第15話 篁、冥府特別隊の隊長になる。


 たかむらと魔犬母子は、山奥のいおりから冥界へ飛んだ。



「────なるほどな」


 冥府の宮殿で母魔犬サラマーから報告を聞いたエンマ・ラジャは、目を伏せてうなずいた後、しばし沈黙した。


「その尼僧からは、少々どころではないじれを感じる。人を揶揄からかうだけの魔魅まみが変容したのは、その尼僧の呪いのせいかも知れぬ。ぬえの正体は……おそらく尼僧自身だろう。人を呪うあまり、生きながら魔物となったのかも知れぬ。憐れな女だ……」


 エンマの言葉を聞いても、篁は驚かなかった。

 白蓮びゃくれんの纏う空気は怖気おぞけが立つほど禍々しく、その力は篁を硬直させるほどだった。

 それでも篁は、心のどこかでそれを否定していた。白蓮が魔物だと認めたくなかった。彼女が人だと信じたかった。


「篁。そなた、人を斬る覚悟はあるか?」

「へ?」


 篁が顔を上げたとき、エンマがスッと宙に手を伸ばした。

 その手の中に一振りの剣が現れる。青白い刀身の美しい剣だ。


「魔剣〈羅刹らせつ〉。魔物を狩るための剣だ。ゆえに、この魔剣では人界の生き物を斬ることは出来ぬ。白蓮を斬っても、あれが人である限り命は取れぬ」


「俺に、あの女を斬れと言うのか?」


「この冥府は、本来であれば生者に干渉は出来ぬ。だが、魔物が絡んでいる以上このまま見過ごすこともできぬ。そなたは人の子だ。そなたなら人界の者に干渉できる。

 あの尼僧をあなどるな。このままにしておけば被害は続くぞ。伊予いよ皇子の怨霊も白蓮に引きずられているだけかも知れん」


 ハッ、と篁は目をみはった。と同時に、違う──と思った。

 伊予皇子は、篁に対して一度も言葉を発しなかった。けれど、彼の微笑む顔は何度か目にした。

 初めは侮られているのだと思ったが、上皇を助けようと篁が彼に斬りつけようとしたとき、彼はどこかホッとしたような笑みを浮かべたのだ。


「やる気があるならこの剣を授けよう。そなたなら、無害な魔物まで狩ることはなかろう?」


 エンマはその秀麗な顔に笑みを浮かべた。

 余りの珍事に小鬼どもが驚き、「おおっ!」「エンマ様が笑ろうていらっしゃる!」とざわざわし始める。


「何だ、不服か? どうせ仕事もしていないすねかじりの身であろう?」

「いやまぁ、そうだけどさ」


 篁はポリポリと頬を引っ掻く。


「何もそなた一人に押しつける気はない。魔犬族をつけてやるし、そなたを冥府特別隊の晴れある初代隊長に任命してやる」


「冥府……特別隊?」

「そうだ。謹んで拝命しろ! すぐさま尼僧を斬って来い!」


 エンマの目がキラリと光る。


「わ、わかったよ!」



 エンマの命により、篁は再び竹林の庵へ向かった。

 文句を言うおかっぱ姉弟の首を母サラマーが引っ張り、篁はシロタと一緒に空を駆けた。


 竹林に入るなり、赤く目を光らせた魔魅まみが襲って来たが、篁たちは難なくそれを倒し、魔剣〈羅刹〉を向けるなり巨大な黒い獣、鵺に変化へんげした白蓮をも倒した。


 魔剣〈羅刹〉に貫かれた白蓮は、すぐにかそけき女人の姿に戻ったが、すでに人としての命は残り少なかったのだろう。

 彼女は伊予いよ皇子に見守られながら息を引き取った。


 白蓮の亡骸を抱いた伊予皇子は満足そうな笑みを浮かべた。

 その姿はだんだんと霞んでゆき、やがて青白い魂となると、身体から抜け出た白蓮の魂と共に竹林の中へ漂い始める。


「おい! 誰でも良い! あの二人の魂を冥界まで連れて行ってやってくれ!」


 篁がそう叫ぶと、三頭の魔犬が飛び出した。


 しとしとと降り出した霧雨が辺りを青白く霞ませる中、篁とシロタは、不幸な運命に苦しめられた二つの魂を静かに見送った。



 〇     〇



「壱子!」

「タカちゃん! 良かった。もう来てくれないかと……」


 三日目となるその夜遅く、篁は壱子の元へと駆けつけた。


「そんな訳ない。俺、ずっと壱子の顔が見たかったんだ」


 御簾で囲まれた寝所に入るなり、篁は壱子を抱きしめた。

 ただ、昼も夜も張りつめていた神経が、彼女を抱きしめた途端に緩んでしまったのだろう。疲れが一気に押寄せてきた。

 篁は必死に抵抗したが、強い睡魔にはあらがうことが出来ず、ぱたりとしとねに倒れ込んでしまった。


 一度も目覚めることなく朝を迎えた篁は、寝ぼけまなこで膳が運ばれてくるのを眺め、微妙な空気の中で三日夜みかよの餅を食んだ。

 隣に並んだ壱子がプクッと餅のように頬を膨らませて、篁の膝をキューッとつねったが、もちろん文句など言えなかった。




 ────後の小野篁は文才に優れ、東宮学士や遣唐使(流罪にされたりもしたが)、刑部省輔、蔵人頭などを歴任したことから文官のイメージが強い。

 しかしながら、陸奥の山々で大猪を狩り、弓や馬を操って遊んでいた若き日の偉丈夫は、実は冥府の王に命じられ、影ながら京の都を守る武官でもあったという。

 その最初のお話────。


                  おわり



──────────────────────────────────────※拙い物語を最後まで読んで下さってありがとうございました!

(藤原薬子の娘については、名前もその後の消息もわかっていません。彼女の魂が安らかでありますように。合掌)

 

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冥界渡り【小野篁異伝】 滝野れお @reo-takino

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