共食い



「いいぜ。クソ魔物ジジイ。お前の相手は、俺だ。錆び落としに丁度良さそうだぜ」


「ンー? ソレ、あんまりエッチじゃないよネェ?」


 竜の咆哮を合図に、“剣王子プリンス”レオナルド・ベッキーが先に動く。

 遠くから伝わってくる余波に身体を乗せ、思い切り加速する。

 紫電煌めく、自らの剣想イデアである霹靂を振り抜く。


「オッオッ。ちょっと、ソレ、スケベかも」


 レオナルドが剣を振り抜いた先にいるのは、隠王ハーミット。

 走る感電。

 霹靂の一撃を傘で受けると、皺塗れの顔をぐにゃりと歪める。


「俺は急いでるんだ。一気にブチ抜く」


 僅かに動きを止めたハーミットに対し、レオナルドは傘の内側に潜り込む。

 揺れる金色の長髪。

 急所である首元を狙い定め、霹靂を撃ち込む。


「オーン、ダメダメ。焦っちゃ、ダメ」


「ちっ!」


 隠王ハーミットが腰の脇差しを抜く。

 ぶつかり合う刃同士。

 ハーミットの小柄な体からは想像できないような圧力。

 再び紫電が走るが、強烈な負荷がレオナルドの手首に伸し掛かり、彼もまた身動きが止まる。


「クソはクソでも、クソザコじゃないってわけか!」


「ンー、オジサン、チョット元気になってきたカモ」


 ハーミットが今度は小さな足で蹴り込んでくる。

 それをレオナルドは霹靂で受け止める。

 散る、紫色の火花。

 霹靂の異能によってハーミットの動きが感電で止まるが、凄まじい衝撃にレオナルドは吹き飛ばされてしまう。


「がっ……!」


 民家の壁に叩きつけられ、血の混じった唾が飛ぶ。

 僅かな硬直の後、隠王ハーミットが笑いながら地面を駆ける。


「アヒャヒャヒャッ! そんなことされたらビンビンになっちゃうヨ!」


 一瞬で距離を詰められ、脇差しを一閃。

 毛一本分、かろうじて回避するレオナルド。

 息する間もなくカウンターで霹靂を振るうが、傷は浅い。


(速い強い硬い。ちっ。気配で何となく察してたが、普通にバケモンだこいつ。噂に聞く、王族階級ロイヤルズってやつか)


 空で塔王バベルと思わしき竜の魔物が飛んでいた時点でしていた予想を、レオナルドは確信に変える。

 今、目の前にいる相手は神下六剣以外では対応不可とされている、魔物の頂点の一角だと。 

 ハーミットが回し蹴りをレオナルドに見舞う。

 再度完璧に受け止めるが、それでも威力は消せずまたもや吹き飛ばされる。


(速度はかろうじて互角。だが他のスペックが違いすぎる。体力火力ともに比べものにならねぇ)


 反射的に横に飛び退く。

 視線を隣に逃せば、先ほどまで自分が立っていた場所で、ハーミットが自らの脇差しをペロペロと舐め回している。


「チョロチョロ。追いかけっこ? ソレ、ちょっとエッチだネェ?」


「……バケモンみたいに強い奴ってのは、どいつもこいつもどうしてこう気色悪りぃんだ? 世も末だな」


 隠王より先に、レオナルドが動く。

 崩れた家屋の中に飛び込み、闇に潜る。

 思考を整え、作戦を練る。

 戦いの中で、考え続ける。

 しかし、レオナルドが息を潜める時間を、隠王は許さない。



「《影絵法師インブラインド》」



 耳元にかかる、生ぬるい吐息。

 完全に相手の見える範囲から消えたはずにも関わらず、背後から感じる魔の気配。 


「……かくれんぼ、得意だヨォ?」


「なっ!?」


 振り返れば、そこにはすでに脇差しを振りかぶっているハーミットの姿がある。

 致命的な、出遅れ。

 相手は王族階級。

 たった一撃でも、レオナルドにとっては致命傷。


「舐めんなよ、クソ変態ヤロー。もっと派手に、狂かれてやるよ」


 だが、レオナルドの思考は、止まらない。

 間合いはゼロ。

 回避は不可。

 霹靂のガードは届かない。

 

 ならば、全てを、ぶち壊すまで。


 自らの痛みも、命も、計算から度外視して全力の一撃を叩き込む。

 どんなに無様でも構わない。

 彼の知る最強の加護持ちは、酷く醜くも、勝利に徹していたから。


「理を断て。《斬衝波ヴァニッシュ》」


 もうハーミットのことは、見ていない。

 視界には入れずに、ありったけのエネルギーを自らの足元に対して放つ。

 凄まじい、爆風。

 地面が砕け、熱が肌を焦がし、息が止まる。



「がはっ……はぁっ、はぁっ……」



 衝撃の波が過ぎ去り、レオナルドは苦痛に膝をつく。

 自然と消失する剣想。

 気づけば吐血していて濡れる地面。

 酸欠で回らない頭を、もう一度背後に戻す。


「ンー、イマのはちょっと、エッチだったカモ?」


「……クソが」


 そこにあるのは、少し離れた場所に押し飛ばされてはいるが、いまだに立ちはだかったままの隠王ハーミットの姿。

 斬衝波を間接的に受け、多少の影響は窺えるが、その危険な気配は漂わせたまま。

 僅かに開いた距離を、楽しむように一歩一歩また詰めていく。



「おい、俺の大事な家族に、何してんだよ」



 斬衝波の余波で、まだ風が唸る戦場によく通る声が響く。

 靡く深茶色の外套。

 癖のある長めの金髪。

 レオナルドの翠色の瞳に映るその顔は、彼自身に似ている。


「ど、どうしてテメェがここにいやがる……っ!?」


「それはこっちの台詞だよ。全く、無茶な戦い方をしやがって。子供ってのは、ちょっと目を離すと変なモンに影響を受けるみたいだな」


 かつては憧れ、今では最も憎くむべきものとなった背中。

 幼い頃は最強だと信じてやまなかった、何よりも頼もしい加護持ちギフテッド


 “剣王”アガリアレプト・ベッキー。


 レオナルドの前に、神下六剣の父が立つ。



「テメェは一生許さねぇ。俺が必ずぶっ潰す。堕剣の後にな、クソ剣王オヤジ


堕剣ネビ? はぁ、やっぱりあいつの影響か。俺のバカ息子がグレたのがあいつのせいってことは、またあいつを殴りに行く理由ができたってことだな」




———

 

  


 竜が落ちるのが、見えた。

 木の幹のような首に漆黒の縄のようなものが絡み付いていて、その先端で黒髪赤目の男が勢いよく落下を先導している。

 “黄金姫エルドラド”ナベル・ハウンドは、全層図書館を出て、中央都市ハイセントラルを南方面に向かって駆けていた。


「この黒い触手みたいの何なの気色悪いんだけどもっとネビ様くらい太くて力強くないとノアのことは縛れない」


 鍔のない簡素な白い剣が、流れるような動きで振り抜かれる。

 身体を動かすたびに、応急処置をしただけの深傷から血が滲んでいるのが見える。


(ノア・ヴィクトリア。ギフテッドアカデミー時代はもう少し繊細な子だと思ってたけど、少し見ない間に精神面も体力面も随分とタフになっているみたいね)


 記憶とは異なる“潔癖ホワイト”ノア・ヴィクトリアの戦いぶりに、ナベルは口にこそ出さないが驚いていた。

 ナベルもまた地面に落ちていた軍の下士官の鉄剣を拾うと、臀部に黒い管を差し込まれ正気を失った人間の管の部分を切り裂いていく。

 

(あのネビさんが交戦中の竜は、おそらく塔王バベル。そしてこの人間を洗脳してしまう黒い管、濃い魔素の気配からして間違いなく高位の魔物の力。今の私で、どこまでやれるか……)


 目を黒く染めて襲いかかってくる下士官の切先を交わしながらも、重い身体で何とか対応を続ける。

 問題は、ナベル自身にあった。

 何度も呼び出そうとする剣想イデアは、手元に現れそうになっては霞のように消え去っていく。

 “剣想想起アナムネーシア”の失敗の代償は、まだ続いていた。

 


「コイバナ、シヨ?」



 竜が落下した方向を目指して走り続け、何度目かの曲がり角を過ぎた瞬間、戦慄が走る。

 グチョ、グチョ、グチョ。

 生理的嫌悪感を煽る咀嚼音。

 赤黒い血で濡れた壁の間に立つ、明らかに邪悪な異形。

 黒い卵のような頭部に、下手糞に貼り付けられた人間の顔のパーツ。

 四つん這いのような体勢で、中腰になった異形は腹の下部で何かを噛み砕いている。

 身体の半身を食い破られているのは、どうやら白い肌をした巨大な魔物のようで、ナベルには見覚えがあった。

 

「えギャオ食べられてるんだけどどういうこと意外に美味しいのかな」


「魔物が魔物を喰らってる。共食いってこと?」


 ギャオと呼ぶ子飼いの魔物。

 先にネビを乗せて戦火に向かったはずの、凶悪な魔物が、一方的に捕食されている光景を見て、ナベルに緊張が走る。

 

「おい! そこの二人! ぼけっとするなっ! 死ぬぞっ!」


 少し離れたところから、黒い鎖を片手に纏った男が叫んでいる。

 リオン・バックホーン。

 “将軍ジェネラル”と呼ばれる加護数35を誇る加護持ちが、額から血を流しながら必死の形相をしていた。

 

「ウチ、カレシ、ホシー!」


「あ——」


「ノアっ!?」


 四つ足の異形から、黒い管が何本も絡みあった強靭な鞭が襲いかかる。

 地面から生えていたものとは、太さも威力も速度も桁違い。

 ノアは何とか反応し、自らの剣想である漂白で受け止めるが、痛烈に弾き飛ばされ瓦礫の中に姿を消す。


「コイバナ、タノシー、ネ?」


「……グロ虫がっ!」


 異形の王——“恋王こいおうクピド”が、四つ足を折り畳み、軽々と跳躍する。

 退避を選ぼうとするが、気づけばナベルの足首に黒い管が絡んでいて、その場から動けない。

 せめてもの防御に、ナベルは再び剣想を呼びかける。


「憂いなさい、【黄昏】。私がそう望んでる!」


 一瞬手元に収まる黄金の剣想。

 しかし、呼応から逃げるように、瞬く間に霧のように薄まり消えてしまう。


「キャッキャッキャッ!」


「クソクソクソがああああ!」


 恋王クピドが、ノイズのようなざらついた声で笑っている。

 すぐ間近まで迫った黒い管が、何本もナベルの身体に巻き付く。

 両手両足と首と胴体を縛られ、ミシミシと骨と内臓が絞られる。


「カレシ、ホシー?」


「うっ……んんっ、あっ、ん……っ!」


 足の裏が地面から浮く。

 恋王の色の異なる両眼が揺れて、それぞれ別の方向を向く。

 苦悶にナベルの口から血混じりの唾液が溢れる。

 黒い管が舐め回すように、今にも絞り破裂しそうな黄金姫の胸元と臀部を弄る。


(お願い。【黄昏】。どうか、私を見捨てないで——)


 薄れ行く意識の中で、剣想を呼ぶ。

 金色の光が手元に集まっては、それでも蛍の光のように儚く消えそうになる。

 酸欠で気絶しそうな中で、ナベルは手元からすり抜けてしまいそうになる感覚に呼びかけ続ける——、



「腹満たせ。《鯨飲馬食バアルゼブル》」



 ——刹那、ナベルの手元から、完全に剣想イデアの感覚が消失する。

 先ほどまで霧のようだった黄昏の影を見失う、というよりは別の何かに飲み込まれる感覚。

 

「ヨーヨー。こいつはいいもんが見れたぜぇ。使わねぇなら、貰うぜ、その剣想?」


 剣というよりは、棍棒のような形状をした剣想が、ナベルを縛っていた黒い管を叩き潰す。

 地面に落ち、気道がそこでやっと確保される。

 荒々しく咳き込むナベルの前に、赤い髪をした長身の女が一人立っていた。


「ハウンド、生きてたんだな? 負けてなお生き恥を晒すなんて無様、だっけか? まあ、いいさ。どんなに恥をかいても、無様晒しても、腹は減る」


「……オーレーン?」


 グゥグゥ、と腹を鳴らしている。

 女の名は、オーレーン・ゲイツマン。

 “大食いバーサーク”と呼ばれるその加護持ちは、共食いを主食とすることで有名だった。

 


「腹鳴らせ、【悪食あくしょく】。餌の時間だ」

 

 

 

 

 

 

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