第2部 天平十五年 女東宮26歳

 それでも今上帝の甲賀信楽こうかしがらきへの御思いはやまない御様子であらせられた。

「季節も暖かくなったことだ。避暑を兼ねて紫香楽しがらき宮へ参る」

 昨冬の極寒でさすがに懲りたかと思っていたらしい橘諸兄たちばなのもろえは、あわてて反対した。

「どうかまだ遷都をして日も経っておりませぬ。あまり動かれませぬように」

 だが今上帝は他のことならばともかく、このことは御譲られになられなかった。

「それならばそなたが残ってこの都を整えるがよい」

 そう諸兄を恭仁京の留守居に残して御幸の手はずを御命じになられた。

 藤原仲麻呂ふじわらのなかまろはさっさとその命を受けて整えたのであるが、光明こうみょう皇后が仲麻呂の同行には待ったを掛けた。寵愛する仲麻呂を行かせたくなかったのである。

「お任せください」

 平城京の留守居役を解かれ恭仁京で待命していた兄の正四位下参議兵部卿藤原豊成しょうよんみのげさんぎひょうぶきょうふじわらのとよなりが先導を請け負うと、今上帝は紫香楽宮へ出発なされた。

 この皇后の寵愛は、この場合は仲麻呂にはありがた迷惑であった。兄の豊成が留守居役などを命じられている間に恭仁京で仲麻呂は随分と今上帝の御信任を得られることが出来たのであるが、ここにきて豊成に横取りされたのである。

「どうか私も紫香楽へ向かうことをお許しください」

 仲麻呂は光明皇后に頼み込んだ。

「そなたがいないと、わらわは寂しい。そのようなことを言うでない」

「しかしそれでは兵部卿に出し抜かれてしまいます。どうかお許しを」

 この頃では、仲麻呂は兄の豊成への競争意識を隠そうとしなかった。そして豊成を嫌う皇后にとって、それは悪くないことである。

「そう、それは困りました」

 そこで皇后は女東宮の方を向いた。

「東宮、そなた信楽の主上の元へ行きなされ」

 女東宮は甕原みかのはらのこの地が元来好きであり、また母と同じで悪路を一日がかりで甲賀まで行くことなど御免蒙りたい。

「皇后殿下、それは」

 右大臣橘諸兄にすれば、恭仁京を正都とするために懸命であるのに、今上帝に続いて女東宮まで紫香楽宮へ行くとすれば、立つ瀬がない。

「なに、東宮は主上を迎えにいくのだ。お早いお帰りを、とな」

 光明皇后は兄の藤原四兄弟に守られていたときからは明らかに変わった。四兄弟は皇后の庇護者であり、皇后は被保護者であった。だが諸兄は自らの立場、つまり皇族でありかつ藤原一族の長老としてのものを明確にするために、この異父妹を立てすぎた。そのために皇后はついには自分を中心に世が回っていると考え出した。行政が回っているのは諸兄が下道真備しもつみちのまきび巨勢奈弖麻呂こせのなでまろなどを使いこなし、他の氏族を押さえ込んでいるからなのであるが、皇后はそうは思っていない。全て自分が諸兄や真備に命じているからだと信じ始めている。

「皇后殿下、まつりごとは陛下が居られなくても回っております」

 諸兄はまだ皇后がそのような自意識を持ち始めていることに気付いていない。諸兄にとっては、まだ妹は小さくか細い存在なのである。

「そうであろう。わらわが居れば、そこが都である。兄さまも安心なされ。紫香楽宮はあくまでも離宮。わらわがそう言うのじゃ」

「その通りでありますな」

 仲麻呂がすかさず追従する。

「そもそもこの遷都も兄さまがどうしてもというので認めたのです。ここはわらわ達の母さまの故地でありますからな」

 皇后は諸兄に恩に着せるような言い方をした。

 いつからこうなったかといえば、今上帝の東国御幸からである。伊勢から尾張、美濃と回っている間にも政務は平城京へ届く。本来ならば女東宮が留守をして代行することが権能上からいえば当然であるが、政務などには興味がない。そのため、決済は皇后が行った。留守居役の藤原豊成が、まだその当時は皇后との関係修復を願い、一々皇后を立てたのも主因であろう。皇后は政治を覚えたのである。

「仲麻呂は東宮をお送りなされ。ただし長居は許しませぬぞ」

 要は母皇后は父帝がいないと寂しいのであろう。


「東宮も来たか。皇后はいかがした」

 今上帝は女東宮の来宮を歓迎なされたが、皇后が来なかったことには御落胆の御様子であらせられた。

 結局のところ、この遷都の問題というのは、今まで一枚岩であった藤原一族の連携を破綻させようとしている。今上帝は内心では紫香楽宮に遷都したいし、橘諸兄たちばなのもろえ恭仁くに京を平城京に代わる首都として確立させたい。それに対して藤原豊成ふじわらのとよなり仲麻呂なかまろはそれぞれの思惑で諸兄の狙いを外してその勢力をそぎたいのである。しかも豊成と仲麻呂は互いの競争心から、同母兄弟でありながらかつてのような親密さは失われている。そして皇后は藤原一族の単なる重心であることから飛躍し、自らが中心であるという自意識を持ち始めていた。

「母さまはここがお嫌いなご様子です。わたくしもあまり好きではありませぬ」

「しかしこの地を勧めたのはそなたではないか」

 正確に言えば恭仁京が平城京の鬼門に当たるため、別の地をといっただけであり、この地を見出したのは仲麻呂である。

「ええ。でもこれだけ道が悪いと、うんざりします」

「ならばここにずっと住めばよいではないか」

 今上帝は皇后の自意識の肥大など露とも感じていない。なぜならば相も変わらず今上帝が命じれば百官は全てその手足となるからである。皇后の助言が時に疎ましく感じるときもあるが、大和の出来事は全て自らが執り行っていると信じている。現に恭仁京よりもこの紫香楽しがらき宮の造営を優先せよと命じたため、恭仁京の整備は実質的に停止していた。皇后の考える政務とはただの日々の政務の機械的な処理に過ぎない。

「ここは寒いと聞いております」

「だが夏は涼しい。それに見よ、別天地ではないか。空は高く、邪気の穢れもない」

「確かに」

「そなたにだけは考えを明かそう。実はこの地に大仏を建立しようと決めたのだ」

「ここに」

「そうだ。この地こそ魑魅魍魎から逃れるための四神相応の地。そこに仏法の手助けがあれば、言う事はあるまい」

 政治的に無害と考えてか、母皇后だけでなく藤原の若い男達も平気で女東宮に考えを漏らす。橘諸兄も今上帝や光明皇后の隣に東宮が居ても、平気で密事を話した。その通りで、女東宮は定見も何もなかった。ただ人に対する好悪があるたけで、正邪は判断が付かない。

 父帝にそう打ち明けられても、それがそうべきことなのか、そうすべきでないのかは良く分からない。ただ父帝がそうなされるとおっしゃられるので、そうなるのではないかと思うだけである。


 今上帝の紫香楽しがらき宮滞在が半月ほどで終わられたのは、先帝の体調が思わしくないとの知らせが御耳に届かれたからである。今上帝は皇后の気持ちなどお構いなしに東宮だけでなく先帝や皇后も紫香楽宮に呼び寄せようとの御気持ちであられたが、こうなると御身が母代わりである先帝の見舞いに駆けつけ給わなければならない。

「母上、お加減はいかがでありますか」

 先帝がようやく起き上がれるまで回復したと御存知になられると、今上帝は東宮と共に早速ご機嫌伺いに御幸なされた。

「おお、今上に東宮まで。よう来て下さった」

「無理をなされているのではありませぬか」

「何の何の、そなたたちが参ってくれるというだけで身体の調子がよい」

「太上天皇陛下、どうか御身をお大事に」

「おお、東宮。嬉しいことをいう」

 先帝は最近ではすっかりと存在感が薄くなられておられるが、二人には大切な人には変わりがない。

「この暑さだけが原因ではないかもしれなせぬ。どうか一日も早く本復なさったら紫香楽宮へおいでくだされ。紫香楽は涼しいところでありますし、邪気のない清い地であります」

「そうかそうか。今上が気を使ってくれるのは嬉しいことです。東宮、そなたも紫香楽は好きか」

 女東宮は少し考えてから答えられた。

「冬の間でなければ、陛下のお身体にはよろしいかもしれませぬ。ただ道が悪ろうございます。整備させましょう」

「ならばそれまでには何としてでも身体を直さねばならぬな」

 そこであまり無理をなさらぬようにとの女官の声で、今上帝と女東宮は先帝の場所を去り、寝殿へ戻った。

「主上、私は太上天皇陛下をお慰めしとうございます」

「というと」

五節舞ごせちのまいをと」

 これは橘諸兄たちばなのもろえから懇願されていたことであった。恭仁くに京で東宮自らが五節の舞を踊れば、それは遷都を印象付けることになる。母皇后は兄の考えなど知らずに気晴らしとしてその案に乗り気で、そうせよと執拗に迫るためにしかとは断りきれなかったが、女東宮は諸兄の役に立つ気などなかった。だが先帝が臨席なさる場でもしも女東宮が舞うことが慰めになるならば、と考えたのである。

「それはよき考えであるの。朕もそなたの舞を見てみたいぞ」

「はい」

 東宮は、先帝がまだ幼い時にご覧になられたという、天女の舞の話をまだ覚えていた。五節舞はその天女の舞いという。ならば先帝を慰めるのには最も適しているのではないだろうか。


 女東宮は幼い頃から舞うことが好きであったが、子を成して取り上げられてからはずっと抜け殻のように過ごしており、踊ることなど久しく忘れていた。

 五節舞ごせちのまいは先帝から天女の話を聞いて以来、特に好んで習い踊っていた。長い間ご無沙汰であったために身体が思うように動かない上に、女東宮も二十代半ばともなると十代の頃のようにはいかない。

 端午の節句には内裏に今上帝と先帝に加え皇后を始め皇族や群臣が集めらて宴が催された。

「東宮殿下におかれては、感謝のしようもございません。どうかこの良き日に」

 出番を待つ女東宮に近づいてきたのは橘諸兄たちばなのもろえであった。ずっと嫌がっていたのに対しここにきての翻意に感謝するためもあろうが、突然中止にするようなことがなかろうかと心配なのもあろう。

「あなたのためではありません。先帝陛下をお慰めするためです」

「分かっております」

「それよりも分かっていますね」

「はい、それはもちろん。殿下の舞を見られるのならば、それくらい惜しくはありませぬ」

 女東宮は代わりに石上乙麻呂いそのかみのおとまろの位階を上げるように諸兄に要求していた。それくらいの我がままは許されてしかるべきであろう。何しろ女東宮は日嗣の皇女。いずれ高御座たかみくらにて天下を治める身なのである。

「勘違いはしないようにしてください。最早、あの者とは今となっては何の関係もございません。ただそなたや藤原の一族ばかりの位が上がっては、他の氏族のやっかみを買うことを恐れてのことです」

「もちろん分かっております」

 諸兄のことだから、当然ながら女東宮の周辺に探りはいれているであろう。だが諸兄が考えるようなことは今はない。

「それではそろそろ、あなたも自分の席に行かれるがよいでしょう。わたくしの出番のようですから」

「あい分かりました」

 諸兄が出て行くと、その後を睨みつけた。

 やがて女東宮は舞台の中央に進み出た。

「天皇陛下のお言葉を私が取り次ぎます。かつて天武てんむの帝が飛鳥浄御原あすかきよみがはらにて大八州おおやしまを治めなされましたが、上下を和し安静させるためには礼と楽二つが並べられてこそ永続せんと神として思われ、この舞を御造りなされました。今ここに天地と共に代々受け継がれるために日嗣の皇女たるこの内親王が太上天皇陛下のために舞を御覧にいれられましょう」

 右大臣橘諸兄は今上帝と太上天皇との二つの席の間を取り持ち、得意の絶頂にいた。

 女東宮の五節舞はたちまち一同を魅了した。かつて女東宮が若かった頃の踊りを何度も観られておられるはずの父帝や母皇后でさえ、娘がこれだけ美しいのだと初めて気付かされたくらいである。


「尊い天武の帝の御造りになった宝舞を我が子である今上帝が内親王に舞わせたのをみて、国法は天下に絶える事はないでしょう」

 先帝は、この舞を観るに大和が尊いのはおわす神が優れているからでしょう、と歌に詠まれ、絶賛なされた。

 今上帝も御機嫌が麗しくなられ、また先帝が名を挙げて称揚した下道真備しもつみちのまきびをはじめ、橘諸兄たちばなのもろえ長屋ながや王の異母弟の鈴鹿すずか王、藤原豊成ふじわらのとよなり藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ、さらに藤原房前ふじわらのふささきの子達である八束ふじわらのやつか清河きよかわや諸兄の子の橘奈良麻呂たちなばのならまろなど多くの者を昇進なされた。役職も、諸兄は左大臣、豊成は巨勢奈弖麻呂こせのなでまろと共に中納言となり、仲麻呂は紀麻路きいのまろと共に参議に仲間入りした。

 そうした昇進した者達の中に女東宮は石上乙麻呂いそのかみのおとまろの名を見つけた。諸兄はもちろん約束を守ったのである。

 乙麻呂は久米若女に遅れて翌年に罪を許され都に戻ったが、かつてのように女東宮の側に侍ることもなく、女東宮ももちろん敢えて近づけていない。眼が合っても乙麻呂は深く礼をし、女東宮はそれにうなずくだけである。

 だが乙麻呂は昇進のお礼言上で今上帝と先帝に深々と礼を言うと、次いで女東宮の言葉を待った。

「これからもよろしく頼みます」

 女東宮がそう言うと、乙麻呂はもちろん目上に対して眼を合わすことは避けつつも、答礼した。

「見事な舞でございました。生まれてかつてあのような美しきものは見たことがございませぬ。天武帝が御覧になられた天女もかくや、といったところでございましょう」

 女東宮がさらに掛ける言葉が思いつかぬうちに乙麻呂は下がった。


 翌日、先帝が見事な五節舞の馳走について礼を述べたいとの御望みであらせられるので、女東宮は訪れた。

「本当に天女が舞い降りたかのようでした。天照大神あまてらすのおおみかみが岩戸から御覗きになられた踊りもそなたにはかなうまい」

「過分なお褒めをいただきまして」

「そんな他人行儀な言い方はよして頂戴。ここには二人しかいないのですから」

「はい、祖母さま」

 正確にいえば大伯母にあらせられるが、父帝が母と敬っておられることから、女東宮が祖母とお呼びしても間違いではない。

「それでよろしい。そなたが袖を五度振ったところなど、幼い時に吉野でみた天女の舞いそのものでした」

「本当に祖母さまは吉野で天女をご覧になったのですか」

「ええ、本当です。そうに決まってます」

「おいくつの時に」

「まだほんの子供の時です。でも確かなことですよ」

 もしかしたら天武帝を出迎えた村人達が踊っただけなのかもしれないが、先帝は頑として言い張られる。

「そなたは確かに天照大神の血を引き継いでいます。そなたの舞で確信しました。やは祖母の話は真でしたか」

 先帝の祖母といえば無論のこと持統女帝のことである。

「いい機会ですからこの以前の続きを致しましょう」

「はい」

 先帝はかなり御身体の具合は持ち直されたようであったが、この暑さは堪えていられるようであらせられる。だが凛とした所作は失われておられない。

天智てんじ天皇と天武てんむ天皇の御関係は存じておりますね」

 女東宮は日本紀にほんぎに付けられている系図は覚えている。

「天武帝は天智帝の弟とありますが」

「ええ。日本紀にはそうしてあります。しかしそれは誤りです。持統じとう天皇は天武天皇の出自を隠したかったのです。天武天皇は武力で帝位を勝ち取りました。ですから壬申じんしんの大乱の後にはその即位に口を挟める者などおりませんでしたし、その後は皇族に大きな力を持たせましたので、今まで皇統に疑問を言い出せる者はいなかったのです。今ではほとんどの者が天武天皇の出自の怪しさを覚えていないでしょう。しかしかつては公然の秘密であったと聞きます。ですから日本紀では天武天皇を天智天皇の弟としたのです」

 天武天皇を兄と書けば、なぜ天智帝が即位なされて天武帝が無視されたのかという部分に行き着く。

「恐らく日本紀を書いた文忠公ぶんちゅうこうが、さらに安全策を採ったのです。高向たかむく王という方をでっち上げ、宝皇女様の前の夫を山背大兄やましろのおおえ皇子ではなく高向王としました。この方が用明ようめい天皇の孫という部分に山背大兄皇子の名残があります」

 山背大兄皇子は用明帝の一子である厩戸うまやと皇子の子であるから、孫ということになる。

「そしてやまと皇子という方を作り、高向王との間の子としたのです。万が一天武天皇が舒明天皇の子でないことが分かっても、高向王の子ならば皇統を引いています。つまり少し事情を知るものが日本紀を読んでも、天武天皇は舒明天皇の子でこそないものの、用明天皇の孫だと思うであろう仕組みなのです」

 天武天皇は蘇我の血を引いた方だということは伊勢神宮で先帝がおっしゃられたことである。つまり、舒明天皇の皇子でないとしても、倭皇子の子であると思わせようとしたのだ。

「それは本当のことなのですか」

「私には分かりませぬ。少なくとも持統天皇はそう仰っていたと私の母である元明げんめい天皇は仰いました」

 元明帝は草壁くさかべ皇子の妃で文武もんむ帝と先帝の母親であられ、天智帝の皇女であらせられるから持統帝の異母妹でもあられる。

「それならばなぜ天智帝の皇子に皇位をお返しにならないのでしょうか」

「我が子を帝にしたくない母親がおりましょうか。母になったことがありませぬから、持統天皇のお気持ちも母の元明天皇のお気持ちも全ては分かりませぬ。しかし甥とはいえ血の繋がった今上帝を愛する気持ちはそれに負けませぬ。持統天皇の、そして元明天皇の仰ることが本当だとしても、今更皇位をお戻しする気は毛頭ありませぬ。持統天皇の女神から皇孫への継承の正当化、これを受け継ぐしかないのです」

 持統帝だけでなく元明帝も父は天智帝であられた。ならばその父の正統な血統を受け継ぐべき人物をと考えてもおかしくはない。しかし実際には我が子を皇位に就けられるならば、なりふり構わないのであられよう。

「しかしそれはおかしいではありませぬか」

 女東宮には納得しかねるものがあった。我が身が皇位の継承に不当なものがあるならば、それは返上すべきではないかと思わずにはいられない。

「そなたがそう思うのは分かります。同じく昔はそう思いました。しかしそなたの父である今上帝が産まれ、そなたの知ってのとおり、その母代わりになりました。それゆえに、母や祖母の様に思うようになったのです」

 女東宮には夭折した弟宮だけではなく、県犬養広刀自あがたいぬかいのひろとじの産んだ異母弟の安積あづみ親王がいる。

「今となっては持統天皇のなされ方はまずかった。文忠公は当時こそ哀れな孤児でしたが、今ではその子や孫達が繁栄しております。文忠公が子達の誰かに漏らしていたとすれば、いずれ藤原がもっと力をつけた時に、天武天皇以来の皇統の正統性について、鼎の軽重を問う者が出てくるかもしれませぬ」

 確かにその通りである。だが女東宮は別の考えを持った。これは、先帝と文武帝が同母姉弟で親しくあられたことと、女東宮と安積親王が異母兄弟で接点がなく、親しみを感じ得なかったことを関係があるのかもしれない。

 女東宮は天照大神様を神宮において押し込めていることに反感を持った。もしかしたら、おかげでこの皇統は先細ったのではないだろうか。弟宮が夭折したのも、むしろ天照大神の祟りではないか。ならば、この血統は滅び、正統なる皇統が日の本を治めるのが正しいあり方なのではないだろうか。

 そうなると、天武帝の子孫達が今の皇族の中心を占めているが、実は今上帝の皇子と皇女を除けば誰一人として正しくは皇族とは言えないことになる。母方は皇統を引いていたとしても、もしも先帝からの秘事が真実ならば、父系は蘇我氏ということになる。

 確かにかつて蘇我宗家が後の孝徳こうとく帝であるかる皇子に滅ぼされた時、後の天智帝である中大兄なかのおおえ皇子はその一味であった。したがって、孝徳帝と天智帝の御代の間は蘇我の分家はかつてほど振るわなかった。しかし天武帝一代に限っては蘇我氏は重用されたのである。それも持統帝の御代になって終わったが、それでも天武帝と蘇我一族の繋がりは強い。

 それから時代が下り、今となっては誰も覚えていないことであり、女東宮も実際には見聞きしていないことである。


 端午の節句も終わると、先年許された藤原宿奈麻呂ふじわらのすくなまろが伊豆から戻ってきたため、光明皇后と共に女東宮は引見した。

 宿奈麻呂は藤原宇合ふじわらのうまかいの息子で、藤原広嗣ふじわらのひろつぐの弟であった。先年の広嗣の乱においては平城京にいたが、兄とは連携していない。だが成人しているため連座させられ、伊豆に流されていた。だがそのつらい遠流も二年で済み、新たに官位を正六位下とされ少判事という小役を与えられる内示があった。

「よう戻ってきた」

 皇后にとっては甥であるから、もちろん労わる。

 宿奈麻呂はまだ二十七であり、都を追われたのはまだ二十五の若さであった。四兄弟のうち比較的若年組であった宇合と麻呂まろの子等の栄達はこれからという時であり、その矢先の兄と二人の弟達の企みによって有無を言わさず前途を閉ざされた絶望は、その顔に色濃く出ている。やっと戻ってこられたといっても、広嗣の弟とあれば冷遇されるのは眼に見えていた。

「皇后殿下並びに東宮殿下には、相も変わらずご健康のご様子で。御二方のお美しいご尊顔を拝見させていただき、宿奈麻呂にはこれ以上の喜びはございません」

「伊豆とは遠いところであるな。苦労したであろう」

「東宮殿下のお優しいお言葉で、この二年間が報われるというものです」

「そなたを早く戻したかったのであるが、案外と時間がかかった。つらい日々を過ごさせたな」

「皇后殿下のお取り成しで思わぬ恩赦を得られましたこと、お聞きしております」

「なんの、左大臣がそなたのことを気にかけておってな」

 左大臣橘諸兄は藤原四兄弟の遺児達の後見役を自認している。

「果たしてそうでしょうか」

 宿奈麻呂の顔は晴れない

「当たり前ではないか」

「吾を伊豆に流したのは左大臣ではありませぬか」

「誰がそう言った」

「左大臣に直々に言われました」

「そなた本来ならば打ち首であったところぞ」

「吾は兄とは無関係でございました」

「だからわらわが主上にそなたの減刑を嘆願したのではないか」

「吾は無罪でございました」

 すると、見かねて皇后女官の牟漏むろ女王が口を出した。

「そなたは左大臣の恩義を感じぬのか。忘恩の輩め。あの豊成とよなり仲麻呂なかまろと同じではないか」

 従三位牟漏女王は橘諸兄たちばなのもろえの同母妹であり、つまりは光明皇后の異父姉でもある。女王は藤原房前ふじわらのふささきの未亡人であり、皇后と諸兄の兄妹仲を保つために相当な苦労をしているという。特に諸兄に反発する藤原仲麻呂を寵愛し始めている皇后は、時に兄の諸兄との間に諍いも持った。

「何を黙っておる」

 宿奈麻呂は臍を曲げたかのように何も言わなかった。

「よい、今日はもう下がりなさい」

 女東宮は見かねて口を出した。

「失礼いたします」

 宿奈麻呂は昔はあそこまで偏屈な性格ではなかった。他者から見れば今上帝への謀反者の弟なのだから、僅か二年の流刑で済んだのは信じられない幸運であるはずなのだが、本人からすれば前途洋洋と信じていたところで全てを奪われたのである。加担しなかったとはいえ、従一位左大臣橘諸兄が下道真備しもつみちのまきび僧正玄昉そうじょうげんぼうを重用し藤原四兄弟の遺児をないがしろにしていると感じているのは、兄の広嗣と同じだったはずである。

「あれでは使い物にならぬな」

 光明皇后は首を振った。

「申し訳ありませぬ」

「なんの、姉さまの甥ということはわらわにとっても甥。姉さまが謝ることではありませぬ」

 牟漏女王は前東宮が夭折した時以来、宮廷で皇后の女官長のような立場でいる。母が同じというのは不思議なもので、異母姉とは異なり、異父姉というのは心安いようだ。絶大な信頼をおいており、その娘の一人を召して今上帝の側に仕えさせてくらいである。また、牟漏女王がもう一人の娘をお気に入りの仲麻呂と娶わせた時にも皇后は一役買っている。

「それにしても何とかならぬものか。何ゆえ息子どもは兄さまを嫌うのか」

 皇后は甥達を自分の息子同然に思っており、ため息をつく。

「今の子たちは昔を知りませぬゆえ」

 牟漏女王は藤原氏がまだ権力を握りきっていない時代を知っているので、藤原四兄弟が鉄の団結を誇っていた頃を懐かしんでいる。

「母さまが仲麻呂を贔屓しすぎるのが原因ではありませぬか」

 女東宮が今まで言えなかったが機会があったら言おうと思っていたことである。

「何を言うか、仲麻呂を推挙したのはそなたではないか」

「その通りです。ただそのために豊成とよなりをないがしろにしてはなりませぬ。豊成が氏上うじのかみなのです」

「豊成は無能です。それならば仲麻呂を立てればよいのです。わらわの兄の武智麻呂は無能ではありませぬが、房前の才を認め立てておりました。豊成はどうです。仲麻呂を貶めるようなことばかり」

 もちろん女東宮は豊成が嫌われているのは流行り病から生存した代償に得た醜い痘瘡であることは知っている。

「ならば仲麻呂も豊成を立てなければ成りませぬ。わたくしが知っている伯父上は長兄を立てておりました。そうではありませぬか、伯母上」

「ええ、房前は、亡き夫は慎ましい方でした」

 牟漏女王は房前との夫婦仲がよかった。あの気難しく小声でしか話さない変わり者の房前をどう手なずけたものか。

「まあ、それでは仲麻呂が悪いというのですか」

 光明皇后は仲麻呂を寵愛し、それ以上に豊成を嫌いぬいている。

「分を弁えておりませぬ。自己顕示欲の塊ではありませぬか」

「若い者にはそのような野心があってこそではないか。向上心のある見所のある若者ぞ」

 女東宮はここまで言って、少し言い過ぎたと思った。女東宮は不遇な豊成に同情をしていたが、かといって仲麻呂の才能を認めないわけではない。

「仲麻呂の才は真備も認めておる」

 女東宮が口を閉ざしたので、納得させたと思っている皇后が加えた。

「お言葉で有りますが、わたくしは玄昉が仲麻呂をどう評価しているか知っております」

「何といっておるのだ」

「ご自分でお聞きになればよいではありませぬか」

「わらわが娘ながら聞き分けのない。しばらくそなたの顔を見たくありませぬ」

 そう言って光明皇后は席を立ってしまった。皇后付きの女官達が慌ててその後を追うが、牟漏女王は冷静にその場に残っていた。

「東宮殿下、皇后も悪気はないのです。ただここのところ、藤原とたちばなの一族が好き勝手にやるので、気が立っているのです」

「いえ、わたくしこそ。母さまを怒らせるつもりではなかったのです。ただ豊成が哀れでならないのです」

「お優しいことです」

 そういえば牟漏女王とはあまりきちんと話をしたことがない。

「兄弟で諍いがあるとは、悲しいことです」

 左大臣橘諸兄の同母妹である牟漏女王は三人の男子を産んだ。年子の永手ながて八束やつかは女東宮より少し歳上で、千尋ちひろはまだ二十歳である。房前の庶長子である鳥養とりかいが若くして亡くなったため、永手が房前の後を継いだ形になっており、そのため永手と八束の官位は開いている。ところが父の房前の才を受け継いだのは八束であった。そのため永手と八束も仲が良いとはいえない。永手は藤原北家の頭領として藤原の氏上である豊成と協力し合う仲であり、一方で八束は仲麻呂と同じく学者の講義を受けるような関係となっている。つまり豊成と仲麻呂は似た境遇である従兄弟をそれぞれ引きこんでおり、派閥を形成しているのであった。

 牟漏女王にすれば同母兄弟は協力して欲しいのであるが、そうもいかない。さらに厄介なのは、その牟漏女王が最も可愛がっているのは末子の千尋なのである。女東宮もこの千尋を警護役として側に置き気にいっているが、それもそもそもはこの牟漏女王からの推挙があってのことであった。

「亡き太政だじょう大臣がお二人とも生きていらっしゃれば、このようなこともなかったのでしょうね」

 武智麻呂と房前の二人は共に死の直前及び死後に贈正一位太政大臣を受けられている。

 牟漏女王は房前を思い出したようで、少し涙ぐんでいた。

「今にして思えば、夫や義兄あに義弟おとうとの偉大さが分かります。我が子も含め、子の世代は粒が小さいように思えます」

 女東宮はそれが本当かどうかはよく分からない。特に豊成や仲麻呂などとは若い頃からよく知っているため、評価が甘くなっているのかもしれない。

「わたくしも太政大臣を思い出しました」

 房前の遺書は燃やしてしまおうと思ったがそれもできず、しまいこんであった。その内容は諳んじている。


 紫香楽しがらき宮も暑くないわけではないが、高原なだけあってまだ涼しい。周囲の山々が近く、それは奈良の盆地とは違う風景である。

「どうだ、気に入ったであろう」

 父帝は時には女東宮や公達を率いては高原を御幸なされ、一度は高原の外まで川沿いに車駕を進めたこともあられた。

「はい、よきところですこと」

 確かに夏は涼しい。恭仁くに京のある甕原みかのはらも平城京に比べると涼しいが、紫香楽宮はさらに一段と気温が下がる。

「ところで、朕はそろそろ位をそなたに譲ろうかと思っておる」

 女東宮は今上帝の突然の玉言に真意を測りかねた。

「突然何を、父さま」

「しばらく前から考えていたのだ。朕はもう帝にあることに疲れた。先帝陛下のように気楽な立場からそなたを後見したい」

「なにをおっしゃいますか」

「それにそなたは女だ。周りの者達にはそなたの東宮立位に反対しておるものも多い。隠していてもそれくらいは分かる。ならば早目にそなたに位を譲り、そなたの位を安定したものにしたい」

「お止めください。そのようなことは聞きとうございません」

「いいや。そなたは聞かねばならぬ。朕は残念ながら身体が弱い。これは祖父の草壁くさかべ皇子からの遺伝かもしれぬ。父上も早くに死んだ」

 二十五歳で崩御なされた文武もんむ帝のことである。

「父さまはたいそうお元気になりました」

「朕はそなたが可愛い。だから心からそなたに位を譲りたいと思っておる。藤原の者どもに強いられたからでも、皇后がわめくからでもない。だがそなたには犠牲を強いてきた。先帝と同じ轍を踏ませておる」

「いいえ、それも定めでございましょう」

「そなたが帝になったら、そなたの次の東宮であるが」

安積あづみ親王がおります。母は違えどもわらわの大切な弟であります。主上の血を引くただ一人の御子ではありませぬか。あと十年もしないうちに弟は主上が即位なされた歳になります。わらわは喜んで先帝陛下と同じように弟を見守りましょう」

「これではまるで同じことの繰り返しであるな。そなたにはつらい思いをさせる」

 女帝が即位して弟が即位できる年齢まで待ち、その後はそのまつりごとを後見する。これは先帝が今上帝に対して行われたことであり、そして女東宮の運命なのであろう」

 しばらく二人は無言でいた。

「朕はここに大仏を建立するつもりだ。ここならば全ての物事から守れよう」

「大仏を」

 今上帝は玉座さえ安全であれば、政はうまくいくと信じておられるようであらせられる。政府が交通の要衝にある必然性ということは御存知でないか、大したことがないと思っておられるに違いない。もっとも女東宮も政事には興味がないので、同じようなものである。

「唐に倣って、いや唐のものよりもはるかに素晴らしい大仏をだ。石仏ではないぞ。銅で作るのだ」

 唐の副都洛陽ふくとらくようの郊外にある大仏は石造りであった。だが下道真備しもつみちのまきびが鋳造により大仏が作れると献言していたのを聞いたことがある。人の高さの十倍ほどの座像を銅で鋳るのだという。

「大仏は護国鎮護を成すであろう。やがてはそなたの世になる。その時に全ての祟りから守ってくれようぞ」

 今上帝の大仏建立の熱意は本物であられた。僧行基そうぎょうきを御呼び寄せられ、協力を命じられたのである。この紫香楽宮で女東宮も初めて高名なその僧と謁見した。この僧は無用にも一般民衆に仏法を広めて民衆を扇動しようとしているために弾圧されていたと聞くが、今では行基大徳の名を朝廷が賜っている。今上帝が大仏建立に協力させるための懐柔であり、今では紫香楽宮で大仏を建立せんとする僧正玄昉そうじょうげんぼうと共に盧舎那仏るしゃなぶつを立てるための相談役となっている。大仏のためには税だけでなく民の動員も必要であり、そのためには仏法を民に広めることは施策として役に立つからであった。

 今上帝は紫香楽宮で大仏建立のための詔を出されると、甲賀こうか寺を開いてここに大仏を建立させようと定められたところで冬になり、女東宮と共に恭仁京への途につかれた。


「どうかお考え直し下され」

 恭仁くに京の留守居役を命じられた左大臣橘諸兄は、今上帝と女東宮の還御の翌日には早速とばかりに先の詔について詰め寄った。

「大仏はこの恭仁大宮で建立なさればよいではありませぬか」

「いや、朕は紫香楽が気に入ったのだ」

「しかし恭仁大宮は陛下の正都となるべき場所ではないですか」

 今上帝は諸兄を信頼なされておられるため、板ばさみになられておられるようであった。

「それならば紫香楽を正都にしてはいかがで」

 女東宮がいたずらっぽく言った。

「それはなりませぬ」

 諸兄は女東宮は身内であり、まさか自分に対して不利なことを言うとは思っていなかったようで、驚いているようであった。

「冬は寒いですが、それとて仮住まいだからではありませぬか。何より夏は過ごしやすくよいところです」

「紫香楽は交通の便悪く、日の本を治めるには適しませぬ」

「ならば道普請をいたせばよいではありませぬか」

「莫大な費えが必要となります。東宮殿下、なにゆえにそのようなことを」

 諸兄には女東宮に対しての苛立ちが募っているようだ。

「東宮、もうよい。左大臣もやめよ」

 諸兄は先に位人臣を極め左大臣に昇進していた。かつての零落した名ばかり皇族から、よくここまできたものである。

「恭仁京を正都とすることはよろしい。だが大仏は紫香楽に建てたいのだ」

 考えてみれば今上帝の御代は天災人災が多く、休まる時がない。政はほとんど任せっぱなしとはいえ、人民の最上位におわす天皇としてはどこかに安心できる場所を欲されるのであろう。

「これは決めたのだ。そなたも協力して欲しい」

 今上帝なりの妥協案を出されては、諸兄もこれ以上は反対のしようがなかった。なぜならば恭仁京への遷都自体が有形無形の抵抗を受けており、臣民は未だに三代続いた平城京を懐かしんでいる。日本ひのもとの歴史においてこのように安定した都が置かれたことはなかったのであるから、それを台無しにする遷都は嫌われて当然である。しかもその場所が藤原氏の長老とはいいながらも実質はその上に乗っかって天皇皇后両陛下の御信任を良いことに好き勝手やっていると妬まれている諸兄の故地とあれば、藤原一族もいい顔はしない。それどころか、公然と反対を唱えるのがその氏上うじのかみ藤原豊成ふじわらのとよなりだったりもする。こうなると、今上帝の御墨付きだけが頼りであり、先の玉音は何ものにも優る諸兄の拠り所ではある。

「主上、しかし恭仁京遷都については未だに反対する者も多いようです」

 女東宮がさらに続けた。

「それ以上は申すな。中納言のことであろう。朕が言って聞かせる」

 中納言こと藤原豊成も従三位となり中納言を拝した。左大臣橘諸兄と知太政官兼式部卿である従二位鈴鹿王に次ぐ高位である。父の藤原武智麻呂ふじわらのむちまろの死後六年でここまで出世したのは、諸兄の引き立てあってこそであった。

「中納言は言って聞かぬ人です。その弟も」

 諸兄は以前から豊成やその弟の仲麻呂が諸兄の影響下から脱しようとしていることに気付いているようであった。まだ今上帝と皇后が諸兄を第一に信頼していることと、僧正玄昉そうじょうげんぼうと従四位下に二階級昇進した下道真備しもつみちのまきびが諸兄を立てているので成しえていない。

 従四位上となった藤原仲麻呂ふじわらのなかまろは、従四位下紀麻路と共に参議としてとうとう政権の中枢にまで出世していた。中納言の従三位左大弁である巨勢奈弖麻呂や参議である従三位大伴牛養などは表向きは諸兄に唯々諾々としているが、本心は分からない。

「朕が命じてもか」

「いいえ」

 諸兄がこのように消沈する姿は久しく見ていない。

「ならば命じる」

「それでは平城京に収められた武器をこの恭仁大宮に移してよいでしょうか」

「許す」

 今上帝は即座に断じなされた。その意味の重さは良く分かっておられないであろうが、今上帝は紫香楽宮と大仏のこと以外では諸兄を信頼しきっておられる。

「それでは勅令を出して頂きます」

「よい」

 これにより、中衛府ちゅうえいふなどの朝廷の武力は完全に恭仁京に移され、すなわちそれは完全な遷都を意味した。権力の源泉である権威と武力のうち権威はすでに移されているのであり、これによって名実共に双方が恭仁京を大和の正都とすることになるのであった。


 ところが、これに治まらないのが先帝であらせられた。

「わらわはどうもこの甕原みかのはらが好きになれませぬ」

 そう今上帝がご機嫌伺いに参られた時に告げられた。

 この場には女東宮と左大臣橘諸兄、知太政官鈴鹿王、中納言藤原豊成、中納言巨勢奈弖麻呂、僧正玄昉、さらに先ほど先帝のお褒めに預かって二階位特進した下道真備などが陪席している。

「大雨も地震もありました。不吉な地ではありませぬか」

「はあ、そうはおっしゃいますが」

 今上帝は先帝が回復なされたのを御喜びになられつつも、いつにない詰問口調にとまどわれておられた。

「女東宮、そなたはどう思いまして」

「わたくしは両陛下の思し召しに従うまで出ございます。ただ先帝陛下のおっしゃりようには筋が通っているかと」

「しかし左大臣がこの地がよいというのだ」

 父帝には先帝と左大臣の対立を治める術などない。

「ならばしかと左大臣に説明させよ。この地にきて不吉なことばかりです」

「母上、しかしそれでは」

「左大臣はどうお考えなのです」

 左大臣橘諸兄は先帝とはあまりうまくいっていない。何しろ先帝は光明皇后とは嫁姑の関係であり、仲が良いとはとてもいえず、その異父兄である諸兄を当然ながら冷ややかな目で見ている。何しろ天武帝が始められ、文武帝が完成なされた皇親政治体制を最終的にひっくり返したのは藤原氏であり、諸兄はその元締めである。

「この甕原の地は気候がよく、四神相応の地であります」

「話になりませぬ。ならばこの天災続きをどう説明しますか」

 諸兄は言葉に詰まった。なぜ先帝が今になって急に表に出てきたのかと戸惑っている様子も見える。先帝が政治的に力を失われたのは、妹が妃となっていた長屋王が自殺をして皇親政治が崩壊してからである。何よりその長屋王への詰問に舎人親王が含まれていたため、つまりは長屋王を支える両輪の新田部親王と舎人親王が共に藤原氏に屈したことを悟られたからであられた。それでも今上帝をある程度は支配し続けられたが、先年の流行り病で藤原四兄弟が揃って薨じたことによって今上帝が自発的な御意思を御持ちになられ始めることにより、かえって先帝の出る幕がなくなってしまわれたたのである。

 だがそれも藤原一族が鉄の団結を保っていてこそのこと、今では諸兄の求心力は失われ始め、豊成と仲麻呂もしっくりといっていない。何より光明皇后が藤原の氏上である豊成を近づけず、あれほどの結束を誇っていた藤原氏も分裂の兆しを見せている。

「真備はどうじゃ」

 先帝の御指名を賜り、いかにも板挟みにあって困っている様子である。

「臣が思うに、平城京は三代の都、四神相応の地であります。すでに役目を終えたとは言い切れませぬ。しかし恭仁宮も、四神相応の地ではあります」

 左大臣の片腕であるはずの真備の意見も煮え切らない。光明皇后の意を汲んでいるのもあろう。皇后は母方の一族の故地である甕原よりも、藤原の力が浸透している平城京を愛していた。

「僧正の意見はどうだ」

 今上帝の御諮問に玄昉は大げさに礼をして論じ始めた。

「拙僧が思うにしゅう長安ちょうあん洛陽らくようの複都の制を敷いて以来、隋唐ずい・とうも引き継いでおります。この日の本でも天武帝以来、唐に倣い、複都を置いておりましたが、東に正都平城京、西に副都難波京と逆に置かれております。その意味では今上の定められた恭仁大宮を長安、紫香楽宮を洛陽として置くのは西に正都、東に副都という正しい配置であります。さらに大仏を副都の郊外に置くのが理にかなっているかと思われますが、真備はいかがお考えか」

「む、それは確かに」

 真備も言葉に詰まった。

 大仏建立の案もそもそもは副都洛陽郊外の龍門石仏を再現しようというものである。遣使として唐の最先端の文明を持ち帰った玄昉にとっては唐に倣うというのは絶対の価値観のようである。その意味では西の長安と東の洛陽に見立てて両京を置くのは玄昉にとっては理に適ったことであり、以前のような難波京と平城京の配置はもちろん、平城京と恭仁京を正副とする案も両京が南北に並ぶことになり、相応しくないのである。

 真備はその唐の文明を絶対とまでは思っていないようであるが、しかし唐帰りだけあって玄昉の言葉には説得力を感じているようであった。

「ならば難波京を正都、紫香楽を副都とすればよいではないか。難波は西の正都、紫香楽は東の副都。そなたの申すことに図ったようにあてはまるではないか」

 先帝がそう申されると、今度は玄昉が詰まった。玄昉は要するに平城京から遷都できればどこでもいいのであり、先帝の恭仁京遷都に対する批難には対応していない。今上帝の甲賀こうかへの執着をいいことに紫香楽を自らの理想の仏都とすることを根本として組み立てているのである。

「難波でありますか」

 問題は今上帝が全くのところ難波宮に関心がないどころか、九州の地に近づいているようで嫌悪の表情を浮かべているところであろう。

「難波を正都とすればよいではありませぬか。あそこは天武の帝が定めた立派な都。すでに建物はおおよそ完成しておるのです。そしてそなたが好きな紫香楽を陪都とし二都の制を保てばよいではありませぬか。式部卿は何か意見があるか」

 鈴鹿王は異母兄の長屋ながや王の二の舞だけは避けたいということだけで宮中を遊泳している。

「それがしは非才にて何の意見もありませぬ」

 そう言って逃げるだけであった。

「では中納言はどうじゃ」

「臣には唐を真似る理由が良く分かりませぬ。唐には唐、大和には大和のしきたりがございますゆえ。平城京を正都、紫香楽宮を副都とするがよいかと思います」

 藤原豊成の言は何ら議論を治めるものではなく、かえって拡散する方向になった。豊成の表情には正論を言ったという満足感が浮かんでいるが、今上帝からも先帝からも醒めた眼で見られるだけであった。

 かといって、同格の中納言巨勢奈弖麻呂はこの場の雰囲気にすっかり怯えてしまい、決して先帝とも今上帝とも眼を合わすまいと下を向くばかりであった。

「民部卿にも意見をお聞きくだされてはいかがかと」

 女東宮が進言した。

「ふむ。面白そうであるな」

 すると一同の末席にいた民部卿藤原仲麻呂が悠々と前に出てきた。

「唐の河は西から東へ流れます。そのため、上流に正都、下流に副都が置かれております。一方で大和の地は川が東から西へ流れております。平城京を正都、難波京を副都とするのは理に適っております。僧正と真備の言は木を見て森を見ないようなもの。吾は文武帝以来の平城京・難波京の両京を大切にするべきと思われます」

 仲麻呂は光明皇后の代弁者であり、遣唐使帰りの玄昉と真備には強烈な対抗意識があるように見える。

 この意見もこの場には何の役にも立たないどころか、先帝をあきれさせるだけであった。紫香楽宮の造営については先帝は許容なされておられるのである。しかしこれは百官の意見を代弁しているかもしれない。今上帝、先帝、諸兄の三者は遷都自体は否定なされておられない。先帝も今上帝の恐怖は理解なされておられるのである。だが他の廷臣や民衆はその遷都自体を問題としているのであった。

「都を戻せというのであるな」

 先帝が御声を掛けられると、仲麻呂はうなずく。

「ならぬ。それはならぬぞ」

 今上帝が珍しく御声を上げられた。

 すると、僧正玄昉が進み出る。

「唐におかれては、副都洛陽に皇帝が度々巡幸し、それが年の半分以上となることが珍しくありませぬ。先の皇帝は御代を全て副都洛陽でお過ごしなされたくらいです。正都で太上天皇陛下が監国なさり、副都で今上天皇陛下が大仏を建立し平安楽土を祈祷いたせば、日の本は健やかに収まりましょう」

 玄昉は要は今上帝は紫香楽宮に逗留できるだけの名分さえあればいいということに気付いたようである。正都にしろ副都にしろ紫香楽宮をどちらかに含めれば今上帝の問題はないのだから、あとは先帝に納得していただければよいことになる。

「ふむ、僧正の言やよし。朕は唐を踏襲するのがもっともと思える」

「唐の制によれば、先年より東西の両京に加え太原を北都として第三の都としております。それに倣えば、恭仁、難波に紫香楽の三都ということになりましょう」

 真備が付け加えた。なんとか諸兄の顔を立てようとしているらしい。

「おお、そうか。ならばそういうことだ。恭仁、難波、紫香楽の三都とな。それでよい」

 今上帝は紫香楽さえ確保できれば後はどうでも構わないとの思し召しであられるので、さっさとこの話題を終わらせたいとの御思いであられよう。

「太上天皇、難波も都に加えました。これで落着です」

 今上帝が先帝にそう仰られると、先帝もそれ以上は何も言上なされなかった。

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