逆に、このときだけはと明るい。

「まあ、それはそれ、これはこれ、かな。今はオサキといるのが楽しいんだ。ずっと気を張っていたからさ」

「なんで、そんなにがんばるわけ?」

「だって、俺がやらなきゃ……」

「それが必要ないっていうの。子供が出来ることなんてたかが知れているじゃない。……何も出来なくて当然。それでも何かを、どうしてもって、気持ち、分からないでもないけど、出来ないことは、出来ないのよ」

「オサキ?」

 うつむき加減でぽつりぽつりとしずくがこぼれるようなその言葉は、どこか苦しげでもある。

 その顔に、ふとケンタは思い出すものがあった。

 何故、それを、いま? と、いわれれば、「似ている」としかいいようがない。

「オサキをみていると、山で一人、動物たちと遊んでいた時、俺をいつも遠くから見ていた狐を思い出す」

「なによ、それ?」

 唐突な話の向きにいぶかしげな顔を隠しもしないオサキ。そこはかえって空気を読まない。何か心につかえを持っているオサキを、今度は俺がと気遣いも持って、おもしろい話だとケンタは続ける。

「遠めに見えるんだけど、絶対に近付いてこない仔狐なんだ。警戒心強いくせに、木の陰とか、見えるところに必ずいる。目が合うとぷいと隠れるんだけど。気付くとまたひょこっと顔出して、それがけっこうかわいくてさ」

「それが?」

「オサキを見ていると、何故か思い出した。オサキが狐の話をするからかな?」

「ふーん……」

 うかがうケンタをよそに、オサキはまるで気のない素振り。

 話の向け方を間違っただろうか。

 オサキはまた、前を向いて、すたすたと歩き出した。

 気まずくなったケンタも黙ってついて行く。

「もし……、もしもよ?」

 足を止めず、振り向きもせず、オサキは言葉をしぼり出す。

「その、狐が……、もしも、私、だったら……」

 オサキはか細い声も、ケンタの反応は弾けたように早かった。

「そうか! そうだったのか!」

 ためらいも疑いも、匙ひとすくいも見せず、ケンタはもうオサキに抱き付かんばかりにその手を取ったのである。

「それはうれしい、すっごく! ずっとずっと、こっちに来ればって、一緒に遊ぼうって、話も出来たらって思っていたから。それが人の姿で、なんて、最高じゃないか!」

「怖くはないわけ?」

「なんで、怖がる必要があるんだよ」

「幻滅したんじゃないの? こんな私で」

「なんで? オサキは狐の姿もきれいだったけど、今もかわいいぞ」

「な……」

 ケンタの言はいつも、全く偽りも探りもなくストレートである。

「オサキの心があったかいことも知ってる。昔から、今だって」

 なんの飾り気もためらいもなく、心のままの言葉次々と。

 それを正面からぶち当てられたオサキの顔はついに、桃の花も満開、みるみる真っ赤になってしまった。

「もう! 離しなさい、いやらしいわね」

「あ、ごめん」

 手を離せば、照れ隠しに、ぷいとそっぽを向いてしまう。

(機嫌損ねた?)

 それこそ追いかければ逃げる狐のように。

「狐なんて、嘘よ」

「え?」

「ちょっとからかってみただけ。あんたと私は今日が初対面。間違いないわ」

 ケンタに顔を向けず、また先導を始めつつオサキはぶっきらぼうにいう。

「なんだ……」

 心底、残念そうなケンタだったが、ケンタには見せずオサキが笑っていたこと、知りはしない。ほっとしているようであることも。どちらにしても、ケンタは疑うことを知らない。それは美徳かも知れないが、同時に危うさもはらむ。オサキはそれに気付いたのかも知れない。

 オサキの決心は、もはや揺るぎない。

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