女系天皇

@YUJUS

第1部 神亀四年 内親王10歳

 ついこの前まで父母に溺愛されていた娘にとって、母が妊娠したということほど世界が一変することはないだろう。しかも占いによるとそれが待望の皇子であるときたら、それこそ天地がひっくり返ったようなものである。

「分かってはいたのよ。でもこれほどあからさまだなんて、ひどすぎませんこと」

 阿部あへ内親王はそうこぼした。

「そう嘆くものではないよ。それにまだ弟君と決まったわけではないではないか。可愛い妹君かもしれないぞ」

「いいえ、弟に決まっているわ。分かるもの」

「もしそうだとしたら、そなたにとっても同じ腹から産まれる弟ではないか」

「弟皇子はいいのよ。妹よりもずっといいわ。うんと可愛がってあげるつもり。先帝さまが父さまになさったようにね」

 それを聞いて左大臣の長屋ながや親王は苦笑した。先帝と今上帝は伯母と甥の関係であらせられるが、今上帝の母御が精神の病を得たために、母親代わりとなって庇護なされ、養育されてこられた。そのため、今でも頭が上げられないようであらせられた。

「問題は回りの大人たちよ。そりゃ父さまは始めての皇子だし、母さまはお腹にやや子がいるのだし、少しは分かるわ。でも他の人たちときたらひどいものよ。母さまが里に下がられてからは、ご機嫌伺いに来る回数が半分以下になったし。もしも弟が産まれたら誰も来ないわ」

「ははは。それはひどいね」

「伯父さまたちときたら、前は二日とあけずに来たのに、このざまよ」

 母妃の兄達のことである。

「左大臣さまもどうせ、やや子が皇子ならば、もう来てくださらないわね」

「そんなことはないよ。今まで通り足繁く通わせてもらうつもりだ」

「本当かしら」

 それからも内親王は手のひらを返した公卿達の名をあげながら不満を愚痴っていた。その話を楽しそうに聞いてくれている間は長屋親王もここに居てくれるだろうというつもりである。しかし、しばらくしてそれも一段落すると、長屋親王はそろそろと暇乞いをする。

「もう帰ってしまうの」

「こうみえても忙しいのですよ。またすぐにご尊顔を拝しに来ます」

「絶対にですよ」

 本朝で最も高位にある正二位左大臣ともなれば、政務は多岐に渡るはずである。忙しい中を無理にでも時間を作ってくれていることを知っている内親王はこれ以上引き止めることはできなかった。

 残された内親王はしばらく庭を見ていた。女官達が双六でもと誘うが、気乗りがしないようである。しばらくすると思い出したかのように女官達に宣言した。

「先帝さまのところへご機嫌伺いに行くわ。誰か先触れに行ってちょうだい」

 内親王は、一人で先帝である上皇にお会いしたことはない。いつも父母のどちらかに連れられて訪問していた。しかし父帝は構ってくれないし、母は里に下がっているときたら、一人でお会いするしかない。

「早く支度してちょうだい」

 おろおろしている侍女たちに内親王が命じた。

「しかし、上皇陛下のご都合をお聞きしないと」

「だからお伺いを立てているじゃないの」

「使いに行かせますので、その者が戻ってから」

 前例のないことだけに、手間のかかる支度に取り掛かることに侍女たちが渋っている。普段の母に連れられて訪問する時でさえ、先にお伺いを立ててその返事が来てから支度に取り掛かる。今回のように急な訪問に対して先帝ともあろう御方が簡単に都合を付けてくださるとは思えないのも無理もない。

「待てないわ、さあ早く」

 癇癪を起こしそうになる内親王を見て、仕方なく訪問着に召し替えさせようとするが、動きは鈍い。内親王の母である安宿媛あすかべひめがいないと、こんなものであろう。しかもご丁寧に安宿媛は内親王にあまり我侭にさせないようにと釘を刺していったのである。

「陛下はお待ちになられます」

 急いで戻ってきた侍女の一人がそう告げると、内親王は嬉しそうに立ち上がった。

「ほらご覧なさい。そなたたちのせいでお待たせしてしまうのよ。さあ、早く」

 途端に侍女達の動きが早くなった。支度をしなければいけないのは内親王だけではない。付き従う自分たちも召し替えなければならず、装身具も合わせなければならないのである。

「早く早く。置いていってしまうわよ」

 一足先に出来上がった内親王は小柄な身体を弾けんばかりにしている。


「よく来てくださいましたこと。とても嬉しいわ、阿部あへ内親王」

 先帝陛下が今までと変わらず嬉しそうに出迎えてくださるのを見て、阿部内親王はにんまりとした。

 先帝は阿部内親王の大伯母にあたられ、祖父の文武もんむ帝の同母姉であり、譲位なされて三年になられる。

 帝の長女として御産まれになったという同じような境遇からか、御子のいらっしゃらない先帝は甥の今上帝以上に阿部内親王を溺愛なされていた。母の妊娠後もそれは変わられないどころか、むしろ今一人で訪れてみたところ、一人前の皇女として扱ってくださる。

「太上天皇陛下にはご機嫌麗しそうで」

「そんな堅苦しい呼び名はいりません。ここには身内しかいないのだから、祖母さまで結構ですよ、内親王」

 父帝は伯母の先帝を母とお呼びになられるので、女東宮は祖母と呼ばせていただいておかしくない。

「あら、それではわらわは何と呼ばれればよくて」

 先帝の隣にはもう一人高貴な女性が侍っている。

吉備きび内親王さまもお変わりなく」

「この子は本当に口が回るわね。頭の良い子だこと」

 吉備内親王は先帝の同母妹である。先年まで仲違いしていたようであるが、それは元々仲のよい姉妹同士、またその交情は復活なされたようであった。

「つい先頃までわたくしのところに左大臣さまがいらしてくださっていました」

 阿部内親王は吉備内親王に言った。

「あら、それは偶然ですこと」

 吉備内親王は左大臣である長屋親王の正室である。

「左大臣さまはわたくしが寂しいのではないかと思って来てくださったのです」

 吉備内親王は阿部内親王が左大臣に向ける想いなど露ほども知らぬであろう。

「夫は内親王が美しく育ったと先だっても言っておりました」

「ほんに。まるで天女のようです」

 先帝もうなずかれた。

「天女でございますか」

「またお姉さまは、そのことを」

 吉備内親王は何度も聞かされているらしい。

「本当のことです。そなたはまだ小さかったから覚えていないだけです」

「何のことですか」

「お姉さまは昔天女の舞を見たというのです」

「本当のことです。天武てんむの帝、つまりそなたの曽祖父が壬申じんしんの戦の前に吉野で雌伏なされた時に、共に連れられて参ったのですよ。そなたよりもずっと小さい時です、阿部内親王」

「わたくしよりも」

「そうです。その時に天女が舞い降りたのです。まだ忘れられませぬ。天女は袖を五度振り、舞い踊りました。それはそれは美しく、陛下はもちろん、一同は見とれてしまったのですよ。気が付くと天女はなく、日も暮れてしまいました」

「まあ、天女が」

「その舞が五節ごせちの舞の元となっておられるのでしょう。何度も聞きました」

 吉備内親王は本気にとっていないようであった。

「本当のことです」

「はいはい、そうでしょうとも。ではわらわはそろそろ下がらせてもらいますわ。それではお姉さま、また明日にでも」

「またそなたはそうやって本気にしませんね。まあいいでしょう、気をつけてお帰りなさいね。近頃は何かと物騒と聞きます」

 正二位左大臣であり皇族筆頭である長屋親王の館は平城宮の正門である朱雀門を出てすぐのところにあり、帰路の心配をするような距離でもない。

「あれでもそなたが来るまで下がるのを待っていたのよ。顔を見てから帰ると」

 阿部内親王が吉備内親王を好きでないのは、母が吉備内親王を嫌っているからであった。二人は犬猿の仲といってよい。しかし吉備内親王は母に対しては顔も見たくないようであったが、意外と阿部内親王のことは嫌っていないようであった。

「あの方はわたくしを好いていないと思っていました」

「いいえ。あの子は藤原が嫌いなのですよ。だからあなたの母親が嫌いなのね。だけどあなたは正統なる首皇子の皇女なのですからね」

 先帝は少し微妙な言い回しをなされた。

「母さまが藤原だから吉備さまはお嫌いなのですか」

「それもあるでしょうね」

 先帝はため息をついた。

「覚えておきなさい、阿部内親王。均衡こそが大切なのですよ。どちらかに偏っていても駄目。さあさあ、難しい話はここまでにしましょう」

 まだ十歳の阿部内親王であるが、政治の話に全く興味がないわけではない。

「いいえ、お話ください」

「あなたにはまだ少し早いわ。でもお約束しましょう。いずれあなたには重大なことをお話します。でもそれは少し先の話」

「はい」

 内親王はうなずいた。重大なことといわれると、今すぐ知りたい。しかしその時に先帝が御見せになられた御尊顔は有無をいわせないものがあられ、それ以上は諦めるしかなかった。

「さあ、何をしましょうか。双六でもどうかしら。唐伝来の双六盤をお見せしたかしら」

「いいえ」

「それでは書をお見せしましょうかしら」

 先帝は内親王を御手招きになられた。

「この厨司は祖父母から伝わる宝物入れなの。祖父の天武天皇から祖母の持統天皇に残され、弟の文武天皇に伝わった物です。弟が崩御なされた後にお預かりしているの。でも次の節句には今上に譲り渡そうかと思っています。ですから、最後に一緒にご覧になりましょう」

 中には唐伝来の書などが大切に保管なされていた。内親王は書の良し悪しはまだ漠然としか分からないが、先帝ともあろう方が丁寧に扱われられておられるので、その貴重さが慮れる。

「これらは唐土から伝わってきたのですね」

「そうね。でも唐だけではないわ。これは新羅かしら」

 先帝は文化を大切になされておられる御方だけあり、一つ一つの所作が愛おしく思われる。。

「今も唐土に渡っている者たちがいるのでしょう」

「そうです」

「大変そうですね。生きて戻られない方も多いとか」

「ええ。でも戻ってきて唐土の知識を役立てている者も多いのですよ。例えばそなたの伯父の宇合うまかいとか」

「伯父さまが」

「確かそなたが産まれるのには帰朝が間に合わなかった。大宰府だざいふには着いていたものの、そこからこの都までま随分と日が入用で」

 従三位藤原宇合はあっちに行ったりこっちに行ったりと忙しい人物だとは思っていたが、まさか海を越えていたとは知らなかった。

 上皇は内親王とそれからも一つ一つ飽きることもなく御厨司の中身を堪能なされておられる。今日はどうして一人で来たのか、などとは上皇は御尋ねにはなられない。

「覚えがありませんが、そなたの祖父である弟のかるが産まれた時、相当にむずがったそうです。ですからそなたの気持ちが半分は分かるつもりです」

 長子の立場から突然弟が生まれて姉の立場になったのは上皇も同じなのであった。

「そなたは、妹の吉備内親王のように立派な背の君を見つけて、子をお産みなされ」

 上皇は御子はいらっしゃらない。それどころか御独身であらせられる。間違いなく御生涯をこのまま終わられることになられるであろう。

 これまでの四人の女帝は、天皇を夫とする皇后でもあらせられた。夫の死後に即位なされたのであられる。それだけに先帝の女帝としての御即位は異例なことであらせられた。

「殿方などわたくしは嫌い。謀事ばかりでいつもこそこそしているし、そのくせ他の女人にも通って困らせるし」

 確かに、阿部内親王の周りの男性といえば、今上帝として跡継ぎを欲しているために当然ながら複数の夫人を持つ父帝と、母といつも何やら密議を凝らしている伯父達しかいない。他にはその伯父達の取り巻きの殿上人や、後ろ盾が欲しい皇族達ばかりである。

「あら、ではそなたが見初めた君はまだおらぬのですね」

 そう言われて思い浮かぶのは、唯一人しか居ない。地位、血筋、そして財産と申し分なく、見目も立派で文物にも詳しい。

「そうですね」

「あら怪しいこと。すでに内親王は思い浮かべている方がいらっしゃるようね」

「ふふふ」

「この祖母にだけ教えてたもれ」

 内親王は恥ずかしそうに袖を口に当てているが、ついには上皇にささやいた。

北宮ながやのみこさま」

 長屋親王の名前を出すと、上皇もさすがに驚かれた。長屋親王は四十台も半ばで、すでに多くの子を設けている。有力な妻は二人おり、一人が先ほどまでここにいた大叔母の吉備内親王ならば、もう一人は内親王の母である安宿媛の異母姉である藤原不比等ふじわらのふひとの娘の長娥子ながこであった。どちらも内親王には縁が深い。

「内親王は御目が高いわね」

「あのね、わたくしに釣り合う方といえば、左大臣さましかいらっしゃらないかと思って。それに左大臣さまはお優しいですし」

「そう、そうね。でもそうなると伯母と寵を争うことになりますね」

 もちろん吉備内親王も長娥子もとうに閨は共にしていないだろう。

「でももうお二人ともお年でしょう」

 内親王の言うことは、本気のようでもあり、子供の戯れのようでもある。だが今上帝と、内親王の母である光明子こうみょうしが、長屋親王を政権内に抱える代償として娘を政略の駒として差し出すということは有り得ないことではない。

「左大臣ももういい年ですよ。若くお見えですが。それよりもその王子たちはどうです」

「お会いしたことがないもの」

「あら、そんなことはないはずです。左大臣の子達は宮中にも顔を出していますよ」

 しかし顔と名前が一致しないのでは仕方ない。そもそも内親王の見る男性は下人を除けば親戚ばかりである。そんな中で空想の中で膨らましていたのがたまたま長屋親王であったにすぎない。

 そんな話をしていると、何やら辺りが暗くなったようである。

「蝕が起こっております」

 慌てて官女が知らせる。

 内親王は立ち上がって縁の方へ行こうとする。

「お止めなさい。祟りにあいますよ」

「でも」

「こちらにおいでなさい。さあ、几帳を立てて。この屏風の後ろに隠れていなさい。すぐに済みます」

 内親王は渋々と言いつけにしたがった。祟りと言われるとやはり少し恐ろしい。

天照大神あまてらすのおおみかみさまがお怒りになっているのですか。岩戸に入られているのでしょうか」

「そう、そうね」

「祖母さま、これはどなたの祟りなのですか」

「内親王、お黙りなさい。軽々しく口にしてはいけません」

 日蝕に合うのは初めてではないはずだが、以前は小さくてよく覚えていない。

「不吉な。そなた蝕が明けたらお戻りなさい。こちらでも精進潔斎をしなければ。そなたの母の体が心配です」

 母と聞いて内親王も穏やかではない。

「前の蝕の時に、そなたの母は祟りを受けて腹の子が流れたのです」

 まだ妊娠の早い段階で失われたからか、内親王は弟か妹が流れたことは知らなかった。

「此度も、よもや。いや」

 もちろん口に出されては言霊の祟りが起こりかねない。慌てて先帝は口をつぐまれた。


 今上帝はこの日蝕を不吉なものと考えられ、身をしばらく移される。風水の結果、平城宮の鬼門にあたる丑寅を鎮護すべきと出たため、公卿達を引き連れて行幸に出られた。

 平城の都の北東といえば、権勢を誇った藤原不比等の晩年の妻である県犬養橘三千代あがたいぬかいのたちばなのみつちよの一族の本拠地がある甕原みかのはらである。三千代は文武帝の乳母でもあり、阿部内親王の母親である藤三娘とうさんじょうこと安宿媛あすかべひめの母でもあった。今は出家しているが、隠然たる影響力を持ち続けており、内親王の伯父達である藤原四兄弟も頭が上がらないらしい。

 今上帝を先導するのは、葛城かつらぎ王と狭井さい王の兄弟である。共に三千代が不比等と再婚する前に皇族の智努ちぬ王との間に産んだ王子達であった。つまり四兄弟の継兄弟にあたる。

 葛城王は継父である藤原不比等の娘をもらって婿となり、今では四兄弟と行動を共にしている。一方で狭井王は今上帝に近侍しており、かつては家庭教師役であった。

 この行幸に内親王は同行した。父帝は内親王にそれをねだられて一度は否とうなずかなかったが、強いていわれると蝕の祟りがあるかもしれない都に残しておく気にもならなくなり、連れて行くことにした。安宿媛の妊娠が占いにより男子であると告げられた時から、いささか内親王を構うことが少なくなったが、しかし元々が溺愛している娘のことでもある。

 阿部内親王の乗り物の警護を担当するのは、石上勝男いそのかみのかつおであった。従五位上と年の割には高い位を持っている。それというのも、その父である石上麻呂いそのかみまろ天智てんじ帝以来の歴代の帝に仕え、ついには正二位左大臣にまで昇進し、死後に贈従一位の栄誉を受けている大貴族であり、勝男は長兄が早くに死んだために実質的な氏の長者であるからであった。

 石上氏といえば物部もののべ氏の後胤であり、古代からの名族である。古くから軍事に縁が深い。

「本日より御警護仕ります」

 そう膝をついた若者はまだ二十歳前後であろうか。帝に次いで高貴な方をお護りするという栄誉を与えられ、大層喜ばしい様子であった。

「よろしく頼みます」

 内親王はにっこりとうなずいた。

 輿に乗せられた内親王は百官とその下人が成す長蛇の列の真ん中にいた。石上勝男は見目姿が美しく、所作も華やかであったが、それ以上に話が面白かった。内親王に列の中の誰かを指差してその人物の来歴を面白おかしく語ったり、周辺の風物などを話したりした。

 今まで青年貴族というものにはほとんど接したことがなく、一番若い伯父である藤原麻呂ふじわらのまろであってもすでに三十代の半ばである。下人などを除けば、高貴な身分である二十代の若者とは、ほとんど接触したことがない。

 しばらくのろのろと進むと、勝男が道の傍らで馬に草を食べさせながら木陰で下人たちに扇がせている男に声をかけた。

「やあ」

「ああ、勝男どのか」

 服装は高貴であるが、しかし古びたものも身に帯びている。没落した家系にありがちであった。

「どなたか」

「内親王さま、白壁しらかべ王にございますよ」

 白壁王といえば、天智帝の孫である。壬申の乱以来、皇統が天武帝の子孫で占められてからは、すっかり忘れ去られた人物となっていた。

「ご警護か」

「阿部内親王殿下だ」

 それを聞いて、白壁王は慌てた様子もなく、丁寧に頭を下げた。そして勝男の馬と轡を並べる。

「内親王、共に警護に加わらせて頂いてよろしいですか」

「許す」

 内親王は嬉しそうに言った。白壁王もまだ若く、興味を引く存在であったからである。

 白壁王が加わると、会話は白壁王と勝男が自然と中心となった。二人とも内親王のことを気にかけながらも、自然と二人のやり取りが多くなる。白壁王は輿の逆側に回り、会話は内親王を挟んで行われることになった。

 内親王はそれを面白く聞きながら、時には口を挟んで加わった。そのため、甕原みかのはらについた時には、この時間が終わるのが惜しいと思えたくらいである。

「明日の騎射にはご見物に参るのですか」

 別れ際に勝男が尋ねた。

「ええ。そのつもりです」

 そのような行事があることは知らなかったが、そうと知ったならば行かずにいられる内親王ではない。勝手にそのような決めた。

「光栄です。我も弟と共に一手を率いますので、是非ともご覧下さい」

「それでは我も是非とも見学させてもらおう」

 白壁王は笑いながら言った。

「まあ、それでは是非ともご一緒に見物しましょう」

 それを聞いて白壁王は慌てて辞退した。今上帝の寵愛する内親王と皇族とは名ばかりの忘れ去られた自分が席を共にするなど恐れ多い、などといいながらも、真に恐れているのは藤原四兄弟である。彼らの妹が産んだ阿部内親王は掌中の珠であり、ちょっかいをかけていると思われては何をされるか分からない。

 内親王はもちろんそんなことを知らないので、白壁王がなぜ辞退するのかが分からない。そのため、自分が嫌われたのかと悲しそうな顔をした。

「それでは喜んでご一緒させて頂きます。ただし、そのことは内密に願えますか」

 四兄弟も怖いが、内親王こそが次代の日嗣ひつぎの皇女になる可能性があることを考えると、邪険にも出来なかったのであろう。

「分かりました。必ず一緒に勝男を見物しましょう」

 白壁王はうなずくような何ともいえない仕草をして別れた。


 夜に内親王は親娘としては久しぶりに父帝と顔を合わせた。他に藤原四兄弟のうち長兄と次兄の武智麻呂むちまろ房前ふささきもご機嫌伺いを兼ねて侍っている。

「京大夫はいかがしたか」

 今上帝が声をかけられた。末弟の麻呂まろのことを尋ねておられる。

「あの者は明日のための準備で忙しくしております」

 藤原四兄弟の末弟である麻呂は左京と右京、つまり都全体の警察長官を兼ねており、明日の騎射の責任者でもある。

 ちなみに三兄の宇合うまかいは難波の地に副都を再建するために赴いており、今は不在にしていた。

「主上、明日はわたくしも楽しみにしております」

 すかさず阿部内親王が嬉しそうに言った。

「これはそのようなものではないぞ、内親王。ここでお前の祖母と帰りを待つがよい」

 内親王の祖母である橘三千代は藤原不比等と再婚して阿部内親王の母親である安宿媛を産んだ。つまり藤原四兄弟にとっても継母にあたる。また政権の中枢にいて藤原四兄弟に協力している葛城王の母親でもあり、いわば当代における血脈の要にあたる人物であった。

「三千代さまも楽しみにしていると言っておりました」

 内親王はさっそくとばかりに、すでに祖母に懇願して根回しを済ませていたのである。

「そんなに楽しいものではないぞ」

 今上帝はそうおっしゃるが、内親王にとっては都で内裏だいりに篭っていることに比べれば何でも楽しい。若い子弟達も参加するとあれば興味津々であり、特に今日知った石上勝男いそのかみのかつおも出るとあれば一層であった。

「そういえば、白壁王が後学のために見物したいと願い出ておりましたな」

 思い出したかのように長兄の藤原武智麻呂が言った。

「ほう、白壁王とな」

 房前は珍しい名前を聞いて首をひねった。官を得ているわけでもない無品の忘れ去られた皇族が何のためであろうか。

「歌でも詠むつもりではないかの」

 武智麻呂は文芸に造詣が深い。そのために、白壁王の父である志貴しき皇子と親しかった時があった。その縁で白壁王は滅多にないが、頼み事をする時は武智麻呂のところにやってくる。

「見物したければ勝手にすればよいのにの」

「何ゆえわざわざ断りを入れるか」

 房前も首をかしげた。

「ふむ。それでは夜に白壁王にも一首詠ませようではないか」

 今上帝も志貴皇子が政治的生命を失った後は文芸の道で糊口をしのいでいたことをご存知であられる。

「それがよいでしょうな」

 武智麻呂も房前も笑いながらうなずいた。

「少しでも帝の眼に留まり、官を得ようと必死なのでしょう」

 房前は地声が小さい。

 内親王は今やっと白壁王がなぜ自分との同席を辞退したがったのかを理解した。この大和やまとの政を動かしている父帝と伯父達にとっては、白壁王などは物の数に入っていないどころか、笑い話の種にしかならない。恥をかかせただけであった。それでも白壁王は内親王のために恥をしのんでいるのである。

「だが白壁王が正式に申し入れているからには、席を作ってやるしかあるまいの。内親王、そなた白壁王は見知っておったかの」

「はい、存じ上げております。同じく皇統に属するものゆえ、わたくしが相席いたしましょう」

「おお、そなたが。なんと配慮の行き届いたことだ。朕が娘ながら感心なことだ」

 父帝が仰せになると、もちろん武智麻呂と房前もこんなところで反対してわざわざ不興をかうこともない。

「確かに、お優しいことで」

 などといって白壁王の席を作ることを請け負うのであった。

 

 甕原みかのはら離宮の南にある高台に席が拵えられており、父帝に続いて阿部あへ内親王は席に座った。やがて約束どおり白壁王が遠慮がちにやってきて、今上帝と内親王に礼をする。

 父帝の言に相違して、翌日の騎兵の弓射は見事であった。騎馬に乗った者たちは受領の息子や身分の低い貴族の子弟であろうが、その先頭には石上勝男がいた。彼らは派手な飾り付けをされ、非常に見栄えがする。馬を並足で行かせ、所定の位置に止めては次々に矢を放っていく。

 これは悪霊を払うための儀式である。平城の都の鬼門にあたるこの方向から侵入してくるとされているため、弓矢で示威行為を行っているのである。

「なかなかの見物ですね」

 内親王は白壁王にささやいた。

「ええ。その通りです」

「勝男も見事ですこと」

 それについては白壁王はにんまりと笑っただけで答えなかった。

 一段下ではこの指揮を執っている藤原麻呂がいちいち掛け声をかけている。普段は四兄弟の中で一人だけ母親が違うためか兄達に遠慮がちで、このような大声を上げているのを見たことが無い。

 麻呂の異父兄で、朝廷の兵権を権能上は一手に握っている新田部にいたべ親王もいるが、こちらは静かであった。阿部内親王はこの新田部親王が昔から好きではない。幼い頃に母の安宿媛に対して、内親王が皇女であるのが残念であり、皇子であったならばと嘆いているのを聞いたからである。

「大夫を褒めてやってくだされ、内親王」

 長兄の武智麻呂は末弟の麻呂を可愛がっており、おかげで四兄弟はまるで同母兄弟のように振舞っている。なんでも武智麻呂は麻呂の母親に可愛がられていたらしい。麻呂の母親といえば五百重娘いおえのいらつめといって不比等の異母妹であり、元は天武帝妃であった高貴な方である。死後に不比等が引き取り、いつの間にかそういうことになってしまったとのことであった。

 内親王は、石上勝男の晴れ姿も見られた上に、隣に端整な顔立ちの白壁王が話し相手になってくれているため、ご機嫌であった。そのためか、ここのところ不機嫌が続いていた内親王のそのような姿をご覧になられたため、今上帝もことのほか御満足なされた御様子であった。


 夜になると宴会が開かれる。

 この頃には造営中の難波なにわ宮から藤原宇合ふじわらのうまかいも駆け付け、藤原四兄弟が揃った。さらにその継兄弟の葛城王と狭井王もおり、それが今や藤原全盛期とも言える華やかな王朝を形作っている。そしてそこには亡き藤原不比等の妻であり、葛城王と狭井王に加え懐妊中の藤三娘とうさんじょうこと安宿媛あすかべひめの母親である橘三千代たちなばのみつちよがおり、その孫娘である阿部あへ内親王がその隣で嬉しそうにしていた。

 橘三千代の閨閥はこれに留まらず一族の県犬養広刀自あがたいぬかいのひろとじをも今上の妃に送り込んでおり、こちらにも井上いうえ内親王と不破ふわ内親王が産まれている。もっともこれは娘の安宿媛のために一族の広刀自を女官として付けたところ、今上帝が召しだしてしまったという望外のことであり、実の娘の閨敵となってしまっただけに、複雑ではある。

 姉の井上内親王は今年中にも伊勢神宮の斎宮いつきのみやとして赴くための精進潔斎をしており、まだ幼い妹の不破内親王も同じく平城京に残されており、ここにはいない。

 もっともこの席の中で帝に次いで最も高位を占めているのは、左大臣長屋親王であった。

 次いで一品で朝廷の軍事力である五衛府の長の新田部にいたべ親王がいる。左大臣長屋親王派ではあるが、母が四兄弟の祖父藤原鎌足ふじわらのかまたりの娘で四兄弟の末弟藤原麻呂の異母兄であるから、藤原四兄弟とは協調路線である。

 一方で同じく一品の舎人とねり親王は長屋親王の協力者であり、穏やかな性格で争いをあまり好まない。

 皇族以外では従二位大納言の高位にある長屋王の側近、多地比池守たじひのいけもりがいる。臣籍降下した一族の者で、有能な行政官であり、有職故実に詳しい。

 大まかに言って彼らが今上帝の政を輔佐する者達で、大和を動かしている。

 亡き藤原不比等ふじわらのふひとの着実な政略結婚により、長屋親王にも葛城王にも不比等の娘が嫁いでおり、今や藤原氏は日の出の昇る勢いであった。

 今宵の宴会は藤原氏にがっちりと食い込んでいる県犬養あがたいぬかい一族の力も同時に見せつけたものとなったが、阿部内親王は昼間の興奮もあってか、その祖母の橘三千代にもたれて早々に船をこぎ始めてしまっていた。


 阿部内親王はたまに県犬養広刀自あがたいぬかいのひろとじの部屋へ行くことがあった。異母姉妹がいるからである。母の身分が大きく違うとはいえ、血の分けた年の近い姉妹は、身の回りには女童くらいしか少女がいないため、特別な存在である。藤原一族の少女達が遊び相手に滞在することもあり、特に房前の娘の宇比良古おひらこなどは毎週のように入り浸っている。しかし誰もいない時もあり、そのような時にはよくこちらに来た。母の安宿媛は異母姉妹との交流をあまり良く思っていないようであるが、当の本人が内親王を疎かにするのであるから、大っぴらに遊びに来て良いはずである。

 九月になると、いよいよ安宿媛の臨月が近づいてきたこともあり、ますます居場所がない気分になり、広刀自の部屋を訪れた。先触れがあるといつも広刀自は部屋を清潔にし、上座を空けて菓子などを用意させる。今日は水菓子があり、異母妹の不破内親王も母親の隣で阿部内親王を待っていた。

 広刀自もわきまえていて、最初に拝礼をするとすぐに子供同士で遊ばせ、自身は何か布仕事をしていた。すると、そこへ井上内親王が駈け込んで来た。

「わたくしは行きたくありません」

 広刀自の膝へ駈け込むと、井上内親王が泣き出した。どうやら抜け出してきたらしい。斎宮として赴任するためには、二年の間は俗世と隔離される。もっとも安宿媛の妊娠により伊勢行きは早まり、今月には出発することになっているので、見るのは一年振りである。せっかく清められていたのであるから、台無しであった。しかし十一歳にしかならない少女が、何年になるとも分からず、誰も知る人のいない伊勢に閉じ込められるのである。母親に甘える年ではないとはいえ、さすがにその日が近づくと会いたくてたまらなかったのであろう。

「井上、そなたが行くことによって皆が助かるのですよ」

 母の広刀自はそうあやすが、何の慰めにもならない。

「井上内親王は伊勢に行ったらみんなに大切にされますよ。何しろ伊勢の斎宮といったら、天照大神様にお使えすることになるのですもの」

 阿部内親王はそう言って慰めようとした。異母姉は早くから次の伊勢斎宮として育てられているのであまり親しくはないのだが、泣いている声を聞くと慰めようという気にはなる。

「そんなのはいりません。母さまのところがいい」

 その頃には内裏も騒がしくなっており、神官達が当然ながら最も井上内親王が居るであろうこの場所に駆け付けてきた。

「やはりこちらに。さあ、お戻りあれ」

「いやです。もう行きたくありません」

 すると、神官達はそこに阿部内親王の姿を見て、慌てて拝礼をした。

 しばらくの間押し問答をしているが、どうやら女官が二人がかりで井上内親王を引きずって行こうとしている。

 阿部内親王は居たたまれなくなり、その場を退去した。


 自室に戻ると、内親王は腹が立ってきた。母親に会えないのは自分も同じなのである。井上内親王はこれから会えなくなるのかもしれないが、それでも母親の思いはその上に注がれている。一方で自分は今も会えないし、愛情はこれから生まれるであろう弟に向けられるであろう。そう考えると、自分の方が不幸に思えてきた。

 内親王をいらだたせるのは、時折聞こえてくる祈祷の声である。母の安産を祈願するために父が命じているのだが、臨月が近づくにつれて頻繁になってきた。その度に、自分はもう要らないと思われているようで、悲しくなってくる。

「ご機嫌いかがかな」

 そう入ってきたのは、しばらく前に先振れが訪れを知らせてきた長屋親王であった。

「よろしくありません」

「そうか、それは困った」

「でも左大臣さまがいらしてくださったので、少しよくなりました」

「それはよかった」

 長屋親王は阿部内親王の前ではいつも優しい。叔母の吉備内親王の夫であるから、義理の叔父にもあたるし、母の異母姉も妻にしているため、こちらからも伯父にあたる。

「雨は嫌だね」

 長屋親王が外をみてつぶやいた。

「いいえ、おかげで皆が出歩かなくて、遊びに来てくださるもの。雨は好きです」

「なるほどね。我もそのくちです」

「伯母上はお二人ともお元気ですか」

 内親王にとって長屋親王の二人の妻のうち、吉備内親王は父方の、長娥子ながこは母方の伯母であった。

「吉備は雨が降ると膝が痛いだの苦情を言っているよ。ご存知の通り長娥子はあなたの母君のところへ入り浸りだ。腹違いとはいえ姉妹だからね」

 内親王は初耳であった。春先までは里下がりしている母の元へ度々訪問しに行ったのだが、夏になって行く機会がなく、今となっては近寄らせてくれない。だから、伯母の長娥子が手助けに行っていることなど知る由も無い。

 それから長屋親王は取り留めない殿上人のことや、親王が全国にもっている封戸ほうこのことなどを話してくれる。

 やがて長屋親王は下がったが、親王がたきしめたらしい香の匂いが残り、いかにも本朝の第一人者であるたしなみを感じさせた。

 同じ日に今度は藤原房前ふじわらのふささきが末弟の麻呂を引き連れてやってきた。房前は娘の宇比良古おひらこも連れてきている。

「あら、今日はたくさんの人に会いますね」

「左大臣がいらしていたとか」

 房前の声は小さくて聞き取りにくい。

「ええ、そうです」

「あの男も図々しい。帝に取り入るばかりか、こちらにまで」

 房前がいまいましそうに言った。

 藤原不比等の次男である房前は今上帝の祖母である元明げんめい帝に鍾愛された。その先々帝が崩御なされた時に、左大臣長屋親王と共に後事を託されたほどである。だが、房前はその左大臣を嫌いぬいており、反長屋親王の急先鋒であった。

 左大臣は吉備内親王の夫であるから、元明帝の婿にあたる。天武帝が最も愛した庶長子である高市たけち皇子の子でもあり、その勢力は群を抜いていた。いかに父の藤原不比等が持統帝に寵愛されたとはいえ、長屋親王の勢力には敵わない。

「よく来られるようですね」

 房前の末弟である麻呂は、兄達が嫌いな者は誰でも嫌いである。

「ええ。少なくとも最近は伯父さまたちよりも、きちんとご機嫌を伺いに参ってくださいましてよ」

 これは阿部内親王の精一杯の皮肉であった。母の懐妊以来、目に見えて藤原四兄弟の内親王に対する関心が薄れたのであろう。臨月近いということか、先月は一度も顔を見なかったくらいである。

「これは手厳しい。ただ朝廷にはここのところ色々と続きまして。ご存知の通り井上いうえ内親王様の伊勢下向もありますし。斎宮寮に勤める者を選ぶだけで一苦労で。何しろ全国から成り手が引く手数多でしてね」

 麻呂は言い訳をするように説明するが、もちろん阿部内親王には理由にならない。

「内親王様、本日お伺いしたのはお願いがあるからであります。近頃左大臣に何やら不穏な動きがございます。左大臣はこちらに足繁くいらっしゃっているとのことですから、何かあれば、すぐにお知らせくだされ」

 房前が不思議なのは、これだけ小さな声なのに有無を言わせない圧力があることである。

「左大臣も御前では取り繕っていますが、内親王様のようなお方であれば、気安く口を滑らせることもあろうかと思いますので」

 そう麻呂がいうと、さすがに房前がその失言をにらみ付けた。

「いや、失礼を」

「どうせあなたが京大夫にそう言ったのではなくて」

 房前が言った言葉をつい京大夫こと麻呂が口を滑らせたのだということくらいは分かる。

「いえ、これは吾の考えでして、その」

「もういい。いずれにしろ、内親王様、しかと頼みましたぞ」

 房前のそつがないところは、しっかりと内親王好みの贈り物を置いていくことである。唐渡りの絹織物は内親王の最も愛するものであり、そこだけは感心していた。しかも遊び相手にと娘の宇比良古を置いていくのである。例えば房前の三弟である宇合うまかいなどは馬の蹄鉄や飾り羽の付いた矢をくれたりするが、どれも内親王には邪魔なだけである。投げ矢に使おうにも重過ぎる。

 内親王は房前に気のない返事をするが、それで満足したようで、二人の伯父は去っていった。

 結局、伯父達にとっては阿部内親王という存在は血の結晶でしかないのだろうか。長屋親王は内親王を一人の存在として扱っているように思えるが、伯父だけでなく父や母も阿部内親王は本来は皇子であって欲しかった存在でしかないようにしか思えない。だからこそ、今度の懐妊には父母や藤原一族を挙げて日嗣ひつぎの皇子であれ、皇統と藤原の血の集大成であれと願っているのであろう。今上帝は藤原腹であらせられるが、その父の文武帝は皇族腹であれれる。もしも弟皇子が産まれれば、父母とも藤原系である真なる帝が誕生することになった。それは蘇我そが氏から取って代わった藤原氏の悲願であり、閨閥の完成でもある。

 そうなると、自分の存在とは何であろうか。弟と内親王は十歳の差がある。体質の強いとはいえない父帝が崩御なされる際に皇族でない母に代わって弟の成人を待つための中継ぎ要員であろうか。それとも用済みとばかりに叔母の吉備内親王のように有力な皇族の何人かいる妃の一人となるのであろうか。

 もしかして井上内親王が生まれていなければ、母が懐妊したことが分かった瞬間にわたくしが伊勢に送られることになったのかもしれない、とまであり得ない想像をしてしまう。

 

 明後日には阿部あへ内親王は井上いうえ内親王の伊勢下向を見物した。

 井上内親王は立派な態度であり、二日前に見せた醜態が嘘のようである。これから六日をかけて五十鈴いすず川まで行く。

 父帝はこの下向によって天照大神に皇女の一人が仕えることにより、神々のご加護を受け、無事に皇子が生まれてくることを願った。そのために、井上内親王には弟の誕生をまず第一に願うように強く仰せになり、内親王は都から東へ下った。

 阿部内親王はそれを側で見ており、一昨日の自分の態度を強く恥じた。父帝は自分をないがしろにしている、と思ったが、それはとんでもない間違いであった。むしろ井上内親王こそが一番の被害者である。斎宮いつきのみやは今上帝からは父らしい言葉がかけられていない。せめて息災であれかしなどということくらい仰られてもいいのにとは思う。これでは弟宮の誕生のための犠牲ではないか。宮廷でかしづかれながら蝶よ花よと育てられ、忘れた頃にではあるが今上帝から父らしい言葉がかけられる自分の方がよっぽど幸せに生きている。


 阿部内親王の弟が産まれたのは、翌閏九月末のことであった。

 あらゆる神仏への加護を頼んだ加持祈祷のおかげで、親王は安産で生まれ、今上帝をはじめ藤原一族は狂喜した。

 一方で阿部内親王は賭けに負けたことを知った。

 内親王は弟皇子でなく妹皇女であった時に、母の懐妊以来自分をないがしろにしてきた者たちをどうしてやろうかという楽しい想像があった。しかし結果的に彼らの行為は正当化された。

 この瞬間に阿部内親王の地位が一変したとはいえない。まだこの親王が立派に成人するとも限らないし、また年の差もあって内親王がひとまず帝位を受けつぐ可能性もある。そうでなくとも同母姉として強大な影響力をこの親王に及ぼすであろう。影響力を保持することになると、弟が早くこうじれば、その息子が皇位を継ぐ前に伯母である阿部内親王が中継ぎとなるかもしれない。

 だが、少なくとも皇統を悠久の年代を越えて後の世に残すのは、この弟宮に期待されることになったのである。そのため、弟がいる限りは、父と母の関心は永久に阿部内親王に戻らないことは確定したといえる。 

 そんな中で真っ先に内親王の下にやってきたのは、左大臣長屋親王であった。

 次いで藤原武智麻呂ふじわらのむちまろがやってきた。仲の良い正四位下蘇我石川石足そがのいしかわのいしたりを伴っている。阿部内親王の心情などお構いなしに、そういえば最近顔を見ていないから、という理由でご機嫌伺いに参上し、そして帰っていった。

 その次には伯母で長屋親王の妃の一人である藤原長娥子ながこがやってきて母の近況を伝えると、ようやく父帝が、藤原房前ふじわらのふささき宇合うまかい、そして葛城王、狭井王などと共に、正式に親王誕生を伝えにおいでになった。


「この子を日嗣の皇子とする」

 誕生から一月後、そう父帝は宣言なされた。あまりに異例なことであり、さすがに左大臣長屋親王をはじめとして百官は前例のないこととして反対した。

 成人していない皇族が皇太子となるのは未だかつてない。唐土にはそのような例が多くあると聞くが、それらは全てことごとく乱の元になっていると聞く。しかし大和にはそのような悪習はない。必ず東宮は幼少であってはならず、そのため日の本を統べる天皇は例外なく大人になってから即位する。


 さらに一月もすると、産後の肥立ちも悪くなく、大和で最も尊貴な和子を乳母に抱えさせながら、阿部内親王の母である安宿媛あすかべひめが後宮に戻ってきた。亡き藤原不比等の広大な屋敷は大内裏の東隣にあり、ほんの僅か移動するだけであった。しかしそのわずかな距離と宮城垣のために内親王は母親に会えなかったのである。

 母妃は後宮に帰ったが、内親王の元に戻ったわけではなかった。日嗣の皇子とされた和子わこと共に東宮房に入ったのである。つまり、内親王は独り残ることになった。今までは母親に甘えたい放題であり、懐妊の里下がりによって一時的にそれが中断しただけと思っていただけに、このことは内親王には衝撃である。

 それでも気を取り直して東宮とうぐう房へ赴き、父帝と共に母親と和子と対面した。

「あらあら、内親王はしばらく見ないうちに、すっかり大人びましたね」

 そう母親が声をかけた。

「弟を抱いてもいいでしょう」

 しかしそれは乳母に拒否された。

「まだ首が据わっておりません。もう少しお待ちください」

「いいじゃないの」

「だめよ。首が据わっていないうちに慣れていない者が抱くと、和子を死なせてしまうこともあるのです」

 母妃がそうたしなめた。

 明らかに不満そうな内親王に乳母が声をかけた。

「しばらく経てば好きなだけ抱いて頂いて結構ですよ」

「しばらくって、どれくらい」

「そうですね、あと二月くらいかと」

 内親王はむくれたが、父母とも寝かせられている和子に夢中であった。

「あらあら、内親王。あなたがお生まれになった時もみんなこうだったのですよ」

 内親王の不機嫌な様子に気づいたのは牟漏むろ女王である。母妃の異父姉であり、藤原四兄弟の次兄である房前ふささきの夫人で、里下がりから今まで妹の面倒を見続けているようであった。葛城王の同母妹である。父の美努みど王が傍系とはいえ、臣下の房前に嫁いだのは異例のことで、伯父がいかに先々帝に寵愛を受けていたのかが知れよう。

「そんなの、覚えていないもの。それにわたくしは女だから、こんなに喜ばれたわけはありません」

「そんなことありませんよ。今上陛下もまるで初子のように喜ばれて」

 それを聞いて、ふと県犬養広刀自を思った。その前年に父帝の初子である井上内親王を産んでいたのだから、もしも阿部内親王の誕生で皆がこのように喜んだのだとしたら、今の自分のように寂しい思いをしたのかもしれない。それどころか、おかげで長女でありがなら娘は伊勢神宮の斎宮となることが早くから内定していた。阿部内親王がいなければ、唯一の皇女として粗略に扱われることはなかったはずである。

 哀れなのは、広刀自の後ろ盾が、阿部内親王の祖母である橘三千代であることであった。そのため、唯々諾々と全てを受け入れていくしかなかったのであろう。

 

 親王を次代の帝と宣言してしまうくらいであるから、当然ながら父母の注目は全て弟宮に行く。寝所を別にして嫌というほど思い知らされたのは、父帝の御訪問が全く絶えてしまったことである。それに伴い、藤原の伯父達がご機嫌伺いにやってきていたのは、母妃に対するためであったもの気づかされた。以前と同じく毎日のように伯父達は母の元へ参上しているようであるが、こちらに来るわけではない。

 意外なのは、そんな中で唯一訪れるのは次兄の藤原房前ふじわらのふささきであった。房前は藤原四兄弟の中で最も政治的な人間であり、そのため最も忙しい。そんな中でも、週に一回はやってきて、短い滞在であるが何かを置いて去っていく。

 変わらないのは左大臣長屋親王で、以前から増えるわけでも減るわけでもなく、数日から週に一度くらいの間隔で顔を見せる。

「左大臣さまは弟宮さまの立太子に猛反対なされて、相当主上のご不興を買われているそうですよ」

 久米若女くめのわかめは安宿媛の女嬬めのわらわであったが、今では阿部内親王付きの女官の一人となっている。そのためか母の房での出来事が入りやすい。

 それでも長屋親王はそんなことをお首にも出さない。そんな長屋親王にますます内親王は好感を持っていった。

「もうしばらくしたら、阿部内親王様も降嫁なされる相手を探しましょう」

 そんなことを房前は相変わらずの小さな声で言っていたのを、内親王は聞いた。もしかしたら内親王に聞かせる気はなく半ば独り言のように言っていたのかもしれない。

 それならば、長屋親王がいい、と内親王は思っていた。もう四十を越えている親王であるが、他の同年代の者と比べてはるかに若々しい。祖母の位こそ低いが母は天智帝の皇女であり、身分は申し分ない。

 そんなことをこっそりと久米若女に打ち明けると、笑いながらこんなことを言われる。

「左大臣さまではいくらなんでも年の差がありすぎて、すぐに未亡人になってしまいます。それよりも安宿あすかべ王さまとがお似合いですよ」

 安宿王は長屋王の五男で、伯母の藤原長娥子との間の長子である。長屋親王には他にも吉備内親王との間に三人の男子がおり、その他の側室にも男子を一人産ませていてすでに成人している。吉備内親王との間の男子はすでに皇族扱いとなっており、長屋親王の強大な勢力は長男の膳夫かしわで王を中心に受け継がれるであろう。安宿王は阿部内親王の二つ上であり、年齢としては釣り合っているかもしれない。どちらにしろ内親王の従兄妹にあたる。

「安宿王だなんて、わたくしはいや」

 最後に安宿王と会ったのは三年か四年前ほど前であろうか。まだ互いに幼い頃であった。母の実家である藤原氏の屋敷で外祖父の藤原不比等の三回忌だかに会ったはずである。何かくだらない意地悪をされて内親王はすかさず大人に言いつけたため、こっぴどく安宿王は叱られていい気味であった。それ以来、今まで忘れていたが、思い出すと良い思いは無い。


 大和の盆地は冬寒い。

 毎日炭に火を付けて部屋を暖かくし服を着込むが、体力の無い人間はすぐに病を得てしまう。

 阿部あへ内親王は平城の都から生駒いこま山系を隔てた河内かわち国の由義ゆげの地で過ごしていた。

 ここは物部もののべ氏系である石上いそのかみ氏の根拠地である。内親王の乳母竹乙女が石上氏の出身であるため、その縁でここに来ていた。もちろん石上勝男いそのかみのかつおにも縁があることがそこを選んだ理由の一つでもある。

 阿部内親王がしばらく由義に行くことを父帝も母妃もあっけなく許したのは、親王に夢中で内親王に対しては疎かになっていたからといわれても仕方ないであろう。

 内親王にとって一番親しい女官である久米若女くめのわかめを筆頭にそれなりの人数を連れてきているが、それでもやはり何かひっそりとした雰囲気がある。

「ここは本当にいいところね。気に入りました」

 日の出が生駒山系の信貴山しぎざんに隠れて朝が遅いが、西からの風がその信貴山を登っていく時にいくばかの熱を置いていくためか、山一つ越えただけでもかなり気候が変わって感じられた。

「そうですか。私めどもは退屈でしかたないですわ。いつ都へお戻りになるおつもりなのです、内親王ひめみこさま」

 久米若女はそうでもないらしい。奈良盆地の明日香あすかの地に近い場所で生まれた若女にとっては、鄙びたこの地よりも身分の高い人々が大勢いる都の方が楽しいらしい。ましてや阿部内親王という高貴な方のお付となり、左大臣をはじめとして多くの重要な方々が訪れるどころか帝にさえもしばしば、ということを体験してしまっては、この由義ゆげのような田舎では物足りない。

 この地は物部氏系の弓削ゆげ氏の本拠地であり、この尊貴な存在をもちろん丁重に遇している。若女もそのお付ということで下にもおかない待遇であるが、それでもしょせんは田舎の出来事にすぎない。

「都にいたって退屈なことは変わりないわ」

「そうでしょうか。弟君もお生まれになったのだし。可愛らしい和子様だと思います」

 内親王はつんとしてそれには答えなかった。

 その弟宮こそが内親王の不機嫌の原因なのである。どうせ都にいても父母をはじめ百官の注目は親王にしか向かない。親王が皇太子となったからには、内親王は同母姉という有力には違いないがただの皇族の一人である。唯一人という存在ではない。

「はあ、どなたか都から訪ねてこないでしょうか」

 内親王は睨みつけたが、若女はそれには一向に気づかない。

「若い殿方でもいらっしゃれば」

 若女がそんな風にいうと、他のお付の女官達もとたんに誰それがいいなどとしゃべりだす。若女ももう十七か十八になり、いい相手がいれば三日夜みかよの餅を共に食べる相手を見つけたいものであろう。


 そのように毎日を過ごしているある日、四兄弟の三男である伯父の藤原宇合ふじわらのうまかいが息子達を連れて訪れた。二人ともまだ若く、長男の広嗣ひろつぐは元服したばかりであった。弟も年の頃は内親王よりも少し上である。難波宮を造営している責任者である宇合は、都に戻る途中にご機嫌伺いに来たのだという。

「伯父さま、このような鄙びたところによくいらっしゃってくださいました」

 阿部内親王は嫌味を言ったわけではない。ただ伯父達は都からはわざわざ来ないので一月ばかり会っていない。

「内親王様はお元気そうだ。これはよほどここの気候が合っていると見えますな」

 宇合の息子の広嗣と宿奈麻呂すくなまろは内親王の従兄にあたる。広嗣はもう体つきも大人に近いが、宿奈麻呂は内親王よりも少し上くらいで、まだ少年であった。しかし武芸を好む宇合の息子だけあり、細いながらも筋肉がしっかりと付いている。

「何もありませんが、弓削の者達はよくしてくれています。ごゆっくりなされればよいでしょう」

 内親王はそう言って手厚く歓迎することにした。何しろ暇なことは確かであり、このような客人の到来は願っても無いことなのである。

 その厚遇は夕餉ゆうげの時も変わらない。

 都にいる時は宇合の訪問など当たり前のことであったし、何かにつけて弓馬ゆんばのことを話したがるのでさほど好きというわけではなかった。そのため、特に笑いかけてあげるということもなく、淡々としたものであったのである。

「若女、わたくしのことはよいから、伯父さまに給仕をして差し上げなさい」

 内親王の最も近くに仕え出自も悪くない久米若女を宇合に付けるのだから、その好意は伯父に伝わらない訳はない。

 しかも、宇合が知造難波宮事という職務から難波宮のことを面白おかしく話すのであるから、内親王にとっても興味深い。いつになくご機嫌であった。宇合は話し上手ではあるが、同じ話を何度でもする、内親王からすればうんざりする癖があるが、この難波宮の話は初めてである。

 難波宮は、大和川と淀川が難波の海に注ぐ前に低湿地帯で合流して複雑な入り江と中州を形成する河口にある。ここは古くから西日本への海の道の始点であり、遠く唐や新羅にも通じて、今では畿内の表玄関といってよい。

 かつて孝徳こうとく帝の時に難波宮に遷都し、大化たいかの改新を進めた場所である。豪華絢爛な建物が並び、倭国の威勢を示したものであったが、孝徳帝の崩御後は重祚ちょうそした斉明さいめい女帝が飛鳥あすかの地で即位したため一度はやや寂れた。しかし壬申じんしんの乱に勝利した天武てんむ帝は難波宮を副都として使うことに決め整備させたため、再度繁栄をみせた。ところが四十年ほど前に内裏から火が出て全焼してしまい、以後使われなくなっている。

 そんなことを宇合が興味深く説明しながら話すので、内親王も聞きほれ、時には質問をするのであった。

 宇合が内親王の父帝から任命されて、再び難波宮を副都とすべく内裏を建築しているのは昨年からであった。

「なんと唐風に屋根は全て瓦できますぞ」

 その他にも遣唐使が持ち帰ってきた最新の技が使われるらしく、工人にも多くの唐人が動員されているらしい。

 そんな風に面白おかしく夕べを過ごすと、宇合親子は請われるがままに泊まっていくことになった。本来はもう少し先に進めば藤原氏の勢力地もありそこには館もあるのだが、宇合も内親王とこんなに愉快な時を過ごしたこともないので、夜を過ごそうという気にもなったようだ。

 宇合の二人の息子は馬術だけでなく管弦の名手であり、二人の横笛と五弦琵琶は絶品で、興が乗ったか宇合も舞をひとさしと加わると、内親王もその返礼に見事な舞を踊ったので、女官達も初めてこの由義に来てよかったと思っている様であった。

 

 阿部内親王はあまりに楽しい夜を過ごしたので、眠りは深かった。そのため、久米若女に移り香がついているのに気が付くまで、夜に若女がいなかったことには気が付かなかった。

 宇合の香は荒事を好む人物とは思えぬほどの当世風であり、遣唐使の一員として渡ったこともあるだけあって唐好みである。唐渡りの香木を焚き染めているに違いない。

 早速とばかりに何か文らしきものが若女に届けられていた。

「伯父さま、若女は大切な女房ゆえ、粗略に扱うことは許しませんよ」

 翌朝、内親王はとぼけた顔をして宇合に言った。 

「は、それは」

「また今夜も面白い話を聞かせて頂戴」

 ふふふ、と笑う。

「大切にいたします」

 宇合もさすがにまだ幼いと思っていた内親王にからかわれて顔を赤くした。

 後から知ったのであるが、父だけでなく息子達も思い思いの女官達を引きいれてよろしくやっていたらしい。おかげで三泊した宇合親子が去った後も、しばらくの間は話題が絶えなかった。


 翌週になると今度は藤原四兄弟末弟の麻呂が娘を連れてやってきた。

「兄から聞きましたが、退屈なさっている様子。ご無聊をお慰めに参りました」

 麻呂の娘の百能ももよしは八歳になるため、内親王の二つ下で、房前の娘の宇比良古おひらこと同じ年齢である。

「お久しぶりでございます」

 そう手を付いた挨拶が可愛らしい。そういえばここ数年会っていなかったが、母親を早くに亡くしたため、その実家で育てられていたらしい。

「この子は美人になりそうね。伯父さまのよき人はよほど美しかったのでしょうね」

 麻呂はそんな風に冗談を言うような内親王は初めてであり、驚かされたようである。今まで麻呂が会っていた内親王は、あくまでも妹の安宿媛が主宰する場所での少女であった。

 母の妊娠と弟宮の誕生によって、ある意味では精神的な自立が促された結果、内親王はこの時機に急激に大人びていった。

「三日会わずば割目して、という唐の古典がございますが」

「わたくしは女子です、伯父さま」

「これは一本取られました」

 麻呂は兄達がいないと存外と気持ちがいい人物らしい。

「伯父さまがこんな鄙びたところまで足を伸ばすとは、珍しいわ」

「そんなことはありませんが」

「行幸にも顔を出さぬと主上が嘆いておりましたのを聞いたことがあるもの」

「それは左右の大夫を兼ねているため、都を離れられないからで」

 麻呂は前述の通り平城京全域の警察を取り締まっている。

「他の伯父さまたちは蝦夷にまで出かけて行ったり、宇合伯父さまなどは唐まで行ったというわ。それに比べて出不精ではなくて」

「いいえ、それは誤解でございます。出不精なのは麻呂は麻呂でも武智が付きます」

「そうなの」

「長兄の武智麻呂は畿内を離れたことはございません。ですが吾は以前に美濃介みののすけに任じられましてございます」

 美濃といえば逢坂関おうさかのせきの向こう、つまり立派な関東であると言いたいのであろう。

「あなたのことであるから赴かずに都にいて下の者に任せたのでしょう」

「そんなことは父上が許しませんでしたよ。若いうちは見聞を広めよと早速とばかりに放り出されました」

 内親王の外祖父である藤原不比等ふじわらのふひとはまだその頃は存命であり、絶大な影響力を発揮していた。

「お祖父さまですか。覚えてないけど厳しい人だったのでしょう」

「それはもう。母に命じて厳しく吾を育てさせました」

 内親王はそこまで話すと、従姉妹である百能ももよしが退屈がっているのに気づいた。

「従姉妹どの、双六でも一緒にどうです」

 はっと気づいて百能は恥ずかしそうに首を振った。

「双六は嫌いですか。では碁はどうでしょう。教えて進ぜましょうか、うまくないけど」

 すると、百能はぴくっと反応した。

「内親王、娘はその、碁の名手になっておりまして。恥ずかしながら父の吾も、もはやかないませぬ」

「では逆に教えてちょうだい」

「いえ、失礼に当たりますので」

「いいの。ここではそのような遠慮はなし。若女、盤と石を用意して」

 下女が碁盤と碁石を用意すると、久米若女が受け取り、それを据える。内親王は黒石を取った。百能は白石を左上と右下の星に二個置く。

「どうしました」

 置石は黒の内親王がするべきであろう。

「娘は唐人から習っておりますゆえ」

 麻呂に言われて内親王はうなずいた。唐や新羅では最初に双方がいくつか定められた場所に石を置くことは知識としては知っていたからである。同じように二個を右上と左下に置いた。

「そういえば新羅ではもっと置くと聞いたことがあります」

 新羅王から祖父の藤原不比等に送られ、母の安宿媛を通じて今上帝に献上された碁盤を内親王は見たことがあった。星が本朝のものに比べて倍近い十七個もある。

 黒を持った内親王が先にかかっていったが、まだ子供の百能は手加減を知らない。あっという間に石が殺され、勝負にならなかった。笑顔の百能に対し、父の麻呂はさすがに蒼くなっている。

「あらら、お強いですね」

 百能は嬉しそうにうなずいた。

「じゃあね、次は双六にしましょう。わたくしはこちらの方が好きですよ」

 百能はうなずいた。対局を通して内親王の人となりの一部なりとも察したらしく、先ほどのようなはにかみは無い。

 双六も終えると、麻呂はそろそろ退出を、と言い出した。

「もう帰るの。つまらないわ。本日は泊まっていけばいいでしょう。今宵は百能と一緒に寝てあげる」

「それが、吾は職務が貯まっております」

「では百能を置いていってちょうだい。わたくしは新年の参賀に合わせて都に戻るつもりよ。その時に屋敷へ送り届けます。別に女嬬めのわらわにしようというわけではなくてよ。お話しや碁の相手になってほしいの。何しろ暇なんだもの」

「それならばもう都にお戻りになればいいのに」

 麻呂は苦笑してそれから娘を見たが、百能は知らない人ばかりの中での不安と未知の場所での好奇心が相半ばしているようであった。

「分かりました。それでは置いてゆきましょう」

 麻呂はそう言って去っていった。

 内親王の女官たちは、宇合と違い息子を連れてこなかった麻呂に対して、しばらくの間、文句だらけでった。もっとも麻呂の息子である浜足はまたりは百能の弟であり、まだ幼い。

 麻呂は他の三兄弟と母親が違うためか、あまり見目がよくない。麻呂は不比等とその異母妹を父母に持つため、近親婚のためか、不比等の特徴をさらに濃くした感じと聞く。体質もあまり強くないらしい。そのためか、女官達も宇合贔屓である。何泊かして女官の元に忍んで行っていれば、もう少し評判も悪くなかったであろうが。


 その後といえば、藤原武智麻呂ふじわらのむちまろの二人の息子、豊成とよなり仲麻呂なかまろが、従弟である鳥飼とりかいと共に帰朝を促すためにやってきた。鳥飼は藤原房前ふじわらのふささきの息子である。

内親王ひめみこにおかれては、そろそろのご帰還をと夫人の御言葉であります」

 夫人とは阿部内親王の母親の安宿媛あすかべひめである。

「また、今上帝陛下も正式ではありませんが、内々に吾に内親王を必ずお連れするように、と直々に」

 そう言上しているのは、三人の中で唯一すでに従五位下を得ている豊成であった。鳥飼はまだ正六位、仲麻呂に至ってはもう二十歳を越えているのにまだ無位である。

「分かっているわ。もう支度は進めているもの」

「ではご帰還の日取りは明後日でよろしいですね」

 そう言われると、内親王は面白くない。せっかく自分から帰る日を決めて、年を越える前に都に戻ろうとしているのに、このような催促をされては腹が立つ。

「勝手に決めないでちょうだい。わたくしは四日後に戻ると決めているの」

「ではそういたしましょう。それまで吾等もお側に」

「あなたたちは戻って復命すればよいでしょう」

「いいえ、父から護衛をするように仰せつかっております。四日後まで吾等もここでお待ちいたします」

「そうは言っても、由義ゆげはわたくしの屋敷ではないもの。借りているだけ。あなた達を泊めるような場所はないわ」

 内親王は勝ち誇った顔をした。豊成は叔父の宇合うまかいが従兄弟の広嗣ひろつぐ宿奈麻呂すくなまろと共にここに泊まっていったことを聞いているのか、当惑の顔を浮かべている。

「内親王、弓削ゆげどのにお願いして参りますゆえ、なにとぞご配慮を」

 そう言ったのは久米若女くめのわかめであった。

 その魂胆は分かっている。女ばかりで男といえば下男やせいぜい下級貴族のここでは、大貴族の息子達である三人は華やかな存在である。若女だけでなく若い女官たち全員の気持ちの代弁であろう。

「知りません」

 内親王はさっさと奥に引込んでしまった。


 とはいえ、阿部内親王が年内に平城宮に帰還することには変わりない。そのため、持ち込んだ文物を整理しなければならなかった。

 ふと内親王は文箱を開けて広げた。

「おや、どなたの書でしょうか」

 そう声をかけたのは、藤原豊成ふじわらのとよなりであった。あれから豊成は懸命にご機嫌取りに努めてきたため、内親王も軟化していた。

「母さまのものよ」

「伯母上であられますか。これだけのものはなかなかありませんな。女人にしては雄勁で闊達といえます」

 内親王の母である安宿媛あすかべひめは書を好み、今上帝もその手蹟を愛されていた。

「豊成は書が好きなのですか」

「ええ。父が好きなもので、吾もつい」

 すると、その弟の仲麻呂なかまろもやってきて覗き込んだ。

「これはこれは。楽毅がっき論ですな。書聖の臨書でありましょう。なかなかの手蹟です」

 そういえば、仲麻呂といえば、伯父の武智麻呂の秘蔵子であるらしい。そのためか安易に位を進ませず、まずは勉学を修めさせようという腹だと聞いていた。まだ若いのに学者どもも舌を巻く博識らしい。

「知っているのか」

「叔父上が父上に土産としてお持ちくださり、それを安宿媛さまがお借りして臨書なされたのであろう」

 叔父とは、遣唐副使として唐に渡った宇合のことであろう。もちろん多くの文物を持ち帰ってきている。長兄の武智麻呂むちまろが芸術好きであるため、特に選んで逸品をいくつか差し上げたと聞いた。

「それは知らなかった。今度、父上にお聞きして見せて頂こう。お前はいつ拝覧したのだ」

「吾もまだ見たことはない。だが楽毅論は読了しておるし、書体をみればどなたの書を学んだのかなどはすぐに分かる」

 どうやら豊成は父譲りの芸術好きだが、仲麻呂はむしろ学問好きで、学識としてその書を捉えたらしい。

「おい、二人とも。こちらは忙しいのだ。油を売っている暇があったら手を動かしたまえ」

 二人の従兄弟の鳥飼とりかいである。

「これはこれは。失礼してお手伝いに戻ります。何かあればお声をお掛けくだされ」

 豊成が鳥飼にあやまりながら、内親王に頭を下げて仲麻呂ともども手伝いに戻った。

 実はこの書は母の文書箱から黙って持ち出したものである。母が出産のために里下がりしている間に、母の手蹟を見ては偲んでいた。そしてそのままいくつかを自分の文箱に入れてしまい、持っているのである。

 

 由義ゆげからは生駒いこま山系を越えるのではなく、渋川路という飛鳥あすかの旧都を通る道を行く。女が多いため、ゆったりとした旅である。

 何くれとなく世話をしてくれ、気遣いするのは豊成とよなりであった。豊成は内親王だけでなく、彼女が預かっている藤原麻呂の娘である百能ももよしなどにも退屈でないように話しかけている。一方で一行を事実上指揮するのは仲麻呂なかまろであった。兄の豊成は藤原四兄弟の長兄である武智麻呂むちまろの長子であるだけに、次代の藤原氏の中心となるはずであったが、むしろ弟の仲麻呂の方にその素質が見え始めている。一族の中では仲麻呂は実父の武智麻呂よりも叔父の房前ふささきに似ているとも聞いていた。

 現に房前は仲麻呂を高く買っており、まだ無位なのに娘の宇比良古おひらこを仲麻呂に娶わせようとしていると伯父の武智麻呂が笑いながら言っていたのを思い出す。宇比良古は内親王よりも年少であり、とてもまだ婿取りなどという歳ではない。

 一方で鳥飼とりかいは房前の長子であるが、母の実家の勢力があまりない。それでも父親には目をかけているらしく、正六位の地位を受けている。

 途中に二泊して平城京に帰ったが、しばらくの間は内親王の女官達の間では藤原四兄弟の御曹司達の話題が絶えなかった。


 さすがに内親王が内裏に戻ると、さっそく母の安宿媛あすかべが弟宮を抱いてやってきた。

「やっと戻ったのね、内親王。母に寂しい思いをさせて」

「母さまも東宮も健やかそうで何よりです」

 内親王はこんなにも自分をつらい思いにさせている母に対して冷淡になろうとしているが、それは無理な話であった。生まれてより一心に愛情を受けて育てられたのである。

「ありがとう。内親王もお元気そうでなによりです。さあ、東宮ですよ。大きくなったでしょう」

 そうは言っても、間近で見るのは実は初めてであった。

「ええ。母さま。抱いてもよくて」

「だめよ、まだ首が据わっていないの。もう少し大きくなってからね」

「気をつければ大丈夫と思いますが」

 特別に安宿媛の母親である橘三千代が厳選して一族から付けた乳母が言った。

「いいえ、東宮には万が一のことがあっても主上に申し訳がたちません。でも内親王、可愛ってちょうだい。そなたと同じ母から生まれた弟なのですからね」

「抱き上げることも出来なくて、どうやって可愛がれというの」

 内親王は眼に涙がたまってきた。

「ろくに母さまにも弟にも会えなくてどうやって可愛がれというの」

「それはあなたが勝手に由義ゆげに行ったからではなくて」

「その前からじゃないの。母さまが里下がりしてから何度私と会いました」

「内親王、あなたにあまり構えてあげられなかったのは申し訳ないわ。でも事は日本国に関わることです。この子は日嗣ひつぎの皇子。大切にしなくてはならないの」

 安宿媛はむずがる幼ない子をなだめるようという声色である。

「だからわたくしは要らない子なのね。女だから要らないのよ」

「そんなことはありません。あなたもわらわのお腹を痛めた大切な娘です。あなたが生まれたときに主上がどれだけ喜ばれたか」

「女でもですか」

「最初の子だから女でも構わない、と主上はおっしゃいました」

「でも男だったらもっとお喜びだったでしょうね。女だから、嬉しさは弟宮が産まれた時ほどではないのでしょう」

 そう言われると、安宿媛は言い返せなかった。確かに東宮が生まれてからの今上帝のお喜びようときたら、尋常ではない。なにせ赤子を立太子するくらいである。

「内親王、あなたはあなたで、わらわには大切な子なのよ。分かって頂戴」

「母さま、わたくしは旅から戻ったばかりで疲たわ」

「内親王、聞き分けて頂戴。いい子ね、あなたは東宮のお姉さんでしょう。もう大人になって」

「もう帰って。わたくしも供の者たちも疲れるの」

 母としては、どうしても涙を眼に貯めている内親王を放っておくことはできないに違いない。だが、安宿媛にはどうしてよいのか分からないようであった。幼少の頃から政略結婚の具として大切に育てられ、今上帝に輿入れしてからは藤原一族から全ての後押しを受けている身なのだから無理もない。

 敢えて言えば今上帝が他の夫人の下に渡る時には嫉妬を感じるが、それとて世の常として我慢できる。

 もちろん安宿媛の母である三千代が女官として付けた一族の県犬養広刀自あがたいぬかいのひろとじに今上帝の手が付いて先に井上いうえ内親王が生まれた時は、あまりのことに怒り狂いそうになったのではあるが。

「内親王、お待ちなさい。世の中には思うままにならぬことも多いのですよ。我慢なさい」

 などと安宿媛が言ってしまうようでは、内親王の悲しみを増すばかりであった。かといって母が少しでも悪かった、などとは全く思いつかないようである。


 内親王が愚痴を打ち明けられる人物といえば、先帝陛下である。しかし太上天皇として御忙しく、実質的な政務を司っておられるため、なかなか簡単には面会できかねた。それというのも今上帝が二十七歳とそろそろまつりごとをなされなければならないのに、病弱なこともおありになって、なかなか実務を御執りになられない。そのため、政治の実権は先帝の従兄弟であり皇族の代表格である左大臣長屋親王が握るということになる。

 文武帝との間に今上帝を産んだ藤原宮子を通じて外戚となっている藤原一族は、それが歯がゆい。そのために、何とかして親政を実現させたいが、当の今上帝にそれを疎まれる御気持ちがあられるのでいかんともしがたい。

 その左大臣長屋親王の権勢は今が絶頂と言えた。太上天皇からの信頼は揺ぎ無く、当の藤原一族とも何重にも渡る婚姻関係を結んでおり、全国にある封戸からの財はうなるほどであるという。

 その長屋親王は年が暮れる前に内親王にご機嫌伺いにやってきた。

「内親王がお戻りになって、内裏も華やいで参りました。由義ゆげにご滞在の間は、火の消えたような寂しさです」

「うそよ。弟宮の誕生で毎日がお祭りのようだったと聞いたもの」

「いやいや。そうはおっしゃっても弟宮はまだむつきに包まれた幼子であります。天照大神様が天地を照らすように、日の本を照らされるのは阿部内親王、御身でありますよ」

「まあ」

「ご尊顔を拝見させて頂くだけで、何やら力を頂いているように思えます」

 あからさまな世辞であっても、現に左大臣はここに来てくれているのだから、嬉しくないはずがない。

 もっとも、左大臣には弟宮の立太子ということについての異論があるということも影響していなくもない。

「でも、弟宮が東宮となったのだもの。わたくしなどはもう不要みたい」

「いえいえ、そうは言っても東宮より十も御年上であります。同母姉として御弟宮を導かれる存在として、これより重きを成すことはあれど、決して軽んじられることはありますまい」

「そうかしら」

「上皇様が御母として今上帝陛下をお手助けしていらっしゃるように、同母姉として東宮をお助けあれ」

「それは分かっているんだけど」

「それに、いえ、なんでもありません」

 一瞬口篭ったのは、東宮が早くも父や祖父と同様に病弱であることが伝えられているからであろうか。生まれたのが晩秋であったために冬の寒さにすぐ風邪を引くという話は聞いている。

「いずれにしろ、どうかまつりごとのために勉学に励みなさるのが良いと存じます」

「それでは先帝陛下のように死ぬまで背の君を持たずに、ということね」

「とは」

「わたくしは結婚はできないということじゃない」

「いえ、そういうわけではありませぬ。先帝陛下は即位なされた故に、本朝における至高の御存在として他の男性を近づけることが叶わなかったのです。東宮の立太子には、内親王にその轍を踏ませたくないという御心がおありだったのですよ」

「なら、わたくしは背の君を持ってよいのかしら」

「ええ。なれども、内親王ともなれば、臣下の身の者というわけにはいきませぬ」

「もちろんです。しかも位も高くなくちゃね」

「これはこれは。難しいご注文です」

「そのような殿方はなかなかおりませんね。でも心当たりが無いわけではなくてよ」

「ほう。それはそれは」

 内親王はさすがにこれ以上は恥ずかしくて言えなかった。

 左大臣はそろそろ潮時とばかりに、それを機に下がっていった。

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