飛翔



 数え切れないほどの同胞が、死んだ。

 傷だらけになった兵士たちは、力なく倒れ込み、もうその瞳に何も映していない。

 火と煙だけが立ち昇る市街地を、彼は一人眺めていた。


「これは、敗北ではない」


 自らに言い聞かせるように、彼は静かに屈辱に耐える。

 準備を怠ったわけではない。

 戦力も今の彼に準備できる限りを率いてきた。

 最善は尽くした。

 

 ただ、それでも足りなかっただけ。


 残酷な現実を、彼は蒼白の瞳に刻みつける。

 世界の片隅に追いやられた復讐は果たせず、本来の住処を取り戻すことは叶わなかった。

 故郷の空は、いまだに遠いまま。



「仕事仕事仕事ファック仕事仕事仕事」



 やがて聞こえてくる歌のような独り言。

 彼の忠実な副官だったモノの首を引き摺りながら、一人の女が彼の前に近づいてくる。

 部分的に白が混ざる長い黒髪に、不健康そうな隈の目立つ相貌。

 同胞の亡骸と同じ匂いのする血が、細身の長剣にこびりついている。

 女の紫紺の瞳が、彼を捉える。

 それに対応するように、彼は両翼を広げる。


「お前が“塔王バベル”か。気の重い仕事だな」


 背中から片翼を生やした女が、彼の副官の死体からそこで手を離す。

 全身から放たれる、異様なオーラ。

 本能的に、理解できる。

 この怪物が、彼の軍をたった打ち破ったのだと。


「貴様は“何”だ?」


「私はロフォカレ・フギオ。ただの加護持ちギフテッドだ」


 それが人なのか神と呼ばれる存在なのか、彼には判断がつかない。

 だから、名前を覚えることにした。

 彼の復讐を妨げた、怪物の名を記憶に刻む。


「貴様は、殺す。あまりに、危険だ。だが、それは今ではない」


「それはつまり、これで成果物は揃ったということか? 助かるよ。もう残業規制ぎりぎりでね」


 彼は、忍耐強い。

 ほぼ単独で彼の配下の幹部級全てを屠ったこの怪物と、今ここで衝突しても確実に勝てるかはわからない。

 ドラゴンは長寿の生き物だ。

 いずれ機会はまた巡ってくる。

 再び仲間を集め、より正しい方法で牙を向ければいい。


「我の仲間たちの命を奪った、その代償はいつか必ず償わせる」


「償わせる? 悪いがこっちも仕事なんでね。恨まれても困る。労働に善悪はない」


 血まみれになった手で、ぼろぼろの黒いスーツから煙草を取り出す。

 炎に包まれた街に堕ちるのは、何も彼の配下の魔物ダークだけではない。

 横腹を食い破られた市民や、全身を黒炭に焼かれた人の兵士の姿も多い。


「生き残るために、仕事の出来不出来なんて、関係ないんだ。耐えられるか、耐えられないか、たったそれだけさ」


 折れ曲がるように積み重なった人の塊から、炎が大きく立ち昇っている。

 そこに煙草の先をそっと当てて、黒ずんだ煙を肺に詰め込む。


「怪物の哲学に、興味はない。我は王。我には善悪を定義する責任がある」


「そうか。それも、一理あるかもな。現場側プレイヤー管理側マネージャーでは、仕事の見え方が異なるだろう。結局私は、一生現場。壊れるまで働くだけだ。だが、私にとってはそっちの方が、楽なんだろうな、きっと」


 疲れたように煙を吸っては吐く怪物は、どこか諦観に満ちた口調を見せる。

 これ以上の問答は、不要。

 彼は翼を羽ばたかせ、両足を地面から離す。

 風が女を煽るが、揺れるのは白煙と黒髪ばかりで、身体は揺るがない。


「だが、気をつけろ、魔物の王。この世界には、労働者でも管理者でもない者がいるのを、忘れるな。そいつに労働の義務はなく、誰よりも自由だ」


「それは警告か?」


「いや、忠告だよ」


 空から見下ろせば、怪物が同情を含んだ憐れみの視線を彼に向けている。

 煙草の先から、黒い灰が落ちて、赤い火の種が地面に錆のように染み付く。



「“ネビ・セルべロス”。我慢のできないさ。あいつに会う時は、玩具を忘れるなよ。さもなければ、お前自身があいつの玩具の役目を背負うはめになるだろうからな」





 



「《編集:巻き戻しリワインド》」


 

 塔王バベルは、自らがたった今放ったばかりの竜の息吹ブレスが、知らない間に消失していることに気づく。

 これまでに経験したことのない、異質な力。

 警戒に視線を地平に下げる。

 自然と惹かれる、黒髪赤目の人間。

 赤く錆びた剣を一振り手に持ち、嬉々とした面持ちで彼を見上げている。


「……ネビ・セルべロス。死んだという情報は、誤報か。いや、或いは罠か」


 “剣聖”ネビ・セルべロス。

 直接顔を合わせたことはないが、その名と特徴は予め知っていた。

 死王ラモルトを筆頭に、彼と同位の王族階級ロイヤルズの魔物を複数打ち破っている人の姿をした悪魔イレギュラー

 彼の侵略を防いだ“剣帝”ロフォカレと並び、魔物の世界でも非接触推奨個体アンタッチャブルとして危険視されている数少ない存在の中でも、最も名を馳せている者だった。


(同盟を組むことがほとんど不可能と思われていた王族階級を二体、今回は仲間に加えた。そしてロフォカレ・フギオが力を失っているという状況。これほどの好機会はない。だが、ネビ・セルべロスという計算外の存在か。さて、進むか、退くか)


 空を切り裂きながら、塔王バベルは迷う。

 このまま、人の街を一つ、堕とし切るか。

 それとも、またロフォカレ・フギオとの邂逅の時と同じように、もう一度忍耐の道を選ぶか。


「アハハハハハハハハッ!? 死んでもこの鎖を繋ぎ続けろォッ! それがお前のレベリングゥゥゥだあああああああ!?!?!?」


「お、おい、ちょっと待って、それ、俺の剣想なんですが!?」


 ——塔王の迷いを、狂犬の絶叫が打ち破る。

 隣で呆然と立っている男から剣を奪い取り、ネビが振り回す。

 そのまま勢いよく黒い鎖がバベルの元に伸びてきて、太く長い尾に絡みつく。


「ヒィヤ! レベリングで繋がる俺たちィ! チーム友達ィ!?」


「……人間というものは、本当に禍々しい」


 絡みついた黒い鎖に勢いをつけて、そのまま壁を駆け上がり、スイングしながらネビが空に飛び上がる。

 バベルが怒りに咆哮しながら、鎖ごと尾を全力で振り抜く。

 しかし、その瞬間、ネビは鎖が伸びている方の剣を手放し、赤錆の切先をバベルに向ける。


「貴様は、殺す。あまりに、邪悪だ。それは今だ」


「レベリングに善悪はない。飢えた子供を責める大人がいないようにな」


 真紅の瞳が爛々と輝く。

 翼を開き、体勢を変え、ネビを食い破ろうと大口を開ける。


「ああ、いいな。もっと近くで、嗅がせてくれよ。最高の馳走レベリングの匂いを」


 バベルの牙が迫り来る中、ネビはニィと笑うと、自らの喉に自分の手を突っ込む。

 喉が僅かに爛れているのか、唾液に血が滲んでいる。

 オェ、と苦しそうに嗚咽しながらも、その堕ちた剣聖は笑みを絶やさない。


「なあ、息をしなくても、空を飛べるのか?」


「なん、だと?」


 喉から引っ張り出した手に握られているのは、見覚えのある黒い管。

 生き物のように僅かにビクンビクンと震えている魔素に満ちた漆黒の物体をロープ代わりにして、バベルの噛みつきを回避しながら、その強靭な喉元に巻きつける。


「がっ、はっ……!?」


「アハッ! フシュゥッ!」


 きつく締まる喉。

 バベルの呼吸が止まり、苦悶に唾液が溢れる。

 顔についた血の混じった竜の唾液を、赤く長い舌でべろりと舐め取ると、ネビは新しい玩具を見つけた子供のような期待に満ちた瞳を向ける。



「堕ちろ、塔王。下で遊ぼう」






———






 竜が一匹、堕ちる光景が見えた。

 街の西方から、燃え盛る火柱がどんどん広がっていく。

 外からは悲鳴がひっきりなしに聞こえ、瞳を黒く染めた正気を失った人が人に襲いかかっている。



「狂人の策略だな」



 中央都市ハイセントラルの王城。

 最上階のテラスで、混乱に満ちた街を見下ろす男が一人いる。

 空色の短髪に几帳面に整えられた髭。

 軍服の襟元についた蒼色のバッジは、彼以外につけることを許されていない。


「……どういう意味ですか、総統? これは全て、ネビ・セルべロスが仕組んだことだとでも?」


「十中八九、そうだろう。神下六剣が台頭して以降、強力な魔物は領地の奥に身を隠し、滅多に人里に姿を現さなくなった。自らの訃報を餌にして、王族階級ロイヤルズを三体まとめて誘い込んだ。自らの欲望エゴのためには、手段を選ばない。魔物の敵だが、人類の味方ではない。あの者は、そういう男だ」


「考え過ぎでは? 堕剣の訃報は、始まりの女神から齎されたものですよ? 魔物にその情報が伝わると予想するのは困難だし、そもそも始まりの女神に対して死を偽装なんて、可能なんですか?」


「可能か、不可能かではない。実行するか、しないかだ」


「ずいぶんと堕剣を高く買ってるんですね、総統」


「私は結果主義者だ。彼が残した結果だけを見て適切に評価しているだけだよ、ロンメル少将」


 男と同じように空色の髪をした女が、少し不服そうに目を伏せる。

 ロンメル少将と呼ばれたその女は、不機嫌を隠そうとはせずに、そのまま男の隣に行き、一匹の鷲が乗った腕を差し出す。

 

「それで、出来のいい方の娘を、この死地に呼びつけるわけですか? 酷い父親ですね」


「私語は慎め、ロンメル少将。勤務中だぞ」


「私語のつもり、ありませんけど?」


「だとしたら、不敬だな。今の君の態度は父兄に対してのみ許される」


「……不敬と父兄をかけてるの? つまんな」


 ロンメルの言葉を受けて、男は気まずそうに咳払いで誤魔化す。

 そして一筆、小さな紙にメッセージを書き記すと、それを鷲の口元に挟ませる。

 自らが守るべき街を守るために、彼は軍事戦力を呼びつける。

 “軍王”と呼ばれる彼にとって最大の武器には、彼自身と同じ血が流れていた。


「本当にお姉様、来るの?」


「ああ、来るさ。ここには、ネビがいる。あの子を呼ぶには、それだけでいい」


「……それでお姉様が、傷ついても、いいってこと?」


「これ以上、私の街を荒らさせはしない。そのために手段は選ばない。そういう意味では、私もあの男と一緒だな」


 鷲が男の手紙を受け取ると、大きく飛翔する。

 それは、徴兵の赤紙。

 剣を揃え、兵士に握らせ、侵略に対応する責務を果たす。

 

 彼の名は、“軍王アドルフ・リリー”。

 

 堕剣復活の知らせを啄み、鷲が空を切り裂いていった。


 


  

 

  


 

 

 



 

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