第2部 天平十三年 女東宮24歳
翌年の秋になると、
「久しくあなたに会えなくて寂しかったのですよ、東宮」
今上帝に次いで先帝は女東宮に声を掛けられた。父帝が先帝を甕原宮の外にまで御出迎えに御出でになられたのに東宮も同行したのである。
「わたくしもです、陛下」
甕原まで女東宮は先帝と同じ車に乗った。
「三代の都を捨てるとは、今上も何を考えていることやら」
先帝は明らかに不満げであられた。それもそうであろう。突然に
「父さまにも何か考えがあってのことと思います」
女東宮も一応は父帝を庇った。
「どうせ何かの怨霊に怯えているのでしょう。すぐに分かります。わらわはあの子の母親なのですから」
正確には伯母であるが、今上帝の生母が精神を患ったこともあり、また先帝から帝位が譲られたことからも、擬似的な親子であるといえる。
「それに水の問題もあります。この地に都を移してより、官人も増え都人も増え。少し雨が降らぬとたちまち飲む水も不足しているというではありませぬか。何よりわらわに何の相談もないというのが許せませぬ」
先帝が帝であらせられた頃にもさほどの実権を御持ちであったわけでもない。譲位なされた後は、今上帝が最も頼りになされたのが先帝であるだけに、逆に権力が増されたくらいである。しかし徐々に今上帝は先帝を御頼みなさらなくなっている。それというのも、
今上帝は橘諸兄と藤原一族の後見を得て磐石の権力を得られていらっしゃるのに対し、先帝を守り立てていた皇族たちはすでにこの世にいない。
「父さまはまだ怯えています」
「先に日蝕がありましたしなあ」
三月の日蝕での父帝の震えようは、帝としての御威厳も台無しであられた。すでに僧正玄昉の進言で無闇な殺生を禁じる命令を全国に出して仏法により帰依し、全国に
「昔、わたくしが陛下のところへ遊びに行っていた時にも蝕がありましたね」
「ええ、私も覚えています」
「わたくしも昨日のことのように」
「その時には吉備内親王もおりました」
左大臣長屋王の正室で、先帝の妹である吉備内親王は、左大臣の死を知り絶望して子達と共に自殺したという。
「叔母上はなぜ自ら死を選んだのでしょう。父さまが叔母上を生害なさることなど考えられません。現に
「あの子は左大臣を、長屋親王を愛していたのです。前途をはかなんだのではありません」
その口ぶりから、先帝は吉備内親王の死は自殺だと信じているようであった。
しかし女東宮は、伯父の武智麻呂が左大臣同様に自殺を強要したのではあるまいか、などと最近は恐ろしいことを考えるようになった。だとすると、伯父達の死は左大臣だけでなく吉備内親王の怨霊でもあるのかもしれない。
「民の移住は進んでおらぬようですね」
先帝は話題を変えられた。
「はい」
すでに春には強制的に甕原に移住するように詔が出ているが、それでも従わない者は少なくない。庶民ももちろんであるが、豪族達もみすみす橘氏の故地に都を移し、藤原・橘政権を磐石のものにさせることに抵抗がある。
「わらわも同じです。住み慣れた平城の都から移って何になろうか」
先帝はお寂しそうにつぶやかれた。
今上帝は知らず知らずのうちに親政のようなことをなされているだけで、先帝の影響下からの独立などどは露とも考えていらっしゃらないのは間違いはない。元々は御身体も健やかではなく、帝としての行事をこなされるだけで精一杯の今上帝にとっては、
「朕は母上の身を案じてお呼びしたのです」
などと慌てて言い訳をなされた。そして平城京がどれだけ怨霊にまみれているのかというのを訴えになられ、そんな魔都に親愛なる先帝を久しく在らせられることなどできないと心の底から御語りあそばされたため、どうやら先帝も少しは気分をよくしたらしい。今上帝が政治的影響力を失った先帝を昔同様に大切に敬う心を失われていらっしゃらないのは明白にみえるからである。
一方で
先帝は藤原の血を全く引いておられない。そのため、祖母の
そんな藤原氏からさらに送り込まれた
先帝は昔から女東宮こと
そのため、橘諸兄が主宰する政権が先帝を除け者にしようとするのは光明皇后の意図にも適っていた。
女東宮は母の光明皇后と違って広刀自に対する思い入れはない。今上帝が手を付けて
むしろ女東宮は母皇后が本当は嫉妬で狂いそうなのを、かろうじて理性と残った情で繋ぎとめているだけなのに違いないと思っていた。その憎悪はようやく押さえ込まれているだけで、ちょっとしたことで噴出するに違いない。
そのため、女東宮は広刀自を今では快く思ってはいない。だが広刀自にすれば主筋でしかも東宮なのであるから、早速とばかりに訪問の先触れを送ってくるのは当然である。
「東宮殿下におかれては」
そう広刀自が頭を下げると、その両隣の安積親王と不破内親王も同様にした。
「皆もお元気そうで何よりです」
こうしてみると、腹違いの弟である安積親王もすっかりと大人びてきた。女東宮よりも十年下だから、十六歳になっている。
特に盛り上がる話でもない。時候のやりとりと、光明皇后がご健康かどうかなどという応答があっただけである。
ふと女東宮は
だとすると、房前の言うように、この安積親王と女東宮が結婚して男子を設けるのが最も現実的なのではないかと思うようにもなる。一度そう思うと、頭から離れない。異母姉弟間の通婚は今ではあまり行われないが、祖父の藤原不比等と藤原麻呂の母は異母兄妹婚であった。
冬になると、
「東宮殿下にはいく久しく」
「堅苦しい礼は良い。そなた達とわたくしの仲ではないか」
豊成は三十七歳になり、もはや立派な官人である。正四位下にして兵部卿で、参議も兼ねている。実質的な藤原一族の長は
「夫は我が子を平城の都に連れて行くといいます」
百能はそれが不満らしい。
「もう十一ではありませんか」
豊成にすれば生さぬ仲の
「いつかは親離れせねばなりませんよ」
などと女東宮は言うが、自らが産んだ子は一目も見ることも出来ずに別離を強要され、生さぬ仲の百能の子はこうして今でも可愛がられて親離れをそろそろ、などというのは皮肉に感じた。
百能はふくれたが、二十一歳にもなっても幼い頃の仕草と変わらない。
「ところで東宮殿下はどうお考えでしょうか」
豊成は出し抜けに話題を変えた。
「何のことです」
「
女東宮は豊成の真意を測りかねている。
「分からないことをいいますね」
「右大臣のことです」
「何か不満でもあるのですか」
「殿下はご不満をお持ちに見えますが」
いくら東宮とはいえ、右大臣の諸兄の批判など軽々しくはできない。何しろ伯父でもあり、父帝の一番の寵臣でもあり、政権の首班でもある。
「何でしょうか」
「吾にはあります」
これには女東宮も驚いた。諸兄がこれを聞いたら泣くことは間違いない。何しろ諸兄が最も引きたてようとしており、また立てようともしているのはこの豊成なのである。
「どういうことです」
「吾もすでに若造ではありませぬ。氏上として一族を吾が統率して何の不思議がありましょう。右大臣は藤原の婿とはいえあくまでも他姓の者ではありませぬか」
確かに女東宮にとってみれば橘氏は母系にあたるが、豊成にとっては何の関係もない。
「だが右大臣はそなたを引き立てているではないか」
「そんなものは形だけです。形だけ立てている素振りはいたしますが、決して実権は渡そうといたしませぬ。それどころか相談さえもせず、
女東宮は黙ってうなずいた。
「
女東宮を信頼しているのか、または女東宮が諸兄をしっくりといっていないのを確信しているのか、豊成は大胆である。いくら藤原氏の氏上とはいえ、諸兄の怒りを買えばまだ
だが女東宮にも豊成の気持ちは想像できた。亡くなった藤原四兄弟は四人で様々なことを相談していた。例えば長兄の武智麻呂や次兄の房前も末弟の麻呂の言を容れていたこともある。だが諸兄はそうではない。豊成や
だが諸兄はともかく、真備に関しては女東宮は認識を大いに改めざるを得なかった。この甕原において父帝は真備を東宮学士に任命したため、女東宮はその教授を受けることになっている。この東宮学士は女東宮の想像以上の博識であり、答えられないことなど凡そないようであった。
「そしてこの遷都です。藤原の庇護者を自認しておきながら、新たなる宮は橘の勢力地ではありませぬか」
つまり諸兄は当分はその政権の主催者の地位を豊成に禅譲する気はないらしい。いや、本当に将来には禅譲する気があるのか。それが豊成には不安でもあるようだ。
「兵部卿、あなたずっと以前に日蝕があった時の事を覚えていますか。もう十数年も前のことです」
「さあ、しかとは」
「わたくしははっきりと覚えております。主上は百官を引き連れ、この甕原で騎射をさせ、魔を払おうとしました。ここは平城京からみれば鬼門。主上が恐れているのは平城の都への祟りではありませぬか」
「なるほど、この甕原は平城京への怨霊の通り道」
「太宰少弐の怨霊を恐れるならば、もっと東でなくてはならないのではないかと思うのですが、違いますか」
豊成はうなずいた。
実はこれは女東宮の知識ではなかった。藤原仲麻呂である。女東宮は仲麻呂のその思考を真備にぶつけてみたが、真備はそれを否定しなかった。だが女東宮はその出所を敢えて豊成には言わなかった。それというのも、以前は良好であった兄弟仲に最近では何かがあるように感じられるからである。どうも光明皇后が仲麻呂を贔屓にして露骨に豊成を無視するかのような態度を取るためのようであった。だから仲麻呂の発案と知れば採用しないであろう。
女東宮は右大臣橘諸兄の政権に不信感を抱いていたからこの遷都が失敗すればよい気味である。
遷都の作業というのは女東宮が想像するよりもはるかに難事であった。そのため、女東宮といえども今上帝に諸兄のいないところで話をする場というものはなかなかない。
だが一月も経たないうちに、あっけなくその機会は向こうから訪れた。父帝が東宮房に御幸くださったのである。
「右大臣が新都に相応しく名を改めようと申してな、この大和の国の大宮であるからな。
「その恭仁宮でありますが」
女東宮は言いにくそうにした。
「どうした。よき名ではないか」
「ここは平城京の
「それで」
「鬼門ではありませぬか」
父帝は明らかにはっとなされたようである。
「怨霊が西から来るのならば、もっと東でなければなりませぬな」
父帝は何も仰らなかったが、心に御刺りになられたことはまず間違いない。なぜならば、そのあと数名の者達に下問なされたらしいからである。特に下道真備には詳しく話を聞かれたようで、その後に女東宮が授業を受けた際にそのことを知った。
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