黙示録



「こいつは酷いな」


 明らかに平常時とは違う喧騒を感じて外に出た一人の男が、どこか見覚えのあるような光景にうんざりとしていた。

 ブラックグレイの短髪に、無駄なく鍛え上げられた肉体。

 腰には太いロングソードを帯刀していて、鋭い眼光は歴戦の猛者を伺わせる。

 彼の名は“将軍ジェネラル”リオン・バックホーン。

 加護数レベル35を誇る、加護持ちギフテッドの中でも上澄みに位置する存在だった。


「ウ、ウチ、カレシ、ホシィッ!」


「ウチモ、カカカカカレシ、ホシー!」


 びくんっ、びくんっ、と全身を痙攣させ、恍惚とした顔をした市民が、逃げ回る同じ中央都市ハイセントラルに住む民を襲っている。

 正気を失っているように見える市民は、その全員が地面から生えた黒い管を臀部に差し込まれている。

 目を黒く染めて、身体中から魔素の気配を撒き散らかすその様は、すでに人ではなく魔物ダークそのものでしかない。


「統べろ、【德川とくがわ】。待ち侘びただろ」


 自らの剣想イデアを顕現させると、地面を踏み込み、暴徒と化した市民の方に向かう。

 身体能力、反射神経共に一般市民の領域を超えた動き。

 黒く染まった瞳と鼻からは血が垂れている。

 加護持ちであるリオンを見ても、迷わず襲いかかってくる市民の攻撃を回避しながら、この異常事態の元凶に思える黒い管を断ち切る。


「アッ」


 ブシュウ、としかし風船が破裂し空気が抜けるような音がする。

 黒い管を切断された市民は動きを止め、ぷるぷると寒さに耐えるように震えている。

 下腹部の辺りが真っ赤に染まり、股間の下からぼたぼたと大量の血を流して、ゆっくりと倒れ込む。

 陸の上の魚のように口をぱくぱくとさせて、真っ赤な泡を吹くと、やがて動かなくなった。


「最悪だな」


 状況を把握しつつあったリオンは諦観に頭痛を覚える。

 人間に寄生、或いは支配を行う凶悪な魔物が、ハイセントラルの街に侵入している。

 これほど広範囲で強力な能力。

 まず間違いなく高位の魔物の仕業であることは予想できた。


(これほどの危機感は要塞都市ハイゼンベルトを思い出す。ここまで危険な力。最低でも魔物適正階級レベルランク40だな)


 リオンの脳裏に浮かぶのは、要塞都市ハイゼンベルトと中央都市ハイセントラルが同時に襲撃された時のことだった。

 あの時もまたイレギュラー的な魔物の侵略によって、壊滅的な被害を受けた。

 嫌な予感がよぎり、また別のすでに傀儡となった市民の黒い管を切り裂きながらリオンは顔を顰める。

 

(本来強力な魔物は、死王のような領地を持たない例外を除いて人の街に現れることは少ない。それにも関わらず、この有様。嫌な感じだ。あの時は、堕剣の手引きがあったとされてるが、まさか、な。堕剣は死んだ。その、はず)


 堕剣死亡の福音しらせは、当然リオンも始まりの女神から受けている。

 第一柱の神のメッセージに、嘘はありえない。

 直感的に受け入れられないことは自覚していたが、だが堕剣ネビ・セルべロスがこれ以上世界を混乱させることはないと信じていた。



「キャッキャッ! コイバナ、タノシー!」



 その時、遠くで軍服を纏った兵士が三人、まとめて黒い管で臀部から口腔まで貫かれる光景が視界に入る。

 リオンの本能が、足を止める。

 絶命が一目で見て取れる兵士の一人から、前脚の細指を器用に動かして、右耳を引き千切ると、黒々と艶光る丸い頭部に、ねちょりと貼り付ける。

 巨大な蟲のようにも見える、四本足の怪物は瞳の色が異なる人間の眼球で周囲を見渡しているが、一体その目に何かが映っているのかどうかは判断がつかない。


「おいおい、なんだよあれは。ここは地獄か何かか?」


 “恋王クピド”。

 あまりに邪悪でグロテスクな魔物の姿に、リオンは思わず吐き気を覚える。

 一目見ただけで理解できる。

 アレは自分の手に負える相手ではない。

 死王ラモルトと並ぶ王族階級ロイヤルズの魔物。

 時間稼ぎにすらならない。

 

「……ウチノ、カレシ?」


「ちっ! 気取られた!」


 退散か抵抗か。 

 僅かな迷いの間に、存在を認知される。

 ミシミシ、と足元から感じる危険な振動。

 リオンが跳ねるようにその場を飛び出せば、太い黒い管が鋭く突き出てきていた。

 

「ウチ、カレシ、ホシー!」


「お前の言うカレシって、死体って意味なのか? 《鎖国御法イドソレーション》!」

 

 生き物のように襲いかかってくる黒い管。

 リオンは自らの固有技能ユニークスキルを発動させる。

 伸縮自在の黒い鎖。

 目の前の異形が扱う力とは、似てるようで似つかない。

 鎖を恋王クピドの身体に巻き付けると、鎖を一気に縮めて距離を詰める。


(残念だ。これは死ぬな)


 しかし、不意に視界の隅に映り込んだ、より残酷な現実を見て、リオンは明確に死を覚悟する。

 自らの剣想の德川を振り抜き、恋王クピドに擦り傷を与える。

 軽い手応え。

 縮めた勢いそのままに、黒鎖を再度伸ばし、今度はできる限り距離をとる。

 その際に、上空に見えたのは、一匹のドラゴン

 まだ全容が計り知れていない魔物の中でも、現在確認されている中で、最強と呼ばれる怪物中の怪物。


「塔王バベル、か。まさか生きている内に、姿を拝めるとは思ってなかったぞ」


 歴史に名を残すほどの規格外の怪物が、最低でも二匹。

 リオンは、あまりに絶望的な状況に、笑えてきてしまう。

 これで、三度目。

 明確に死を覚悟する。


(何がどうなったら、人間の街のど真ん中に魔物の王が二匹も紛れ込むんだ。というか、本当に二匹だけか? 今日が黙示録か?)


 もはや、自らの命だけでなく、人類の存続すら危うい。

 今や堕剣の混乱のせいで、最序列の神々同士が争う状況下における強襲。

 連合大国外でも魔物の勢力が活発化している中、首都機能を持つ中央都市ハイセントラルに高位の魔物が襲いかかる事態。

 

「最悪だ——」


 リオンの頭上で、塔王が咆哮を上げる。

 空気が震えるような、エネルギーの奔流。

 全てを破壊する衝撃波が、竜の口から放たれる。

 それをどこか他人事のように、リオンは見送るばかり。

 彼に、争う術は、なかった。



「——最高だ」



 しかし、赤い錆が、彼の視界を過ぎる。

 この絶望的な状況の中で、不釣り合いな微笑みを携えて、背の高い一人の男が悠々と歩いている。

 黒い髪に、赤い瞳。

 右手には赤く錆びた剣。

 誰とも異なる異質な気配。

 その唯一無二の背中に、リオン・バックホーンは見覚えがあった。

 

「プファッ! いいね。ちょうど乗り物と飲み物が欲しかったところだったんだ」


 地面から生えた黒い管を素早く手掴みすると、まるでティーブレイクかのようにストロー扱いして、自分の口元に運んでチュウチュウと吸い絞っている。

 視線は空に向いていて、真紅の瞳が巨大な翼竜を捉えている。

 そして、そのまま放たれる、塔王の息吹ブレス

 全てを灰燼に帰する絶死のエネルギー波が迫り来る中、その男だけが一歩前に踏み込む。


「《編集エディット巻き戻しリワインド》」


 改竄される、王の一撃。

 気づけば竜は、自分の意思とは関係なく口を閉じている。

 黒髪の男とリオンをまとめて消し飛ばそうとしていた、破壊の衝撃波が一瞬で消え去っている。

 これまで無差別に力を奮っていた、塔王バベルの鋭い眼光が、ここで明確にその赤錆に向けられた。


「空間指定もほぼ精度は完璧。この固有技能ユニークスキルのレベリングもだいぶ仕上がってきた。いや、待てよ? だが効果そのものはそこまでレベリングしてないか。まだまだレベリング代だらけってわけだ。キリがない、が、それがいいんだよなあ」


「ど、どうして? あんたは死んだはずじゃ……?」


「ん? ああ、死んだよ。前から一度くらい死んでみたかったんだ。ただ生き返っただけだよ」


 自然と漏れたリオンの疑問に、男はこと気もなく答える。

 一度くらい死んでみたかった、ただ生き返っただけ。

 その言葉の意味が両方ともわからなかったが、リオンが疑問を追求することはない。

 そしてどこか既視感のある問答を繰り返す。


「まだ、こいつらと戦いたいか?」


「え?」


「物足りないか?」


「い、いや、もう大丈夫です……」


「そうか。じゃあ、次は俺の番だな。こいつを代わりに貸してやる」


「……おいおい、勘弁してくれ。トラウマ欲張りセットを注文した覚えはないぞ。俺が何をしたって言うんだ」


 塔王バベルと視線を交わし合う男の背後から、また別の邪悪な怪物が姿を現す。

 真っ白でブヨブヨと弛緩した皮膚に、目も鼻もなくザラザラとした牙とだけが覗くミミズのような顔面。

 ボトボトと涎を垂らして、忠犬のように男の傍で首を垂れる巨大な異形。


「gyao!」


「ああ、そうだな。その通りだ。レベリングだよ」


 始まりの女神から追放され、自らの手で自分の首を刎ねたとされる、元神下六剣。

 人類史上最悪の大罪人であり、かつて剣聖と称された死んだはずの男。

 

 “堕剣ネビ・セルべロス”。


 災禍に襲われる人の街の中心で、地獄の底から再び舞い戻ってきた堕剣が不敵に笑う。



「さあ、濡れろ、【赤錆】。鍛錬レベリングの時間だ」



 

 



 

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