第2部 天平十二年 女東宮23歳

「東宮もようやく甕原みかのはらから帰られて、一族がこうして集まれて、ほんに良いことです」

 光明皇后こうみょうこうごう内裏だいりの南苑において藤原四家やそれに連なる主だった者達を集めて祝宴を開いた。女東宮の快気祝いを兼ねており、女東宮は皇后の隣にその物憂げな顔を見せていた。

「皇后殿下と東宮殿下にお祝いを」

 藤原一族の名目上の長である氏上うじのかみは、亡き藤原武智麻呂の長子である藤原南家の豊成とよなりである。

 他に従五位下以上の位を賜っているものは、その弟の仲麻呂なかまろ乙麻呂おとまろ房前ふささきの藤原北家からは、鳥養とりかい亡き後は北家を継いだ永手ながて宇合うまかいの式家からは広嗣ひろつぐがいる。

 末弟麻呂の藤原京家を継いだ遺児の浜足はまたりはまだ十六歳と若く、任官されていなかったが、この場には出席していた。他にもまだ低位や無位の四兄弟の息子達が顔を見せている。

 京家の出としては藤原百能ふじわらのももよしが南家の豊成の正室に収まり、北家の藤原宇比良古ふじわらのおひらこはその弟の仲麻呂なかまろに嫁いでいた。百能と宇比良古は従姉妹同士で共に女東宮に鍾愛されていたから、仲が良い。仲麻呂を間に挟んでしきりに会話を続けているので、やがて仲麻呂が席を変えると隣同士で楽しそうにやっている。

 豊成の向かいの席には一族の長老格で政権の主宰者にして光明皇后の異父兄の橘諸兄たちばなのもろえが場を占めていた。諸兄の息子は奈良麻呂ならまろで、まだ六位であるために末席の方で房前の息子達である真楯まだて魚名うおななどと一緒であった。諸兄の隣には女東宮が顔を見るのは久しぶりであるが伯母の藤原多比能ふじわらのたびのが得意げな顔をしている。多比能は同母姉の藤原長娥子ふじわらのながこを伴っており、長娥子のさらに下には亡き長屋王との間の三人の息子達が並んでいた。長娥子は吉備きび内親王と長屋ながや王の寵を競っていた頃の面影はなく、今ではひっそりと暮らしているらしい。

 女東宮の側にはまだ無位の藤原千尋ふじわらのちひろが控えており、雑用を言付かる役目となっていた。藤原房前の子で、その死を今上帝や女東宮に報告に他の兄弟達が参ってきた時に随伴し、房前の遺言を女東宮に渡した若者である。十九歳だというから、少し年下であるが、もう立派な青年である。

 しばらくその千尋と世間話などをしていると、仲麻呂が前に進み出て光明皇后の席の前に座った。

「新妻を放っておいてよいのか」

 光明皇后が冗談を言う。

「妻の機嫌などいつでも取れます。それよりは女東宮様のご快気を喜こばせてくだされ」

「そなた男っぷりがさらに上がったの。女遊びはほどほどにするがいいぞ」

「皇后殿下、それは誤解であります」

 皇后は仲麻呂と豊成の顔を見比べているようであった。豊成は先の流行り病の爪痕がはっきりと顔にも残っており、どうしても皇后は仲麻呂贔屓というよりも豊成に嫌悪の情を思わせるようである。同じ生き残った者でも爪痕の軽重の差はあったが、豊成はひどかった。

 やがて女東宮とは見知った中でもある広嗣もやってきて、皇后と女東宮の母娘の周りも賑やかになってきた。

「やはりわらわは藤原の娘。一族に囲まれてこんなに嬉しいことはありません。本当ならば宮子姉さまがここにいらっしゃればと思わぬでもありませんが」

 皇后の異母姉で今上帝の実母の藤原宮子は、回復気味にあるとはいえ、このような大勢に囲まれた場所にはとてもではないが出てこられない。

「それならば皇后殿下、どうせならば一族のみで集まればよかったではないですか」

 広嗣にはかなり酒が入っている。

「何を言う。ここには藤原のものしかおるまい」

「いえ、藤原の姓でない者がおります」

「誰のことを言っているのじゃ」

「そこにすましておられる右大臣様のことです。

 諸兄は内心平静を装っているが、一瞬の動揺は見えた。

「何を言う。諸兄はわらわの兄ぞ」

「吾等とは血が繋がっておりませぬ。大織冠たいしょっかん様の血を引く吾等とは違います」

 諸兄は亡き藤原不比等ふじわらのふひととはもちろん、その父である大織冠こと鎌足の血も引いていない。

「この諸兄は文忠公ぶんちゅうこうの婿、つまり義理の子である。そなたとは義理の叔父と甥の関係ではないか」

 諸兄は温厚な態度である。

「いいや、右大臣様は藤原一族ではない。その証拠に吾等一族を軽視し、身分の低い者を重用している。挙句に吾を邪魔とみて大宰府に飛ばした」

「軽視などしておらぬ。その証拠にそなた達の父親達が薨じた後、急遽位を上げたではないか」

「かろうじて上げた程度ではないですか」

「何ということか。この私が藤原への忠誠を疑われるなどとは、夢にも思わなかった。この私がどれだけ藤原のために尽くしてきて、今も尽くしているのか。亡き文忠公と義兄弟たちの遺児のために、どれだけ心を込めておるのか、そなたには分からぬか」

「分からぬ。あなた様が何をしたというのです」

「おやめなさい。広嗣、そなたが間違っております。諸兄は主上と藤原氏のために動いております」

「皇后殿下はたぶらかされております。この男に委ねては、やがて藤原は力を失い、衰退するでしょう」

 それを聞いて、光明皇后も甥とはいえ見過ごせなくなった。

「広嗣、そなたという子は。もしもそれ以上何か言ったならば、わらわにも考えがあります」

「いいえ、やめませぬ。この男の本性を暴かねば、吾らの先はありませぬぞ」

「だまらっしゃい」

 皇后は顔を真っ赤にしている。

「こんな祝宴で無粋ではありませんか」

 仲麻呂は先ほどから従兄弟の暴走をなんとかなだめようとしている。

「いいえ、大切なことです。さあ広嗣、言い分があれば述べなさい」

 光明皇后があくまでも諸兄をかばう姿勢をみせた。

「なりませぬ」

 仲麻呂は広嗣にこれ以上の無体な真似をさせまいとしている。

「広嗣、今日のことは不問にいたします。そなたはもう帰るのです。二度とは許しませぬぞ」

 広嗣はまだ何か言いたげであったが、酔いが覚めたか頭を下げて出て行った。

「どうしたというのじゃ、あの者は。昔はあのような子ではなかったはずではないか」

 光明皇后は首をひねっている」

「そなたは広嗣とは親しかろう。何か聞いておらぬか」

 女東宮は仲麻呂に尋ねた。

「それは、言ってよいものか。実は大養徳やまと守から大宰府少弐だざいふしょうにへの昇進を左遷と思っているのです」

「なんと」

 諸兄が驚いた顔をした。

「大宰府は九州の要地。一族の利益のためにもあの者に任命されるよう骨を折ったというのに」

 広嗣の父である亡き宇合は大宰府のそちを兼ねていた。まだ官位が低い広嗣がすぐにその長官職を襲えるはずもなく、大宰府少弐は官位相当である。

「ほんに。宇合の跡を継ぐものとして大宰府に送られて何の不満のあるものか」

 皇后もうなずく。

 確かに亡き宇合は大宰府の帥とはいいながら難波宮の造営責任者でもあり、畿内で活動していた。それに比べれば一年の半分以上を大宰府で過ごし中央に全く関わりのない広嗣は、父と比べれば物足りないかもしれない。だが宇合は遣唐副使や常陸ひたち守と房総の按察使あぜちをこなし、蝦夷えみしの反乱を平らげてきた実績のある男である。

「ありし日の宇合と比べてしまうと、自らの無力さを実感しているのでしょう。だが宇合もまだ広嗣の年頃では同じような官位で地方官でした」

 諸兄は宇合よりも十歳年長である。名ばかりの皇族にしては不比等の婿として恵まれていたが、それでも宇合はあっという間に葛城王であった頃の諸兄を官位で追い抜いていった。しかしそれでも宇合は下級の官位から順を追って昇進していったことを諸兄は指摘している。

「兄達が亡くなったからといってその子達がそのまま同じ地位を引き継げると思っているのではあるまいな」

 光明皇后は母の橘三千代から、父の藤原不比等が祖父の藤原鎌足ふじわらのかまたりの権勢をそのまま受け継いだわけではないことを聞かされていた。天智てんじ朝の中心であった鎌足亡き後、天武てんむ朝で不比等が重用されるはずもない。しかしその才を持統じとう帝が見つけ鍾愛したからこそ自身の権勢があるわけで、素性確かな者という意味以外では父祖の遺産を活かしたわけではなかった。だからこそ不比等は四人の息子達に早くから実力を付けさせたのであり、そのために不比等の死後も四兄弟は権勢を維持できたのである。そして今度は四兄弟が同じ事を行おうとしている矢先に流行り病が彼らを襲った。だからこそ諸兄は義兄弟に成り代わって遺児たちを善導しようとしているのである。玄昉げんぼう下道真備しもつみちのまきびのような身分は低いが実力のある者を抜擢したのも、ひとえにまだ遺児達が年齢も経験も不足しているからであり、逆に他姓の者を重要な地位につけまいという意図も働いている。

「やがて分かってくれると思います」

 諸兄はそういって杯を空けた。

「仲麻呂、そなたきちんとあの者を諭すのですよ」

「はい。しかし皇后殿下、私も気持ちが分からないわけではありませぬ。特に玄昉、あの者は」

「おだまりなさい、そなたまでそのようなことを言うのですか。わらわを失望させるでない」

「これは失礼いたしました。以後は二度と」

「そうしてくれ」

 広嗣が物心付いた頃には藤原氏の権勢が確立している。そのためか、藤原の世の中というものが当たり前に思えているのかもしれない。

 一方で仲麻呂は玄昉に対してはまだ恨みを持っているようであった。仲麻呂は失礼しましたと下がっていった。

「さあ、楽しい席ぞ。仕切り直せ」

「では母上、豊成を呼びましょう」

「いや、豊成はよい。仲麻呂を呼び戻すがよい」

 光明皇后はこのような目出度い席に豊成の痘痕だらけの顔を見たくもないのであろう。かつては美青年であった豊成も九死に一生を得たものの、それによって皇后の寵愛を失ってしまった。それよりも同じく端整な顔立ちである仲麻呂を、その才能を含めてすっかりと気に入っているようである。

「仲麻呂こそ国の柱となる人物ぞ。よくぞ兄さまもこのような男を遺してくれたもの」

 確かに豊成は無能ではなく、かえって氏上に相応しい温厚さと長者然とした老成さを持ち合わせているが、その頭脳は鋭くはない。鋭利な刃物のような仲麻呂の能力を皇后は稀代のものと感じていたのである。かつて四兄弟の頭脳であった房前の後継者こそが仲麻呂であり、逆に房前の後を継いだ永手などは鈍重で見ていられないとこぼすほどであった。


 光明皇后は最近では女東宮を呼んでは愚痴をこぼす毎日であった。

「いったい何が悪かったのであろうか」

 それに対し、女東宮は右大臣橘諸兄のやり方が冷たすぎたと思っているが、皇后はそれには決して肯んじない。

「広嗣がまさかあんなことをするとは。何かの間違いです」

「大宰府少弐は玄昉と真備の重用を改めるように申してきたそうです。このお二人を重用させているのはまさに右大臣ではありませんか」

 女東宮は諸兄に対し批難めいたことを言って以来、母皇后の機嫌が途端に悪くなったため、今日まで適当な相槌を繰り返してきた。だがあまりにもそれが続くと気がめいってくる。

「何を言うか。兄は間違っておらぬ。ならば間違っているのは玄昉と真備じゃ」

「しかし玄昉は父さまが深く信頼なさっておられます。母さまも心酔していらしたと思いますが」

「ならば真備じゃ」

「真備は今では右大臣の片腕ではありませぬか」

「黙らっしゃい」

 このように責任転嫁が袋小路に来ているため、皇后もどうしようもない様子であった。

「これはご無礼を。それではご気分を害されたようなのでわたくしは」

 自分がどのくらい母から頼られているのかを知りたくてか、つい突き放すようなことを言ってしまう。

「お待ちなさい、女東宮。行ってはなりませぬ。そなたに行かれてはわらわは誰を頼ればいいのです」

 母に対する複雑な思いが女東宮にはある。そして母がまだ夭折した弟宮の死から立ち直れていないことも知っており、自分はその次なのも気付いている。だからといって女東宮は母に対する思いは断ち切れない。どうしても幼い頃の愛情を一身に受けていた時を思い出してしまうのである。

「さあ、女東宮、お座りなさい。誰か菓子でも持って来やれ」

 女東宮は諦めたかのように再び座に戻る。

「それにしてもどうなってしまうのであろうかの。まさか広嗣の首は打つまいの。まさか殺しはしないであろうの。式部卿があの世でどれだけ悲しむか分かりません」

 式部少輔こと藤原広嗣の父である式部卿兼大宰府帥であった宇合が広嗣と共に由義の里を訪れてくれたことは、昨日のことのように思い出された。あの時から女東宮の最も寵愛する女官である久米若女くめのわかめは宇合と男と女の関係になるきっかけとなったのである。その久米若女は女東宮の妊娠の身代わりとなって流刑の憂き目にあった。女東宮は不自由のないように米や衣類を下総に送ったが、申し訳なさが消えたわけではない。父帝に強く懇願したため、今年六月の大赦の恩恵に預かり、再び女東宮の女官となって今ここでも側に控えている。一方で当事者の一人である石上乙麻呂はその列からは漏れた。

「母さま、大宰府少弐は紛れもなく父さまに反逆したのですから、免れられぬと」

「なんと、そなたは血も涙もない。主上がそんなに血も涙もない方とお思いか」

 大宰府へ帰った広嗣は、期待にたがわず一年ほどで北九州の勢力を纏め上げたらしい。なぜならば、玄昉と下道真備の排斥を求める上表を送りつけると、兵を挙げたのである。

 乱は程なく鎮圧の目処が立ったが、藤原腹から生まれ、藤原の娘を皇后とし、藤原一族の者を大いに頼りにしている今上帝はこれに大きな衝撃を受けた。藤原の者が兵を動かしあろうことか帝に歯向かったからである。

「それにしても何ゆえに広嗣はあのような大それたことを」

 女東宮は諸兄に原因があると分かっていた。諸兄は兄事していた長兄の武智麻呂むちまろ及び次兄の房前ふささきの子供達と、自分より年下であった宇合うまかい麻呂まろの子供達とをはっきりと区別した。武智麻呂の子である豊成とよなりはもちろんであるが、房前の子である永手ながても中央政界での枢要を占めるべく位置づけたのである。一方で宇合の子である広嗣は一族の藩屏として位置づけて西国の要衝大宰府に送り込んだ。麻呂の子である浜足はまだ幼少であるために官位は与えていない。

 こうなると、広嗣にとっては父宇合は武智麻呂と房前の同母弟として同格であったという意識があるだけに、受け入れられない。しかし一族の長老である諸兄には表立っては反抗できないため、玄昉と下道真備を君側の肝として排斥を要求し兵を挙げたのであろう。玄昉と下道真備の重用は諸兄が密接に関わっている。この両者の排除は諸兄の影響力低下をもたらすであろう。

 宇合の威光は筑紫では大きなものであったらしく、広嗣とその弟達は北九州の豪族から兵を集めたが、しかしその相手が中央の朝廷だと知ると離脱が相次いだらしい。しょせんは宇合一代の威光も中央政府あってのものである。広嗣は朝廷に対する反乱ではなく、その朝廷に巣食う逆臣を懲らしめるためだと説明した。多くが脱落したが、それでも恐らくは兵は残った方であろう。逆に大養徳やまとの朝廷に対する反感からか駆けつけた豪族もあったのかもしれない。

 いずれにしろ北九州で一敗地にまみれた広嗣と弟達は敗走し、乱は失敗に終わっている。後は逃れた者達を捕縛し、あるいは成敗するのみであった。

「この地の怨霊のせいでありましょう」

 女東宮は最後にはそう言って母皇后の気を紛らわせてやることにした。

「そうです。その通りです。だから加持祈祷を絶やしてはならないのです」

 そういいながら、やっと母皇后は愚痴を言い厭きたらしい。


 今上帝は百官を引き連れて突然伊勢へ御幸なされた。

 女東宮は先帝と光明皇后と共に伊勢までは同行することに決まった。今上帝はこの後は伊勢を北上して尾張の熱田あつた神宮まで参るという。

 女達はそんな長い旅程を厭い、この後は平城京へ戻る。

「それにしても寂しいこと。百官は皆んな主上に付いて行ってしまいました」

「母さま、それでは兵部卿ひょうぶきょうを呼びましょう」

豊成とよなりか。あの者はよい」

 藤原氏の氏上うじのかみである豊成は鈴鹿王と共に平城京の留守居役を命じられたため、女東宮たちの警護を兼ねて今上帝の一行と離れて伊勢に残っている。鈴鹿王はこちらには来ていない。

 鈴鹿王は高市たけち皇子と藤原不比等の姪にあたる但馬たじま皇女の間の子であるから、長屋王の異母弟であり、今となっては藤原氏も大切にしている。

 女東宮は、流行り病を患って以来、痘痕顔の豊成を母皇后が嫌っていることにもちろん気付いており、何とかこれを解消したいと思っていた。

「母さま、豊成は信頼の置ける者です」

「そうは言っても嫌なものは嫌じゃ。あの顔を見ると兄達が亡くなったことを思い出す。ああ嫌だ。主上も何だってあの者を留守居にしたのであろうか。どうせなら仲麻呂を残してくれればよかったではないか」

 豊成の弟である藤原仲麻呂は行幸の前衛となる騎兵の大将軍に抜擢されている。むしろその大役を仲麻呂にやらせるよう懇願したのは皇后であった。

 一通り母の愚痴を聞くと、皇后も満足したのか、旅の身支度もあって女東宮も退出できた。

 自分の割り当てられている部屋へ戻ってしばらくすると、やがて先帝の御訪れがあるという先触れがあったため、女東宮はまだ荷造りにいれていなかった香を焚かせた。

「おや、よい薫りですね」

「はい。昔に房前がくれたものがまだ残っていましたので。これで最後になります」

「まあ、そんな大切な物を」

「以前に先帝陛下がお好きだとおっしゃっていましたもの」

 二人は一礼すると、先帝を上座にして相向かいになった。先帝の大勢の女官たちと女東宮の女官たちは左右に分かれて控えた。

 とりあえず時候の挨拶を済ませる。

「せっかくの良い御馳走をいただきましたが、実は今日は東宮と内宮に行きたいのですよ」

 一同は外宮にいる。

「もう一度詣でるのですか」

「いいえ、そうではありません。よろしいですか」

「はい。もちろん陛下の仰せならば」

 二人は供の者を最小限にし、輿を用意して内宮へ向かう。その先導をするのは藤原房前の一子である千尋ちひろで、女東宮はかねてからこの者を警護で側に置いている。

 先帝は女東宮を正殿でなく、そのすぐ北の小高い場所へ誘なわれた。

「ここは」

「さあ、行きましょう、東宮。そなたたちはここで待っているように。誰も近づけてはなりませぬ」

 先帝は石段の下にお付の女官や警護の兵たちを残し、ゆっくりと上っていかれた。

「ここは以前からある宮です。下の正殿は新しいものなのですよ」

「そうなのですか」

「今は知る人も少なくなりましたが、神宮といえば元々はここなのです」

 無論のこと伊勢に来たのがはじめてである女東宮には初耳であった。

「伊勢は以前から天照大神あまてらすのおおみかみ様をお祭りする大切な場所ではありました。しかしここを大きくなされたのは天武てんむ帝。そしてさらに作り変えたのは私のお祖母さまなのです」

 先帝の祖母というと、天武帝の皇后であり、自らその後を襲った持統じとう帝のことであられる。帝位はその後、二人の間の唯一の皇子である草壁くさかべ皇子の息子の文武もんむ帝、そしてその皇子である今上帝へと受け継がれておられた。その親子の間には、草壁皇子の妃で天智てんじ帝の皇女であった文武帝の母の元正げんしょう帝、そしてその二人の子で文武帝の姉である先帝がおわすが、本流は天武~文武~今上帝といってよいはずであろう。天武帝と文武帝の間の持統帝、そして文武帝と今上帝の間の元明帝と先帝は中継ぎといっては言いすぎであろうか。

「持統帝のことですか」

 女東宮は持統帝どころか祖父の文武帝と祖母の元明帝の顔すらしらない。

「そうです。そなたは日本紀にほんぎはもう読まれましたか」

「はい、それはもう」

「東宮博士が教えてますか」

「いえ、真備まきびではなく、自分で読んでおります」

 下道真備は今では東宮博士として勉学の教授にあたっている。

「紀は誰が作ったかご存知か」

「はい、舎人とねり親王と聞いております」

 舎人親王はすでに亡くなっているが、先帝の御代において長屋王と新田部親王と共に皇親政を支えた一人である。

「最後に奏上したのが舎人親王にすぎません。そもそも日本紀は天武天皇が編纂を命じたものです。神代の時代から人の世になり、編纂もそこまで進んだところで天武天皇がお隠れなさったので、持統天皇が引き継ぎました。その主な作業をしたのが文忠公です」

 思わぬところで祖父の藤原不比等の名前を出されてこられた。

「今でこそ藤原は春の世を迎えておるが、文忠公が若い頃は天武天皇の御代。文忠公は天智天皇の寵臣の息子でしたから、不遇でした。そなたも存じておろうが、壬申の大乱で天智天皇の子孫は没落し、まだ若かったから罪には問われなかったものの、文忠公の前途は閉ざされていたのです。だが持統天皇は天武天皇の妻というよりはむしろ天智天皇の皇女であることを誇りと思っていた方でした。そのため、天智天皇の寵臣である中臣史、つまり文忠公を引きたてたのです。無論のこと文忠公の実力あってこそですが」

「全然知りませんでした」

「もうこのあたりの事情を知る者も少なくなってきました。そなたの母の橘三千代が文忠公の後妻となった頃はもう藤原氏は臣下として第一となっておりましたので、そなたが知らぬのも無理がありませぬ。文忠公がまず最初に持統天皇の右腕として行ったのが、日本紀の編纂でした。ですから、日本紀は持統天皇の意向を文忠公が受けたものなのです」

「はい」

 女東宮は全く知らなかった。日本紀の編纂に祖父が大きく関わっていることなど、読んでいるだけでは全く分からない。

「これから申すことは皇位を受け継ぐ者のみが知るべき秘事です。そなたを東宮として認めるからこそ話せることなのです。今、このことを知るのは今上とわらわだけ。無論のこと光明皇后にも話してはなりませぬ」

「はい」

「もっとこちらに近づきなされ。そう、もっと隣に」

 女東宮は先帝の顔つきが変わられたのに気がついた。二人の周りに女官の一人もおらず遠ざけられているのは、前もって先帝がこのことを女東宮に御語りになられる御積りであったからであろう。先帝は声を落とされた。

「天武天皇と天智天皇がご兄弟というのは半分は本当ですが、半分は嘘です。天武天皇の父は舒明じょめい天皇ではありません」

 女東宮は先帝が何をおっしゃられているのが一瞬分からなかった。ようやく頭で言われたことを理解したが、とても信じられない。だが思い直してみると以前にもらった伯父の藤原房前の文にも天武帝が天照大神の血を正統に引いていないとあった。つまりそれは本当のことだったのだ。

「おどろきませんね」

「いいえ、びっくりして声もでませぬ」

「どこぞでお聞きになられましたか」

 先帝に嘘をお聞かせになっても仕方がない。

「実は北の大臣が亡くなられた時にわたくしに密かにうちあけられました」

「そうですか。亡き房前はわらわの母に信頼を受けておりました。恐らくはそこから」

「はい、その通りです」

「ではもう全てをご存知で」

「いいえ、伯父さまは天武帝が高天原たかまがはらの血を正統に引いていないと遺しただけで、詳しいことは何も」

「そうですか。では何から話せばいいか。天武天皇も全く血を引いておられぬわけではありません。女系では引いておられます。お二人の母親は皇極こうぎょく天皇、重祚ちょうそなされて斉明さいめい天皇といわれる方です。これは間違いありませぬ。この方は宝皇女たからのひめみことお呼びしますが、まず高向たかむく王といわれる方を夫としてやまと王子といわれる方をお産みになり、その後に舒明じょめい天皇を夫として中大兄皇子なかのおおえのみこ大海人皇子おおあまのみこをお産みになった、紀ではそうなっておりますね」

「事実ではないと」

「かつて蘇我蝦夷そがのえみし山背大兄皇子やましろのおおえのみこを襲い殺しましたね。宝皇女はこの山背大兄皇子の妻でしたが、蝦夷が奪いました。宝皇女は蝦夷と生前から密かに結びつきがあったと聞きます。やがて男子が生まれましたが、果たしてどちらの子であったのか。公には山背大兄皇子の子としました。その後、宝皇女はもう一人子を身篭りましたが、そのまま舒明天皇を夫としたのです。その腹の子が」

「天武帝というのですか」

「そうです。少なくとも持統帝はそう信じておられました」

「それではわたくしたちは」

「そうです。蘇我の血を引いているのです」

 蘇我氏は日本紀ではさんざんな書かれようで、悪人としか思えない書き方をされている。

「しかし天智天皇はその後に宝皇女が産んだ舒明天皇の子。間違いなく皇統の血を引く正統なお方です。そなたの舞を見て確信しました。そなたには高天原の血が間違いなく入っています」

「それでは天智帝は天武帝の弟ということになりますね」

「そうです。持統帝は天智帝の血を引いていることにこだわりをもたれました。母系とはいえ天照大神の血を後世に残すために自らが皇位におつきになされました。そしてつまり自らの御子である草壁皇子の系統のみを皇位に付けるようにしたのです。せめても母系だけでも皇統である子のみを天皇にしようとしたのですよ」

 そうなると、高市たけち皇子をはじめとする草壁くさかべ皇子以外の天武帝の皇子は皇統の血が入っていないに等しいことになる。

昔のことゆえ、これが本当のことかは私には分かりかねます。私はこの話を母から聞きましたゆえ、持統天皇から直接お聞きしたわけではないのです。母上はあくまでもこの話は想像だと言っておりました。だが持統天皇が必ず草壁皇子様の血統のみを皇位に付ける様にと厳命なさった理由がこういうわけではないかというのです」

 女東宮は頭の中に系図を浮かべてみては辻褄が合うのかを考えようとしたが、混乱して訳がわからなくなった。

「持統天皇は、自分の子孫のみが皇統に付くように政治的に手を打ちました。そしてその正当化のために様々な仕掛けを日本紀に施したのです」

「日本紀にと申しますと」

「そなた天照大神様は女神と思うておるか」

「と、申しますと」

「日本紀を読めばそう思うであろうな。それは文忠公ぶんちゅうこうによって書き換えられたのだ。そなた古事記ふることふみは読まれたか」

「はい、一通りは」

「古事記には天照大神様が女神とは書いておられぬ。だが日本記には大神様が女神であるかのような記述に書き換えがある。どうしてかお分かりか」

「分かりませぬ」

「持統天皇から我が弟である文武天皇への継承を正当化するためです。天照大神様からその御子でなく天孫が降臨なさった。天照大神様が女神であらせられるならば、女から子を通じて孫への継承が皇統の基となったということになります。つまり正統な血統を持つ持統天皇の夫は正統な皇位継承者ではない。だが天照大神様の前例からして皇孫に対しての継承は正統なものであると」

「そのような仕掛けが」

「わらわたちが泊まっておる外宮には今は神はおりませぬ。外宮には元来は天照大神様にお仕えする女神が祭られておりました。豊受大神とようけのおおみかみ様です。持統天皇は密かに豊受大神様を神宮の内宮に移し、天照大神様の身代わりとしました。天照様を女神様とするためです」

「そんな大それたことを、まさか。しかしそれでは天照様はどこに」

「ここに押し込められています。まさにこの場所にです」

「まさか、そんな」

「私も初めて知ったときは同じ思いでした」

 女東宮は慌てて部屋を見回した。

「この下に天照様のご神体が封印されています。注連縄しめなわをごらんなさい。逆向きになっているでしょう。こんなことになっているのは出雲とここだけです」

 女東宮はよく分からない。

「本来は注連縄は外から邪気を入れぬためのもの。だがこの場所と出雲に限っては違うのです。ここから祟りが外に出ないようにと逆に張ってあるのです」

「そうなのですか」

「このことはそなたの母にはもちろん、誰にも話してはなりませぬ」

「それはもちろん」

 話せるはずもない。

「しかしこのように押し込められては、天照大神様はわたくしたちをお守りいただけないではありませんか。すぐにお救いせねばならないのではありませぬか」

「私もそう思いました。だが持統天皇がなされたことを、私の勝手な思いで変えたら、何が起こるか分かりませぬ。そもそもこの今上帝につながる皇統を天照大神様がお認めになるかどうか」

「お認めにならないと、つまり祟りが」

「そう持統天皇は思われたのであろうな」

「それではわたくしたちはどなたにお守りいただくのですか」

「今上帝はそれに気付いたのでしょうな。それゆえに仏法に頼ろうとなさっている」

「大伯母さまはどのように思われておられますのでしょうか」

「わらわは海内の神こそを崇めたいと思っております」

「それでは豊受大神様を」

 女神として崇められている天照大神様の身代わりとしている方である。

「いいえ。豊受大神様も素晴らしい方ですが、私達のご先祖様ではありませぬ」

「それではどうしたら」

「今では皇統の祖は宇佐にあります。八幡様とはつまり応神おうじん天皇様。このお方は皇統の祖となった方です」

「応神天皇さま」

「さあ、今日はこのくらいにいたしましょう。あまり遅いと皆が心配いたします」

 二人は荒祭宮を出てからは無言のままであった。帰りの輿にゆられながら先帝の御言葉と房前の文を照らし合わせてみる。確かに二つは一致しているようであった。房前は今日の東宮が聞かされたような皇統の秘密の真髄までは知らされていないに違いない。だが元明帝が房前に託した言葉は、今日女東宮が聞いた事実を元に命じたに違いないのだ。

 外宮に戻っても女東宮は無言のままであった。

「何をお話になったのですか」

 心配になったのであろうか、伊勢には同行して側にいる藤原百能ふじわらのももよしにそう聞かれて、女東宮は動揺した。百能は何気なく聞いただけで何の意図も持っていないのであろうが、女東宮には何かを探ろうとしたかのように思える。

「何でもありません。そなたたちには関係のないことです」

 滅多にない女東宮の声の張り上げ方で、女官たちは明らかに怯えた顔を見せた。若い頃によく見せた我がままを知っている久米若女くめのわかめ以外の女官たちは自分達に落ち度があったのかと驚いている。

「申し訳ございませぬ」

 百能はしおらしくうなだれた。しばらくたっても怯えたままで、女東宮の顔色をうかがっては、とうとう泣き出してしまったくらいである。

「泣くのではありません。そなたは悪くないのです。それより何か気を紛らわせたい。誰か碁でも打なさい」

「誰か、東宮殿下のお相手を」

「いや、わたくしは見物いたします」

 仕事を与えられた女官たちは一斉に働き出した。たちまちのうちに碁盤が置かれ、百能と藤原宇比良古ふじわらのおひらこが左右に座った。女嬬達もちょこまかと動き回り、白湯や菓子が女東宮の周りに運ばれている。

 百能も宇比良古も見事な打ち手であり、盤上では中盤でコウから軽やかな振り替わりが観る者を楽しませたが、女東宮には頭に入らなかった。それどころか宇比良古が投了したのにもしばらく気がつかなかったほどである。


 今上帝は伊勢から尾張に入られると、今度は美濃にまで足を伸ばされた。さらに近江に入ったのであらせられるから、先の大乱において天武帝が兵を挙げられた経路そのものである。

 そしてその年の末になると、今上帝が甕原みかのはら離宮に御入りになられ御越年なさるという知らせが入り、光明皇后と女東宮が呼び寄せられた。母娘が甕原に入ると今上帝はすでに到着なされており、二人を今かと御待ちになられていた。

「おお、皇后に東宮。久しいの。会いたかったぞ」

 二人は今上帝に拝礼をすると、側に座った。二人の近親者でもある右大臣橘諸兄も同席している。皇后は最も頼りにする異父兄の諸兄の礼を受けて嬉しそうな顔を見せた。

「主上にあられてはご健勝のご様子で何よりです」

 一方で今上帝に対しては皇后の口調は冷たい。

「何をそう機嫌が悪いのじゃ」

「主上は広嗣ひろつぐを殺しました」

「仕方なかろう。朝廷に弓を引いたのじゃ」

「広嗣だけでなく綱手なわてまで。諸兄は綱手は罪一等を減じようとしたと聞きますが」

 藤原綱手は広嗣の弟で九州におり、広嗣の反乱に片腕として参加し、東九州の軍勢をかき集めて広嗣に合流した。その後、敗走すると広嗣と共に逃れようとしたが結局捕縛され、死罪となっている。

「綱手も朕に逆らったのじゃ。仕方なかろう」

 そうは言っても、皇后からすれば甥であり、簡単にうんとはいえない。

「広嗣も綱手も主上に逆らったのではありませぬ。真備まきびが、そう真備が悪いのです」

 玄昉げんじょう下道真備しもつみちのまきびを広嗣は弾劾したが、玄昉は今上帝の生母藤原宮子の精神の病気を治療した功績がある。そのため、真備のせいにするしかない。だが真備に対する今上帝の信頼は厚い。

「馬鹿なことをいうでない。それに朕とそなたの義兄にも位を進めたし、そなたのお気に入りの仲麻呂なかまろにも昇進を許したではないか。それに奈良麻呂ならまろにも五位を授けたぞ」

 諸兄は藤原一族や他氏から公私混同と見られるのを恐れて息子の奈良麻呂の昇進の後押しを手控えていたが、光明皇后は甥にあたるため、当然ながら以前から昇進を懇願していた。

「それとこれとは別です。それに広嗣の兄弟達を捕縛したと聞きます」

宿奈麻呂すくなまろは広嗣の蜂起が成功したならばこの都で兵を挙げる計画だったと聞く。恐ろしいことだ」

 宇合には六人の息子と三人の娘がいた。長男の広嗣と四男の綱手は反乱を起こし、次男の宿奈麻呂と三男の清成きよなり、さらに五男の田麻呂たまろは成人して都にいる。

「まさか切るつもりではありますまいな」

「反逆者の弟どもぞ」

「いいえ、広嗣は反逆者ではございません。それに百歩譲って広嗣に僅かでも罪ありとしても、遠くはなれた都で弟達に何が出来ましょう」

「いいや、許せぬ」

 そこへ女東宮が口を出した。

「太宰少弐と綱手を殺したこと、必ずや祟りましょう」

 今上帝は祟ると御耳になされた途端に青ざめられた。女東宮皇后が祟ると言った以上は、怨霊は現れるであろう。皇后が口に出さなければ、もしかしたら怨霊は現れなかったかもしれぬが、言霊にしたからには必ず広嗣は祟る。

「これ以上無辜の者達を殺しされるのはおやめ下さい。ますます祟るに違いありません。太宰少弐の祟りは玄昉と真備にいきましょうが、無実の者の怨霊はどこに行くのでしょうか」

 今上帝は御自らに背かれたいたことに対する御憤怒から、捕らえた広嗣と綱手に死を賜るのに躊躇はなされなかった。だがその怨霊がどこに行くのかまでは御考えになられていなかった御様子である。女東宮は広嗣の祟りは父帝には行かないと明確に言い切った。だが宿奈麻呂以下の者達の命を奪うと、無実であるならば父帝に怨霊が向かうという。

「疑念がございますならば、諸兄にでも玄昉にでもお聞きになればよいでしょう」

 今上帝は傍らにいた橘諸兄を見られた。諸兄はそれにうなずく。その瞬間に今上帝は宿奈麻呂以下の命を奪うつもりはなくなられたようである。祟りの件もあるが、冷静に考えれば功臣の宇合うまかいの家系を断絶させるのも問題がある。何しろ藤原腹の今上帝であり、藤原の娘を皇后にしているのだ

「だが罪一等を減じても、官位剥奪の上に流罪は免れられぬぞ」

「どうかそれもお許しください」

「ならぬ」

 さすがに今上帝は首を縦には振られない。

「無実の者を流しては広嗣は祟りますぞ」

「太宰少弐は無実ではありませぬ。どうして祟りましょうか」

 右大臣橘諸兄は政権の主催者として、さすがにその線までは譲れない。玄昉と下道真備を弾劾したということは、その二人を重用している諸兄を間接的に批難していることに等しい。藤原一族の後見人を自認している諸兄にしてみれば、四兄弟の息子達を引きたてようとしているのはその諸兄であり、それに対する反逆など天に唾をするようなものではないか。

「まさか幼少の者まで流すとは言わないでしょうね。女子供には罪はありません。どうか若女とその子には罪を猶予してください」

 女東宮は諸兄を無視して父帝に懇願した。久米若女は宇合の側室となったが、その死後は女東宮の女官に戻っている。そして女東宮は久米若女とその子の引渡しを頑として拒み、保護していた。

「東宮たるそなたの言うことだ。そなたの言を容れよう」

 父帝は諸兄を見られると、小さくうなずかれた。諸兄も女東宮と別に事を構える気はない。女東宮が諸兄に対して何か信頼できないものを持っていたとしても、諸兄にしてみれば女東宮は姪であり、一族の中核である。女東宮の寵愛する女官と未成年の男子に対して罪を適用しないくらいは何でもない。

「それではその御舎弟も」

 諸兄が確認するように今上帝に確認をとった。宇合が別の側室に産ませた最後の息子は、その一つ歳下である。

「これで決まった。さあ、目出度い再会にこれ以上無粋な話をするではない。それよりも女東宮はますます美しくなったの。そなたの母にそっくりではないか。いや、むしろ皇后の母に生き写しと聞くぞ」

「ありがとうございます」

 女東宮が突然のことに恥らうが、母皇后はまだ広嗣以下の処置に怒りはとけていないらしく顔を背けたままである。

「東国の話を聞きたくはないか。尾張や美濃の話をしてやろうではないか」

「それよりも伊勢の話をいたしませんか。斎宮いつきのみやとして神宮におられる義姉上の話は達者でありましたね」

 井上いうえ内親王は女東宮の一つ上であるから、二十四歳になっているはずであった。

「おお、元気にしておったのお。いずれは近いうちに任を解き都に戻さねばならぬな」

「あら、主上には阿部あへ内親王がいるではありませぬか」

 皇后はすかさず牽制した。女東宮の腹違いの姉妹のうち、年下である不破ふわ内親王はまだよい。阿部内親王よりは母の身分も年齢も下であるから、脅威ではない。だが井上内親王は現在の身分や母の身分は下であるが、僅かでも姉であるだけに面倒なことになりかねない。ただでさえ異母弟である安積あづみ親王の存在が阿部内親王の立場を脅かしている。藤原家のことを考えれば伊勢に置いたままにしておくのが望ましいと考えているのであろう。

 もっともこの問題の複雑なことは、三人の生母である県犬養広刀自あがたいぬかいのひろとじは光明皇后の母方の一族であり、元女官であったことである。皇后は広刀自を憎みきれないし、また広刀自の後見は藤原氏が行っている。単純に排斥すればよいという者ではない。橘三千代たちばなのみつちよとの縁から、彼らは皇后と女東宮にとっては身内でもある。

「まあそのうちだ」

「主上、皇后殿下も東宮殿下も旅の疲れもありましょう。本日はもう」

 頃合を見計らって諸兄が声を掛けた。年末だけに今上帝にはまだ政務が多いに違いない。

「おお、そうだな。ゆっくり休むが良い。二三日中に宴会を開いてそなたたちを慰めようぞ」

 今上帝と諸兄が退出なされると、皇后が女東宮に向き直った。

「そなたも大人になりましたね。いくつになりましたか」

「年が明ければ二十四になります」

「いつまでも子供と思っていましたが、そなたももう二十四ですか」

「はい」

 女東宮阿部内親王を皇后が産んだのは、まだ安宿媛あすかべひめと呼ばれていた頃の十七歳である。それに比べれば女東宮ははるかに年を経ているが、母親というものはそのようなことには思い至らないらしい。

「もうそなたも頼りにしてよい年頃なのですね」

「いいえ、まだ母さまには色々とご指導を頂かねばなりませぬ」

 そういいながら、女東宮は手放した赤子の年を数えた。そういえば男か女かも聞けなかったのである。そしてそれは諸兄と出産に立ち会った数人の女官しか知らなかった。藤原房前の娘である宇比良古は知っているらしいが、諸兄にきつく言われているためか、その話題になると決して口を開かなかった。


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