第2部 天平十六年 女東宮27歳

 翌年の天平十六年は閏月が正月の後に来る。その閏正月一日に、今上帝は百官を集めた。

「朕はこの恭仁くに京を正都と定めたが、この遷都に未だに意を反する者がいると言う。今からこの場で反対意見を述べよ」

 今上帝、先帝、女東宮をはじめとして、左大臣橘諸兄さだいじんたちばなのもろえ以下の人臣が平城京から移築された大極殿だいごくでんに勢ぞろいしていた。

 当初ざわついたが、しかし反対意見を述べる者はいない。今上帝が橘諸兄の意を汲んで諸臣を集まられたことぐらいは容易に想像がつく。

 ここで従三位中納言藤原豊成じゅさんみちゅうなごんふじわらのとよなりが進み出た。もしもこの場で何かを言える者がいるとしたら、宮廷第二位の位を持つ従二位鈴鹿王じゅにいすずかのおおきみは名目上の昇進によるものであるから、実質的に諸兄に次ぐ位を持つ豊成しかいない。

「陛下に申し上げます。臣豊成をはじめ一同は陛下の遷都のご決断は賛成しております。ただし、正副いずれを主とするかについては異見がございます」

 この言葉には再び大極殿は騒然とした。年末にそのことで先帝と今上帝の御前で話が出たことは、すでに百官も聞いていたはずである。これには決着が付いていたのではないだろうか。

「静かにせよ。中納言の言を聞かせよ」

 いつにない女東宮の大きな声は、もちろん深窓の令嬢のものだけあってか細かったが、それでも近くの者はそれと気付き、急いでその者達が静まるように大声を上げた。

「吾が叔父である宇合うまかいが難波宮を整備していたのはご存知でしょう。すでに形は整い、今上帝の都たるに相応しい形を整えてございます。むしろ難波宮を正都、恭仁京を副都として万全たる態勢を整え、また西国にも睨みを利かせるべきではありませぬか」

 孝徳こうとく帝が都にさだめ百済くだら救援を行ったほどの四通八達、特に水上交通の便に優れた難波宮はすでに副都として整備されており、紫香楽しがらき宮造営に吸われて未だに都として完成を半ばもみていない恭仁京よりは形を成している。

「どうか今一度、恭仁を正都とするか難波を正都とするかを群臣に御諮り下され」

「意見を聞くのもを採ってみれば面白いかと思われますな」

 先帝もうなずかれた。今上帝は先帝の思し召しを尊重なさる。

「政は難波でも恭仁でもできます。その上で大仏は紫香楽で御造りになられませ」

 女東宮がさらに口を添えた。

「うむ。それでは恭仁・難波、二京のどちらを都とするのか意見を聞きたい」

 案に相違して、百官の意見は割れた。ほぼ同数の意見が双方にあったのである。

 権力の絶頂である左大臣にまで昇進した橘諸兄であったが、その象徴とも言うべき施策である甕原みかのはらへの遷都が、足元の藤原一族の抵抗によって危機に瀕したのである。

 一方でその反諸兄の急先鋒となった藤原豊成にも誤算であったようで、まさかまだ半分もの廷臣たちが諸兄を支持するとは思ってもみなかったようである。

 

 翌日から中納言巨勢奈弖麻呂ちゅうなごんこせのなでまろ民部卿藤原仲麻呂みんぶきょうふじわらのなかまろが庶民の声を調べてきた。恭仁京遷都は庶民の怨嗟の的となっているという反諸兄派の声とは裏腹に、ほとんどの者達が恭仁京を正都とするのに賛成なのであった。巨勢奈弖麻呂は穏健派で、藤原仲麻呂は反諸兄派ではあるが、豊成の弟ながら反目しあいつつあるという仲だから、恐らく世情を正確に伝えてきたと見られた。

「恭仁京への遷都は反対でしたが、すでに移住はなったので、かくなる上は恭仁大宮を平城京以上の都として栄えさせて欲しいとのことです」

 従三位の巨勢奈弖麻呂は従四位下の仲麻呂より上位なので、代表してそう報告した。

「つまり恭仁大宮に満足しているというわけだな」

 今上帝がこれでやっとこの問題を終わらせられるとばかりに満足そうにうなずかれた。

「いえ、さらなる遷都となると、民の負担が増すばかりです。積極的に恭仁大宮を支持しているというわけではありませぬ」

 仲麻呂が微妙な言い回しで付け加えた。

「ふむ」

「平城京は三代三十年続いた都でございましたから」

 仲麻呂はそう言ってまた一歩下がった。

「そなたはどう思う、東宮」

 父帝に意見を御求めになられ、女東宮は少し考えてから進言した。

「かくなる上は、難波宮へ行幸されてはいかがかと。陛下も難波宮を久しく見ておりませぬ。前の式部卿以来、造営が進んでいたと聞きます。民草が商いを行うならば、難波の方が向いておりましょう」

 叔父の式部卿藤原宇合しきぶきょうふじわらのうまかいが生前に取りかかっていた大事業である。

「うむ、それもよかろう。まずは難波と恭仁の双方をこの眼でみて比べねばなるまいな」

 父帝は最近では女東宮に話を振られることが多くなられた。次の帝として教育なさるためもあられよう。早く譲位して身軽になりたいという御心が出てこられたようでもあられる。そのため、女東宮の考えを尊重なされ始められた。


 女東宮が難波宮に着くと同時にその知らせがもたらされた。傍系の皇族である山村やまむら王がもたらしたものである。

安積あづみ親王が病に倒れられました」

 親王は難波の宮への行列に付いて来ることになっていたはずである。

「心配なされずとも大丈夫です、女東宮。全ては吾にお任せくだされ」

 この御幸の後衛を任されていたのは仲麻呂であるから、彼が全てを整えているのであろう。

 ところが、翌日になって安積親王の容態が急変し、薨御こうぎょしたという知らせが届いた。

 これには今上帝はもちろん女東宮も驚き、すぐさま仲麻呂が御前に呼ばれることになった。

「安積はどのような様子であったのか」

 今上帝は明らかにやつれた御様子であるが、無理もない。

 確かに次代の皇位こそ女東宮に譲るおつもりであったが、結局は次代へ皇統を繋げるのは安積親王であるはずであったからである。もしかしたら父帝は、近頃では稀ではある異母姉弟同士の結婚も考えていた節があるのではないかと思っていたくらいであった

「それが、どうも脚気のご様子でした。随分とひどいようで、無理を成された御様子。吾は近くの里長の家を見つけてそこで静養するように進言いたしましたが、恭仁宮へ戻りになると聞きませなんだ」

「脚気とな。脚気で人が死ぬものであるか」

 女東宮は口を出した。

「脚気は心の臓を侵します。無理をなされば」

「兆候はあったのか」

「さあ。ただ医師の看たてでございますゆえ」

 女東宮は脚気といいものをよく知らなかったので、それ以上は何も言えない。

「この知らせは山村王がもたらしらものでございます。どうかその者を御呼びになられては」

「いいえ、御無用にございましょう。山村王殿下のお知らせは全てこの仲麻呂が御聞きしておりますゆえ」

 それでも今上帝は最期の様子を御知りになられたかったらしく、山村王を御呼びになられた。

「そなたは安積とは親しくしておったと聞く」

「勿体無きことにございます、陛下」

「親王は苦しんだであろうか」

 山村王は一瞬の間を置いて答えた。

「いいえ、最期は安らかでございました」

「そうであったか」

 今上帝の御尊顔は少しだけ御緩みになられた。


 安積親王の薨御を御存知になり、先に難波宮へ着いておられた先帝が戻ってこられた。さらに難波宮ならばと今上帝の顔を見に来た光明皇后、さらに安積親王の生母である県犬養広刀自あがたいぬかいのひろとじが娘の不破内親王と共に続く。

「主上、その知らせは本当にございますか」

 哀れっぽく泣いているのはもちろん広刀自である。

「朕も先ほど聞いたのだ」

「何ゆえこのようなことに。おとついまであんなにも元気であったというに」

「分からんのだ」

 今上帝が広刀自を慰める姿は痛ましい。

「私が、私が付いておればよかったのです」

 不破内親王が泣き崩れた。同母弟であるだけに無理はない。安積親王は次の次の帝の最有力候補であり、それだけに不破内親王の将来も約束されていたはずであった。

「誰が付いていたのです」

 こんなにも先帝の御声を怖く感じたのはかつてない。

「吾が」

 仲麻呂は悪びれる様子はない。

「大夫、そなたか」

「はい」

 従四位左京大夫と位階こそ低いがすでに朝廷では参議の位をもち、光明皇后の寵愛を得ている。そのため、普通の殿上人ならば吹き飛ぶような先帝の御様子にも全く怖がっていない。

「因果は何ぞ」

「脚気との看たてにございます」

「脚気とな。広刀自、安積親王にそのような兆候はあったのか」

「いいえ、いいえ。脚気など初耳でございます」

 広刀自も脚気が命に関わる病気であることすら知らなかったような様子に見える。

「脚気ならば体がむくんでくるはずじゃが、どうであったか」

「いいえ、そのようなことはありませぬ」

 広刀自は首を振った。

「おお、そういえば、吾がお見かけした時は随分とそのようなご様子でありましたな。先だってお見かけした時と比べて確かに向くんでおりました」

「いいえ、そんなはずはございません」

 普段は藤原家の一族、それも豊成や仲麻呂というような実力者に対しては怖がって口も開けないような広刀自であるが、この時ばかりは様子が違った。

「弟は、安積はそのようなことはありませんでした」

 不破内親王も加わる。

「いいえ、お二方は御普段から共に起居なさっておりますから、少しずつの変化にお気づきになられなかったのでしょう」

「そんなはずはございません」

 広刀自と不破内親王は断固として首を振った。

「よろしい、それでどのように対処したのか」

 水掛け論なので、先帝は今上帝と同じ質問をなされた。

「はい、吾は辺りに里長の家でもありましょうからそこで静養なされと進言いたしましたが、親王殿下は断固としてそれを断り、恭仁宮にお帰りなると聞きませんでした。吾は御行列を守らねばなりませぬゆえ、人を添えて御気の済むままにと」

「誰を付けましたか」

八束やつかにございます」

 正五位藤原八束は藤原房前ふじわらのふささきの三男で、庶長兄の鳥養亡き後は次兄の永手ながてが藤原北家の嫡流であるから、実質的には次男である。

「おお、八束か。ならば間違いはあるまい」

 光明皇后がうなずいた。

 八束を買っているのは光明皇后だけではなく、その聡明さはまさしく房前の血を引き継ぐ者として、今上帝だけでなく先帝にまで御聞こえが良いようであられる。

 女東宮は、仲麻呂も八束を認めており、二人は従兄弟でありながら兄弟のような親密さであると聞いている。

「私はよく存じませぬ。どのような方なのです」

 その名前で一瞬にしてその場が仲麻呂の処置を妥当とみなしてしまったような雰囲気になってしまったため、広刀自は飲まれまいとしている。

「若いのに立派な貴族であります。安積親王とも歳は離れておりますが仲が良かったと聞いております」

 すでに空気は仲麻呂の味方になっている。

「私は聞いたことがありませぬ」

「親王殿下も十六になっておりましたゆえ。友誼を結ばれても全てを母御に御報告なさる歳頃でもありますまい。吾も十六といえば親に反抗ばかりしておりましたな」

「いいえ、親王はそんなことはありませぬ。毎日私には」

「ええ、すばらしい方でありました。懇ろに弔いましょう」

 仲麻呂は広刀自ごときを相手にするつもりはないようであった。要は今上帝の御宸襟を推し量ればよいのである。

「朕はこれで二人の皇子を失ったことになる」

 今上帝は安積親王が亡くなったことが確かな以上は、悲しみによる御心の傷を怒りによって御癒しなされるのではなく、皇子を弔うことによって和らげあそばされたいのであろう。もちろん賢明な仲麻呂のことであるから、広刀自が騒げば騒ぐほど却って仲麻呂の冷静さが故人の死を悼んでいるように見えることは気付いているはずである。

「主上、親王の姿を一目、一目見とうございます」

 広刀自の訴えに今上帝はうなずいた。

「不破内親王も連れて行くがよい。葬るにあたっては後で指示をさせよう」

 子を亡くされたのがこれで二人目だからなのか、御自身が腹を御痛めになられておられないからか、今上帝の御落胆は目に見えるものであられるが、それでもその母親とは温度差がかなりあられる。

「これで恭仁くに京も終りですね」

 女東宮はつぶやいた。その場の誰にも聞こえたが、あらゆる意味で咎められる人はその場にいなかった。


 女東宮の予想通り、安積親王の死穢がある恭仁京を今上帝は二度と都となされないであろう。従五位下少納言茨田王じゅごいのけしょうなごんまんたのおおきみを遣わして玉璽ぎょくじと太政官印を取り寄せ、以後は難波宮を正都とする御気持が満々であらせられる。恐らくはしばらくこの難波宮から政事を行いつつ、紫香楽しがらき宮の完成を待って譲位し、今上帝自らは甲賀紫香楽宮で大仏に護られて御過しになられる御積りなのであらせられよう。

「やはり甕原みかのはらはよき地ではなかった。平城京の鬼門ゆえ、怨霊の集まるところであったのであろう。危ないところであった」

 父帝がそう女東宮に仰るのを聞いて、さすがに恭仁京遷都を推進してきた左大臣橘諸兄が哀れに思えてきた。

 そこで、女東宮は光明皇后のご機嫌伺いに参上したついでに仲麻呂を呼びつけてみた。

「仲麻呂に用ならば、わらわを通さずともよいのに。そもそも仲麻呂はそなたの推挙によって側に近づけたのですからね」

 女東宮はそれには答えずに仲麻呂を待った。

「お呼びでありましょうか、皇后殿下、東宮殿下」

「わたくしが呼びました」

「殿下、それならばいつでも参上いたしましたのに。以前はよくお呼びくださいました」

「そうでしたね。最近はとんとそなたたちを呼んで遊ぶことも出来なくなりました。そなたたちの位も上がり、本朝での役目も重大とあれば、東宮の身とあれどそなたほどの者を軽々しく呼びつけるわけには参りませぬゆえ」

「ということは、本日は軽々しくはないと」

「そういうわけでもない。ただわたくしは弟宮のことが知りたいのです。わたくしとは半分とはいえ血がつながった弟。主上にとっては唯一人残された皇子。それをそなたが最後を看取ったとなれば出来すぎに思えます」

「吾は最後は見ておりませぬ。八束にございます」

「揚げ足を取りますか」

 仲麻呂は慌てて頭を下げた。そして取り成しを頼むかのように光明皇后をちらっと見ている。

「東宮、そうお怒りにならぬように。仲麻呂が怖がっております」

「仲麻呂に怖いものなどありますまい。諸兄も豊成とよなりも相手にしておりませぬのに」

「これ。そなたは次の帝ぞ。仲麻呂を生かすも殺すもそなた次第ではないか」

「そんなにお怒りになられては、この仲麻呂、立つ瀬がございませぬ」

 女東宮はあまり親しくなかったとはいえ、やはり血の繋がった弟が可愛かったのだと気が付いていた。そして自分が皇女ひめみこだという負い目を安積親王がいることによってかなり軽減させられていた。何しろ天武帝の子孫のうち、天智帝から持統帝に連なる正統なる天照大神の血を引き継ぐ皇子は安積親王だけだったのだ。

「立つ瀬がなくなれば、内親王であろうと亡き者にするか」

 さすがに二人の顔色が変わった。

「何を言われますか。まさか東宮殿下は吾が手をかけたなどとお思いで」

「さあ。それが本当ならば怖いことであるな」

「そうですな。すると吾を祟り殺しましょう」

 仲麻呂は神をも恐れないのか、それとも真に手をかけていないのか、分かりかねた。

「唯一つだけ、噂がございますな」

 仲麻呂は平然としている。

「広刀自様のお産みになられた井上いうえ内親王殿下は、東宮殿下が御生まれになり、伊勢の斎宮いつきのみやとなられることは早くからお決まりになられたそうで。これでは内親王殿下は東宮殿下のために追いやられたようなものではありませぬか」

「何を言うか、仲麻呂。口が過ぎるぞ」

 寵愛しているとはいえ、母皇后にも今の言葉は見過ごせないようである。

「いいえ、皇后殿下。これは噂でございます。吾の考えではありませぬ。さらに続きがございます。皇后殿下のお産みになられた宮様、つまり先の皇太子殿下。そしてその後に生まれた広刀自様の皇子。先の皇太子殿下がおられれば、井上内親王殿下と同様に日陰者でございますな。しかしもしも先の皇太子殿下が」

 とたんに母娘の顔色が変わった。このことは二人にとっては未だに癒えぬ心の傷であり、子を救えなかった母にとっても、死を一瞬でも願った姉にとっても痛恨事であったからである。

「あくまでも噂でございます。ただ世上噂されているように、吾が父や叔父達の死が長屋ながや王様の祟りであったとすれば、長屋王様は無実。すると先の皇太子殿下を呪詛した者はどなたになりましょうや。最も利益を得たのはどなたでありましょうや。そしてその祟りを受けたのはどなたでありましょうや」

 藤三娘安宿媛とうさんじょうあすかべひめこと光明皇后とその皇女にして女東宮阿部内親王にょとうぐんあへのひめみこという身内だけの席であるからか、仲麻呂は平然と藤原一族の政敵であった長屋王は誣告ぶこくされたのだと言い放った。その豪胆さはもはや女東宮がかつて知っていた仲麻呂ではない。宮廷でも有数の実力者を後ろ盾に持ち、さらに政庁でも一目置かれることからの自信は、一人の書生を巨大な人物に変えてしまったようである。

「そんな、それではそなたは広刀自がわらわの皇子を、皇子を呪ったというのか」

「確証はありませぬが、状況は揃っておりますな。いや、此度のことこそが動かせぬ証拠でありましょうか。さもなくばどうして前東宮殿下がこうじられましょうか」

 仲麻呂は慎重に光明皇后の様子を伺っていた。これよりさらに押すべきか、これで十分なのを測っているのであろう。

「許せぬ。広刀自め。わらわが目をかけてやったのも忘れたか。この忘恩の徒め」

「殿下、どうかお気をお鎮めくだされ。あくまでもこれは噂にございます」

「噂などではない。道理でおかしいと思ったのじゃ。何ゆえ兄達が祟りを受けたのかと。そうであったか。広刀自め、わらわの子だけでなく兄達まで殺したか」

 明らかに薬が効きすぎている。

「母さま、どうかお気を確かに。何も証拠はありませんのですよ」

 女東宮は長屋王が無実であることは知っていた。そして自分が弟宮の死を望んだことも忘れ得ぬことである。そのため、広刀自や安積親王が無実であると信じている。そのことは自分の罪を告白することであるから言えないが、しかし母皇后を止めておかねば、広刀自や不破内親王の身に何が起こるか分からない。橘三千代たちばなのみつちよ亡き後は、広刀自の後見人は藤原一族というよりは光明皇后であった。つまりその光明皇后が広刀自を憎むのであれば、誰もその憎悪をとどめることができないのである。

「いいえ、仲麻呂の言う通りです」

 目から鱗が落ちたと信じているようであった。

「どうかお止めください。もしも仲麻呂の言うことが誤っていたら、広刀自が無実であったならば、今度は母さまが祟りを受けます。どうか気をお鎮め下さい」

 仲麻呂も思わぬ激しさにさすがに危うさを感じたようであった。

「皇后殿下、どうかお聞きください。もしも広刀自様に罪がありましたら、近いうちに必ず報いを受けましょう。どうかお待ちくだされ」

 理屈で言えば、息子を失うことによって広刀自は自らが祟り殺されるよりも十分にひどい報いは受けているはずであるが、無論のこと女東宮はそれを指摘しない。

「待てぬ」

「東宮殿下のおっしゃるように吾の言が過ちであれば、皇后殿下にも怨霊が降りかかりましょう。どうかそのような恐ろしいことはお止めください」

 それを聞いても怒りの収まらぬ母皇后はついには卒倒してしまい、女官達に奥に運ばれる。

「仲麻呂、そなた広刀自とわたくしの姉と妹の安全には責任を持ちましょうな」

 女東宮は広刀自を保護するような手はずをせねばならぬと思った。

「それは、もちろんであります」

「二度とわたくしの弟のことは口にしないことです。母さまはまだ癒えておらぬ。無論のことわたくしも」

「肝に銘じておきます」

 さすがに仲麻呂は殊勝にうなずいた。

 しかし女東宮は仲麻呂の恐ろしさを知った。仲麻呂ならば、もしも都合が悪ければ女東宮であっても亡き者にしかねない。本朝にはない、唐風の合理さというものであろうか。少なくともそのことだけは女東宮も思い知った。

 ただ仲麻呂にとっては女東宮は寵愛されている皇后の唯一人の子であり、また高貴な女性にありがちな我侭で気まぐれな年下の従妹でしかないのであろう。かつて女東宮が放埓に若い貴族達を集めて遊びふけっていた頃を知るだけに、ただの若い女だと軽んじていようし、一度ならずとも身体を合わせた情もあろう。そのため、今すぐに我が身が危険ということは全くあるまい。ただ仲麻呂にとって度が過ぎると、何が起こるか分からない。


「そなたと諸兄には何があったというのです、女東宮」

 先帝は女東宮が難波宮に滞在して以来の恒例となっている週に一度のご機嫌伺いの場に左大臣橘諸兄も御呼になられ、対面させられた。

 もちろん元は皇族とはいえ臣籍降下した諸兄と次代の天皇である女東宮とは上下の差があるため、女東宮は西面し、諸兄は北面している。

「何を突然おっしゃいますか、太上天皇陛下」

「伯母さまで結構。諸兄もそなたには伯父。身内であろうに」

「はい、左大臣はわたくしの伯父、母さまの兄であります」

 女東宮は無感情に客観的な事実のみを述べた。

「それ、それです。そなたは諸兄に冷たい」

「さて、どうでしょうか。わたくしは誰にも同じと思います」

「女東宮、そなたと諸兄に何のわだかまりがあるのかと聞いております」

「覚えがありませぬ」

「いいえ、そうは参りませぬ」

「陛下、もしもわだかまりがあるとして、何が問題なのですか」

「大有りです。そなたは次の代の帝。諸兄は臣下では最も位の高い者。その二人がしっくりとこないのでは、そなたの世が心配です」

「父さまは病弱とはいえまだまだお元気であらせられます。わたくしの世はまだまだ先でありましょうゆえ。もしもわたくしの世があるとしたならば、若い世代が政をみるでしょう」

「今上はまたそなたに譲位したいと言って参りました。この母の目が黒いうちは決して譲位など許さぬと言いましたが、あの様子では諦めては居らぬ様子。だが、いつこの身が朽ちるか分からりませぬ」

「いえいえ、まだお元気ではありませぬか」

「今上があの様子で、政務を代わって見ております。政はこの身を一日一日と削ります。今上の御身ではもはや耐えられぬのは明白ゆえ代わっておるが、それとていつまで持つか。そなたの世はそう遠くありませぬよ」

「そんなことは考えたくありません」

「考えるのです。そなたにとって真に頼りになるのは、この左大臣しかないのです」

「豊成や仲麻呂がおります」

「その二人はあてになりませぬ。二人とも背伸びをして駄々をこねるだけではありませぬか」

 先帝と諸兄は先日の遷都の件が象徴されるように上手くいっていないはずであった。しかし今こうして藤原家の次世代の若者たちが台頭してくると、逆に保守的な諸兄が必要となった。ここのところの豊成と仲麻呂、特に後者の傍若無人さは目に余った。一方で諸兄も異母妹の寵愛が仲麻呂に移ってきていることもあり、先帝との妥協を図ったらしい。

「それは」

 女東宮は言葉に詰まった。

「さあ、言いなされ。諸兄に言いたいことをいいなされ。そなたの心のわだかまりをおっしゃいなさい」

 女東宮は諸兄を見た。

 かつて伯父の藤原四兄弟に金魚の糞のように附いて回っていた時は、とるに足らない人だと軽んじていた。唯一つ長屋王と親しいということだけは好感を持っていた。だが長屋王が誣告されると、この葛城王は見捨てた。少なくとも身体を張って助けてはいない。それだけで良い感情は持てる筈は無い。そして四兄弟がこうじると、急に存在が大きくなった。その威圧は年齢と身体こそ成人していたが心が幼かった女東宮を覆った。

 そんな諸兄も歳を取った。こんなに身体の小さい人だったかと思う。

 諸兄が下道真備と僧正玄昉と共にこの大和の舵取りを取ってきたことは認めざるを得ない。しかしそれでも諸兄は許せない。

「左大臣。わたくしの子は今どこにおりますか」

 静かに女東宮は言った。

「吾にも分からないように人手から人手に渡すように命じて有ります」

「最初に渡したのは誰ですか」

「残念ながら墓まで持っていくと決めております」

「妹が、不破内親王が羨ましく思えます」

 女東宮は席を立った。諸兄は頭を下げたままである。

「阿部内親王、お待ちなさい」

 敢えて女東宮の名を先帝が呼びかけられたが、止まる気は無かった。ただ、色々な感情はあれど、なぜ諸兄を許せないのかは自分でもたった今はっきりと自覚した。

 

 今上帝は二月になって甲賀こうかの地で雪が融けると、早速とばかりに紫香楽しがらきの宮へ御幸なさろうとの御意向のようであられた。

「恭仁には鈴鹿王を留守居させればよい。紫香楽には朕だけが参ろう。難波の地は太上天皇陛下が居られる」

 先帝に難波の宮を任せられ、怨霊が祟る地であると安積親王の死によって証明された恭仁宮を一顧だにせず、今上帝は紫香楽の宮に御篭りになられる御積りなのであられよう。そしてその地に大仏を建立させ、山々と仏法が様々な遺恨や負の思いから護ってくれるとお信じになられる。

「左大臣をはじめ百官はここに留めるということでよろしいな」

 先帝はもう今上帝が紫香楽に御幸なさるのを御止めになられる気は無いようであらせられた。

「左大臣も残るか」

「はい」

 左大臣橘諸兄はうなずいた。

 どうやら先帝は本格的に諸兄と連携することになされたらしい。

「皇后はいかがするか。紫香楽はよき所ぞ」

「はい、参りましょう」

 平城京に固執していた皇后ではあるが、もはや今上帝の心には紫香楽しかないことを見て取ったか、夫の側にいることを選んだようである。恭仁京すら捨て去られた以上、大極殿さえ持っていかれた平城京に残っても何も良いことは無い。今上帝は東国巡礼以後は平城京に一度も住まず、立ち寄ってすらいないのだ。

「ならば東宮も参るであろうな」

「わたくしは甕原みかのはらが好きです、主上」

 あれから先帝とは顔を合わせても目をそらしていた。そんな先帝が諸兄と残られる難波の宮に戻る気はない。だが紫香楽が好きなわけでもないし、母皇后が行くというのならば、同行したくもなかった。どちらかというと内親王はわずらわしい者達から離れ、愛する地でお気に入りの女官達と静かにしたい。

「恭仁とな。しかしそなた」

「弟もわたくしが行けば喜びましょう」

 途端に父帝の顔色が変わられた。

「ならぬ。そなたが行くことはならぬ」

「主上、弟はわたくしを恨んでいるはずはございませぬ。つい先だっても親しく話し、わたくしとこの国のことを話しました。弟がわたくしを穢土へ連れ去るはずはございません」

「あの地は縁起が悪い」

「わたくしの祖母である県犬養あがたいぬかいの故地であります。どうして祟りましょう」

 女東宮が頑なであることを見て取って母皇后が口を挟んだ。

「主上、どうか東宮の思うがままになさってください。東宮に無理を強いては」

 父帝はしばらく女東宮を御見になられた。だが事は怨霊についてである。女東宮を愛しておられる父帝としてはここは譲れぬところであられよう。

「ならぬ。東宮はここへ残るか朕と共に紫香楽へ参れ。これは命令である」

 女東宮は根競べをしようかとも思ったが、父帝の御想いをないがしろにしたくもない。

「承知いたしました。紫香楽へ参りましょう」

 今ここで抗ってもせんのないことである。それよりも紫香楽へ行き、機を見て抜け出す方が角が立たない。

 こうして難波宮に先帝と左大臣橘諸兄が残り政務を、紫香楽宮に今上帝に光明皇后と女東宮が随伴し大仏建立を、という今年の体制が決められたのである。


 紫香楽宮では僧正玄昉が中心となって甲賀寺を建立し、そこで大仏を生み出すという計画が進んでいる。

 今上帝はこの甲賀の里に来られて晴れ晴れとした玉顔で、厭世から抜け出した生活を送られておられた。

「ここは素晴らしき場所ぞ」

 などと父帝が新緑の芽吹きを御覧になられつつ女東宮を連れ出されては辺りを御幸なされた。

「父さまのあのはしゃぎぶりときたら、どうでしょう。徳のあるものとは思えませぬ」

 さすがに女東宮は母皇后に対して呆れた顔をした。

「主上は今や思う存分にお好きなことが出来て嬉しいのでしょう」

「今までもお好きなようにやってこられたと思いますが」

「いいえ、今までは先帝の口出しがあって出来ませなんだ」

 どちらかというと、好き放題を掣肘されてきていたのは母皇后や藤原一族の方であったと思うが、もちろん口には出さない。

「主上はそなたの言葉で紫香楽を見つけることができたと感謝なさっておられるのですよ」

「しかしおかげで甕原の恭仁京は建立途中だというのに棄てられてしまいました」

「いいのですよ」

「甕原は三千代さまの故地ではありませんか」

 優しかった祖母の橘三千代の顔ももう思い出せない。ただ女東宮を愛してくれていたという思い出だけが甕原離宮の建物や四季折々の薫りに残る。

「わらわには縁の薄いところです。そなたは甕原がお好きなようですが、わらわには鄙びた嫌なところ」

 光明皇后は都の藤原不比等の邸で生まれ、そして内裏に入り今上帝の寵を争った。三千代が甕原へ下がったのは不比等の死後のことであり、そのため光明皇后が甕原で生活したことはない。

「おかげで左大臣の面目も丸つぶれですね」

「そんなことはないようですよ」

 母皇后は笑みを浮かべた。

「安積親王の死穢というのは兄さまにとってはよき口実でした。面目を失わずに難波宮への遷都を行えたのですから。兄さまの失敗ではありませぬ」

 安積親王の死というのは、思わぬことに従一位左大臣橘諸兄の立場を救ったという。

 恭仁京への遷都は、藤原氏に反感を持つ群臣は自らの勢力地へのあからさまな誘導に目を顰めた。しかも当の藤原一族にとっても甕原は橘諸兄や光明皇后には縁が深いが、その他の者達には特に何かがあるわけでもない。つまり藤原豊成や藤原仲麻呂が橘諸兄からの親離れというより親不孝のようなことを画策していたこの時には、帝を完全に取り込むどころか不和の種を撒いただけであったのである。しかも肝心の今上帝は直後に甲賀紫香楽の地に興を移し、光明皇后に至っては平城京に愛着があって離れたがらない。

 そのため、諸兄は引くに引けない立場に追い込まれていたのであったが、穢れを理由に恭仁京を棄てるのは渡りに船だったといえる。

 現に嬉々として難波宮で先帝に取り入り、難波宮遷都を宣言したという。

 安積親王の死は藤原一族の立場を強くしただけでなく、思わぬことに橘諸兄の権力強化にも手を貸したことになる。

「兄さまも恭仁京などに固執して立場を危うくなされていましたけど、これで憑き物も落ちました。よかったこと」

 この遷都問題以来、諸兄と光明皇后の兄妹関係にもひびが入っていたが、どうやら早急に修復されつつあるようである。

「それでは弟の死は誰にとっても良かったようですこと」

 女東宮にはもちろん納得がいかない。安積親王と母皇后には血の繋がりはなく、そのために次の次の皇位の最有力候補などとされていることには内心忸怩たるものがあったことは想像できる。本来ならば自分の腹を痛めた先の皇太子が生きていたはずで、それならばむしろ女東宮さえも本来は必要なかったのである。しかし女東宮にとっては安積親王は親しくなれた弟であり、後途を託すことになっていたかもしれなかった大事な親王であった。

 何しろ、天武帝と持統帝の間の皇統、つまり天智帝の血を正しく引いた草壁皇子の子孫は、先帝と今上帝の他には女東宮と、伊勢斎宮の井上内親王、そしてその妹の不破内親王しか生きていないのである。そのことを母皇后は全く重大とは思っていない。むしろ年齢的に自らの子が皇統を展開していくことを諦めることになったとなると、せめて女東宮の来るべき世を必ず実現し、さらに実家の藤原氏を発展させていくことがその願いなのであろう。

「東宮、それもこれも全ては因果応報なのです。仏法の教えでは因果は巡ります。広刀自がわらわの子を呪った故に自らの子も同じ憂き目にあったのです」

「そんなはずはございません」

 もしも死を願ったのが罪ならば、そして因果が巡るというのならば、弟宮の死を願った女東宮こそがその報いを受けるのに相応しい。

「だまらっしゃい。女東宮、そなたには子を失う悲しみが分からないのです。わらわが先の東宮を失った時にどれだけ悲しんだか。子のないそなたには分かりますまい」

 そこまで言った時に、母皇后ははっと気がついたようであった。

「これは、失言でした。すまなんだ。許してたもれ。わらわが、わらわがどれだけ悲しんで居るのか知って欲しかっただけなのじゃ。そたたが悲しんでおるのと同じくらい、わらわも悲しんだのじゃ」

「母さま、今日はこれで失礼いたします」

「東宮、怒らないでたもれ。悪気はなかったのじゃ」

「はい」

「またすぐに来ておくれ。もうわらわにはそなたにしかおらぬのじゃ」

「いいえ、わたくしは甕原に行こうと思っております。主上に願い出るつもりで。なのでしばらくお会いいたしませぬ」

「待ちやれ」

 母皇后は立ち上がって女東宮を引きとめようとした。

「母さま、祟りを受けるべき人は別におります。どうか広刀自をお許しください」

 女東宮は裾をひるがえして、止めようとする母皇后が追いすがるのを許さなかった。


 女東宮が甕原みかのはらへ行こうと思ったのは、別に光明皇后の言葉に傷ついたからでもなく、単にそろそろ独りになりたかったからである。

 そのため、いい機会だとばかりに父帝にその暇乞いを願うことにした。

「主上、よろしいでしょうか」

「おお、東宮。もちろんだとも。朕はそなたが来るのを拒むことはありはせぬ」

 先帝は父帝が女東宮への譲位の機会を狙っていると仰っておられたが、その通りであろう。だからあまり話を深くせず、その話題になる前に立ち去ろうと女東宮は思った。

「かたじけなく思います。ところでわたくしは一度甕原へ参ろうと思うのですが」

「恭仁へ。何ゆえにだ」

「甕原はわたくしにとって気の休まるとこです。弟の御霊もまだ留まっていましょう。別れを告げに参りたいと思います」

「ならぬ。何ゆえこの清浄の地から穢れた下界へ降らなければならぬのじゃ。ならぬ、ならぬぞ」

「しかし甕原はさほど離れておりませぬ。少しの間だけです、主上」

「もうこれ以上朕の子を失うわけには参らぬ。そなたしか位を譲る者はおらぬのだ」

「わたくしにも血の繋がった姉と妹がおります、主上」

 今上帝の娘達でもある。

「だめだ。その者達では朕が生前譲位をすると言っても周りが許すまい。そなたなならばむしろ位を譲ることを勧めて来る者もおる」

 恐らくは藤原仲麻呂であろう。仲麻呂は先帝の影響下にあられる今上帝よりも、母皇后に支配されるであろう女東宮の世の方が自分の力が奮えると思っているに違いない。

「いや、もちろんそれだけではないぞ。朕はそなたが可愛いのだ」

 慌てて付け加えられたが、しかし女東宮も父帝のこういう所がやりきれない時がある。

「何ゆえにそこまで恐れるのです。怨霊は祟りを為しましたとはいえ、主上に直接害を為したわけでもありません」

「子を失ったのだ。それも二人。よりによって男子を、だ。朕には五人も子がおるのに、よりによって」

 女東宮はさすがにもうこの手の御言葉にはいちいち傷つかない。

「しかし一概に全てが祟りともいえますまい。いずれにしろわたくしは甕原に参りたいと思います」

 父帝は急に怖い顔をした。

「ならぬ」

「どうしてです」

 すると、今上帝は人払いを命じられた。

「急にいかがしました」

「皆出て行け。東宮と二人だけにせよ。呼ぶまで誰も入って参るな」

 今上帝は当惑する女東宮を尻目に珍しく大きな御声をあげられた。

「東宮、そなたは先だって朕が東国を回ったのをもちろん覚えておろう」

「はい、もちろんでございます」

「伊勢でそなたと別れた後、朕は尾張へ参った。偉大なる天武帝が壬申じんしんの大戦の折に寄られたところだ」

「はい」

「そなたは三種の神器のうちの一つである草薙剣くさなぎのつるぎが何ゆえに熱田あつたにあるか存じておるか」

小碓尊おうすのみことの妃である宮簀媛みやずひめのゆかりの地であるからでありましょう」

 かつて小碓尊が天叢雲あまのむらくも剣を振りかざして東征し、草薙の剣と言われるほどにその助けを借り、帰路にその宝剣を尾張に残る妃に預けたまま亡くなったという伝説は、無論のこと女東宮も知っている。日本武尊やまとたけるのみことと贈名されたその人物の皇子が即位し、後世に皇統を繋げていたのであるから、女東宮の祖先の一人であるはずでもあった。

「その昔、天智帝の御世に剣は不逞な新羅しらぎ人に盗まれたが、無論のこと天は罰を与え、剣は戻った。そして天武帝は二度とそのような不埒なことが無いようにと宮中で厳重に保管なされた。天武帝にはその宝剣の力を借り、壬申の乱の後の新秩序を作り出そうとの御心もおありだったという。だがあろうことか、その剣は天武帝に祟った」

 一瞬、女東宮はその意味が分かりかねた。皇室の宝剣がなぜ天皇を祟るのであろうか。

「天武帝は尾張の熱田宮に再び宝剣を送られた。そして厳重に封印させられたのだ」

 よく考えれば女東宮には一つだけ思い当たることがあった。先帝が秘密を明かし、藤原房前ふじわらのふささきが遺言で遺した秘事である。つまり天武帝は正統なる皇統を受け継いでおられないということに他ならない。

「先帝がそなたに御話になられたということを朕も聞いておる。その話を朕が最初に聞いた時は信じられなかった。朕は正統な帝であると。日の本を統べるべく高天原から降臨なされた、天照大神様の子孫であると」

「もちろんでありましょう。われらは正統なる血の後継者でありましょう」

 しかし今上帝は首を振られた。

「それは事実であった。朕が草薙の剣に触れるや、神託が降りてまいった。剣は朕を拒絶したのだ。危うく取り落とそうになった。だが朕は取り落とすわけにはいかなかったのだ。もしもその話を聞いておらなかったら、心の準備が出来ておらなかったら、間違いなく醜態をさらしていたであろう。幸いにも百官や神官は朕の後ろにいたため、顔は見られずに済んだ。朕は剣を再び戻し、前にも増して厳重に封印するように命じてまいった」

「それでは主上が東国へ参ったのは」

「そうだ。続く天災や変事は皇祖の祟りではないかと思うようになったのだ。だから伊勢に参って神宮の封印を確かめ、そして熱田へ参って草薙剣の封印を確かめてきたのだ」

 女東宮は前にも増して父帝が怨霊を恐れられるようになった原因を知った。

「だから安積親王のことも覚悟はしておった。亡くなったという知らせを聞いて悲しみと同時に諦めの気持ちもあったのだ。次に祟りがあるとしたら、そなたに間違いはない。だからそなたはこれより決して不浄に近づいてはならぬし、怨霊のおわすところに行ってもならぬのだ」

 今上帝の有無を言わさぬ御様子に、女東宮は甕原行きを諦めるしかなかった。それどころか今上帝の御言葉で女東宮まで恐ろしくなってしまった。本当に今上帝は高天原からは正統なる帝と認められていないのであろうか。そうなると、当の自分はどうなるのであろうか。


「そなたが甕原行きを諦めてくれて、わらわは本当に嬉しく思っておりますよ」

 今まで女東宮が甕原へ行きたいといえば許し、由義ゆげへ滞在するといえばその意思を貫き続けていただけに、まさか今回に限って今上帝の言葉で女東宮が恭仁宮行きを断念したとは思えなかった光明皇后は、女東宮が自分のために考えを変えてくれたのだと信じているようであった。

「いいえ、そういうわけではありませぬ」

「まあまあ、それならば一体どういうわけですか。いいのです。いずれにしろそなたはここにいるのですから」

「まあそういうことです」

 女東宮が荷支度を解いたと聞きつけ、母皇后は早速とばかりに押しかけてきたのである。

「若女、そなたはよくぞ知らせてくれましたな」

 久米若女くめのわかめはかつては光明皇后の女官であっただけに、もちろん顔を見知っているどころではない。

「若女、そなたが知らせたのか」

「はい、出すぎた真似を」

「よいよい。東宮、若女を怒るでないぞ。母娘の仲を取り持とうとしてくれたのじゃ」

 そういえば久米若女は最近は母皇后と女東宮の仲が冷えてきているのを心配していた。しかし明らかに僭越な行為である。だが長年の付き合いの長さから怒るに怒れない。

「だがまあ、荷解きはほどほどにしておくが良いでしょうな。必需の物だけ身近に置き、他はいつでも移れるようにしておくがよかろう」

 光明皇后にしては何か含んだものの言い方である。

「どういうことです」

「いいえ、わらわは何も知りません。だが近いうちに主上は平城京へ還御なさることになるかもしれませぬな」

 明らかに何かを隠してはいるが、そのことすら隠そうともしていない。

「何をお企みで」

「わらわは何もしませぬ」

「それでは仲麻呂ですか」

「さあ。仲麻呂も何もしませぬ」

「何をなさるのです。まさか大仏をお壊しになるのではありますまいな」

 大仏は建立されるべく甲賀寺で基礎工事が始められている。

「まさか」

 どうやら女東宮の機嫌が直って安心したのと、何かの企みがあることで、光明皇后は心が晴れ晴れとしてきたのであろう。

「ではわらわはそろそろ戻りましょう。明日はまたわらわの許へ尋ねてくるのですよ」

 そう言って光明皇后は明るく立ち去った。

「若女、そなたは」

「申し訳ありませぬ。まさかあのような」

 さすがに久米若女も光明皇后の振る舞いに呆れているようであった。

「もうよい。それより確かに気になります。豊成を呼んだ方がいいかもしれませぬ」

 藤原豊成は難波宮で先帝と橘諸兄と共に政務にあたっている。今となっては女東宮が様々な意味で頼りに出来るのは豊成しかいない。


「中納言が参っております」

 今上帝の朝見に際して女東宮がそう今上帝に奏上すると、藤原仲麻呂が嫌な顔をした。百官の大部分が政務のために難波宮に残っている今、今上帝を独り占めしている幸運な高官は仲麻呂のみなのである。しかし兄で位も上である参議中納言藤原豊成が来ているとなると、やりにくいことこの上ないのであろう。

「豊成でございます」

「おお、中納言。よく参った。いかがした」

「はい、難波宮においては滞りなく政は進んでおります」

「ふむ。太上天皇陛下にはよろしくお伝えするように」

「喜んで」

「して」

「はい。逆に紫香楽宮において主上におかれては何かご不自由がございませぬか、不測の事態が起こっておられぬか、先帝は心配なされまして、臣がご機嫌伺いに参ったのであります」

「おお、さすがに先帝陛下は先をお見通すお力がおありだ。その通り不測の事態が起こっておる。ここのところ近隣の山々で火事が頻発するようになってな。先日もひょうが降りそそいで屋根を傷めた」

「さようでございますか」

「そこで大夫が大仏について献言したいと申すのだ」

 豊成は同母弟である右京大夫藤原仲麻呂を見ている。

「申し上げてよろしくありましょうや」

「申せ」

「では。臣はこの地での大仏建立は困難であり、また無意味と存じます」

 それを聞いて豊成は即座に反論した。

「今上天皇陛下がお選びになった地。それだけで資格たるに十分ではある」

「第一にこの紫香楽の高原では人民の移動にも不便でかつ資材の搬入にも不便であります。なぜならばこの地には利便のよい河がなく、車が通れる道もございません。あるのは急峻な川と人の手によってのみしか通れぬ道のみ。臣が先年恭仁京との間につけた道も運搬には不便な地形でございます。そして第二にこの地の人口少なく、労役を負担させるには不十分で有ります。そのために人民を広く全国から集め労役に就かせる必要がございますが、それを養うだけのものがこの地にはございません。そうなれば食料はもちろん飲水も運び入れることになります。さもなければ大仏の完成が何十年先になるか分かりませぬ」

「仏法のためにはあらゆる苦難を乗り越えねばならぬ。この地こそが理想の地なのだ」

 玄昉が反論するが、いかにも苦しい。

「僧正の大仏はご利益がないと見えますな。だからこの地に固執される。だが大仏に真に国家鎮護の大役が果たせるならば、むしろ三代の都平城京にこそ置かれるべきではありませぬか。その鎮護の下で交通至便な平城京をこそ」

「やめよ。朕はもう決めたのだ。この地こそが理想の地である」

 そう今上帝が仰られると、今まで自信満々であった仲麻呂は唖然として引き下がるしかなかった。

 実際の工事の難苦を理由に大仏建立の地を平城京に移し、そのまま遷都を中止させるつもりであったのだろう。それは言いがかりでも何でもなく本当のことであるから、舌鋒鋭い僧正玄昉であっても効果的な対応は出来なかった。唯一つ誤算であったのは、今上帝の鶴の一声であった。

 今上帝は例年と異なり新年を紫香楽で過ごすと宣言なされた。そして盧舎那仏の体骨となるべき柱を建てる際に御自ら綱を引く者に加わられたのである。

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