雷鳴る星の谷間

源公子

第1話 雷鳴る星の谷間

「また敵の稲妻が光ってる、もうすぐそこまで」

 ここは星の谷間。星の大河がいつも谷の上にあり、イーラス神の子供達を見守っている。

「ええ、でも大丈夫。西の砦にはサークルク王子がいます、負けやしませんよ」

 乳姉妹で侍女のゾーイはキッパリと言い切る。

「そうかしら」私、オルシア姫は瞳を曇らす。嫌な予感がした。

 私の母はイーラス神に仕える巫女だった。世界中のあらゆる生き物の声を聴く力を持ち、王や民達に告げ知らせ、幾度も国を救ったと言う。私にもその力は受け継がれた。

 母は、生まれる前の胎児の声さえ聞けた。「生まれる前の赤ちゃんはね、自分の未来を神様から教えてもらって知ってるの。生まれる時には忘れてしまうけれどね。お腹にいた時、お前の未来は愛する一人の女の子と、愛する一人の男の子に守られて、とても幸せなのだと言っていたわ」

 愛する女の子とはすぐに会えた。でも、男の子とはまだ出会えていない。この先も会えるとは思えない。母は私を慰めるためにきっと嘘をついたのだろう。


 私の頭にあの異形の生き物の声が響いたのは半年前。その生き物は、自分以外の種族は全て勝手に殺して良いと考えている、神をも恐れぬ野蛮な生き物だ。

 彼奴らは生き物を殺すのを楽しんでいる。皮を剥ぎ、“標本”という呼び名の、生きていた時と同じ姿の作り物を並べ、コレクションするため殺し、肉は捨てる。

 我らは食べる以外、命を奪うことはしない。それですら、イーラス神に許しを請い、ひとかけらも無駄にせぬよう大事に扱う。命の尊厳とはそういうものだ。

 虫や鳥に飽き足らず、ついに我が同族が手にかけられた時、国を挙げての命を賭けた戦いが始まったのだ。

「姫さましっかりしてください! 許嫁の姫さまが信じなきゃ王子だって力が出ませんよ。それに彼はイーラス神に祝福された次代の王様なんですよ、神に守られてるんですから大丈夫ですって」

「そうね、悪い方にばかりに考えるのは私の嫌な癖ね」

ゾーイのなんの根拠もない自信と明るさには、いつも勇気づけられる。

 私の母は私が幼い頃に亡くなった。乳母だったゾーイの母が私を守り育て、二人は片時も離れず一緒に育ったのだ。

 強くて大きくて、黒い男勝りのゾーイ。弱くて細くて白い私。

 同い年のゾーイはいつも私を護ってくれる。その辺の男よりずっと強い。

「ゾーイは一生姫をお守りします。だって私みたいなブス、嫁にもらってくれる男なんていませんもの。だからずっとお側に置いてくださいね」

 違うのに。ゾーイ、貴女に男達の考えていることを見せてやりたい。取り繕った外側とどれほどかけ離れた欲が渦巻いているか。

 一夫多妻のこの国では、女は男のトロフィーだ。男達は女をどう利用すれば得をするか、出世ができるか値踏みする。真っ黒な自分勝手な心で、女に突っ込むことばかり考えてるいきり勃ったペニス! 女を“物”としか思ってない。

 男達にチヤホヤされる私を見て「姫さまの半分でいいから、白かったら、細かったら……」と悲しむゾーイ。そうやって貴女の綺麗な心が萎んでいく。

 違う、男達が見てるのは私の外側だけ。私が何を考え、どう感じているかなんてどうでもいいの。世界で一番綺麗な心を持ってるのは貴女なのに。


 ――そして王子様とお姫様は結婚し、末長く幸せに暮らしました。めでたしめでたし――


 貴女のお母さんの聞かせてくれた昔話をまだ信じてる。「いつか王子様が……」その夢を捨てきれない、可哀想なゾーイ。知っているのは私だけ。

 だから戦いの祝福と部族間の協定のため訪れた、サークルク王子を一目見て、貴女は恋をした。黒い肌色を薄くするほど、首まで真っ赤になって。

 彼は確かにハンサムだった。姿も心も、こんな真っ直ぐな男を見た事がない。心は国を思う理想で溢れ、そして私の美しさに夢中になっていた。

 彼が私に「第一夫人になってほしい」と、結婚を申し込んだ時、「おめでとうございます、なんてお似合いのお二人なんでしょう」祝福するゾーイのその黒い肌の中の心が、涙でビショビショなのに私は気付いていた。

 だから私はこう言った。「お受けします。ただ、一緒にゾーイも娶って下さい。貴女には世継ぎが必要です、でも私は細すぎて子供は望めません。代わりにゾーイに元気な子供を産んでもらいます。子を産む以外のことでしたら、私は貴女のご期待に添えると思います」サークルク王子は一瞬凍りついた。それほどゾーイは男の目には醜く見えるのだ。

 彼の中で天秤が揺れた。『生まれるのが男なら強い子になる。一晩我慢すりゃ良いんだ』利益が出る方を選び、「承知いたしました」と王子は答えてくれた。

「ひ、姫さまなんて事を」真っ赤になってガタガタ震えるゾーイに、「私の本当の気持ちよ。ゾーイ、貴女は私のためなら何だってしてくれる。私も貴方のためならなんだって出来るの。二人で彼の子供を育てましょうね」

 彼は戦が終わり次第、結婚式をあげようと言って戦の最前線に旅立っていった。――ほんのひと月前の事。


「オルシア姫!」突然頭の中に、サークルク王子の断末魔の悲鳴が鳴り響いた。

 敵の稲光の鞭に絡め取られ、倒れる王子の姿。総崩れになる同胞達。

「敵がこっちに向かってる!」私の悲鳴に、薄々戦況を察していたゾーイが叫ぶ。

「逃げるんです、そしてサークルク王子が助けに来るのを信じて待ちましょう!」

「ええ、そうねゾーイ」

彼は死んだと言えぬまま、彼女に導かれ、森を丸一日逃げた。

 ――オイ見ロヨ、凄ク綺麗ナ白イノガ一匹イルゾ。必ズ仕留メヨウゼ――

 侵略者の声が頭の中に響く。後ろに敵が乗った動く入れ物が迫ってきた。

「畜生! 侵略者どもめ、姫さまもっと早く走って」

「もうダメ。彼奴らの目的は私よ、ゾーイだけでも逃げて」

 私は諦めてその場に座り込んだ。

「ダメです! 必ず王子様が助けに来てくれますから」ゾーイの悲鳴。

 可愛いゾーイ悲しいゾーイ、まだおとぎ話を信じてる。王子様は来ないのよ。

 敵の稲妻の鞭が走る。ゾーイが私の前に立ち塞がった。

「姫さまに触るな!」ゾーイの一声の衝撃で、周りの木々がはじけちった。

全身を覆う黒い鱗が棘のように逆立っていた。額に生えた二本の角で敵に突進し、ドアをへし折った。敵の乗った動く入れ物が斜めに傾ぐ。男をも凌ぐゾーイの力、そうやって悪いものを私に近づけないよういつも護って来た。

 今まで彼女の爪と牙で退けられないものなどなかったのだ。彼女の翼が羽ばたき、竜巻を起こす。さしもの侵略者もジリジリ後退しだした。

 その時横から稲妻が走る。光る鞭がゾーイの翼に巻きつく。一本、二本、敵の援軍が現れたのだ。ゾーイの凄まじい咆哮とあがき。

「姫さま逃げて!」

「ゾーイ!」光る鞭が私の首に巻きついた。稲妻に打たれ、私の意識が遠のく。

 気がついた時、彼奴らが“檻”と呼ぶ柵の中にいた。彼奴らの声が頭に響く。


 ――ドウダ、デカクテ立派ナ雄ダロウ。博物館ノ奴ラ、幾ラ出スカナ。

 ――マッタクダ、コンナ辺境デ“伝説ノどらごん”ソックリノ生キ物ニ出会ウトハ、ツイテタナ。雌ノ標本モ、今日捕マエタデカイ方デ作ルノカ?

 ――イヤ、白イ方ニスル。デカイ方ハ、繁殖用ニ連レテ行コウ。コッチノデカイ雄カラ、タップリ精子ヲ絞ッテオイタ。卵ヲ沢山産マセテ、金持チニ高ク売ロウ。

 ――オイオイ、コイツラ胎生ダゾ。デカイ乳房ガアッタジャナイカ。

 ――ソウダッタ。アレミテ初メテ雌ダッテ分カッタンダ。アンマリ暴レテ鱗ガ剥ガレタカラ、標本ニ出来ナクナッチマッタンダ。チェッ。

 ――白イノヲカバッテ、必死ダッタヨナ。姉妹ダッタノカナ。

 ――マサカ、全然似テナイゼ。白イ方モ、ソロソロがす入レテ始末シテオコウ。明日ニハ出発シテ、仕上ゲハ帰リノ船ノ中デヤロウゼ。

  

 ガスで始末して……? 意味がわからない。痺れる頭を振って薄眼を開けた時、檻の隙間から見えたのは、翼を広げ、黒い鱗を光らせて堂々と立つサークルク王子の“標本”だった。

 檻の前のシャッターが閉まり、シューシューと空気の漏れるような音がして、イヤな臭いが立ち込めた。息が苦しい。そうか、私も標本にされて王子の隣に並べられるのだ。お似合いの二人だと、見るものは言うだろうきっと。私の気持ちなどお構いなしに。

 ああゾーイ。私達、お伽話のように“めでたしめでたし”には、なれなかったわね。でも、貴女の恋は実った。愛しい男の子供が産める。一緒に育てられなくてごめんね。もう息が出来ない、何も見えない‥‥。


「姫さま〜!」激しい爆発音と熱風で意識が戻った。今のは…… ゾーイの声?

「良かった、姫さま生きててくれたんですね」

 檻をへし曲げ、ゾーイが立っていた。周りは火の海、ゾーイが火を吹いていた。火を吹けるのは、ドラゴン族の男だけなのに!

「ゾーイどうして?」

「喋ってる暇はないですよ、逃げるんです」ゾーイは、鋭い両足の爪で私を掴むと飛び立った。激しい熱から逃れて風が、心地よい空気が、肺の中に流れ込む。

「私生きてるんだわ」彼奴らの燃えさかる“船”が遠く眼下に消えていく。突然ゾーイが泣き出した。

「姫さま……彼奴ら、ひ、ひどいんです。彼奴らの雷に打たれて私、気を失っちゃって。気がついたら両足ロープで縛られて、大股開きにされてたんです。その上女の子の大事なとこに、何か冷たい棒みたいなものをつっこんできて――結婚するまで大事に取っておいたのに!――私カッとなって、大声で叫んだら、何故か火が吹けたんです。周り中火の海になってロープも切れたから、彼奴ら踏み潰してやった。火を吐きながら姫さま探し回ってたら、そしたら……姫さま、サークルク王子が、皮だけにされて、標本にされてて……うわあああああー」

「ゾーイ、ゾーイ、可哀想に」

 不意に、ゾーイのお腹の中から声がした。

「可哀想じゃない。お母さんは僕が守るから大丈夫。母さんが火を吹けたのは、僕が神様に願ったから。僕の未来の力を少しだけお母さんに分けてくださいって。姫さまも僕が守るよ。だって僕はあなたの愛する男の子だもの。僕が大人になるまで、もうすこし待っててくださいね」初めて胎児の声を聞いた、未来をイーラス神から授かった声。ああ母の言った事は正しかったのだ。

「あは、あはははははは」笑いが込み上げてきた。

「なんです? 私がこんなに悲しんでるのに姫さまったら酷い!」珍しくゾーイが怒った。

「違うのよゾーイ、説明したげる。あのね……」

 気持ちのいい風が吹いている。わたしたちふたりの未来に向かって。


                   第8回日経星新一賞投稿2020年9月


【後書き】

 投稿した時は、姫が死ぬシーンで終わりにしたのですが、ハッピーエンドにしたくて書き直しました。途中まで二人が竜族ではなく、人間だと思わせるよう書いてあります。

 人間が、他生物に対してやってきたことが、どれだけ残酷なことだったかを書きたかったのです。








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雷鳴る星の谷間 源公子 @kim-heki13

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