第2部 天平十四年 女東宮25歳

 同様の奏上は藤原豊成ふじわあらのとよなりからも行われた。

 年明けの朝賀はまだ大極殿だいごくでんの移築が完成しておらずに仮に柱と屋根だけの建物をこの日のために建造してそこで百官が勢ぞろいしたが、平城京留守居役の豊成も参上している。

 恭仁京くにのみやこの造営卿である皇族の智努ちぬ王と巨勢奈弖麻呂こせのなでまろが一応の形を成した新都建築の責任者として褒賞されると同時に、豊成も平城京の留守居を大過なく務め大極殿の移築を智努王などと協力して行った功を新年の祝宴で賞されている。

 豊成はその翌日に今上帝に大極殿の移築に関しての質問のための御召しを受け、その際に申し上げた。

「そなたと同様のことを豊成も言ってきておる」

 女東宮はその場にいたが、そ知らぬ顔をしていた。

 藤原一族の氏上うじのかみでもある豊成ほどの者からの言であるため、今上帝は直接、僧正玄昉そうじょうげんぼう下道真備しもつみちのまぎびに御諮問あらせられた。あいにく右大臣橘諸兄は難波宮へ出張して留守である。九州大宰府だざいふの廃止という大仕事のためであった。

「拙僧はこの遷都は右大臣様の深い御考えでありましょうから、賛成いたしております。平城京は四禽図しきんずに叶う地とかつての詔にありますが、今では死穢しえに満ちております。拙僧は大いに同意いたします」

 平城京を使い続けているのは、怨霊から逃げ出すより、陰陽道の理想的な地を仏法で守護すべきという考えからである。その意味では仏僧としては三代に渡って建立された仏寺群から遠ざかる瓶原恭仁京みかのはらくにのみやこ遷都は反対であるべきあろう。しかし僧正の意見はその反対のようであった。

「以前から奏上させて頂いておりますが、仏像を建立し、鎮魂の象徴とするべきであります。しかし平城宮では諸寺の反対で実現は難しかろうかと思いまする。ならば新たなる地で建立いたしてはいかがかと」

 玄昉は唐の副都洛陽ふくとらくようの郊外龍門の奉先寺大仏に感銘を受け、この大和にも国家鎮護のための大仏の建立を進言していた。今上帝も皇后もそれには心を動かされていたらしく、女東宮も端々で大仏という言葉を二人から聞かれるようになっておられたた。

「私めは玄昉の言うことももっともと思います。しかし兵部卿の言にも誤りはないとしか」

 真備は右大臣橘諸兄に信頼されているだけあって、右大臣に不利な献言をしたくはないようであるが、しかし帝直々の御下問に対しては正直に答えざるを得ない性格でもある。政治人というより学者然としている真備はあくまでも自分は政権の中の道具だと位置づけようとしている。

「実は東宮からも同じようなことを以前に聞いた。民部卿はどう考えているか」

 昨年民部卿に昇進した豊成の弟である藤原仲麻呂ふじわらのなかまろに今上帝は御下問なされた。

「東宮殿下のお考えはもっともと存じます」

 もちろん、このような形で今上帝の玉耳に入れるつもりは全くなかったにしろ、女東宮に最初に吹き込んだのは仲麻呂である。

「主上、わたくしにこのことを教示したのは仲麻呂にございます」

「なるほど」

 豊成はこの案が仲麻呂から出たことを知り、憮然とした顔をしていた。

「そなたには腹案がありそうじゃの。申してみよ」

 今上帝もこの奏上の大本が仲麻呂から出たらしいことを御存知となり、御質しになられた。奏上はこの恭仁京が新京に相応しくないことしか主張していない。肝心のその後を聞きたいのであろう。

「一度遷都した以上、平城京に戻るのは朝廷の威光を考えますと。また平城京に対する陛下の考えももっともと存じます。それゆえ、まずはここに大極殿を移し都とし、ここよりさらに離れた場所を副都と定め整備し、後にお移りになられてはいかがかと」

「ふむ、もっともである。その副都とはどこであるか」

「大津宮では方角的に意味がありませぬ。九州より遠ざかるにはここより東の地が適当と思われます。伊賀いがまたはその北の南近江辺りが適当と」

「民部卿に任す」

 仲麻呂は頭を下げた。


 南近江甲賀みなみおうみこうかがその藤原仲麻呂の奏上した地であった。

 今上帝の車駕しゃがが通れるように仲麻呂は道をつけており、それに半年ほどかかったという。そのため、実際に今上帝が甲賀信楽こうかしがらきの地に離宮を造営するように御下命なされたのは秋になってからであった。

「なかなかよき地ではないか」

 今上帝は出迎えの造営卿である智努ちぬ王に御声を賜られた。

 信楽は南北に延びる小さな高原で、その北の端に離宮は建立されている。

「東宮も気に入ったであろう。そなたはひなびた地を好むからな」

 女東宮がしばしば由義ゆげ瓶原みかのはらに滞在していたために父帝はそう思っているのかもしれないが、何の地縁もないのに気に入るはずもない。ただし秋の高原は涼しく、紅葉がまだ始まらない今が最も良い季節なのは間違いない。

「風光明媚でよきところかと」 

女東宮は父帝の後に続いて仮の行宮あんぐうに入り、玉座の隣にしつらえてある席に座った。

「皇后はどうじゃ」

 今上帝はすっかり旅慣れたためか一日の距離などさほどの苦にはしないようであるが、光明こうみょう皇后は歳をとったせいかすっかり疲れやすくなっている。

「わらわは気分が優れませぬ。奥に下がらせて頂きましょう」

「旅の疲れか。労わるように」

 光明皇后が出て行くが、その頃には右大臣橘諸兄を始めとして、この御幸に付き従う者達が仮の行宮に勢ぞろいしてきた。

「右大臣、朕はこの地が気に入ったぞ」

「はい、それは良き事かと思われます。避暑地として離宮としてお使いなされるがよいでしょう」

「うむ、離宮としてか」

「はい。この地は交通の便があまりよくありませぬ。また大兵を養うにも不便でありますゆえ、正都はあくまでも大養徳恭仁大宮やまとのくにのおおみやに置かれるがよいかと」

「ふうむ」

 右大臣橘諸兄は、この紫香楽宮しがらきのみやを良く思っていないに違いない。せっかく今上帝を自分の勢力地に抱え込んだのである。それがさらに遷都ともなれば、平城京から何のために反対を押し切って帝を移したのか分からない。

 一方で今上帝は地理的にこの地を気に入ったのは明白である。陰陽道をはじめとして様々な知識に明るい藤原仲麻呂が選んだだけの事はある。怨霊が跋扈する奈良盆地から離れ、かつ山々に抱かれて守られている。筑紫からもさらに離れ申し分ない。

豊成とよなりはどう思うか」

 この信楽への御幸のきっかけを作った奏上は豊成からである。

「はい。地としては申し分ありませぬ」

 弟の仲麻呂を褒めることになるのは忌々しいが、その仲麻呂は豊成に変わって平城京の留守居を押し付けられ、肝心なこの場にはいない。それというのも、豊成が今上帝に留守居の大役を弟にも経験させたいと奏上したからである。

「そなたもそう思うか。そなたたち兄弟の忠誠はかつての武智麻呂むちまろ房前ふささきを思い出させられる」

 豊成は黙って頭を下げた。

 女東宮は豊成が父の武智麻呂に対して複雑な気持ちを持っていることを知っていた。武智麻呂は自分よりも弟の房前が政治的な頭脳が優れていることを良く知っており、大っぴらに認めてもいた。そのために藤原四兄弟の頭脳といえば次男の房前であり、長男の武智麻呂はそれに乗っているだけと世間では思っていたのである。房前は武智麻呂を立てたが、それがまた謙譲の心として房前の人物を大きく見せていた。実際には武智麻呂は鋭すぎる房前をよく制御し使いこなしていたのであるが、それは外には見えない。豊成は、自分が父の武智麻呂に例えられるのは例えようもないほど嫌であった。それは弟の仲麻呂が自分よりも有能であると認めるだけでなく、むしろ豊成が無能であるとあざ笑っているかのようであるからであった。そしてその痘瘡がかつての端整な容姿を奪い、一方で仲麻呂はなおも眉目秀麗となれば、神仏に選ばれたのはどちらなのかは誰にでも想像が付く。

「主上、式部卿は亡き左大臣よりもむしろ祖父の文忠公ぶんちゅうこうに似ていると思います」

 女東宮は豊成を称えた。

「ほう、豊成は文忠公に。だが東宮が小さい頃に文忠公は亡くなっておろう」

「はい。でも伝え聞く人柄や業績を聞くに、まだその十分の一も成し遂げてはおりませぬが、兵部卿はその質かと思えます」

「そうか。では朕の父帝の片腕であった文忠公のように、そなたも行く行くは東宮の片腕としてよく働くがよい」

「ありがたきお言葉にございます」

 豊成このような褒められ方をされたことがないらしい。少し涙ぐんでいるかのようである。

 今上帝は御存知になられないが、藤原家にとって文忠公こと藤原不比等ふじわらのふひとに似ているというのは大したことなのであった。耳の形が似てるというだけで誇らしい。


 信楽の行宮から瓶原みかのはらに今上帝が還御かんぎょなされたとたんに、近年にない大型の台風が畿内に上陸して猛烈な風雨をもたらすと、にわか造りの恭仁京の建物などはひとたまりもなかった。今上帝も雨漏りのする部屋で祟りに対する恐れに震えながら一晩を過ごす羽目になられたという。

 そんなこともあり、紫香楽宮しがらきのみやへの傾倒は、恭仁京くにのみやこへ戻ってすぐにさらに深くなられた。

「こりごりです。平城京ならのみやこならばこんなことは考えられませぬ」

 同じく恐ろしい夜を過ごした光明皇后は明けて台風一過の日に女東宮だけでなく近しい者達を呼んで当り散らした。

「主上は何を考えておられるのやら。玄昉げんぼう、そなた主上に何を奏上しておるのか」

 僧正玄昉は引き立ててくれた橘諸兄たちばなのもろえの立場から恭仁京遷都にも表立って反対はしないし、紫香楽への御幸はむしろ賛成しているらしい。それだけに皇后は玄昉に対しては不満がある。

「拙僧は紫香楽宮を理想の仏法の地として築きあげてはいかがかと考えております」

 玄昉は朝廷で信任を得ているだけに、逆に古くからの寺々からは嫉妬される。さらに、唐から持ち帰った経典や秘法を独占しており、何かにつけて真の仏法とやらを持ち出すものだから、旧来の僧達に受けが良いはずがない。諸々の大寺にとっては、いくら仏教に暗かった今上帝をその道に親しませても、これでは意味がないのだ。そのため、仏教界からは玄昉の評判は散々であるといってよい。そのため、玄昉は平城京を離れてその旧勢力の因習にとらわれない場所で一から仏法を作り直したいらしい。

「そなたたちはどう思っているのです」

 僧正玄昉の全く空気を読まない発言に、光明皇后は不満気である。そのために誰もが何もいえない。

 そこへ、県犬養広刀自あがたいぬかいのひろとじが息子の安積あづみ親王と娘の不破ふわ内親王、さらに皇族の塩焼しおやき王と共に入ってきた。

「皇后殿下並びに東宮殿下にはこのたびは」

 一同はこの天災に対する見舞いにやってきた。

「おお、広刀自。早速の心遣い、わらわは嬉しく思います」

 今上帝の東国御幸の際にはこの恭仁京の近くにある広刀自の父親の元で子供達と過ごしていたが、遷都に従い再び近習するようになっていた。

 塩焼王はかつて長屋ながや王と舎人とねり親王と共に政権を担当し軍事の総責任者であった新田部にいたべ親王の長子で、不破内親王の元に通うようになり、今では今上帝の許しも得てその婿となっている。

「身の回りのことなど手が届かぬこともあるかと思います。かつてのようにまたどうか御許でお世話をさせていただくことをお許しくださいませ」

「何の、主上の子を三人も成したそなたのことです。それには及ぶますまい。だがそなたの気持ちはありがたく受け取っておこうぞ」

 光明皇后にとってはこの広刀自は今上帝の寵愛を二分した憎き相手ではあるものの、その思いも時がたつにしたがって少しは和らいではいる。しかも母方の一族であることもあり、かつて自分の忠実な女官であったという懐かしさも、妬心を抑えさせている要因にもなっていたようだ。

「安積も大きくなったの。いくつになるか」

「十五になります」

「そなたは知らぬかもしれぬが、わらわの産んだ皇子も生きておればそなたくらいになっておる。そなたより一つ年上であったのだ」

「はい」

「これからはわらわを母と思うがよい」

「かたじけなく思います」

 安積親王は頭を下げた。

「これを」

 皇后は、はるか西域から送られてきたという青金石で飾られた紺色の玉帯を授けた。女東宮はあっという顔をした。いずれ帝位を継ぐ自分のものになるものだと思っていたからである。

「このような恐れ多い物はいただけませぬ」

「取っておくがよい。わらわの気持ちじゃ」

「有難き幸せにございます」

「不破もよく来やった。塩焼も。そなたたちのことは聞いておるぞ」

 両名は黙って礼をする。

 おかしな話ではある。正真正銘、天智帝と天武帝の地を引く今上帝の皇女たる女東宮ならばともかく、藤三娘とうさんじょうこと光明皇后には天照大神あまてらすのおおみかみの血が流れていない。一方で広刀自はともかく、安積親王はもちろん、不破内親王も塩焼王も皇族である。それが臣下の娘に頭を下げている。

 今まで女東宮は不思議に思わなかったが、なぜか今になって急に何かそれが頭に浮かんで離れない。

 考えてみれば、光明子こうみょうしが皇后としていられるのは、この女東宮があってこそであるはずである。しかしその阿部内親王は母からそれに値するだけの扱いを受けてきたであろうか。

 ふと、女東宮は藤原房前ふじわらのふささきが書き残した恐ろしい遺書を思い出した。女東宮は何か恐ろしい考えに至ってしまったかもしれず、頭からそのことを追い出そうとしたが、玉帯が安積親王に渡されたことが頭から離れなかった。

 考え事をしている間に、光明皇后と広刀自たちの会話は進んでいた。

「わらわはこの瓶原みかのはらがほとほと嫌になりました」

「しかしこの地は皇后殿下の故地ではありませぬか」

「わらわにとっては生地はあくまでも平城京ならのみやこです。ああ、兄がこんなことを言い出さねば、わらわは懐かしい内裏で何事もなく健やかな日々を送れたのです」

「なんとお可哀想な」

 広刀自は光明皇后の言うことに逆らったことはない。

「そうであろう。それに民も迷惑しておろうな」

 皇后が庶民のことを気にしているなどとは初耳であった。

「皇后殿下の仰られる通りにございます」

 塩焼王がすかさず同意した。新田部親王は藤原四兄弟には厚遇されたが、その子達は右大臣橘諸兄からは忘れられているかのようである。そのため、是非とも光明皇后の歓心をかっておきたいのであろう。

「そうか、そなたもそう思うか」

「はい。それに諸豪族も平城京を懐かしんでおります」

「それを誰かが主上に奏上してくれぬことには。わらわが言っても聞かぬのじゃ。さてさて、いつまでここにおらねばならぬのかの」

 明言はしなかったが、恐らく塩焼王は光明皇后のために、機会があれば今上帝に奏上するつもりであろう。

 ふと女東宮は不破内親王を見た。姉で伊勢斎宮いせのいつきのみやである井上いうえ内親王はもちろんまだその任にあるため、独り身であった。すると、姉妹の中で結婚が許されたのは末妹一人ということになる。不和内親王はまだ十分に若く、自らの容色が衰えてきたのではないかと恐れる女東宮よりも五歳も下であった。

 塩焼王が母皇后の信任を得れば、劣り腹でありながら女の幸せを得ることになる。それに比べ、皇位を継ぐ阿部内親王は幸運といえるのであろうか。


 女東宮はその後間もなく、安積あづみ親王を招いた。

「わたくしとあなたは母は違えどもれきとした姉と弟です。けれどもこのように疎遠にしていることは残念なこと」

「申し訳ありません」

「たしか十四でありましたな」

「明けて十五になります」

「あなたも知っていましょう。わたくしにはあなたの一つ上の弟がいたのです。でもろくに顔を見る前に死んでしまいました。その代わりというわけではありませぬが、もうそろそろ一人前になる年齢なのですから、母にばかり孝養を尽くさず、この姉にも親しく顔を見せるようにしてください」

「ありがたき言葉にございます」

 口数は少ないが、はきとした受け答えやきびきびとした所作に、県犬養広刀自あがたいぬかいのひろとじの躾の良さが現れているように思える。そのような女人のところへならば父も通いたくなろう。母の元へは藤原氏の権勢もあってか通わざるを得なかったであろうが、広刀自の元へは忍んでも訪れたかったのであろうことは想像出来る。

 今となっては父帝と母皇后の間には交情があるが、かつては何か複雑な関係だったのであろう。

 しばらくの間、互いに緊張があったが、やがて打ち解けてきたのはやはり姉弟だからであろうか。

「わたくしとあなたの間の関係は、先帝と主上の間に似ていますね」

 安積親王はびくっとしたようであった。

「太上天皇陛下と今上帝陛下は同母の姉弟とお聞きしておりますが」

「同じ腹でも腹違いでも姉弟には変わりありませぬ。ましてやそなたの母御はわたくしの母の一族の出ではありませぬか」

「そのようなご厚情、有難きこととは思いますが、軽々しくお受けするわけには参りませぬ」

 もちろん女東宮は弟に自分の次の帝はあなただと暗に言っており、それに対し安積親王は簡単に応じるわけにはいかないのであろう。何しろ今まで疎遠であった姉の言葉である。もう少し本当に打ち解けて姉弟の交誼を結び、その上で安積親王が成人するまで待った方が良さそうであった。別に急ぐ話ではない。何しろ女東宮はまだ実際に位を継いだわけでも、その日取りが決まったわけでもない。今上帝もまだすぐに崩御なさるというわけでもないし、そもそもはこのようなことは父帝が段取りを組まれるべきである。

 ただ女東宮としては安積親王と姉弟としての交際を始めたいし、自分の次の帝となることを歓迎しているという姿勢を示しておきたいだけであった。異母姉弟による結婚というのはともかくとして、房前の文の内容が真ならば、正統なる皇族は女東宮と県犬養広刀自の産んだ三人の異母姉弟しかおらず、男子はこの安積親王だけなのである。

 

 そういうわけで、藤原豊成ふじわらのとよなりが顔を出した時に、ふと安積親王の後見を頼めないかと思いたった。

「あなたは安積親王とは親しくしていませんか」

 突然言われて豊成も当惑していた。

「いいえ、まさか。吾が次の帝としてお仕えするのは東宮殿下のみです」

 どうやら、何か勘違いしているようであった。つまり安積親王を担いで女東宮の座を追い落とそうとしてはいないかという疑惑を受けたのではないかと思っているようである。

「そうではありません。親しくしていないのならば、親しくして欲しいといっているのです」

「はあ」

「ここだけの話ではあります。他の者にはまだ誰にもこのようなことは言っておりませぬ。漏れたらあなたからです」

「と、いいますと」

「わたくしの次の話です。わたくしの日嗣の皇子は誰になりましょうか」

「そんな先のことを」

「思わねばなりません。わたくしには夫がおりません。となれば、次の世に皇統を繋げるためには、誰かを選ばねばなりません。弟がおりましたが死にました」

「はあ」

 豊成は腑に落ちたような納得のいかないような何やら不思議な顔をしている。

「しかしもう一人弟がおります。あなたたちからすれば藤原の血を引いていませんから、目にはいっておらぬようですが」

「いいえ、そういうわけではございませぬ」

「しかし考えてもみなさい。主上自体がわたくしの祖父である文武帝と祖母である藤原宮子様との間の子。ならば安積親王も立派に文忠公の血は受け継いでおります」

「確かに」

「あなたにはまだ娘がおりませぬが、いずれ百能との間にでもできましょう。出来なければ誰かそなたに縁深い藤原の娘を嫁がせればよいではありませぬか」

「確かにその通りではありますが」

「ならば決まりました。そなたがこれからは弟の後見となりなさい」

 豊成はまだ突然のことに納得のいきかねる顔をしている。これが仲麻呂との器量の差かもしれない。仲麻呂ならば瞬時にこの話の利得を感じ取り、即座に受けていたであろう。

「弟をお呼びしなさい」

 女東宮は久米若女くめのわかめに声を掛けた。

「お呼びとお聞きいたし参上いたしました、東宮殿下」

 若女に先導されて安積親王が入ってきた。

 もちろん豊成よりも上座、女東宮より一段だけ控えて座るべきであるが、相手は大貴族の氏上うじのかみだけに遠慮して席を決めかねているような素振りを見せている。

「親王殿下、どうぞご遠慮なく上座へお座りなされ」

 豊成も待っている間に心の整理がついたのか、もう大物としての態度を取り戻していた。そうなれば父の藤原武智麻呂譲りの貫禄がある。そういえばかつての白皙はくせきの貴公子も最近は肥ってきた。

「どうしました。ここに座りなさい」

「はい」

 親王も腹を据えたようであった。この瞬間が親王の生涯で最も重要な一瞬になるに違いないのである。そして冷遇されてきた母や姉妹達の運も開けることになろう。

「こちらは見知ってはおりましょう。参議兵部卿の豊成です」

「はい」

 安積親王にとって藤原一族というのは母の広刀自を通じて、後見されているような生殺与奪を握られているような複雑な思いがあるに違いない。そしてこの豊成こそがその藤原一族の名目上の頂点に立つ男なのである。

「兵部卿はもちろん知っておろうな」

「もちろんのことにございます」

「安積親王、兵部卿はわたしがまだ若い頃から特に親しくしている者です。そうですね、豊成」

「はあ、ありがたくも」

「若い頃には馬鹿なことも共にやったものです。それほどの仲ですから、あなたもわたくし同様にこの兵部卿をこれからは頼りにすることです」

「はい、東宮殿下」

「姉と弟の仲ではありませぬか、堅苦しいですよ」

「はい、姉上」

「豊成もよいですね」

「は、こうなっては東宮殿下の仰せのままにいたしましょう。どうかこれからはこの豊成を父とも思ってくだされ」

「よろしく頼みます」

 ただこれは豊成にとって悪い話ではない。すでに女東宮の知己を得ている豊成にとっては、次代は安泰であろう。しかしその次となると、皇位の行方は不安定である。しかし女東宮が認め豊成ほどの人物が後見しているとあれば、安積親王が日嗣の皇子となれる可能性は高い。そうなれば、祖父の文忠公こと藤原不比等以上に権勢を思うままに出来よう。

「こういうのを奇貨居きかおくべしというのでしょうな」

 そう豊成がつぶやいた。唐かぶれの仲麻呂が言いそうな故事を豊成が言ったので、東宮は目出度いこともあってなにやらおかしく感じた。


 恭仁京くにのみやこ遷都以来、女東宮は父帝に従って政務の見習いのために側にいることが多くなった。もっとも今上帝の政務といっても儀式ばったことばかりであり、それらは前例と慣習によって明確に定められているため、特に難しいことではない。

 そのため、塩焼しおやき王が意を決して遷都を諌めた時、女東宮は父帝の隣にいた。

 塩焼王が三代の都にお戻りあるようにと言った時、今上帝の憤怒は女東宮が見たことがないほどのものであった。

 もちろんその奏上は右大臣橘諸兄うだいじんたちばなのもろえが不在の時を狙ったものであったため、今上帝はすぐさま諸兄を御呼びになられると共に、女東宮に意見を求められた。

「陛下の尊い御心を無にする不遜かと思われます」

「そなたもそう思うか」

「あの者は陛下のお隠れを願っておるのでしょう」

「なんと」

「帝位を狙っておるのやもしれませぬの」

 女東宮の言い分が無理があるのは分かっていた。だがこの遷都に思ったよりも反対が多く、未だに移住を渋る者達が多い現状では、父帝は信じたくなられるであろう。

 皇后が進言しても聞かないくらいであるから、塩焼王ごときが奏上しても全く意味が無いどころか、今上帝の憎悪を買うだけである。

 塩焼王は有力な皇位継承者であった。弟の安積親王の邪魔になる。異母妹の不破内親王と結びつけば、その子が行く行くは帝系を継ぐかもしれない。不破内親王は女の幸せと母の幸せに加え、皇統の主流となる幸せも得るのかもしれない。

 この塩焼王の奏上と女東宮の言葉を後で聞いた諸兄は、塩焼王にしかるべく制裁を与えるように奏上し、それはもちろん今上帝に受け容れられた。そのために塩焼王は突然伊豆国へ流されたのである。

 その直後に畿内一円に大地震が起こり、台風に耐えた恭仁京の建物もこれには倒壊を余儀なくされた。

「恐ろしきことだ。これも広嗣ひろつぐの祟りであろうか」

 父帝が女東宮にそう漏らされるが、その通りかもしれない。何しろ恭仁京は平城京の鬼門にあたる。縁起の良い地であるはずがない。

紫香楽しがらきはまだ出来ぬのか」

 今上帝はもう御待ちになれぬと年の暮れにも関わらず、二週間後にはもう甲賀信楽こうかしがらきへ御幸なされた。

 光明皇后は信楽への荒れた道にはほとほと嫌気がさしていたので同行せず、鈴鹿すずか王の他に藤原仲麻呂ふじわらのなかまろなどが留守居で残り、女東宮は父帝に従った。

 だが、信楽の地は高原であり、しかも盆地である。冬の気候が厳しいのは言うまでもなかった。特にまだ行宮が未完成で垣根とて育っておらず、蒲柳ほりゅうの質である今上帝には堪えられた御様子であらせられた。

「どうか御身体に障ります。季節が良くなるまでは恭仁大宮でお過ごしくだされ。皇后殿下もお待ちしております」

 右大臣橘諸兄は心を込めて進言しているようであった。そのため、新年正月一日こそ紫香楽宮で過ごしたが、意地を張っていては御身体に障るということで四日間の滞在で正月二日には恭仁京へ還御為さらざるを得られなかった。

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