九割九分の月光と一分の流星

和田島イサキ

彼と私の月撃墜計画(ムーンショット・リサーチ・アンド・デベロップメント)

 それ遠回しにフラれたんじゃないかなって、そこに思い当たるような私と彼ではなかった。


 神童と呼ばれて、中学まではそれなりの成績で、でも高校に入ったらいまいちパッとしなくなる人間というのはわりといる。というか、大半がそうだと思う。なのに自分がその大半に当てはまるとは思わないのが十代というもの、だから認め難い現実に抗うべくあれこれ悪あがきしていた当時の私の、その自分で捻り出した肩書きが「発明王エジソンの生まれ変わり」だった。そのちょっと前までは「ラマヌジャン並みの頭脳」を自称していて、でもそれはさすがにもう無理だと取り下げた頃の話だ。

 一体、どこで聞きつけたのか。私ひとりきりの、それも活動実績ゼロの研究発明同好会に、まさかの依頼が舞い込んできたのが六月初旬のこと。


 依頼の内容はこうだ。納期は二週間、世界のあらゆる難問を薙ぎ倒す最強のAIを発明してほしい、と。

 私は思った。それはもう、発明とかそういう次元の話じゃなくない? って。


 初めての依頼主、くらもちとういちろうくんは私と同じ一年生で、困ったことに結構な美男子だった。

 性格も良い。何を喋らせても爽やかな、いわゆるイケメンというやつだと後で気づいた。最初はいまいちよくわかってなかった、というのは、当時の私がいかに物を知らなかったかの証左だ。

 発明王の感性は、世のイケメンとイケてないメンの区別をしない。ただ「おお……男子だ……」って思った。ひたすら勉強に没頭してきた小中学生時代、男友達なんてひとりもいなかったおかげで、この藤一郎くんが私の中の「男子」の基準になってしまった。ひどい話だ。人間、一度覚えてしまった贅沢はもう忘れられないもので、だから最初はもっと初心者向けの男子——例えば顔がゴミだったり性格がクズだったりすれば良かったのにと、わりと真剣にそう思う。藤一郎くんは責任を取るべきだけれど、差し当たっては彼の持ち込んだ依頼の話だ。


 最強のAI。彼に曰く「プレゼント用なんだ」と、そんな言い方するからつい「じゃあラッピングしたほうがいいね」なんて返して、でもそれ以前の問題なのは言うまでもない。私の言う発明というのは、もっとアイデアとか発想の勝負みたいな感じで、だからAIは無理っていうかそういうアレは違うよね普通と、そう強気に出るだけの度胸が私にあればよかったのだけれど。


 普通に思った。ちょっとこれ、無下にはできそうもないなあ、って。

 かわいそうだ。だってこんな、自分で言うのもなんだけど私みたいな、なんだかよくわからない自称エジソン女をたのみにしなきゃいけないくらいだ。人間どこまで追い詰められたらこんなことになるんだろうって、はっきりそう思ったわけじゃないけど心のどこかではそう察していて、そして結論から言えばそれは大正解だった。このときの彼は完全にジリ貧、半ばパニック状態みたいなものだったのだと思う。


 恋は人をおかしくする。特に、まったく脈のない、完全な負け戦ならなおのこと。


 でもプレゼントならもっと他にいろいろあるよねと、一応遠回しに止めるくらいのことはした。もらったことないからわかんないけど、女の子へのプレゼントに最強のAIというのは、なかなかアバンギャルドな選択のような気がする。もっとこう、美味しいチョコとか、あと綺麗な貴金属類とか——なんて、そういうプレゼント的な経験が全然ないおかげで、例えが卑近か大袈裟かの両極端になってしまう。


 彼の答えは単純だった。当の彼女直々のリクエストだから。なるほど。それはずいぶん変わった彼女さんですねと、その私の言葉に「いやー」ともじもじした彼は、でもこのときちゃんと言うべきだったと思う。まだ彼女ではなくて、このプレゼントの結果そうなる予定なんです、と。


 名前は確か、つきしまさん。あるいはつきがたさんだったかもしれないけれど、でも特徴を聞いただけで「ああ、あの人」ってわかった。新入生の中でもとびっきりの美人で、しかもいいとこのお嬢様、そのうえ成績までぶっちぎりって噂の女子生徒。

 悔しくないと言えば嘘になる。彼女個人への嫉妬というより、世の中の理不尽さそのものに対してだ。天は与える。お気に入りの女に、それはもう二物でも三物でも。容姿もそうだけれど、特に羨ましいのはその頭脳だ。あと育ち。気品があるというか、とても上品で人当たりが良くて、そんな彼女を好きにならない人間なんているわけないでしょと、そう語る藤一郎くんの目は本当にキラキラしていた。よっぽど好きなんだと思う。


 気持ちのいい青年だと思った。好きな感じだ。顔もいいし、あと言葉に嘘がないっていうか、本気で「最強のAIさえあればなんとかなる」って信じてるっぽいところがとても好ましかった。顔もいいし、なにより話していて楽しかった。私みたいなよくわからんぼそぼそ喋りの地味女が相手でも、気さくに会話を続けてくれるタイプの顔のいい男だ。


 ——仕方ない。

 柄じゃないけど、でもそういうことならひと肌脱いであげますか——なんて。

 もとよりできもしないキューピッド役を、でもなんか勘違いして買って出ちゃったのがそもそもの間違い。


 悲惨だった。

 その先、というか、その結果、私たちの辿り着いた結末は。


 赤っ恥の大失恋。奇跡は起こらないからこそ奇跡なのだと、それはもう薄々理解しつつあったはずなのに。

 所詮「大半」のひとりでしかないごく普通の私に、ラマヌジャンほどの頭脳もなければエジソンらしい閃きもない平凡な女子に、できることなんてたかが知れている。そしてその知れている「たかが」の内に、少なくとも奇跡は含まれない。

 結果。

 きっちり二週間の月日を費やして開発された最強のAIは、初めから努力賞狙いと言われてもしようのない代物。


 ホームセンターで買ってきた段ボール、その側面にでっかく「最強」って書いて、そしてその中にはラマヌジャン並みの頭脳。人工アーティフィシャル感あふれる外装に、中学まではギリギリ最強だったはずの知能インテリジェンス。どうだこれが私たちの答えだくらえと、そんなことを何の罪もない恋する男子に言わせてしまったことが、私は本当に悔しいし情けないし心底申し訳ない。


「いやまあ、頼んだのは僕だから。それに、これよりまともな案を出せなかったのも僕だしね」


 ありがとう、これでやるだけやってみるよ——と、藤一郎くん。

 放課後、覚悟を決めた男の顔が夕日に眩しくて、私は男の子のそんな面差しを初めて見て、だから簡単に、本当にいともたやすく、そこにかけるべき言葉を失った。おかしい。というか、詐欺もいいとこだと思う。今の私は、台車の上に置かれた「最強」の中の小さな頭脳は、今この世界のあらゆる難題をまとめてひと薙ぎにできる、究極の叡智という建前なのに。


 ガラガラと、台車ごと彼の手に押されて、向かうは彼女との約束の場所。


 死地へ。もとより勝ちの目のないいくならば、自らをもって死兵と化すより他にない。勢いだ。ガッと行ってワーッとやってバババッって逃げる。それは私自身が提案した作戦で、だから校庭の先、目指すべき姫の姿が見えた瞬間、雄叫びと共に駆け出す彼。

 思った以上におうとつの激しい路面に、台車がガタガタこの世の終わりみたいに揺れて、そしてひときわ大きな窪みに車輪を取られた瞬間、今世のエジソンは流れ星になった。

 飛んだ。これまで積み重ねてきた九十九パーセントの努力が、いま一パーセントの天翔ける流星の閃きとなって、「最強」の箱ごと飛び込んだ草むらの、その奥の奥へと「おあああああ」という悲鳴と共に転げ落ちて行った。だいぶ痛かったけど奇跡的に怪我はなくて、なにより藤一郎くんよりはマシだった。窪みに跳ねた台車のハンドル、それが彼の顎先を綺麗にかち上げ、おかげで彼は夢の中だ。


 助けてもらった。

 結局、例の彼女、藤一郎くんの思い人たるつきおかさんに。


 完敗だ。できた人間というのは本当にいるもので、そりゃ「なんなの。なに。どういうこと」ってケタケタ笑いながらではあったけど、でも本気で心配してくれているというのは私にもわかった。笑い上戸で優しくて、こんな突然現れた謎の「最強」の救助も厭わないくらいで、だから私は一気に彼女のことが好きになった。

 鈴の音のような声で曰く、まさか中から女の子が出てくるとは思わなかったと、最強から生まれた最強太郎ねと、そんな独自の解釈を彼女はしていたけれど、でもこの人が言うならそれもいいかなって思った。それでいいって思えてしまうような人柄の暖かさを感じて、つまり完全に手玉に取られてしまった、その時点でもう勝ち目なんてどこにもなかったのだと思う。


 結局、AIは納品できなかった。それは分解され、最強太郎になってしまったのだから。


 告白は失敗し、藤一郎くんの恋は敗れてしまったけれど、でもどのみち避け得ない結末ではあったのだと思う。

 後で知ったけどそれは有名な話で、彼女に告白したのは藤一郎くんだけじゃない。この学校の、並み居るイケメンたちからの同時多発的な求婚に、でも片端から無理難題を突きつけて追い返したのがこのつきしろさんだ。すごいことするなあって感想に、でも彼女は「あなたこそ」って笑った。こんな嫌がらせみたいな無理難題に、でも本気で挑戦しようとしたのは彼とあなたくらいだって、そう目を細めて微笑むその綺麗な顔に、なるほど藤一郎くんも惚れるわけだわこりゃって思い知らされた。


 藤一郎くんを起こす。そして告げる。ダメでした。私たちの告白は失敗しました。後ろで彼女が「ごめんね」と謝るのが聞こえて、そして藤一郎くんは情けなく笑った。そっかあ、残念だ、って。


「エジソンもありがとね。本当は無茶だってわかってたのに、諦めたくないばかりにこんなことさせて。っていうかそうだ、大丈夫? 怪我はなかった?」


 大丈夫、と答える。大したことない。そんなの、今の藤一郎くんに比べたら。

 無理難題。最強のAIを開発するだなんて夢物語を、それでもこの彼に追わせるほどの思い。私と一緒だ。認め難い現実、自分は運命に選ばれなかった側の人間なのだと、それを直視したくない一心で始めた自称発明王。私のよく知るそれと同じ思いで、決して届くことのない月の輝きに手を伸ばしていたのだとしたら、もう私の出る幕なんてどこにもない。

 付け入る隙も、この二週間のうちにじわじわ芽生えた、あわよくば、なんて甘い期待も。


 ——こんないい笑顔で私なんかの心配をするんだ、もう諦めるしかないじゃないか。


 こっちこそごめんと謝って、自分の発明王としての力不足を詫びて、それ以上のことは言わずにその場を去る。帰る。ボロボロになった「最強」の、その残骸をぎゅっと両手に抱えて。

 とぼとぼ歩く夕暮れの校庭、このとき私は生まれて初めて、恋というものを知ったのだと思う。そっか私藤一郎くんのことが好きだったんだと、全部終わってからようやく自分の気持ちに気づいて、何がラマヌジャン並みの頭脳だ馬鹿じゃないのって今更ながらに思う。何もわかってなかった。自分のことすらさっぱりだった。恋がこんなに曖昧で、いつの間にかゆっくり忍び寄っているもので、でも終わってみればこんなにも苦しくて苦しくて胸が張り裂けそうだなんて、そんなのどの本にも書いてなかった。


 わんわん泣いた。だって、恋って、もっと幸せなものだと思っていたから。


 私の好きな藤一郎くんに、あんなにいい笑顔をさせるんだ。叶わぬ恋とわかった瞬間でさえ、あんなに爽やかに笑っていたんだ。そういうものだと思っていた。なのにいま、ぽろぽろと、一歩一歩あるくたびに涙がこぼれて、どうして私ばっかりこんな格好悪いんだろうって思う。藤一郎くんのせいだ。あんな綺麗で格好いい失恋はずるい。私もそっちが良かったと、つい無い物ねだりをしてしまうから。


 結局、その日はもう使い物にならなかった。帰宅後、明らかに様子のおかしかった私を、でもそっとしておいてくれた家族は大した人たちだと思う。


 これが私の、自称発明王の初めての恋とその敗北の記録だ。本当を言うとこの先まだまだ、未練がましく彼を眺める日が続くのだけれど、それでも心構えの上では一応、一旦、私は恋に破れたのだとそう結論づけた。


 贅沢な話ではあると思う。この二週間、よくわからない謎の共同作業で親しくなった、初めての男友達だなんていう、その距離感と関係でも、十分に。

 傷心のはずの藤一郎くんは相変わらず爽やかで、それにやっぱり顔もいい。それだけでも私には出来過ぎなくらいで、だから彼がせめて次の恋を見つける、その手伝いくらいはしてやんなきゃって思った。


 彼が新しい恋を成就させる、その姿を見届けたなら。

 そのときこそは、私も彼のように笑うのだ。


 泣くまいと見上げる夜空、その真ん中に輝く月にはなれずとも。

 一瞬、流れて消える小さな星。

 それでいい。少なくとも今、ひとまずは。


 失敗は成功の母。なら、起きない奇跡をただ待つよりも。

 泥にまみれて這いつくばる数多の敗北の上に、いつか細い竹ひごは光り輝くのだから。




〈九割九分の月光と一分の流星 了〉


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