安息の甘露【8】グジム視点
俺たちを値踏みしに来たらしいターヒル氏だが、どうやら気に入ってもらえたようだ。
彼の所属する自由連盟とは今でこそ良好な関係ではあるが、宗教的な思想が強い俺たち解放同盟とはぶつかることも多い。
うかつな言動で仲間たちの足を引っ張ることにならなくて、本当に良かった。
隣り合ったベンチで寝転んで身体を温めながら、他愛のない世間話に興じる。
「今日はこれからどうするんだ?」
「帰投は昼食をこちらでとってからで良いと言われているので、それまではのんびりするつもりです」
「できれば部隊のみんなや村のこどもたちにもお土産を買って帰りたいですね」
「お前はついでに自分の菓子も買うつもりだろ」
ふにゃりと幸せそうに笑うイリムに突っ込むと、ターヒル氏が楽しげに目を細めた。
こうしていると最初に声をかけてきた時の鋭さは感じられず、まるで気のいいご近所さんといった風情だ。
「君たちは本当に仲がいいね」
「そうですか?」
「ああ。意識してなくてもいつも自然に寄り添っているのがよく分かるよ。強い絆ができているのを感じる」
あごの下で組んだ腕を枕にうつ伏せに寝転んだターヒル氏は、そのままの姿勢で満足気に頷いた。
「君たちなら、どんなに厳しい局面でも最後まで支え合って戦えそうだ」
面と向かって言われると照れ臭いが、信頼して貰えたのは素直に嬉しい。
「それにしても、君たちはこの国の生まれではないんだろう? こうして話していると普通の若者なのに、なぜこんな遠い国で生命がけで戦ってるんだい?」
ふっと俺たちの心がほぐれたのを見計らったかのように、何とも答えにくい質問が飛んできた。
思わずイリムと顔を見合わせてから、ゆっくりターヒル氏の顔色をうかがう。
「それは……やはり、僕たちのような
起き上がりながらイリムが自嘲気味に言った。伏せられた紫紺の瞳が哀しげだ。
「すまない。言いにくいことを聞いてしまって。君たちを疑ったり侮辱するつもりはないんだ」
ついさっきまでの寛いだ様子とはうって変わった悲壮感に、ターヒル氏も慌てて起き上がる。
「ただ、どうしてもこれだけは聞いておきたかったんだ。うちの連中を説得するためにも」
ベンチの上で胡座をかき、困り顔になったターヒル氏。俺の隣で叱られた犬みたいにしょんぼり項垂れたイリムを見て、途方に暮れたように頭をかいている。
「つまり、そちらの部隊では我々との連携に反対するメンバーもいる訳ですね?」
仕方がないので俺も起き上がり、ベンチの上で片膝立ちになった。この姿勢なら、万が一何かあってもすぐ対応できるはず。
「残念ながら、一口に外国人戦闘員と言っても君たちのようにお行儀の良い子ばかりではないからな。悪感情を持つ者も多い」
「ああ、それは……仕方ありませんね」
単に暴れたり銃を撃ったりしたいというだけで傭兵になる外国人戦闘員も珍しくない。そんな奴らの素行が良いわけがなく……嫌な思いをした人々が、外国人戦闘員そのものを嫌うようになるのは自然なことだ。
「君たちがそんな奴らとは違うのは分かっているんだが……俺自身が気に入ったというだけでは納得しそうにない」
「ということは、合意は指揮官の間だけ?」
「今のところはな。うちの連中が納得すれば本決まりだ」
君たちのところは鷹の一声で全て決まるからいいよな、と言われて返答に困る。
うちの部隊は人数も少ないし、故郷の村で暮らしていた頃からずっと一緒に生きてきた家族のようなものだ。その信頼関係は、外部から見ると少しばかり特異なものに映るらしい。
「隊長の決断なら間違いありませんから」
「絶対に?」
「……少なくとも、俺たちが受け入れられないようなことを、何の相談もなく決めてしまう事だけは絶対にしません」
たまに意見がぶつかることもあるが、
「なるほど。良い信頼関係ができているんだね」
「ええ。俺たちみんなの父親のようなものですから」
俺の答えにターヒル氏は納得したように頷くと、不意に表情を引きしめた。
「それでは、このシェミッシュに来たのも鷹の決断だからかい? 君たちの意思ではなく」
どこか試すような響き。
実際、試しているんだろう。俺たちがただ盲目的に隊長の言葉に従っているだけなのか、それともよく考えた末に自分自身の意志と信念のもとで従うことを選んでいるのかを。
彼の思惑を知ってか知らずか、急に変わった言い回しに引っかかりを覚えたのだろう。俯いていたイリムが不意に顔を上げた。
「いえ、それは違います。僕たち自身が決めました」
さっきのしょげ返った姿はどこへやら。ターヒル氏を真っすぐに見据える瞳は強い意志をたたえて燃えているようだ。
「僕たちが隊長を追ってこの国に来たのは、恩返しがしたかったからです」
「恩返し? 鷹に対してかい?」
「いいえ、違います」
俺たちが物心ついた頃、国は混乱しきっていて、とても「法治国家」として機能していると言える状態ではなかった。国民はそれぞれの部族や集落と言ったコミュニティごとに自らを治めて守るしか生きるすべはなく、そんな状況下でも山の中の小さな村を守り抜いてくれた
しかし、俺たちにとって「戦場に身を置いてまで恩を返したい人」は他にいる。
「もちろん、隊長にも心から感謝していますが、僕たちが恩返しをしたかったのは、故郷を救ってくれた人に対してです」
「故郷を救った? たしか君たちはシュチパリア人と名乗っているが、厳密にはダルマチアの出身だったな?」
若干とまどった様子のターヒル氏。たしかに俺たちの故郷の周辺は多数の民族が入り混じって生活しているので、他の地域の人から見るとかなりややこしい。
「はい。国籍だけを問題にするなら、シュチパリア系ダルマチア人ということになります。もっとも、何代も前に一族もろとも移り住んだとはいえ、父祖の地はシュチパリアです。だから、僕たち自身はシュチパリア人だと思っています」
「なるほどな。このシェミッシュでもエルベ系の住民は絶対にシェミッシュ人と名乗らないのと同じか」
ターヒル氏が苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
多民族国家の抱える事情はいずこも同じ。俺たちの故郷ダルマチアにおいてのシュチパリア人問題も、ここシェミッシュにとってのエルベ人問題と同じように根が深い。
彼の渋面もそれを悟ってのことだろう。
少々ややこしいとは思うが、これでようやく俺たちの背景を説明できる。
砂漠の鷹は望郷の涙を流すか 歌川ピロシキ @PiroshikiUtagawa
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