第2部 天平九年 内親王20歳

 阿部あへ内親王にとっては、亡き祖母の愛した甕原みかのはらは格好の羽を伸ばす場所であった。都からはさほど遠くなく、若い男なら馬を飛ばせば程ない。

 ここは今やたちばなの姓を頂き昨年臣籍降下した、伯父の葛城王こと橘諸兄たちばなのもろえとその弟の狭井さい王こと橘佐為たちばなのさいの本拠地である。しかし諸兄は異父妹の光明皇后こうみょうこうごうこと安宿媛あすかべひめや、その繋がりで義兄弟である藤原四兄弟に付き従っており、佐為は今上帝の側近くで支える立場で、ここには滅多に立ち寄らない。

 内親王が近寄らせるのは、藤原武智麻呂むちまろ長子豊成とよなり石上勝男いそのかみのかつお、それに白壁王しらかべおうであった。もう一人藤原房前ふじわらのふささき長子鳥養とりかいも以前はこの中に入っていたが、一昨年より太宰府ださいふで役をもらい、年の半分も畿内にはいない。

 新田部にいたべ親王の息子達である塩焼しおやき王や道祖ふなど王などは、その身分からも年齢からも当然ながら加わっていてもおかしくないが、内親王は新田部親王を嫌っていたから、滅多に近づけていない。何しろ八年前に長屋ながや王に止めをさしたのは新田部親王と舎人とねり親王の背反であることを内親王は知っていたのである。

 従姉妹の百能ももよしは伯父の藤原麻呂に言って近習させていたから、当然ながらこの中に入っている。他にも房前の娘の宇比良古おひらこは内親王のお気に入りであり、また異母妹の不破内親王なども加わることがあった。

 男達はすでに妻を持っている者も少なくないが、それはもちろん関係ない。若者達は昼間は恋の歌を詠んだり双六だの矢投げなどをしたりして擬似恋愛を楽しみ、夜は音楽を奏で、舞い踊り、そしてめいめい好きな相手を選んだ。

 内親王の初めての相手は白壁王であった。他の若者達もみな五位以上の日本でも最も高貴な御曹司達であったが、さすがに今上帝の娘、それも皇后との間の皇女となるとためらわれたようである。しかし内親王が一番のお気に入りである石上勝男が結局は最も寵愛された。

 一方で豊成などは君臣の分限を決して越えず、従姉妹である百能を常に選んだ。房前の娘である正妻を亡くしており、むしろ本気で次の背の君にと考えている節がある。

「姉さまのことを思うと、こんな楽しみを得ていいのでしょうか」

 などと不破内親王が言うのは、二人の姉である井上内親王が伊勢の斎宮いつきのみやとして潔斎精進の生活を送っているからである。

 不破内親王の相手をよくするのは、白壁王であった。阿部内親王には白壁王は男らしさが物足りないが、不破内親王からすれば、優しくてよいのだという。

 もちろん、このような集まりは頻繁に行われるわけではない。日々注目される内親王にとっては気晴らしであり、たまにはこれくらいの楽しみがないとやってられないという思いがある。

 今度はそろそろ豊成の弟である仲麻呂なかまろも呼んでみようかとも思っていた。豊成はもう若者とは言いかねる年でもあり、この集まりから抜けていくであろう。代わりというわけではないが、仲麻呂は年齢的にもちょうどよい。そういえば伯父の藤原房前が宇比良古を仲麻呂に娶わせようとしていたことを思い出した。


「聞いておられますか、内親王」

 藤原房前の相変わらず小さい声である。

 左大臣長屋王が自殺を命じられて以来、阿部内親王は伯父の藤原四兄弟達の言葉などに耳を貸す気はなかった。

「内親王、伯父さまたちの言うことを聞きませんか」

 母の安宿媛は、長屋王が自殺をした年に、臣下の出としては前例のない皇后の身分となった。光明皇后である。

「知りません。伯父さま方はわたくしの言うことを聞きませぬゆえ、わたくしも聞きません」

 母も伯父も反抗期をこじらせているのだと思っている。

「とにかく、若い男どもを御近づけになるのはお止めくだされ。皇后の御子としての評判に関わります」

 久しぶりに宇合うまかいが難波宮の造営より戻ってきており、顔を出している。

「宇合伯父さま、若女わかめは元気にしておりますか」

 宇合はそう言われると弱い。内親王の一番の側近であった久米若女くめのわかめに手を付けて、ついには孕ませてしまったのである。五年ほど前のことで、今では親子ともども宇合が引き取って面倒を見ていた。

「は、それは」

「若女がいなくて寂しいのです。少しは多目にみてくださいませんこと」

 宇合が何も言えなくなると、末弟の麻呂が何かを言おうとしたが、長兄の武智麻呂に目で制された。

「内親王、吾らも今上のお声がかりであるだけに、無理にとは申しません。ただどうか節度を持って接っしてくだされ。内親王様は行く行くは皇位を得られる方ですから」

 父帝も母皇后も弟宮が亡くなってより九年、共に三十七歳ともなると、もはや皇后にも御子は期待できなくなってきたし、何より今上帝が蒲柳の質である。

 ふいと横を向いてこれ以上何も話す気がないことをあからさまに示すと、四兄弟も去っていった。

「これ、内親王。兄さまたちになんという態度を。そなたの伯父御どもですぞ」

「申し訳ありません、母さま」

 お馬の親仔のように寄り添って過ごしたかつての生活は戻らない。伯父たちに対するように冷ややかな態度は取っていないが、明らかに何か一線を引いていた。

「そなたには申し訳ないことになっているとは思いますが、しかしわきまえて」

「分かっております」

 九年前の弟宮の早すぎる死によって、内親王の婿取りの機会は失われた。正確に言えば、その後一向に母の懐妊の様子がないため、徐々に失われていったといった方がよいかもしれない。

「だから、わたくしの少しの我がままくらい、お許しください。わたくしは話をしたくない者とはしたくないのです。父さまと母さま、それに先帝陛下以外には。それが許される身分ですから」

 内親王は一礼をすると、母のもとを下がった。


 翌日、阿部内親王が顔を出したのは、先帝の下へだった。

 今上帝が病弱であったために政務を後見なされていたが、八年前の左大臣長屋王の変以来、朝廷は藤原氏とその息のかかった者達が政権を壟断し、藤原氏の血が入っていない先帝は大分影が薄くなっていた。それでも天武てんむ帝と持統じとう帝の御宝である草壁くさかべ皇子と天智てんじ帝の皇女である元明げんめい女帝の血筋であらせられるだけに、皇族を中心に敬われてらっしゃる。血筋だけでいえば藤原腹の御子である今上帝に比べれば尊貴の度合いは比べ物になられない。それだけに隠然たる力を秘めておられ、藤原四兄弟も先帝が表立って敵対の姿勢を見せられておられるわけではないため、とてもではないが手は出せない。

太上たいじょう天皇陛下、ご機嫌はよろしくて」

「悪いです。ずっと悪いです。でもあなたが来てくれてよくなりました」

「それはよかったです」

「そうです、よかったです」

 先帝はにっこりとした。

「楽しんでいますか」

「はい、まあまあです」

 内親王は裾を払い、先帝の近くに用意された場に座った。

「お久しぶりね、内親王。来てくれて嬉しいです」

「今日は命日ですから」

 左大臣長屋王が首をくくったのは、ちょうど八年前の今日であった。

「そうね」

「左大臣さまと大叔母さまの」

「ええ、吉備きびもね。忘れないでいてくれて嬉しいわ」

 長屋王には大勢の愛人とは別格の二人の妻がいた。一人は先帝の同母妹である吉備内親王で、夫の自殺を見て世をはかなみ、自ら後を追ったと内親王は聞かされている。四人の男子がいたが、武智麻呂によれば全員が二人と同様に自殺したという。今上帝は叔母と従兄弟達の死は悲しみ、手厚く葬らせた。もう一人は、内親王の外祖父である藤原不比等ふじわらのふひとの娘の長娥子ながこである。彼女は三人の息子達と共に武智麻呂が真っ先に確保し、連座を免れている。

「あれから随分と世の中も変わってしまいました」

 天武帝が一新した朝廷では天武の子孫たる皇族たちが中心となって政権を動かしていくはずであった。しかし次の持統帝の藤原不比等の重用がきっかけとなり、藤原一族の台頭が始まった。そして元明女帝が指名した左右の両輪たる舎人親王と新田部親王の藤原氏への傾倒によって、左大臣長屋王は孤立させられていったことになる。

「諸兄が言っておりました。主上は、父さまは、弟宮が病弱で死んだと思われたくなかったのだと。だから誰かのせいであって欲しかったのでありましょうし、誰でもよかったのです」

 同じく内親王を愛した祖母の橘三千代たちばなのみつちよは世を去っていた。もう一人の祖母である父帝の母の藤原宮子ふじわらのみやこは精神を病んだために藤原邸の奥深くに篭り、内親王は会ったこともない。そのため、今では心から内親王を愛し、冷静な忠告を与えられるのは先帝しかおられない。

「諸兄ですか。あの者には期待していたのですが」

 三千代の死をきっかけに、葛城王と狭井王の兄弟は臣籍降下することを決断した。三千代は先々帝の母である元明帝から橘の姓を賜られていたので、それをそのまま名乗り、葛城王は諸兄、狭井王は佐為と名を変えた。諸兄は義兄を意味し、皇后の異父兄であることから、今上帝の信頼も厚い。もちろん不比等の娘である多比能たびのを娶っていることもあり、藤原一族の一員である。

「伯父さまは優しい方ではあります」

 長屋王を死なせたことを悔いていることを内親王は知っていた。まさか自殺にまで追い込むとは思っていなかったらしい。謹慎させて中央政界から追放させるくらいだと思っていたらしく、四兄弟の前ではそんな顔を見せないが、ある時内親王にそんな一面を見せたことがあった。だが内親王はそれだけに諸兄が許せない。

「藤原の血を引くお前に言うことではないかもしれませんが、今の世の中は異常です。わたくしがいる限りはこれ以上のことはさせませんが、そなたの世となった時が心配です」

「ご心配なく。わたくしも伯父さまたちにはこれ以上の壟断は許しません」

「そう、そうね。そうだとありがたいわ」

 すると、そこへ菓子を持った女嬬が二人の前に三方を置いた。

「あら、可愛らしい女嬬ですこと。新しい子ですね」

「ええ。藤野ふじのです。ごあいさつなさい」

「藤野です。内親王さま」

 ぺこりと頭を下げる様がまた可愛い。

「いくつですか」

「そなた、何歳であったかの」

「八つでございます」

「どこの出です。言葉が畿内ではありませんね」

「ええ。備前でしたっけね。そこの国造の娘です。そなたの本名は和気わけの、なんといいましたか」

和気広虫わけのひろむしでございます」

「広虫ね。でも藤野という呼び名の方が素敵ですこと」

 内親王はすっかりとこの女嬬が気に入ったらしい。

「太上天皇陛下、この子をいただけませんでしょうか」

「だめです。藤野は私も気に入っています」

「そこをたってのお願いです」

「それだけは駄目です。でも気に入ったのは結構なこと。ならばちょくちょくこちらに参りなさい。そうしたならば私にも会えて一石二鳥です」

「はい」

 内親王は苦笑した。

「でもそんなに気に入ったならば、そなたの所へ遊びに行かせましょう」

「はい」

 内親王は米菓子をつまんで口にいれた。

「どう、甘くておいしいでしょう」

「ええ」

「陛下、藤野にも下賜してくださいませ」

 内親王は藤野が我慢している様子を見て先帝に頼んだ。

「ええ、いいでしょう。特別ですよ。私は一個で十分ですから、あとはそなたが食べなさい」

 藤野は躊躇しているが、二人が笑顔なのを見て一つを取った。

「そんな遠慮しなくていいのです。残り全部お取りなさい」

 先帝がおっしゃると、藤野は布に包んで大切に持っていった。

「あの子は他の女嬬仲間にも分けるのでしょう」

 そう眼を細められるのをみて、内親王も何か嬉しくなった。


 平城宮には北に池があり、松林苑しょうりんえんなどと言われている。

「今回は豊成とよなりだけですね、出世したのは」

 それでも内親王はお祝いの言葉をかけた。

「ありがとうございます、内親王」

 豊成は藤原武智麻呂ふじわらのむちまろの長子であるから、次代の藤原家の氏上うじのかみと目されている。もう三十三歳になった。正五位上という位は父や伯父達に比べると不満はあるが、次世代の貴族達の中では出世頭である。

「それに比べて仲麻呂なかまろは今回は残念でしたね。わたくしも父さまに口添えはしたのですが」

 豊成の同母弟である仲麻呂は二歳しか年齢は違わないが、兄とははっきりと差を付けさせられていた。まだ従五位下で、それも三年前にやっと任官されたのである。

「いえ、吾などはまだまだ至りません。それに内親王様のおかげで頂いたこの位も重過ぎるくらいですから」

 武智麻呂は仲麻呂を愛さなかったわけではない。早くから政治的に昇進させてきた兄の豊成と異なり、仲麻呂には本当の実力を付けさせるべく勉強をさせ、位も正六位から動かさなかった。それを見かねて内親王は父帝に仲麻呂もそろそろ従五位下に上げてよいのではないかと申し上げたことがあった。

 この松林宮に集まって宴会をしているのは、豊成を筆頭に比較的若い者たちだけであった。他にも石上勝男いそのかみのかつおと白壁王、亡き長屋王と藤原長娥子の息子である安宿あすかべ王などが集まっている。藤原房前の息子である永手ながて真楯まだて魚名うおな、それに藤原宇合ふじわらのうまかいの長子である広嗣ひろつぐ右大臣橘諸兄うだいじんたちばなのもろえの長子で同じく臣籍降下して名を変えた奈良麻呂ならまろもまだ六位以下の身分であるが列席していた。いずれも父系か母系の従兄妹であり、その父親達は疎ましく思いつつも、その次世代の者達とは親近感がある。

「それで豊成、あなたは百能ももよしと祝言はいつ挙げるのですか」

 内親王は藤原四兄弟の末弟である麻呂の娘の百能を引き取って女官にしている。

「はあ、それは、もうすぐにでも」

「あなたにも子を成した女が居るのでしょうけど、百能は特に可愛がらねばなりませんよ」

 豊成は遊びではなく、正式に百能の許へ通うようになってきた。百能の父親の麻呂まろもそろそろと長兄の武智麻呂と話を付けているらしい。昨年、伯父の房前の娘を亡くしているのであるから、代わりの正妻としてならば申し分ない。豊成にはもう一人身分の余り高くない側室がおり、こちらにも子がいる。

「それに比べて仲麻呂はどうなのです。そなたもそろそろ妻の一人も持ってよい歳ではありませぬか。宇比良古おひらことはどうなっているのです」

 仲麻呂は叔父の房前を敬愛していたから、その娘の宇比良古ならば申し分ないはずである。

「いずれとは思いますが」

 すると、兄の豊成がからかうように言った。

「仲麻呂は今は夢中になっているさる女人がいるのです」

「止めよ、兄者。殿下の御前ぞ」

「かまいません。興味が有ります。続けなさい」

 内親王はもちろん止める気などない。

「下世話な話題は相応しくありませぬ」

「豊成、話してちょうだい」

「いえ、なに。仲麻呂の恋の相手は子持ちの未亡人なのですよ」

「ほう、誰です」

 無論のこと単純に興味がある。

「兄者、それ以上を言うとさすがに怒りますぞ」

 すると豊成も笑いながら詫びた。

「すまんすまん。ついな。だがお前の入れ込み方がな」

「そんなに愛しいのですか」

「ええ、あまりに夢中で」

「違います。吾に良くしてくださった方がお亡くなりになり、その未亡人と遺児を後見しているのです。何しろその女人は身分のあまり高くないお方なので」

「それでつい手が出てしまったと」

「怒りますぞ」

「その辺にした方がいいようですね。仲麻呂の秘めた思いは内緒にしておきましょう」

 兄弟の微笑ましい仲の良さを羨ましく思いながら、内親王は別の話題に変えた。

 一通り内親王の話が終わると、めいめいが勝手にやり始める。雅楽寮うたりょうの楽生たちが呼ばれ、舞と音楽が奏でられた。本朝で最も尊貴なものはもちろん唐の音楽であるが、先帝と今上帝は度羅楽とらがく、つまり済州島さいしゅうとうの音楽を好んだ。

「やはり音楽は大唐だいとうのものこそが一番ですな」

 仲麻呂が大陸の文物に傾倒しているのは知られていた。勉学に使う教材が唐土の古典なのであるから、無理もない。

「いや、やはり吾はそうは思わん。一番は和楽、次いで百済が最も良い。度羅楽はそれにぐものだ」

「いやいや、兄者。大唐の楽は体系だっておる。奏でられる音の美しさの前にその体系からして美しいではないか。それに引き換え、和楽は低俗なものだ」

 これが始まると、豊成とて制止できない。しばらくは仲麻呂の大陸賛美が続く。

「それではそろそろそなたも叔父上のように遣唐使に申し出ればよかろう」

 藤原四兄弟の中では、三男の藤原宇合ふじわらのうまかいがかつて副使として参加して一年ほど入唐していた。

「叔父上はだめだ。何にも分かっていない」

 宇合はどちらかというと唐に失望した方であった。あまり遣唐使時代の話をしたがらず、むしろ蝦夷えぞを征伐しに陸奥むつへ軍を率い反乱を鎮めた時の武勇伝などを誇った。武より文を上と見る儒教的な思考を是とする仲麻呂には、宇合は偉大な文明を理解できない野蛮人であった。

「なりませんよ。遣唐使といえば荒海を渡ると聞きます。そなたがそんな危険な目にあってはなりません」

 内親王は遣唐使といえばきらびやかな感じより、むしろその行程の危うさが先にある。

「そういえば仲麻呂殿は法師の玄昉げんぼうに会ったとお聞きするが、どうであった」

 石上勝男が興味深そうに仲麻呂の方を向いた。

「ふむ、話には聞いたが大したことはない。唐で万物を学んだと聞くが、あれならば本朝でも十分に学べる。いや、むしろ唐の真髄は凡人が長安へ行ったからといっておいそれと知れるものではない」

 一昨年に遣唐使として帰国した玄昉は在唐十八年に及び、大唐皇帝玄宗だいとうこうていげんそうにその才を認められたという。そして経典五千巻と多くの仏像を持ち帰り、早くも朝廷で信任を得ていた。その裏には、未だに朝廷の左大臣長屋王の怨霊を恐れる心がある。左大臣の死後、一向に光明皇后には子が生まれず、これは間違いなく亡き左大臣の祟りなのである。しかしながらそれを認めると、左大臣が誣告ぶこくされたことになり、無実の者に死を今上帝が賜ったことになってしまう。そのため、舶来の仏教によりその邪霊を打ち払うべく玄昉が頼りにされていた。

下道真備しもつみちのまきびどのは仲麻呂どのに入唐するように勧めておられましたな」

 玄昉と同じく帰朝した下道真備に白壁王は心酔しているらしい。下道真備は唐の文化だけでなく学問も幅広く学んだ。律令制度の強化に役立つと先帝の寵愛を受けており、急速に昇進が進められている。

「ふむ、あの男も少しは役に立つかも知れぬが、しょせんは浅知恵。それよりは吾は阿部仲麻呂あべのなかまろどのを尊敬する」

 阿部仲麻呂も二人と同期の留学生であるが、唐における出世を求めてか今回の遣唐使では帰国しなかった。

「なりません。今度の船も四隻のうち戻ってきたのは一隻のみと聞きます。そなたがそんな危険な目にあうことはありません」

 内親王は仲麻呂の才を信じているので、貴重な頭脳が流出するのみならず失われることを危ぶんでいる。

「分かっております」

 そうは言っても、仲麻呂はやはり唐に対する憧れは捨てきれないようであった。

「ところで遣唐使が厄介なものを持ち込んだと聞きますが」

 石上勝男が話題を変えた。

 内親王はこっそりと勝男の横顔を見つめていたところ、急にこちらを向いたので驚いた。

「と、申すと」

 かつて甕原みかのはら離宮への護衛を務めた時から、内親王はなにかと勝男が気にはなっていた。左大臣長屋王への想いが年々忘れられていくにつれ、今でははっきりと自覚するまでになっている。

「流行り病です。筑紫ちくしでは一昨年より流行り始めているとか。かさぶたができて死ぬものが多く、治った者も二目とは見られない顔になるとか」

「恐ろしい。それではその玄昉や真備は大丈夫なのか」

 すると白壁王がそれを聞きつけた。

「いえ、流行り病は唐渡りですが、遣唐使由来ではないと聞きます」

 遣唐使船は嵐でひどい目に遭い、たどり着いたのは種子島であった。そう考えると、流行元が北九州の大宰府中心であるから、理屈に合わない。漁師などが持ち帰ったか、または唐から移住してきた者が運んできたのかもしれない。

「それでは鳥養とりかいは大丈夫であるか」

 藤原房前の長子である鳥養は大宰府少弐だざいふのしょうにとして任官され、今は実際に筑紫へ赴いていた。

「よりによって悪い時に筑紫に行ったものです」

 仲麻呂が首を振った。

「いずれにしろ、都にまで来ずに済めばよいが」

 左大臣長屋王が無実だと知っている人間は少なくない。そしてその本当の祟りがまだ始まっていないと思っているのは内親王だけではなかった。光明皇后となった藤原夫人こと安宿媛の不妊はほんの手始めに過ぎない。なぜならば、その怨念を作り上げた人々、つまり藤原一族が我が世の春を謳歌しているのである。


 前左大臣長屋王さきのさだいじんながやのおおきみの復讐が始まった。

 まずは藤原房前の長子である鳥養が大宰府で亡くなった。流行り病である。そしてその知らせが入ってからしばらくして、今度は房前自身が倒れた。訃報を伝えた鳥養の部下はしばらく房前の邸に留まっていたが、膿疱のうほうができて亡くなったというから、彼がもたらしたのかもしれない。

 だが、その頃には都にも流行の兆しが出始めていたから、その責任を押し付けるわけにもいかないであろう。何しろ大宰府と平城京は官民を問わず人の往来が多く、筑紫における感染が畿内に入るのを止める術などないのである。

 末弟の藤原麻呂は蝦夷討伐のために陸奥へ赴いていたが、その知らせを聞いて慌てて戻ってきたがために、房前の臨終には辛くも間に合ったらしい。

 さすがに日頃の感情の拗れもあったが、血の繋がった伯父のこともあり、四兄弟のうち残った三人が房前の一子と共にその最期の様子を光明皇后にお伝えするというので、内親王も臨席した。

「内親王、父上がこれを」

 長兄の武智麻呂が話を終えると、房前の一子である千尋ちひろが内親王に文を渡した。疱瘡の病は一度は小康状態になるらしい。その時に記したと言っていたという。

 しかし内親王はすぐには読めなかった。房前は祟り殺されたのである。その怨霊がこの文には乗り移っているような気がした。かといって捨てるわけにもいかない。房前の何かが込められているに違いないからである。そのため、以前に房前がくれた飾りの箱にいれた。

 水晶や象牙をふんだんに使用した沈香や紫檀による箱で、どちらかといえば質素で実用的な物を好む房前がくれるような品ではない。あるいは自分の趣味に合わないから献上したのか、または内親王のためにわざわざ作らせたのかは、今となっては分からない。


 房前の死はこの都をも席巻した病魔の先駆けの戦果でしかなかった。

 その翌月には本格化し、初夏に入るとあまりのひどさに、今上帝が政務を停止した。人から人へうつるらしいのだから、賢明な処置と思われた。

 もちろん内裏へも入り込み、慌てて先帝、今上帝、皇后、夫人たちは隔離された。

 内親王はいつもの甕原みかのはらは方角が悪いために由義ゆげに避難することになり、石上勝男がその護衛を勤めた。由義は物部もののべ一族の故地の一つということであり、物部氏の本流である石上勝男にとっても縁が深い。

 一行は飛鳥あすかの地を通らずに、北周りで山背やましろを経由した。難波の江を船で渡れば、そんなに遠回りでもない。生駒いこま山系を越える道は女の足が多く、避けられた。

 由義につくと、一晩だけ勝男は内親王と共に寝た。だが翌日には都に戻るという。

「何か用でもありますか」

 内親王は勝男が行くのを押し止めようとした。

「いいえ。でも長居はできません。最近、右大臣様から釘を刺されております」

 内親王の主宰する集まりに最もよく顔を出すのは、豊成と仲麻呂の兄弟を除けばこの勝男である。何やら眼をつけられているらしい。

「でも都は流行り病です。ここで過ぎ去るのを共に待てばよいではないですか。どうせ政務は行っておりませぬ」

 それでも勝男は頭を振った。

「ありがたいのですが、兄の子はまだ若く、我が代わりに一族をまとめなければなりません。本来ならばこの護衛も辞退せよと言われましたが、それだけはと」

 勝男の兄である石上東人いそのかみのあずまびとはすでに亡く、氏の長者をいずれはその遺児が継ぐことになるだろう。。

「そうですか」

 内親王はあまりがっかりした様子を見せないようにしていたが、それでももう一晩だけでもと言ってこないものかと手を取った。

「申し訳ありません。それでは」

 勝男はその手を押し頂くと、その後丁重に戻し、立ち去っていった。

 内親王はありていに言えば、夜が怖かった。都を離れる方が安全だとはいえ、この流行り病が前左大臣長屋王の怨霊だとはっきりしたからである。夜には誰かに抱かれていれば安心できたが、今宵からはそうも行かない。

 内親王は、前左大臣が自分をも祟る理由があるかもしれないと思っていた。誣告された時に三関を封鎖し、都を固め、左大臣邸を囲んだ兵達がなぜ前左大臣に気付かれずに動員されたかといえば、内親王が甕原へ行く際の護衛に中衛府ちゅうえいふの一部が使われたからである。護衛の準備ということでは、兵営が騒がしかろうと怪しむものはいない。後で聞くと、甕原に来た兵達はそのまま山背国やましろのくにを抜け、美濃国の不破関と越前国の愛発あらち関を固めたらしい。

 もちろん内親王がそれを意図したわけではないが、それでも間接的な要因となってしまったことは確かである。ましてや、その陰謀の主はれっきとした血の繋がる伯父達であり、その原因は弟宮の死である。そしてその弟宮の死の一因は自分のつい口に出した一言なのは間違いない。これで祟りが避けられると思う方が不思議であろう。

 仕方なく内親王は百能ももよしの寝床を隣に敷かせて一緒に寝た。さすがに百能もそれは遠慮して嫌がる素振りは見せたが、実のところは自分も怖いらしい。これが前左大臣の仕業だという噂はすでに出回っており、だとすると、その第一の目標であろう藤原四兄弟の身内である百能も恐ろしいに違いない。


 盛夏の頃、内親王は藤原房前に続き三人の伯父達も病に倒れたことを知った。末弟の麻呂が真っ先に倒れ、思わず武智麻呂と宇合も駆けつけたという。そこで病を得たのかもしれない。日頃の四兄弟の結束の強さが仇となったのであろうか。

 狭井王こと橘佐為たちばなのさいも床に伏せ、武智麻呂の長男の豊成とよなりまでもが続いた。他の従兄妹達は都の内外で隔離されていて無事であったが、豊成は次代の氏上うじのかみとして平城京に留まっていたからであろう。

 だが使者の出入りが病を運ぶかもしれぬので、知らせは由義ゆげには稀にしか寄越されなかった。

「内親王さま、お父さまが病と聞いてはじっとしていられませぬ。今すぐ都に戻らせてください」

 百能は父の麻呂には溺愛されていたので、その悲しみようは見ていてつらいほどである。

「馬鹿を申すではありません。わざわざ流行り病を避けてここにいるというのに」

「でもじっとしていられませぬ。父も百能に会いたいはずです」

「病がうつるだけです。わたくしが聞くに、そなたの父も病の者を見舞いに行き、病をもらったといいます」

「構いませぬ。それに病にかかった者が全員死んでいるわけではないと聞きます。特に若者は病を得ても平癒すると」

「なりません。そなたは行かせません」

 百能は娘盛りで美しい白い顔をしていた。この流行り病は急死に一生を得ても、その瘡蓋が全身に残り二目と見られない醜い姿になると聞く。寵愛する麗人がそうなっては、失うよりもつらいことである。

「わたくしはそなたの父御にくれぐれもよろしくと頼まれています。本当ならばそなたの弟も引き取りたいくらいです」

 麻呂の跡取り息子である浜足はまたりはまだ十四歳で、病の麻呂からは厳重に遠ざけられているはずであるが、都においている以上は完全に安全ではない。

「平癒を祈りなさい。そなたの父御はまだ若いのです。乗り越えられましょう」

 だが、まず末弟の麻呂が房前に続いた。

「そなたの父御も亡くなったそうです」

「やはり父に一目会いとうございました。いえ、今からでも遅くありません。一目顔を見とうございます」

 もちろん内親王が許すはずも無かった。濃厚な接触はもちろん、軽度の接近でも病がうつる可能性があると知られてからは、ここにくる使者でさえ手紙を置いて去り、直接の接触はさせていない。ましてや都で伯父の死体に会いにいかせるなど考えられない。

 続いて武智麻呂が薨去すると、宇合を最後に四兄弟と橘佐為は世を去った。

「そういえば若女わかめはどうしているであろうか」

 ふと思いつく。

 内親王の女官であった久米若女は亡き伯父の藤原宇合に見初められて通われるようになり、ついには子をなした。そのために五年ほど前には宇合に引き取られて下がっている。

 だが若女の父である久米奈保麻呂は六位程度の下級貴族である。宇合が死ねば、強力な後ろ盾がない若女には大貴族藤原式家では肩身が狭いに違いない。

「引き取ろう。また前のように側に仕えさせればいい」

 これは一石二鳥に思えた。去られてから寂しい思いをしていた内親王にとっても、居場所を無くし息子のためにも強力な後見人が必要であろう若女にとっても、どちらにも悪いことではない。宇合の息子を引き取ると聞けば、母も悪い気はしないはずである。


 秋に入るまで、内親王は戻ってくることを許されなかった。しかし都における流行はようやく落ち着きをみせると、今度は母皇后からは帰京するようにと矢の催促が飛び込んでくる。

「ようやくそなたの顔を見られて安心しました。わらわはもうそなたが心配でなりません」

 父帝は光明皇后と共に早速内親王を引見し、久しぶりの再会を喜んだ。

「兄達がよもや全員亡くなったのです。この世はどうなることかと。そなたが無事で本当になによりです」

 皇后は内親王を抱きしめた。

「本当に恐ろしいことで。麻呂だけでなく、武智麻呂も宇合も。それに佐為兄さまも。もうどうしていいのか分かりません」

「そなたが気を落とすのももっともだ」

 父帝は悲しみよりもむしろ心を痛めているようであった。親しい公卿の多くが病に倒れたのであった。

「朕も多くの股肱の臣を失った。これで玄昉げんぼうがいなければどんなになっていたかと思うと」

 玄昉はそれを聞いて頭を下げた。

「内親王は玄昉は初めてではないな」

「はい」

「玄昉のおかげで流行りは収まった。そなたの従兄の豊成とよなりも危ういところであったが、玄昉の祈念が病を追い払ったのだ」

 父帝がいつの間にやらすっかりと仏法を深く信頼していることは聞いていたが、有力な豪族の血縁でもない者をこのような側近くにまで置いているとまでは知らなかった。

 そこへ、遅れてきた葛城王こと橘諸兄たちばなのもろえ下道真備しもつみちのまきびをつれて入堂し、拝礼した。諸兄は運よく罹病を免れた。濃密に藤原四兄弟や弟の狭井王と交流していたことを考えると奇跡的である。早いうちに妹の光明こうみょう皇后の付き添いで避難していたのがよかったのではないかと思われた。他に高位の者で免れたのは長屋王の弟である参議鈴鹿王くらいである。

「おお、諸兄か。ちょうどよい。阿部内親王がようやく戻ってきた」

「はい、それをお聞きして急ぎ参上いたしました」

 諸兄は今上帝に続いて皇后にも礼をする。真備は遠慮して低いところへ下がった。

「忙しいところ済まぬ。だが陛下もわらわもそなたが頼りじゃ」

 諸兄は静かに再度頭を下げた。

「諸兄殿、まだ身体は労われねばなりませんぞ。何しろまだ病は完全に都から去ったわけではないのですぞ」

 玄昉の声は甲高く、朝堂に響く。

「かたじけないお心遣い。僧正に頂いたこの命、大切に使わせていただく所存であります」

「なになに、拙僧は何もしておらぬ。そなたの仏教に対する帰依の心、そして仏を敬う心が病を遠ざけたのじゃ」

「いや、僧正。生き残った者達は僧正のおかげで助かった。それだけではない。朕も皇后も、そして阿部内親王もだ。病がすり抜けていったのはそちのおかげだ」

 今上帝だけでなく皇后も諸兄も手を合わせて仏の御心に感謝した。

 内親王は仏法を信じていないわけではない。だが、伯父の武智麻呂が深く帰依していたことは知っている。ならばなぜ仏は武智麻呂を助けなかったのであろうか。

「ところで主上、以前よりお願いいたしていた民部卿の件ですが」

 諸兄がそういって木簡を取り出した。

「亡き右大臣同様に民部卿にもどうか贈位をいただきたく思います。これが主だったものの嘆願の署名であります」

 今上帝はそれを一瞥するとすぐに諸兄に戻した。

「よい。房前は朕に尽くしてくれた。正一位と左大臣を追贈せよ」

「ありがとうございます」

 それを聞いて光明皇后も顔を明るくした。

「陛下、ありがとうございます。これで兄も喜びましょう」

 今上帝は満足そうにうなずいた。

「諸兄もよう気付いてくれた。これからもそちが頼みだ」

「ありがたきお言葉」

「内親王、そなたも長旅で疲れたであろう。下がってよい」

「はい」

「久しぶりにそなたの顔を見られてよかった。今後は外出は控え、朕の側から離れぬようにせよ。そなたがいなくてどれだけ寂しかったか分からぬ」

「失礼いたします、主上」

 内親王は一礼して下がった。

 朝堂を振り返ると、政権が一変したのが、政治に疎い内親王にも見て取れる。皇族の長老格であった新田部親王と舎人親王は昨年と一昨年にそれぞれ世を去っており、つい今春まで中心であった藤原四兄弟がいなくなると、橘諸兄が主宰することになるらしい。諸兄は藤原一族に連なる者として藤原氏の再建に取り掛かるであろうが、急なことでまだ藤原四家の継承者達の位が低い。そのためにこれを機会に押さえ込まれていた他の豪族が盛り返すのは間違いない。

 さらにこの危急存亡のときにあたり、玄昉と下道真備という大唐帰りの知識人がその血筋ではなく実力で入り込んでこようとしている。それは内親王が知っている政治の世界とは全く景色が異なるものであった。


 数日のうちに内親王は石上弟麻呂いそのかみのおとまろに会った。亡き人からの文を携えて来たのである。弟麻呂は驚くほど若い時の石上勝男いそのかみのかつおに似ていた。

 内親王はその話を初めて知ったので、内心の動揺を抑えるのに必死であった。

「兄は最期まで内親王様のお引き立てを感謝しておりました」

「そうですか」

 それだけをいうのが必死であった。内親王は亡くなってから勝男のことをどれだけ愛していたのかに気が付いたのである。

「弟がいるとは勝男からは聞いていましたが、そなたとこうして会うのは初めてです。どうか亡き人のことを話してください」

 内親王がそういうが、弟麻呂は首を振った。

「ここ最近のことは、内親王様の方がよくご存知と思います。私は長い間、任地の丹波たんばにおり、滅多に大和やまとに戻りませんでしたので」

 弟麻呂は五年ほど前に丹波守に任命されており、真面目に仕事をこなしていたらしい。勝男が不真面目で気楽な自分と比べて褒めていたのを思い出す。

「それでもよいのです。それならば子供の頃の話などをしてくれませぬか」

「兄とは少し年が離れておりますゆえ。ただよく泣かされた覚えはあります。長兄が亡くなったために次兄の勝男は早くから朝廷に仕えたのですが、同じ年頃の友人などとよく共にいてあまり戻ってきませんでした。私が任官されてからも交際する者達は異なりましたし。あまり一緒にはいないうちに、私が地方に任官されたのです。そのため、私には兄の思い出があまり無いのです。仲が良かったとか悪かったとかではなく、縁が薄かったように思えます。同母兄弟なのですが、私が留守の時には兄が戻ってきて母に孝養し、私が戻ると兄はまた出かけていて、というようにすれ違いが多くて。なので失礼ながら兄が亡くなった今となっては、兄のことを知る人に兄の話を逆に聞きたいのです」

「そうでありましたか」

「兄と縁遠いとはいえ、最も血の濃い兄弟です。母もこの病で亡くなり、私にはもう兄を知る術があまりないのです」

「それならば、わたくしが話して進ぜましょう。そなたの兄と仲の良かった者も集めて慰霊しようではありませんか」

 弟麻呂ははっと顔を上げると、再び頭を下げた。

「勝男の文を読んでよいですね」

「は、はい」

 弟麻呂が頭を下げるなか、内親王は短い勝男の文を読んだ。

 勝男は今までの内親王の引き立てと特別な恩寵に感謝し、また自分には子供がいないので弟と甥達をどうか目をかけて欲しいとあった。恐らくは本文は誰かの代筆であろうが、死の床で必死にかいた署名だけは乱れていたが、勝男のものに相違なかった。今まで後朝きぬぎぬの文などを受け取っていた内親王には分かる。

「あい分かりました。勝男と同様にそなたを引きたてましょう。それが亡き人の望みであります」

「ありがとうございます」

「わたくしも親しい人が随分と亡くなりました。それでもそなたのような新しい者との出会いもあります。ところでそなたは勝男の死に目に会えたのですか」

「兄が倒れ、石上の家は私が見なければならなくなり、ありがたいことに主上から昇進の内示をいただき戻って参りました。おかげで兄の死に目に会えました」

 名門物部氏の血を継ぐ石上の嫡流は亡き長兄の石上東人の息子が継ぐらしいが、まだ若いために後見をすることになるのであろう。

「それは良かった。だが危ないことです。わたくしの伯父達は相互に見舞いあったために全員が倒れたと聞きます」

「兄上は私を側までは近寄らせんでした。最期までありがたい配慮をしてくれました」

「亡き人らしいですね。あの方は根が優しい者でありました」

 弟麻呂は甥を後見し石上氏の采配を振るうことを機に乙麻呂おとまろと名を変えるという。

 内親王は乙麻呂が去ると、勝男の文を文箱にしまおうとして、房前の文を思い出した。そしてどういうわけか、読んでみようと気になった。

 房前の手蹟は元からさほど見事なものではない。実用的であればいいという性格であろう。しかも病床でやっとの思いで書いたのであろうから、所々が見苦しく乱れている。それでも代筆を立てなかったのには理由があったのは読んで分かった。文は厳重な封がしてある。

「阿部内親王様がこの手紙を読まれる時には吾とは永の別離となっておりましょう。そのため墓まで持っていくはずであった皇統の秘密をお伝えしておきます。先々帝の今際の床で吾にのみ命じられたこの勅を果たすことができぬのは房前の一生の不覚でありました」

 先々帝、つまり元明げんめい帝は、天武てんむ帝と持統じとう帝の唯一の男子である草壁くさかべ皇子の正妻で、内親王の曾祖母にあたる。天智帝の皇女で、先帝と文武もんむ帝、さらに吉備きび内親王を御産みになられた。文武帝の死後に即位し、その皇位は娘の氷高ひだか皇女に伝えられた。先帝である。つまり皇統は天武帝からその妻、そしてその孫からその母、そしてその娘からその甥へと行きつ戻りつしつつ今上帝に伝えられている。

「天武帝は天照大神あまてらすのおおみかみの男系による正統なる子孫ではあられません。そのため、天照大神から続く天智帝からの皇統はかすかに持統帝と元明帝を通じてのみ伝えられております。そのため、皇位は必ず草壁皇子の血を男系で継ぐもので伝えられなければなりませぬ。どうか安積親王と子を成し、皇統を御伝えくださるように。さもなくば皇統は完全に断絶しましょう」

 草壁皇子とは文武帝の父のことであるから、内親王の曽祖父である。何かあまりのことでに内親王はすぐには信じられない。だが房前本人は好きではなかったが、虚言をいう人物から程遠いことは知っていた。一人ではどう受け止めていいのか分からない。そのため、房前の手紙は厨司の奥に大切にしまうことにした。先帝が愛用し、先年内親王に下されたものである。

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