2話
「ケンタよ、わしを手伝え。きかん坊には何をいってもムダじゃろう。いま帰しても、おまえはまた一人で山に入るに決まっとる。それならいっそ、わしのそばにいたほうがええ」
「ありがとう! さすが権じぃだ、話が分かる!」
素直に礼がいえるのは、ケンタの一番の美徳である。
無邪気な孫の喜びに権助の頬も緩むが、釘を刺すことも忘れない。
「うぬぼれるなよ。まだ小さいおのれなど、せいぜい荷物持ちじゃ。わしのそばから離れれば、いっぺんに山のけものや化け物に食われると思え。いつもいっとるが、山は人の領域ではない。山への敬い忘れ、一つ気を抜くだけで命を取られる。山そのものが神であると、そう心に刻んで気を抜くな」
「分かっているよ、そんなこと」
口を尖らせたケンタには、やれやれ困った子だと、権助は苦笑を投げた。一種、わがままな孫がそれでも可愛くて仕方ないと、そんなふうにも見える。
「ケンタ、おまえ、いくつになった?」
「なんだ、忘れたのか? 権じぃも、もうろくしたなあ」
「何をいいやがる」
「ハハハ! もう十三だぞ。早ければ元服だ」
「そうか……。確かに早いものじゃて。あれからなあ……」
光陰矢のごとしは年取るほど感じるものか。
感慨に耽る権助だが、ケンタにはそれがどうもくすぐったい。
「何だよ、気持ち悪いなあ」
「いや、なんでもない」
秋に天から授けられたケンタだから、誕生日を祝う習慣のある現代からみれば、まだ満十二歳である。江戸の昔の数えなら、年の初めの元日に皆もろともに歳を取る。いずれにしても、大人になっていく上り坂のケンタとは違い、権助はもはや老いの下り坂。手を引いていたはずの子に、早晩手を引かれるようにもなろう。
「とはいえ、お前さんはまだまだ危うい」
「子供扱いばかりしてたら、なおさら何も出来ないままだ」
言葉よりこぶしに力を込めるケンタに、権助はそれをくじくかのごとく皮肉っぽく、
「いつまで経っても、背も低いしのぅ」
「そんなもん、なおさら関係ない! みんなより小さくても、俺は相撲でも木登りでも負けたことはないんだ!」
「いっぱしの口を利きおる」
「ほんとのことだろう!」
鼻息荒いのはまさに猪武者。負けん気だけは一人前だと、ウリボウを権助は鼻で笑う。
「はねっかえりが。まあ、いい。確かに、そろそろ子供扱いばかりもしていられねえ。ちっとは手伝いの一つも出来てもらわねえとな。相撲だの木登りだのと、子供の遊びの自慢ばかりされても何の役にもたたねえ」
「応!」
勢い込むケンタの足はさらに勇ましく。
「おいおい、だからってまだ認めたわけじゃあねえ。荷物持ちだというたろう? わしの前を行こうとするな」
「だって……」
「だってもへちまもあるものか。そもそも、どこへ行くかも知らねえままじゃないか。まったく、おまえはやっぱり首に縄でもつけておいたほうがいいな。放し飼いにはとてもじゃないができん」
「口の悪い爺さまだなあ! 俺は犬じゃない!」
「猟犬のほうがまだましな働きをするぞ、今のおまえよりな。いいか、子供扱いして欲しくないなら、大人のいうことも聞け。何が危ないかもしらねえガキの勇み足は、おのれだけでなく、仲間の命までも危険にさらす。これは遊びじゃねえんだ。勇み足と勇気を勘違いするんじゃあ、ねえ」
「分かったよ……」
子供と大人の境目は危なっかしい。
認めてもらいたくてうずうずして、背伸びをして無茶をしてしまう。
それでも孫の成長は頼もしいものだ。
深くしわが刻まれた権助の顔、埋まってしまったかとも見える目は厳しくも優しい。
「よしよし。まずはわしからはぐれぬようついてくることだ。出来るかな?」
「嫌味な笑いだなあ! ついていくことくらい、出来るさ!」
「そうか、そうか、それは頼もしいな」
「からかうなよな。まったく、バカにして」
「すぐ頬を膨らませるから、おまえは子供だというのだ。ハハハ」
爺と孫の会話は軽快で明るい。
森は静かにそれを見守る。
朝に騒ぎ立てて飛び立っていった小鳥たちも、今は腹を満たしたか、その鳴き声は小さい。
昼日中に元気に声を出せば、夜行性の危険なけものも寄っては来ない。
木漏れ日が暖かく降りそそぎ、息を荒くして登る山道も清々しい。
改めて心を落ち着けて周りを見れば、さわさわと風に揺れる木々も穏やかで、こんな山に怪異が起こっているなど信じられるものではない。気負っていたケンタも肩透かしを食らったよう。だが、前を行く権助はもう振り向きもせず、無言のその背にただならぬ緊張を感じてケンタは尻の穴がキュッと締まる。虎口どころか化け物の巣へと、断崖絶壁の上から荒れ狂う海を覗くような、権助の肩越しに見える瀬戸際、今さらながら垣間見て身が縮むのである。
「入れ」
森の中、開けた場所に建てられた権助の猟師小屋。
権助が木戸を引いた、その腕の下からいつものように小屋に入る。
異変はすぐに、鼻から入ってきた。
(これは、血の臭い? けものの臭い?)
「気付いたか」
権助はニヤリ。しわの多い頬を引きつらせるようにして、口角を上げた。
冷淡な目に見据えられ、鼻をつまんだケンタの背筋に冷たいものが走る。
普段はしかめっ面もどこか暖かみを感じていた爺さまにはまるで似つかわしくない。
「わしはな、今回の村の災厄は狐の仕業と気付いたのよ」
ケンタがいぶかるのもかまわず、権助は苦々しげに言葉を吐き出した。
「ゆえに狐どもをこの山から根絶やしにしてやるつもりだ」
「でも、権じぃは前にいったよな。山のもんは無闇に人は襲わない、襲うならそれは何かしら理由があるはずだ。山に入る人間の無知こそ悪いって……」
「そうじゃ」
はっきり、権助はうなずいた。
「鋭い牙持つ狼、巨木も薙ぎ倒す熊といっても、野生の生き物は基本的に臆病だ。人間を恐れ、獲物とは見やせん。それでも人間を襲うのは、何といっても身を守るためじゃ。飢えて仕方なくということもあろうが、おのが縄張りに踏み入ろうものなら、子を守るためにも、自分の身を犠牲にする覚悟で攻めてきよる」
「ああ。だから、狐だって……」
「化け物はな、ちと違う」
言下に、権助は首を振った。
「良いか、これも教えだ、よく覚えておけ」
「う、うん」
「御山は、何百、何千年と変わらずそこに鎮座ましまし神が宿る。そこに長く暮らすものもまた、その気を浴びてこの世の理を超えた存在と化す。それこそ化け物、山の神の気で神変を得たものじゃ」
「それが今回の事件を起こしたってこと?」
「わしはそうにらんでおる。普通の動物は天寿を全うして化け物などにはならん。しかしまれに天の気まぐれか長寿を得て神気を浴び続け、化け物となるのだ。狐など、その最たるもんじゃ。ほれ、狐が人を化かす話など、おまえだっていくらでも聞いたろう?」
「それは、まあ……」
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