第3話 最後の決断

 あれから20年間、ぼくはラジオを遠ざけてきた。いや、ラジオだけではない。オーディオだろうがスマートフォンだろうが、外部からの電波によって音が出る類の物は可能な限り排除はいじょしてきた。それで仕事に支障をきたすことがあっても構いはしなかった。とにかくぼくは、もう二度と、今日最後のニュースを告げるあの女の声を聴きたくなかった。そしてそれは20年もの間、成功を収めてきた。



 夜半に降りだすはずの雪が、日暮ひぐれと共に降り始めた。予定を早めて妻の実家を後にしたのに、東京まであとわずかというところで渋滞に巻き込まれてしまった。


 後部座席では、久々の帰省で疲れきった妻と、クリスマスから年明けまでひたすら祖父と雪遊びをしていたせいで、ぐったりとしている6歳の娘が眠っている。


 過去を払拭ふっしょくし、30を過ぎてようやく手に入れた家族だった。小さいが、強い絆で結びついた、かけがえのないの家族だった。


「今日最後のニュースです」


 不意にカーステレオから音声が流れた。自分の車のラジオは取り外していたが、今運転しているのは妻の車だ。ラジオを取り外すわけにもいかなかった。


「今日23時45分頃、環形道かんけいどう上り車線で、渋滞中の乗用車に大型トラックが追突する事故が発生しました。この事故により乗用車を運転していた東京都在住の・・・・・」


 以前と同じ、あの女の声だった。そして女が読み上げた事故の犠牲者の名はぼくだった。


「乗用車19台を巻き込む大きな事故でしたが、1名を除き全員が軽傷で済んだようです。大型トラックの運転手の居眠りが原因とみられています」


 車内のデジタル時計は23時40分を示している。事件が起きるまであと5分はある。


 完全に停止していた前の車両が動き始めた。どうやら渋滞は解消されそうだ。


 このまま進めば、あと数分でぼくの命はきる。いくら見回してもぼくの車の周囲には大型トラックなど見当たらない。だけどそれは確実に近づき、無慈悲にぼくの命を刈り取っていくに違いない。


 今すぐ車を路側帯ろそくたいに停め、妻と娘を降ろして避難するべきだ。理屈では解っていても、ぼくの足はブレーキペダルを踏み込むことができなかった。


 ニュースは言っていた。死ぬのはぼくだけだと。それは最悪の結末だ。妻と娘を残して、ぼくはまだ死ぬわけにはいかない。


 だが果たして、これは本当に最悪の結果なのだろうか?ニュースはこうも言っていた。1名を除き、全員が軽傷で済んだと。


 このまま進めば、ぼくは必ず死ぬ。だが、後部座席で眠っている妻と娘の命は確実に助かる。今ここで、ぼくが車を止め路側帯から道路外へ脱出したならどうなるのだろう?


 ぼくたち家族は助かり、事故に巻き込まれる哀れな犠牲者たちは全員軽傷で済むのだろうか?そうかもしれない。だがそうならない可能性も高い。


 その場合、ぼくだけでなく妻と娘の命も奪われるかもしれない。それ以上に怖ろしいのは、ぼくの選択のせいで妻と娘が死に、ぼくだけが生き残る可能性もあるということだ。


 逃げるべきだ。ぼくはそう決断しかけていた。可能性があるのなら、助かる方に賭ける。当然のことだ。考える必要などまるでない。だがどうしても、ぼくは最後の決断を下せないでいた。それはカーオーディオの奥から漏れ聞こえてくる、ニュースを読むあの女の声のせいだった。


 女はもうニュースなど読んではいなかった。さっきからずっと、女はその電波を送って来る地獄の底から、感情の欠落した声でただひたすら笑い続けていた。                     完

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最後のニュース 氷川 瑠衣 @komuhubu2

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