百鬼回向

すらかき飄乎

百鬼回向

   「百鬼囘向ゑかう



 どうしてもあと二里は進まねば、今晩泊まるべき安龕寺あんがんじ行着いきつく事が出來ぬ。しかるに空は隨分ずいぶんかぶつて、日は早暮始はやくれはじめてゐる。

 は出家であつた。

 道はくぬぎ林のあひだを拔けてゐた。さうして余の足は鉛のやうに重かつた。

 すゝきまばらに生えた土手の下をまがると、不意にあたりがさつと開け、一件の屋敷が目に入つた。古びてはゐるが、百姓家と云ふには隨分と大きなかまへである。

 余は此先このさきを歩いて行く事がほとほいやになつてゐた。

 泊めてはれぬだらうか。

 さう思つたところ、何時のにかに十程とをほどの年恰好の娘が緣側に腰を掛けてゐて、余を見ると、御坊樣おばうさま、御待ちしてをりましたと頭を下げた。

 娘に促されるまゝ屋敷裡やしきうち這入はいると、けたゝましく小鳥がいた。見れば、土閒どまかこんでぐるりと澤山たくさん禽籠とりかごが掛かつてをり、ひはだの、目白だの、ひよどりだのが、一羽づゝ籠められてゐる。

 何でも、此家このいへの主人は鳥刺とりさしだと云ふ。

 御父つさんは今日は御山で御座います。あと三日もせねば、戾つてはまゐりませぬ。

 娘によれば、余が今日此所こゝに來る事は、朝の內からとうにわかつてゐたと云ふ。

 今朝から小鳥共がもう大騷ぎで御座いました。何時もは一口だにかぬのに。

 娘は忌〻いま〳〵しさうに禽籠とりかごめ囘した。すると、鳥達が愈〻いよ〳〵激しく騷ぎ立て、羽やらほこりやらがさかんに舞立つのが、くら土閒乍どまながら判然と目に付くやうであつた。

 御坊樣何如いかゞで御座います。かゆくは御座いませぬか。痒う御座いますればどうぞおほせになつて下さいませ。

 成程なるほど云はれてみれば首筋やら脇腹やらが無闇むやみに痒い。鳥に付いたのみやら壁蝨だにやらであらうか。さう思ふと、すこぶる氣持ちが惡く閉口したが、まさか年端も行かぬ娘の前で、肌脫ぎになって搔毟かきむしわけにもいかず、もとより、痒いなんぞと口に出す事だにはゞかられるやうに思はれた。

 それで、難しい顏で默つてゐると、娘も何も云はず、いさゝか意地の惡いやうなゑみを頰に浮かべながら、右手で先へと促した。

 奧に進んでかまちに腰を掛け、石の上で履物を脫ぎかけたら、娘がすつとたらひを差出した。盥の水で足をすゝぐと、今度はさつと手拭てぬぐひが出る。子供ながら、中〻に氣が利いてゐる。

 上ると表座敷と云ふ所に通された。

 右手の唐紙からかみの向かうには奧座敷があり、此屋敷このやしきで一番上等な部屋なのださうだが、生憎あいにく今は其所そこに御婆さんがせつてゐるのだと云ふ。

 晩の御膳おぜんは何に致しませう。あぶりものが宜しう御座いませうや。それとも、あつものが宜しう御座いませうか。今時分は鶯抔うぐひすなどおいしう御座いませう。

 娘が云ふと、遠くでほうほけきよと啼いた。

 あらい聲だこと。

 娘は小首を傾げ、唇の右端を吊上つりあげるやうにして、ほ、ほ、ほ、と笑つた。その嫣然えんぜんたる樣子は、とても十許とをばかりの小娘とは思はれぬ。

 娘の心盡こゝろづくしれいを云ひつゝも、余は出家であればとて、かれすゝめるやうな馳走ちそうした。

 大變たいへん御無禮ごぶれいをば申上げました。御坊樣がなまぐさなぞ口になさるはずもないものを。

 娘は赤くて細長い舌をぺるりと出すと、其儘そのまゝひら〳〵と引下がつて、姿が見えなくなつた。あとには沈香ぢんかうでも焚いたやうなかをりが殘つた。

 娘がゐなくなつてみると、ほつとしたやうな、それでゐて何やら寂しいやうな氣がした。片付かない心持のまゝ、奧座敷と此閒このまとを隔てゝゐる唐紙からかみを眺めてゐた。

 唐紙は隨分と古い物で、曖昧なが描かれてゐた。よく〳〵見なければ染みだか何だか判らないが、何でも虎に人がまたがつてゐるらしい。僧形そうぎやうである。天臺てんだい國淸寺こくせいじ豐干ぶかんでゞもあらうか。しかるに、其虎そのとらはどうも牛のやうなかほをしてゐた。見てゐるうちに、豐干の顏も段〻と牛のやうに思はれてきた。落款らくゝわんさんを讀まうとしたが、どうやら漢字ではない。女眞ぢよしん文字だか契丹きつたん文字だか、何だかそんな異邦の文字もんじでゞもあらうか。には皆目かいもくまれなかつた。

 御坊樣、御待たせを致しました。

 今度は、五つ、六つばかりの幼い娘が、丸でひゝなにでも供へるやうな、小さな膳を運んで來た。顏を見ると先刻さつきの娘とよく似てゐる。妹であらうか。いてみると、かぶりを橫に振つて、此家このいへに娘はわたくししかおりませぬと云ふ。先程貴方樣を御案內致しましたのもこのわたくしでは御座いませぬか、情無いと云つて、泣出しさうな顏をする。余は果たしてさうであつたかとまなく思ひ、娘にすゝめられるまゝ膳に向かつた。

 膳には、はこべらだか何だかの浸物ひたしものと、粟飯あはめしとが載つてゐた。まるで小鳥の餌のやうだと思つたところ、娘が又泣出しさうになりながら、鳥の餌では御座いませぬと言訣いひわけをする。可哀さうになり、拙僧には過ぎた馳走ぢやと愛想を述べたが、拙僧と云ふ言葉がどうも使ひ慣れぬ感じで、妙に甲高く響いてしまつたのが氣になつた。

 娘は夕餉ゆふげの閒中、余の側に坐つて給仕をして吳れた。ところがよく〳〵氣付いてみると、薄化粧して紅を引き、黑〻と鐵漿かねを塗つてゐる。

 これはどうやら娘とは云ひでうじつのところは鳥刺とりさしの嫁なのではあるまいかと思ひたつた。其所そこで、其方そなたの母御はと遠囘しに問掛けてみたが、其丈それだけは云うて下さいますなと兩手で耳を覆つてしまふ。余は仕方なく默りこくつて靑菜を嚙んでゐた。

 夕餉ゆふげが濟むと、娘が急に難しさうな顏で余を覗込のぞきこみ、御婆さんは夜中にいびきを搔きますが宜しう御座いませうかとたづねた。何、鼾位少しも構はない、今晩を泊めて貰はれる丈で難有ありがたいと云ふと、今度は嬉しさうに晴れ〴〵と笑つた。さうで御座いますか、其は大層う御座いましたと頭を下げて、膳を引いて行つた。

 あとにはやはり沈香ぢんかうのやうなかをりが殘された。

 さうしてゐる內、何時の閒にやら夜も更けた。行燈あんどんともつてゐるのだが、燈心の加減だか、油の加減だか、厭に烟が棚引いてゐる。其烟そのけむりかこまれなが默然もくねんと坐つてゐると、どうもひるの疲れから、まぶたが重く下がつてくる。そろ〳〵休まうかとからだを橫たへたところ、唐紙からかみの向かうから、何やらけものうなごゑのやうなものが聞こえ始めた。此が娘が云つてゐた婆さんのいびきなのであらう。丸で山狗やまいぬみたやうである。

 さう云へば、殺生せつしやう肉食にくじきを好む家系の女が年を取ると、そうじて獸のやうな鼾を搔くものであると、昔誰だかに聞いた事がある。鳥刺とりさしの家であつたればこそもあれと思つたが、成程なるほど隨分と凄まじいものではある。しかるに、相當さうたうに歩き疲れてゐた事もあり、鼾も子守歌代はりにうと〳〵と味眠うまいに落ちて行つた。

 さうしてどれくらい寐たのであらうか。ふと、ぱち〳〵とあぶくが彈けるやうな音で目が覺めた。あたりはくらい。婆さんは依然鼾を搔いてゐる。

 泡が彈けるやうな音は、婆さんの鼾に比べるとかすれる程に小さいのだが、何故だか其が耳に付いてならない。枕の上でかうべを巡らせるやうにしてみると、何でも廊下の方から聞こえて來るらしい。

 起上おきあがつて見れば、廊下に面した障子には、一面に月影が射してゐる。

 一體いつたい何の音であらうか。障子を極細めに引開けて覗いてみると、何やら怪しげな者共が、ぞろ〴〵と歩いてゐた。

 五寸位な大きさの田樂法師である。泡が彈けるやうだと思つたのは、どうやら編木子びんざゝらの音であつたらしい。


  谷地やちの彼岸に

  行かばや 行かばや


  く〳〵行かむず

  谷地の八衢やちまた


  くこそ行かめ

  疾くこそ行かめ


 口〻にうたつてゐるところをよく〳〵見れば、田樂法師のあひだには、妙に鼻の長い異形いぎやうや、三つ目に鯰髭の化物、椀や土甁どびん五德ごとくやらに手足が生えたやうな九十九神つくもがみなんぞが混じつてゐる。化物共もまた、或いは鳥足とりあしを履き、或いは兜巾篠懸行者姿ときんすゞかけぎやうじやすがたの、何やら勿體振もつたいぶつた恰好かふこうで進んで來る。余は出家であつたればこそ怖ろしいとも思はず、これなむ百鬼夜行と感心して眺めてゐたのだが、じつに面妖なる者共ではあつた。

 鬼共は障子の隙から覗いてゐる余の方には目もくれず、わら〳〵と前の廊下を過ぎて行く。さうして、愈〻いよ〳〵殿しんがりとなつたとき、一人の法師がにはかにくるりと向き直り、笠を取ると余に深〻とかうべを埀れた。其が何だか死んだ叔父に似てゐるやうに思はれて、はつとした。

 其叔父とは、廿にじふ年前に、余の目の前で斬られて死んだ叔父の事である。

 叔父を斬つたのは余の兄である。

 兄は十五、余は十三であつた。其時そのとき、叔父は幾つであつたか、一寸ちよつと判らない。然し、何でもさんじふにはとゞいてゐなかつたやうに思はれる。

 叔父と兄とは碁を打つてゐた。

 初めの內は互ひに笑つてゐた二人であつたが、何時の閒にやらに大きなこゑ罵合のゝしりあひ、さうして遂には叔父の眉閒みけんから血が噴き出して、血刀を提げた兄の腕が、がた〴〵と震へてゐた。

 人を斬つたからにはおれとて到底長らへる事は出來ぬ。

 さう云ふと、兄は其場で腹を切つた。しかながら叔父を斬つて震へる手では、どうしても自ら深〻と腹をさばかれるものではない。薄手のみにて中〻死に切れぬ兄に、武士の情と請はれて、胸に脇差を突立てたのは他ならぬこの自分である。

 其后そのご父母ちゝはゝも自害して果て、余は寺に預けられた。

 廿年が過ぎた今となつても、眉閒から血を流してゐる叔父の顏をあり〳〵と思ひ出す事がある。兄の胸をずぶ〴〵脇差が貫く手應てごたへや、刀をつたつて兄の血が指のあひだに流れた、生溫なまあたゝかいぬる〳〵した感觸かんしよくをまざ〳〵と思ひ出す事がある。

 又、後日、家の座敷の障子に赤黑いものが飛散つてゐるのを見付けて、驚いて開けてみたら、黑く血を吸つた疊に折重つて父母が斃れてゐた。其有樣そのありさまをつい昨日のやうに思ひ出す事がある。

 くもあさましい死樣しにざまからするならば、叔父も兄も、父や母までも、到底たうてい後生ごしやう成佛じやうぶつなされたとは思はれない。

 幽鬼となつて今も常世とこよの闇を彷徨さまよつてゐられるのであらうか。

 先刻の百鬼夜行の內には、或いは本當ほんたうに叔父の姿があり、父や母や兄の姿もあり、余自身の行く末もまた、其所につらなつて歩いてゐたのかも知れぬ。さう考へると、心無き身ながら、涙が頰につたふのをとゞめる事が出來ない。

 余は田樂法師らが消えて行つた廊下の向かうに合掌し、せめて囘向ゑかうをと口の中で地藏菩薩の眞言しんごんじゆした。


  訶訶訶हहह 尾娑摩曳विस्मये 娑婆訶स्वाहा(おん かーかーかー びさんまえい そはか)……


 眞言を六遍迄となへた所、突然、月影がさつと消え失せ、あたりは眞の闇に沈んだ。

 編木子びんざゝらが聞こえる。


  谷地やちの彼岸に

  行かばや 行かばや


  く〳〵行かむず

  谷地の八衢やちまた


  くこそ行かめ

  疾くこそ行かめ


 喉が詰まる。こゑが出ない。

 其許そればかりか、丸で寒天の中にでも封じ込められたやうに四肢を動かす事もかなはず、最早、九字を切るどころでもない。

 氣が付けば、天井や梁や柱はびり〴〵と震へ、奧座敷では婆さんがおん〳〵とうなつてゐる。此は到底鼾なぞではない。


 さうして、脊中の方で唐紙からかみがすうつと開いたと思つた途端――

 四圍しゐがくにやりと捻潰ねぢつぶれ、全てが混沌となつた。


 御坊樣、宜しう御座りませうや。


 頭の上から娘の聲が聞こえる。

 小鳥が激しく啼立てる。沈香が香る……




                         <了>




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百鬼回向 すらかき飄乎 @Surakaki_Hyoko

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