生存競争
地に、堕とされる。
喉元を黒い管できつく縛られた“塔王バベル”は、呼吸を止めたまま巨躯を反転させて、両足で地面に着地する。
「舐めるなよ、小僧が」
鉤爪に力を込め、思い切り首を振り回す。
純粋な身体能力では、圧倒的に分がある。
塔王バベルを街に引き摺り落とした元凶である“堕剣”ネビ・セルべロスごと、黒管を引きちぎるように振り飛ばした。
「なるほどな。強靭な肉体に
振り飛ばされたネビは、途中であっさりと黒い管を投げ捨てて、上手く力を逃しながら着地する。
喉が爛れているらしく、口元から時々血が垂れるが、それを気にする様子はない。
「自傷を顧みぬ奇襲。その心意気は賞賛に値するが、貴様と我では身体の作りが違う。付け焼き刃では勝負にならんぞ?」
「そうか? 俺はそうは思わない。試してみようか」
——堕ちろ、赤錆。
そう小さく呟いた瞬間、堕剣ネビの姿がブレる。
急激な移動速度の上昇。
(なんだ?)
移動速度自体は反応できる程度ではあるが、振れ幅の大きな変化に対応が遅れる。
気づけば堕剣ネビがすぐ目の前まで迫ってきていて、塔王バベルは咄嗟に前脚を振るう。
「濡れろ、【赤錆】」
また、堕剣ネビの気配が唐突に萎む。
赤く錆びた片刃の剣がネビの手元に現れ、塔王の一撃を受け止める。
防ぎ切ることは全くできず、ネビがまたもや痛烈に弾き飛ばされる。
「堕ちろ、【赤錆】」
再び、ネビの存在感が増す。
ライトの点滅のように、増減を繰り返すネビ。
塔王バベルにとって、それはあまりに奇妙だった。
(こいつはさっきから、何をしているんだ? あれほど自由自在に無から取り出せる武器は、間違いなく“
長きに渡って人類に苦しめられてきた塔王バベルは、
その者たちが剣想という名の武器を用いて戦うことも知っていた。
しかし、目の前の男の戦い方は見たことのないもの。
警戒を強め、蒼い瞳でかつて剣聖と呼ばれた男を睥睨する。
「まあいい。貴様の小細工ごと捩じ伏せてくれる」
「分析と解析。思考と試行。考えろ考えろ考えろ。最も効率の良いレベリングはどこにある?」
それはもはや、歪みに思えた。
世界に混ざり込んだ、黒く赤錆たノイズ。
堕剣ネビの瞳は、塔王バベルを見ているようで、見ていない。
それが酷く不気味で、王である彼は気分を害する。
「人間は、やはり邪悪だ。滅ぼさなければならぬ」
蒼白の輝きが、円環のように形どり、塔王バベルの頭上に浮かぶ。
シンシンシンシン、と異様に甲高い音が響き渡り、光の輪が危険な火花を散らす。
威厳を示すように両翼を開けば、身体の中心部から翼の先まで美しい紋様が蒼く浮かび上がる。
「《
塔王バベルの頭上で高速回転する円環の中央部に、大きな黄金の眼球が一つ創造される。
瞼のない剥き出しの瞳は、ギョロギョロと細かく周囲を見渡しながら、やがてネビの姿を捉え角度を固定する。
《同期中ドウキチュウ.
ピーーー、コン。
どこからか電子音が鳴った。
瞬間、塔王バベルの頭上の眼球から、閃光が走った。
《
射出されたのは、エネルギーの弾丸。
真っ直ぐと発射された塔王の一撃を、ネビは素早く横跳びして回避する。
凄まじい爆音。
寸前まで自分が立っていた場所を一瞥すれば、灰に変わっている。
「一撃でも耐えきれそうにないな。防御は不可。戦闘傾向としては基本的には遠距離型の戦い方か。だが、それ以上に何か仕掛けがありそうだな」
「我は塔王バベル。魔の君主。貴様とは背負っているものが違うのだ、小僧」
またネビが駆け出す。
ジグザグと狙いを定めさせない不規則な動き。
一気に塔王バベルの眼前まで近づき、腰を屈める。
「我は希望だ。魔族の希望。全てを蹂躙する、義務がある」
「濡れろ堕ちろ濡れろ堕ちろ濡れろ堕ちろ濡れろ」
尖れた鉤爪を振るうが、それはネビに紙一重で交わされる。
力の明滅を繰り返しながら、極端なペースチェンジを駆使して動き回る。
黒髪が揺れ、赤い瞳が煌めく。
錆びついた一閃。
塔王バベルの顎下に刃が届くが、硬質な皮膚に弾き飛ばされるだけ。
「ウパパッ! ン気持ちいいッ!? 俺の
「貴様、命のやり取りを楽しんでいるのか? 不愉快だな。命を、愚弄するなよ、小僧」
これは、子供の喧嘩ではない。
塔王バベルは冷たい思考の中で、堕剣ネビを軽蔑する。
その人間には、あまりに敬意が足りていない。
何かの命を奪おうとする行為への覚悟が、不足しているように思えた。
「貴様という
きゅるきゅると塔王の頭上の円環が回転する。
巨大な眼球が逃すことなくネビの動きを視線で追尾している。
竜が吠える代わりに、また無機質な電子音が響き渡る。
《同期中ドウキチュウ.
「濡れろ堕ちろ濡れろ堕ちろ濡れろ堕ちろ濡れろ」
ピーーー、コン。
どこからか電子音が鳴った。
呪文のようにブツブツと言葉を紡ぐネビと、黄金の目玉が視線を交わす。
合致した視線同士。
互いに感情は映らない。
《
またもや、閃光が走る。
それを先ほどと同じように横跳びで回避したネビだが、違和感に眉を顰める。
何かが、違う。
直感が囁く。
迷わず、足を進めろと。
「……へえ?」
今度は、弾丸ではない。
黄金の瞳からはビーム上のエネルギー粒子が迸っていて、そのままネビを追尾するようにスライド移動をする。
「堕ちろ」
全力で、駆ける。
息を止め、塔王バベル自体に意識を割く余裕すらない。
回避に全ての神経を注ぎ、背後で街が破壊されていく崩壊音を耳にしながら円周上に走り抜けた。
「生きとし生けるものは全て、常に進化を強いられている。環境に適応し、外敵から身を守る術を絶えず構築することができる種のみが、生存を許される。この世界は、残酷だ。遊ぶ余裕など、ない。よそ見をしたものから、滅んでいくのだ」
ビームの追尾が、途絶える。
前転しながら、体勢を整えたネビが呼吸を取り戻す。
もう一度視線を上げれば、また黄金の瞳が輝いている。
《同期中ドウキチュウ.
ピーーー、コン。
どこからか電子音が鳴った。
ネビは理解する。
塔王バベルの能力を。
「こいつ、学習しているのか? 俺を?」
「適応だ。外敵を滅ぼすために、戦いの中で学び、成長する。ふんぞりかえっているだけの王では、民はついてこない。賢く、勤勉で、進化を続ける王のみが、ついてこれない者を滅ぼす権利を得る」
円環が回転する速度を上げる。
ネビが赤錆をゆっくりと撫でる。
ざらついた、いつもの感触。
命を脅かされているというひりついた気配。
「それってつまり、レベリングだよな?」
「……何を言っている?」
赤い瞳が、塔王バベルに、笑いかける。
何がおかしいのか、彼に理解はできない。
感情を映さない黄金の眼球が、ネビのことを真っ直ぐと見つめて離さない。
「俺は今から、レベリングのレベリングができるってことに、なるよなぁ?」
「やはり、人間はこの世界の
塔王バベルが翼を広げ、命じる。
それはもはや、彼ではなく、世界が望んでいるようにすら思えた。
《
「《
閃光が、消える。
不具合が、取り除かれることを、拒否している。
それは予想の範囲内。
抵抗すら学習し、適応し、最適解を導き出す。
「終わりだ。これで貴様への適応は完了した」
「終わり? 何を言ってるんだ?」
赤く錆びた剣を、地面に突き刺すと、ネビが涎に血を混ぜて垂れ流す。
竜を見据えて、狂犬が唸り声を上げる。
生存競争は、終わらない。
「むしろ始まりだろ? ここから先はレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリングレベリングのレベリングのレベリングのレベリング——
堕ちた剣聖、腐神に拾われる 谷川人鳥 @penguindaisuki
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