感化



“号外!! 歓楽都市マリンファンナ完全崩壊! 堕剣ネビ・セルべロスに感化された殺神パイモンの凶行か!?”


 連合大国ゴエティアの首都機能を持つ中央都市ハイセントラルの西地区。

 まだ昼下がりだというのに、それなりに人気の多いダウンタウンバー。

 誰かが置いていった広報商社RCCの号外記事を、渇いた目で読む女がいる。

 ボサボサに伸び切った赤い髪に、女性にしては高い背丈。

 筋肉質で鍛えられた肉体をしているが、ぼろぼろでほつれが目立つ服装のせいで浮浪者のような印象が強い。

 度数の高い蒸留酒を瓶で飲みながら、小さなナッツを緩慢な動作で口の中に運んでいる。


「……アー、やっぱりあいつは、悪魔だ。最序列の神々ですら狂っちまうんだ。アタシの人生程度、狂わせるくらい、わけないわな」


 げっそりした顔で、誰に語るでもなく独り言を呟く。

 その異様な空気感に、割合賑やかな店内でも彼女の周りだけ壁があるかのようにぽっかりとスペースが空いていた。


「そのクソ記事、視界に入るだけでも吐き気がするぜ」


「……あ?」


 すると、誰も近づきすらしなかった女の隣に、横柄な態度で座ってくる青年が一人いる。

 長い金髪を靡かせ、整った相貌から生意気そうな翡翠の瞳を覗かせる。

 その青年は目に止まらぬ速さで女から紙面を奪うと、グシャリと握り潰した。

 抵抗する隙のない敏捷性アジリティ

 彼女の動体視力で追えないほどの速さを持つ人間は、非常に少ない。


「よお、久しぶりだな、オーレーン。“大食いバーサーク”の割には、ずいぶんと少食になったか?」


「……レオナルド・ベッキー。ヨーヨー、ここは負け犬の同窓会会場じゃねぇぞ?」


 “剣王子プリンス”レオナルド・ベッキー。

 あの神下六剣の一人、剣王アガリアレプト・ベッキーの一人息子が、見下したような表情をしながら、女——オーレーン・ゲイツマンのナッツを手に取り奥歯で砕いた。


「黙れ。お前と一緒にするなよ。俺はお前ほど折れちゃいない」


「頭が悪りぃってのは大変だな、ベッキー。お前も堕剣に会ったんだろう? それでよくまあ恥ずかし気もなくイキれるもんだな。アタシには理解できないね」


 歓楽都市マリンファンナで堕剣に敗北して以降、黄金世代として名を馳せていたオーレーンは一度も剣想に握っていない。

 今でも眠ろうとするだけで、あの赤い瞳が瞼の裏に浮かぶ。

 悪夢にうなされ、まともに睡眠すら取れなくなった。

 こうやってまだ日の出ている時間帯から浴びるように酒を飲み、強烈な赤く錆びた記憶から逃げるように気絶する日々だった。


「頭が悪いのはどっちだ。クールじゃない。寒いぜ、お前。アカデミー時代のお前は、もう少しマシだった気がしたけどな」


「ハッ。安い挑発はやめておくれ、ベッキー。見ればわかるだろ? アタシはもうお前の知ってるオーレーン・ゲイツマンじゃない。黄金世代は永久脱退だよ」


 オーレーンには、理解できなかった。

 どうしてまだ、レオナルド・ベッキーが昔と変わらない闘志を抱いたままなのか。

 堕剣というあまりに絶対的な存在に出会ってもなお、剣想を握り続けるその金髪の青年が眩しく見えた。

 逃げるように酒を煽り、腹も減っていないのにナッツを齧る。


「堕剣はお前のことも、殺さなかった。あえて、殺さなかった。なのに、逃げんのかよ」


「は? あえて殺さなかった? 何言ってるんだよ、お前は。アタシに殺すほどの価値がなかっただけだろ」


「いや、あいつは選んでる。俺の命は、見逃された。殺せたとのに、わざと殺さなかった。その意味がお前にも、わかるだろ?」


 オーレーンは顔を動かさず、視線だけ隣に向ける。

 彼女の視線を受け止めたレオナルドが、自らに右胸をとんとん、と叩いた。


「堕剣は、馬鹿じゃない。全ての行動に意味がある。あいつは俺と戦った時、わざと心臓とは反対の胸を貫いた。つまり生かされたんだ。俺にはまだ、役目があるってことだ」


「役目、だって?」


「もっと率直な言い方をすれば、駒だよ。あいつと戦ってわかった。あいつは自分の周りにある全てのものを、武器にして、利用する。だから俺も利用価値があるから、生かされたってことだ」


「そうかい? アタシに利用価値があるとは思えないけどね。まあ、そうだとしてもどうでもいいだろ。だから何だってんだ」


「悔しくないのか?」


「あ? 悔しい? 何が?」


「無価値な命だと切り捨てられてるならまだしも、俺たちは堕剣に駒扱いされるために生かされてる……ムカつくだろ、そんなの。俺の人生を、あのクソ剣聖の玩具にさせてやるかよ」


 熱を、帯びる。

 レオナルドのまっすぐな瞳に、強い輝きが満ちる。

 その光に、あの悪魔のようだった堕ちた剣聖と同じ錆びを感じ、オーレーンは身震いした。


「だから、後悔させてやるんだ。俺を生かしたことを。俺を駒として利用しようとしてるあいつの想像を超えてやる。そのためなら、俺は何だってする。プライドも全部捨てて、イキ足掻いてやるって言ってんだよ」


 凄まじい熱量に、オーレーンは圧倒される。


(コイツとアタシ、何が違う?)


 同じように堕剣に敗北をした同士。

 それにも関わらず、レオナルドは狂気的な闘争心を抱き、一方のオーレーンは完膚なきまでに心が折れてしまっている。


(どこで差がついた? どうして、お前はまだ、そんな目ができる?)


 堕剣ネビ・セルべロスに関わったら最後、誰もが人生を狂わされると思っていた。

 しかし目の前で、今もなお血気盛んに目を爛々と輝かせるレオナルドを見て、疑念が生まれる。

 

「レオナルド、お前はどうして——」


 ——パリィン、とその時唐突に強い揺れがバーを襲い、カウンターの上に置いてあった酒瓶が床に落ち割れる。

 明らかな異変。

 オーレーンより先に動いたのは、やはりレオナルドだった。


「……やっぱり、来たか。裏切りの神、狂神カイムが中央都市ハイセントラルに潜伏してるって噂が流れた時から、予想はしてたぜ。そうだろう、堕剣? 試せるもんなら、試してみろ。お前の想像を、超えてやる」


 もうレオナルドはオーレーンのことは見ていない。

 何かに取り憑かれたかのように、交戦的な表情をして、挨拶もなくバーの外に飛び出して行った。

 再び、強い揺れ。

 ついに市民たちも異変に怯え始めたのか、店内に混乱に満ちた騒めきが広がる。

 やがてどこからか、悲鳴が聞こえる。

 それを合図にして、店内にいた客たちが慌てて外に飛び出していく。

 

「意味が、あるのか? アンタがアタシを生かした意味が?」


 悲鳴は鳴り止まない。

 中途半端に開いたままの扉の外から聞こえる喧騒は、加速度的に大きくなっていく。

 カウンターに一人取り残されていたオーレーンは、ゆっくりと立ち上がると、酔いに若干ふらつく足取りで、光差す方向へ進んでいく。



「……ヨーヨー、そうか。アタシの死場所はもう、自分で選べない。駒、ね。あいつの言っている意味が、少しわかった気がするぜ」



 混乱に満ちた街の空に、ドラゴンが一匹、飛んでいた。

 バーの外に出たオーレーンと同じように、何人もの人々が首を傾けて、青空を仰いでいる。

 大きな一対二翼。

 灰色の鱗に、高貴な風格を感じさせる巨竜。

 


「ウ、ウウウウチ、カカカカカカカカレシ、ホホホホホホホホホホシィィィィィイイイイイイイ!!!!!!」



 少し離れたところでは地面から生えた黒い管のようなものが、臀部に差し込まれた男性が、どう見ても異常な様子で金切り声をあげている。

 目は真っ黒に染まり、全身をビクビクと痙攣させていて、魔素の気配を身体中から撒き散らしている。

 次々と地面から黒い管が飛び出てきては、ニョロニョロと揺れ動いては、凄まじい速度で人々と襲っている。



「キミと、すっごくスケベしたいナァ」



 突如背後から、生暖かい吐息がうなじにかかる。

 反射的に振り返れば、顔が皺だらけの小柄な老人が、雲一つない晴天だというのに傘をさして立っている。

 鼻をつく、刺さるような魔の気配。

 本能的に危険を感じ、逃げようとするが、老人の動きの方が速い。


「奔れ、【霹靂】。それだけでいい」


 だが、その魔の手より、更に速い紫電が迸る。

 火花が散り、稲妻を纏った剣閃が走る。

 先ほど誰よりも早く外に飛び出して行ったレオナルドが、剣想イデアを手に前だけを見据えている。


「いいぜ。クソ魔物ジジイ。お前の相手は、俺だ。錆び落としに丁度良さそうだぜ」


「ンー? ソレ、あんまり、エッチじゃないよネェ?」


 レオナルドと老人が睨み合う。

 黒い管が次々と人々を襲い、狂気に満ちた混沌が瞬く間に広がっていく。

 悲鳴に鳴き声が混ざり、清廉な街並みを血が汚し始める。

 


(また、いるのか? 堕剣ネビ・セルべロス。この混沌の中心に、アンタはいるんだろう? 教えてくれよ。アタシに、何をさせたい? アタシは、どうしてまだ、生きている?)



 中央都市の真上で、竜が翼を広げ、咆哮する。


 凄まじいエネルギーの粒子が、強靭な顎に集中し、衝撃波として放たれる。



 瞬間、連合大国ゴエティア最大の都市の一角が、灰燼と化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

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