03 虹と
……風が吹いてきていた。
北からの風が。
「
将門は北に、貞盛は南に。
その陣する位置により、風向きは将門に有利といえた。
「……矢戦の用意」
将門が号令を下すと、将兵らは一斉に矢を構えた。
「……来るぞ」
官軍の副将、
貞盛は軽くうなずき、迫り来る矢への備えを命じた。
「良いか。必ず時は来る。備えるのだ」
*
先手は将門だった。
少数なればこそ、初撃に集中。
将門自身が陣頭に立ち、弓を張り、矢を放つ。
すると一斉に将門軍の将兵も矢を放つ。
折りからの朔風に乗って、それは豪雨となって、官軍へと降り注ぐ。
「がっ」
「ぐわっ」
「うぐっ」
やはり寡兵といえど、将門は強かった。
彼は、初撃の矢の嵐が吹き荒れるのを十分に確かめてから、騎兵を前に出した。
「……かかれ!」
先頭の将門を
そのまま風に乗って突撃してくる人馬という矢に、貞盛と秀郷の軍は貫かれた。
「うぬっ」
「
実際、官軍の将兵はよく耐えた。
事前に、貞盛による策の説明があったからこそだが。
「思い知ったか!」
将門は見せつけるように貞盛の前に現れ、そして勝ち誇って自陣へと去って行こうとした。
その時。
「――風が」
風向きが、変わった。
北から吹く風から、南から吹く風へと。
いわゆる、春一番である。
貞盛はこれを知っていたのだ。
彼とて、坂東に生まれ育った者である。
「……かかれ」
そのかけ声は静かで、最初誰が発したか分からなかったが、弓を手に将門に追いすがろうとする貞盛を見て、彼の声だと、皆、知った。
「か、風が」
「ま、前へ!」
今度は
官軍の将兵は風を背に、一歩前へ。
「おのれ」
押し寄せる貞盛とその軍、そして風に立ち向かおうとする将門。
だが、馬が、素早く回ろうとするその旋回運動の途中で。
貞盛がつがえた矢が、弓を離れた。
「何ッ」
あやまたず、将門に突き刺さった矢。
将門はどうと地に落ちた。
「今ぞ、かかれ。手柄せよ」
秀郷の号令による、全軍突撃。
このあたりの呼吸は、老練なる秀郷ならではである。
主将の貞盛が将門を射落とし、副将の秀郷が突撃する。
もとよりの兵の多寡、そして風向きの有利が加わり、今や官軍はその勢い、騎虎の如しである。
*
「……やるな、貞盛」
負けた将門は、
秀郷によって捕縛された時も特に抵抗はせず、
「……将門
貞盛は、父・国香の将門の所領強奪が今回の「乱」の原因のひとつであるとし、当初から将門との融和を主張していた。
そしてまた――官符を得て、官軍を率いたのも、将門が強過ぎるためであり、初期は平氏内の私闘ということで収めようとしていた。
「いや――」
将門は
「おれは負けたのだ。報いは受ける。それでいい」
もう
「…………」
もしかしたら、将門は融和などではなく、最初から貞盛と全力で、全身全霊で戦いたかったかもしれない。
それを、非が無いから融和をと唱えるのは、優しさではなく過ちだったのかもしれない。
「……申し訳ありません」
「何、いいさ」
将門は語った。武士の国を、無体なけんかなどない国を作りたかったが、それはかなわなかった。つまり、それはまだ無理ということだ。
それなら。
「それなら――おれというしるべを、のちの世の残したい」
今は、勝てなかった。
だが、そういう戦いをした者がいた。
そういうしるべを残したい、と。
そう言って、将門は
*
「……この罪は許されるのでしょうか?」
京へ向かう途上、平貞盛はふと、そう
それは、誰に言ったわけでもない。
平将門を討ったことを考えていた。
それは……もしかしたら、坂東に生きる者たちの
何よりも、あの坂東の広漠たる大地と大空を象徴するような好漢を、この世から消してしまった。
そしてその好漢は、しるべになりたいと言っていたが、もしかしたら鬼神として恐れられるかもしれない。
朝廷に叛するとは、そういうことだ。
「…………」
その時、隣を行く藤原秀郷が口を開いた。
「……貞盛どの、おぬしのこれからが、それの答えとなろう」
「これから」
「さよう。坂東で生き残ったのは、勝ち残ったのは、おぬしじゃ。だからこそ、将門どのは『いいさ』と言ったのでは」
「…………」
気持ちの良い男だった。
兄と慕っていた。
討ちたくなかった。
そういう諸々の想いが、今。
「……わかりました」
貞盛は、これからを生き、そしてそれを
そして、貞盛の子孫の中から、平清盛や源頼朝が出てくるまで、あと幾ばくかの時を要した。
「しるべ、か……」
向かう先に、虹が見えた気がした。
【了】
これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい 〜貞盛と将門〜 四谷軒 @gyro
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