スペシャリテ

 スイーツが出来上がるまで、少しだけ種明かしをしたい。

 僕がここに来て最初に違和感を抱いたのは建物だ。国が保有する施設なら、ログハウスか、何かの研修施設みたいに、共用スペースや集団部屋がある。

 だけど、デザイン性に富む外観や、一階が土足の広いスペースを考えると、明らかに誰かの別荘で、国が買い取ったか借りている。その保有者が誰かと考えたとき、灰川 透が浮かんだ。世界的に有名な画家だから、人里離れた場所にアトリエを作ったのだろう。

 そしてもう一つ、お祖父さんの存在だけど、それはすぐにわかった。

 国の重要人物を、引退した老人がGPS付きで従事するには無理がありすぎる。息子である透さんが亡くなった後、孫を助けたくて国に協力したのだろう。警察も相手が親族なら、いろいろと都合がいいだろうし。


 さて、スイーツの材料と道具の準備が済んだので、調理にとりかかろう。

 卵を卵黄と卵白に分けて、それぞれボウルに移し、どちらにもグラニュー糖を入れてかき混ぜる。卵黄は簡単だが、卵白は休まずに高速で混ぜないとうまく泡立たない。上手くメレンゲができたら、それらを数回に分けてさらに混ぜて馴染ませる。最後に薄力粉とココアパウダー加えてゴムベラで混ぜると、生地を薄く広げてオーブンで焼く。

 次はムース。ボウルに卵黄とグラニュー糖を入れ、湯せんしながら泡立てる。そこへ軽くほぐしたマスカルポーネを加え、またかき混ぜ、馴染んできたらさらに生クリームを加えて、さらに混ぜればOK。

 残るは仕上げ。焼きあがった生地を型に入れるムースを塗り、その上にあるものを多めに振りかける。さらに生地とムースを重ねて表面にパウダーを振り掛けた。

 お祖父さんに撮ってもらった画像と比較する――うん、申し分ない色! あとは冷蔵庫に入れて寝かす。何万回と繰り返した作業だ。頭の中ではどんな味になるか想像できる。


 午後の三時になる。監視室にお祖父さんがマジックミラー越しに部屋を見る。

 色香ちゃんはまだ来ない。水瀬さんが連れてきて、そこでスイーツを開ける手筈だ。

「如月くんから頼まれた、スマホの機能で撮ったモノクロ写真。役に立ったかな?」

「おかげさまで、彼女の色彩感覚はクリアできます」

 少なくても、僕が見た通りのスイーツは提供できるはずだ。

 彼女がやってきて定位置に着く。

 また、味がしないんじゃないか、と不安そうに俯いている。

 色香ちゃんは、僕との約束を果たしたいのか、スイーツを食べるときは慎重で、味がしなかった途端、泣いてしまうのだ。

 水瀬さんが、ボウルで中身を隠した皿を持ってきた。

 そっとテーブルの上に置き、蓋を開ける。

 ティラミス。

 その味は滑らかなくちどけに、甘さの中にコーヒーの苦みが残る。日本人にも親しまれているスポンジケーキ。

 由来のイタリア語で意味するのは、「私を元気づけて」。


 色香ちゃんのもつスプーンが震える。丸い不定形のスポンジをすくって、ゆっくり口に運ぶ。たいして咀嚼する物ではない。何度か口を動かした後、彼女はそっとスプーンを置いた。

 ――ここまでは想定内。

 元から味がしないのだ。いつもどおり一口で終わる。

 変化は間もなく起きた。

 彼女の頬が上気し、細い胸に手を置いた。

 なに? じっと鏡越しに映る僕たちを見ている。

「如月くんからのお願い。もし、変わったことがあったらもう一口食べて」

 水瀬さんが色香ちゃんにいう。彼女は不安そうにもう一口すくう。

 軽く咀嚼して、また飲み込む。スプーンを置いた手を、今度は額に当てる。

「ティラミス……君はお酒をまぜたのか」

 お祖父さんの言葉にうなずく。

「普段使う量より多めに。まったくの下戸の人は、スイーツのお酒でも酔う人もいます。味覚のない彼女ですが、アルコールなら、味としてとらえるはずです」

 色香ちゃんは胸に手を当てて前かがみになる。

 お酒が効いているんだろう。

 僕にできるのは、これを作ることだけだ。後は奇跡を信じるしかない――

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