避暑地

 車を降りて目隠しを取ると、青々とした自然が目に飛び込んだ。

 芝生のように緑が広がった平地と、それを取り囲むように森林が生い茂る。視界の上には隆々とした山が四方を囲んでいる。

 平地の中央には長方形の幾何学的なデザインの建物があり、そばには畑や花壇があった。

 危険人物を匿う場所というより、誰かが建てた別荘を借りている感じ。

 ここはどこだろう?

 車の後ろを見ると、二本のタイヤ痕があり、その轍が林の中に消えていった。どうやら車はこの先から来たのだろう。街へ帰るとしたらこの道を進むしかない。どこまであるかわからないけど。

 案内されるまま、長方形の建物に入る。

 一階は土足で入れる広間だ。デスクや書類やいくつかのPCモニターが置いてあり、いかにもオフィスっぽい。話によると警察の事務所らしく、ここで監視しているという。

 水瀬さんはオフィスの奥に向かうと、引き戸を開ける。靴箱とスリッパ置きがあり、フローリングの床と階段が見えた。

 段差の高い階段を上りながら、水瀬さんが先導する。

「二階に彼女を待たせているけど、すぐには会えない。いまはどんな様子か確認して」

 見るだけ、とはどういうことだろう。不思議に思いながら手前のドアを開けた。

 納屋のように狭い一室に、屋内用の窓。その窓は隣の部屋に繋がっていて、件の人物である灰川 色香が座っていた。

 第一印象は、人形。整った容姿と清楚なワンピースを着て、椅子に座ったまま微動だにしない。

 異性に頓着がない僕でも、彼女が稀にみる美少女だとわかる。

 櫛を通したのか髪は腰まである長いストレートで、艶があり光を反射している。眉毛は綺麗に切り取られ、唇に艶があり、全体的に肌も白い。くわしく知らないけど、化粧をしているんだろう。体躯は華奢だけど、伏し目がちな視線は、ネット画像で一斉に拡散されてもおかしくなかった。

 こちらを見ているだろうが、一向に視線が合わない。手を振っても反応がなかった。


「無駄よ。この窓はマジックミラーになっている。ここは事情聴取を行うために使われるの。いまは彼女の体調が急変してもいいように、休憩や勉強をここでしている」

「へぇー。それにしてもすごく綺麗な子ですね。自分で化粧とかもしたんですか?」

「あなたが来るから私がしたの。さすがにすっぴんだと可哀想だから」

 横にいる水瀬さんが僕に言った。

「髪はどうしてるんです? 美容室とかにもいけないんですよね」

「ええ、だから私が切ってる。あんまり上手くないかもしれないけど」

「今度、僕もお願いします」

「禿にするわよ」

 さすがにそれは引くなぁ。


「アレ、ついているんですね……」

 人形みたいな彼女に唯一不釣り合いな足首を指した。華奢な素足についているのは、デジタル腕時計のようなごつごつした機械。僕が車を降りた際に嵌められたGPS機能の足枷だ。

 世界を揺るがしかねない彼女は、徹底して監視されている。

 この建物に檻がついていないのが救いだ。牢獄と変わらないのだから。


「せっかくのオシャレが台無しよ。あの子を見たら使う必要がないのに。上は年中記録を取って、ここにいた事実が欲しいの」

「責任を取りたくないからですか?」

「有り体にいえばそうね。何かあれば私のせいになるわ。べつにクビになってもいいけど」

 水瀬さんは辟易したようにいう。

「ほかに住んでいる人はいないんですか?」

「引退した先輩がいるわ。いつもは外の手入れをしている」

「では散策ついでに挨拶にいきます。これからここで暮らしますから」

 僕も重要参考人の仲間入りだ。これぞ新しい生活様式。

 数奇な運命だ。自分のことなのに楽観的に思えてしまう。

 ――ただ、あの子の立場は絶望的。砂漠に井戸を掘るくらいに、彼女を救うのは無理だろう。一年中雨でも降る奇跡が起きればいいのだけど。


 リビングからテラスへ出ると、美しい景色を一望できた。青々とした山の下には、濃い青色の湖が広がっていて、アヒルが優雅に泳いでいる。

 もう自由はなくなったけど、いいところに来た。ここで食費や家賃を気にせず、お菓子を作れると思うと、そう悪くない。

「あの子に会ったかい?」

 後ろから声がしたので、振り向くと猫背で白髪の男性がいた。

「え、えーっと……」

「失礼。私も監督者の一人でね、君が来ると聞いて少し喜んでいるよ。よろしくね」

 想像した以上に年配の人だったので驚いたものの、悪い人ではないらしい。

「お世話になります」


 改めてまじまじとみる。六〇代くらいの壮年で物腰が柔らかく、表情も柔和だ。顔の彫は濃く、声も若干しわがれている。体躯も細く、政府の人間っぽくなかった。気がかりだったのは、足首だった。

「政府の人でもGPSをつけているんですね」

「現役を引退していてね。それに年寄りだから、いつ記憶がなくなるかわからない。念のためだよ」

「国は随分用心しているんですね」

 カカカ、と老人は楽しそうに笑った。この人とならうまくやっていけそう。

「よかったら私と話さないかい? 君に訊きたいことがあるんだ」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 僕と川合 収蔵しゅうぞうさん(のちに名前を教えてもらった)は、テラスにあるベンチに腰掛けて湖を眺めた。彼の手には、餌用のパンくずがあり、それを遠くに投げて湖に乗ると、アヒルが泳いで近づいた。


「治希くん、君は自殺願望があるかい?」

 それは水面に広がる波紋みたいに、寂しく冷たい、悲しみを帯びたものだった。

 僕はその一言で、この人物が誰なのか悟ってしまった。けど、口にしたら何かが決壊しそうだった。僕は知らないことを装って話を合わせた。

「いっときはありましたけど、いまはないです。あの子はあるんですか?」

 収蔵さんは肩で息をした。

「正直わからないんだ。あの子がなぜ死んだように生きているか、また、生き続けようとしているのか……。そして、あの子の父親である色川 透が自殺した理由も。

 私は感性のない人間でね。君のように若い時から才能を発揮した人ならわかると思ったんだ」

 収蔵さんが大きめのパンくずを投げた。さきほど餌に気づいたアヒルはさらに近づき、水表面に出てきた鯉が顔をのぞかせた。

 僕は淡々と口にする。


「――人は、期待していた当初から絶望に落とされたとき、その距離が大きいほど、自殺したくなります。幸せを高望みするほど現実が辛いんです。

 でも、はなから幸せを捨ててしまえば自殺はないのかもしれません。何のために生きているのかわからず、鬱になってしまいますが。いっそ、死んだほうが楽だと思うのも確かです」

「あの子は自分の幸せを捨て、自殺をしないようにしている。なぜ踏みとどまっている?」

「僕も彼女と同じです。虚無に襲われて、なんで生きているか悩むときがあります。そして自殺を考えるたびに、それを否定する自分がいるんです」

 湖を優雅に進むアヒルを眺めながら、

「結局、人は自分の生きる意味を知りたいと思うんです。そして、それは、寿命が尽きたところでわかるのかもしれません……」

 おじいさんは、パンくずをちぎってまた投げた。


「お願いがある。君にあの子を幸せにしてほしい……」

 僕は無言で首を振った。

「彼女と同じ場所にいる僕自身では無理です。だけど、スイーツは人を幸せにする食べ物です。僕ではなく、スイーツの魔法を信じてください」

 おじいさんはふっと優しく笑った。

「君がここにきてくれて本当によかった。ありがとう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る