03 虹と

 ……風が吹いてきていた。

 北からの風が。

 朔風さくふうが。


 天慶てんぎょう三年二月十四日、未申ひつじさるの刻(午後三時)。

 下総しもうさ、北山。

 「新皇しんのう平将門たいらのまさかど率いる軍と、平貞盛たいらのさだもり率いる官軍が対峙していた。

 将門は北に、貞盛は南に。

 その陣する位置により、風向きは将門に有利といえた。


「……矢戦の用意」


 将門が号令を下すと、将兵らは一斉に矢を構えた。


「……来るぞ」


 官軍の副将、藤原秀郷ふじわらのひでさとは甥の貞盛に注意を促した。

 貞盛は軽くうなずき、迫り来る矢への備えを命じた。


「良いか。必ずは来る。備えるのだ」



 先手は将門だった。

 少数なればこそ、初撃に集中。

 将門自身が陣頭に立ち、弓を張り、矢を放つ。

 すると一斉に将門軍の将兵も矢を放つ。

 折りからの朔風に乗って、は豪雨となって、官軍へと降り注ぐ。


「がっ」


「ぐわっ」


「うぐっ」


 やはり寡兵といえど、将門は強かった。

 彼は、初撃の矢の嵐が吹き荒れるのを十分に確かめてから、騎兵を前に出した。


「……かかれ!」


 先頭の将門をやじりとした、矢のようなを取る将門軍。

 そのまま風に乗って突撃してくる人馬という矢に、貞盛と秀郷の軍は貫かれた。


「うぬっ」


しのげ、いや、耐えろ」


 万夫不当ばんぷふとうの将門を相手に、余計な色気など見せず、進まず、ただ、じっと過ぎ去るのを待つ。

 実際、官軍の将兵はよく耐えた。

 事前に、貞盛によるの説明があったからこそだが。


「思い知ったか!」


 将門は見せつけるように貞盛の前に現れ、そして勝ち誇って自陣へと去って行こうとした。

 その時。


「――風が」


 風向きが、変わった。

 北から吹く風から、南から吹く風へと。

 いわゆる、春一番である。

 貞盛はを知っていたのだ。

 彼とて、坂東に生まれ育った者である。


「……かかれ」


 その声は静かで、最初誰が発したか分からなかったが、弓を手に将門に追いすがろうとする貞盛を見て、彼の声だと、皆、知った。


「か、風が」


「ま、前へ!」


 今度は官軍こちらが風を味方にしている。

 官軍の将兵は風を背に、一歩前へ。


「おのれ」


 押し寄せる貞盛とその軍、そして風に立ち向かおうとする将門。

 だが、馬が、素早く回ろうとするその旋回運動の途中で。

 貞盛がつがえた矢が、弓を離れた。


「何ッ」


 あやまたず、将門に突き刺さった矢。

 将門はと地に落ちた。


「今ぞ、かかれ。手柄せよ」


 秀郷の号令による、全軍突撃。

 このあたりのは、老練なる秀郷ならではである。

 主将の貞盛が将門を射落とし、副将の秀郷が突撃する。

 もとよりの兵の多寡、そして風向きの有利が加わり、今や官軍はその勢い、騎虎の如しである。



「……な、貞盛」


 負けた将門は、おこりが落ちたように、すっきりとした顔立ちであった。

 秀郷によって捕縛された時も特に抵抗はせず、従容しょうようたる様であった。


「……将門にい、京で詫びてくれ。私も共に詫びる」


 貞盛は、父・国香の将門の所領強奪が今回の「乱」の原因のひとつであるとし、当初から将門との融和を主張していた。

 そしてまた――官符を得て、官軍を率いたのも、将門が強過ぎるためであり、初期は平氏内の私闘ということで収めようとしていた。


「いや――」


 将門はかぶりを振る。


「おれは負けたのだ。報いは受ける。それでいい」


 もう貞盛お前と戦えないのは残念だがな、と稀代の英雄は笑った。


「…………」


 もしかしたら、将門は融和などではなく、最初から貞盛と全力で、全身全霊で戦いたかったかもしれない。

 それを、非が無いから融和をと唱えるのは、優しさではなく過ちだったのかもしれない。


「……申し訳ありません」


「何、いいさ」


 将門は語った。武士の国を、無体ななどない国を作りたかったが、それはかなわなかった。つまり、それは無理ということだ。

 それなら。


「それなら――おれというを、のちの世の残したい」


 今は、勝てなかった。

 だが、そういう戦いをした者がいた。

 そういうを残したい、と。

 そう言って、将門はこうべを垂れた。



「……この罪は許されるのでしょうか?」


 京へ向かう途上、平貞盛はふと、そうらした。

 それは、誰に言ったわけでもない。

 平将門を討ったことを考えていた。

 それは……もしかしたら、坂東に生きる者たちのさきがけを、希望を断ってしまったのかもしれない。

 何よりも、あの坂東の広漠たる大地と大空を象徴するような好漢を、この世から消してしまった。

 そしてその好漢は、になりたいと言っていたが、もしかしたら鬼神として恐れられるかもしれない。

 朝廷に叛するとは、そういうことだ。


「…………」


 その時、隣を行く藤原秀郷が口を開いた。


「……貞盛どの、おぬしのが、それの答えとなろう」


「これから」


「さよう。坂東で生き残ったのは、勝ち残ったのは、おぬしじゃ。だからこそ、将門どのは『いいさ』と言ったのでは」


「…………」


 気持ちの良い男だった。

 兄と慕っていた。

 討ちたくなかった。

 そういう諸々の想いが、今。


「……わかりました」


 貞盛は、これからを生き、そしてそれをもって、将門の許しを得よう、あるいは、想いに応えようと思った。

 そして、貞盛の子孫の中から、平清盛や源頼朝が出てくるまで、あと幾ばくかの時を要した。


、か……」


 向かう先に、虹が見えた気がした。


 


【了】

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これを優しさと呼ばないのなら過ちでもいい 〜貞盛と将門〜 四谷軒 @gyro

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