(5)
太田と一悶着あった翌日の放課後、俺は卓球部をサボってすぐに家に帰り、しばらく休憩してから外に出かけた。
夏至が近いからか、夕空はやたらと明るかった。ニュースによると梅雨入りしたということなのだが、今日は雨がふらなかった。その代わりちょっと肌寒かったので、デニムとTシャツの上に薄手のカーディガンを羽織った。行き先は近所のコンビニなのだが、人に会う予定があったのでなるべく見られても問題のない格好をしておく必要があった。
俺がコーヒーを買って、イートインコーナーですすっていると、目的の人物はすぐやってきた。部活のユニフォームに身を包んだ泉涼子だ。バスケ部が終わったあと、帰り道にコンビニに寄るようお願いしていた。約束通り一人で来たな。他の奴がいるとややこしいことになるから良かった。
「おつかれ……おっ、私服じゃん」
「一回帰ったんだよ」
「キノコのくせにおしゃれだね。プラスポイント」
良かった。お気に召したようだ。だが泉はすぐさま顔をしかめた。
「でも、初デートがコンビニか……マイナスポイントだよ」
「マジのデートだったらもっとちゃんとしたとこ選ぶ」
そう言うと泉はケラケラと笑い「飲み物買ってくる」と言って立ち去った。コンビニの中には店員を除くと、俺たちの他には誰もいなかった。流行りの音楽がちょっとだけ流れ、合間合間にどこにあるのかよく分からない首都圏の大学の宣伝が入ってくる。
俺は空になったカップを机の上に置き、足と腕を組んで天井を見つめた。さて、何から説明したら良いだろうか。
数分もしないうちに泉は紙パックのレモンティーを鷲掴みにして戻ってきた。
「おまたせ」
「今日は部活、大変だった?」
「晴れてたからランニングしないといけなくてだるかったけど、練習メニューのキツさとしてはいつも通りだったかな」
「疲れてるとこ、寄ってもらって悪いな」
「いいんだよ、どうせ帰り道だし。それよりさ、学校では言えないことがあるって言ってたよね」
泉はレモンティーをストローですすりながらそう言った。俺は組んでいた足をほどき、膝の上に手を置き、居住まいを正した。
「ああ。どうしても、他のやつがいないところでお前に確認したかったことがあってな」
「何さ、改まっちゃって」
「こないだの席替えの工作の件だけど……あの犯人、お前だろ」
俺がそう言うと、泉は一瞬無表情になったが、すぐにまた笑顔になった。
「どうしてそう思ったの」
「いや、まあ色々あるんだけど、どこから話すべきか」
俺の告発を泉は否定しなかった。泉に見えるようにしながら、俺は右手の人差し指を立てた。
「考えたことが大きく分けて2つある。まず1つめ。席替えの日の昼休みにお前と一緒に考えた推理だけど、俺は実は何か引っかかると思っていた。何か大事なことを見落としてるような気がしてな」
「日直だった太田が、くじを手のひらに隠してすり替えた、っていうトリックだったよね」
「ああ。そのトリックも実行の難易度を度外視したものだから腑に落ちてはいなかったんだけど、もっと安全な仕方で工作する方法が他に思いつかなかった。でも、実は気になっていたのはそこじゃない。後から気づいたんだけど、俺が引っかかっていたのは動機だ」
俺はあの時「犯人」という言葉を使うことに躊躇いを感じた。その時はその理由が思い当たらなかったが、よくよく考えてみると、太田の行動の理由が分からなかったから、奴を犯人扱いするのを変だと思ったんだろう。
「太田が犯人だとして、あいつはどうしてこんなにも難しい工作を、どうしてバレて怒られるリスクをとってまでやったのか。ちょっとした親切心やイタズラ心でやるには割にあわないだろ。それにこの工作によって、カップルたちには利益があったかもしれないけど、太田本人に利益がない」
「まあ、そうね」
「それで、俺がもし太田だったとしたら、どういう状況ならこの工作をやるかなと考えてみた。例えば、誰かに脅されていて、この工作をやらなければ、工作がバレることよりも大きなダメージを食らう場合、なんて状況だったんじゃないかと思った。
そうだったとして、問題は誰が脅したのか。一番有力なのは、隣り合わせになるという利益を受ける3組のカップルのうちの誰かだ。だけど、1組のカップルが何かの理由で太田を脅して工作させたとしても、残りの2組のカップルを隣り合わせにする理由がない。つまり、3組のカップルが同時に太田を脅さなければならなくなってしまう。そんなこと起きうるのか」
泉は黙ったまま首を傾げた。俺が言ってることが正しいのか、不安になってきた。コンビニの店内放送がやけに大きく聞こえる。俺は唾液を飲み込んでから話を続けた。
「そこで、俺は別の可能性を考えてみた。3組のカップルのうち複数から依頼を受けた、誰か1人が太田を脅したんじゃないか、と。
この時点で、そんなことをやりうるのは泉しかいないと思った。泉は顔が広いからカップルたちから工作を頼まれうる立場にあるし、またこの学年の人間関係に詳しいから太田を脅せるような何かを知っているかもしれない。
だけど問題は、泉が太田に関するどんな情報を握っていたのかということだ。これが全く検討がつかなかったんだけど、それを推論するヒントになる出来事が昨日起こった」
泉は黙ったまま、真剣な顔で俺の話を聞いていた。俺はまた泉に見えるようにして、右手の人差し指の隣に中指を並べて立てた。
「2つ目。昨日、掃除当番が太田と一緒でさ」
「なんか、喧嘩してたんでしょ。松村ちゃんから聞いた」
泉はポニーテールの後れ毛をいじりながら、つぶやくように言った。さすがに耳が早い。ってかそんなことまで噂になるんだ。
「ま、喧嘩ってほどじゃないよ。俺は普通に話してたつもりだったんだけど、どうやら太田が俺のことをめちゃくちゃ怖がってたみたいでさ」
「怖がってた? キノコを? なんで?」
「ああ。そこが話の肝なんだ」
昨日の太田の反応はおかしかった。総じて言うと、あいつは俺に怯えていたように見えた。これはなぜか。その場でなんとなく察して場を収め、家に帰ってからゆっくり考え直してみたが、それがこの問題を解く大きなヒントになった。
「掃除の途中で太田に話しかけられた。太田と話すのは初めてだったんだけど、せっかくだから席替えの件についてちょっとつついてみようと思ってさ。直接お前がやったんだろとは言わずに、やんわりと言及したら、慌てだして」
「ひぇー、隠すの下手くそだなあいつ」
「正直、直接自白するよりも、雄弁に自分がやってたことを示していたと思う。まあでも、明確に感情を露わにしたのは、違う話題がきっかけだった。そこに関係するんだけど、太田、2組の森下と付き合ってるらしいな」
「うん、そうだね。本人に聞いたの?」
「話の流れで聞き出した。でも、俺が森下について二言三言触れると怒り出してな」
「何を言ったの」
「俺が言ったのは、〈1年生の時同じクラスだ〉ってことと、〈お似合いだ〉ってことと、半年付き合ってるって言うから〈割と長いな〉って言った。あと〈中学生の恋愛って半年続いたら良いほうだってイメージがある〉って言ったな」
「怒るようなことじゃないね」
「そう。怒るようなことじゃない。要するに、俺の知ってる女子と仲が良いんだな、長く続いてるんだなって言っただけだ。
でも、もし俺の知らない前提を太田が持っていたとしたら、この言葉が挑発に聞こえるかもしれない。例えば、太田が実は森下に陰口を言っていたとか、太田が浮気しているとか、俺が2人の関係に決定的にダメージを与える情報を持っている、と太田が思っているとする。すると、俺が言ったことは、お前らの関係なんか、俺が森下にバラしたら、叩き切ることができる、というメッセージに聞こえなくもない」
そう聞いた泉は「なるほど」と言って、笑い声を漏らした。
「でも、太田と俺が話すのは昨日が初めてだったんだから、そんな情報があったとしても、普通に考えて俺が知っていると考えるはずがない。ということは、太田は、俺が誰かからそのような情報を聞いたと思っていたことになる」
泉はずっと黙ったままだった。俺ばっかり喋ってるから、さっきコーヒーを飲んだところなのに喉が乾いてきた。俺は唾液を絞り出して飲み込み、話を続けた。
「この点について、もう一つ気になった点があった。太田が俺に話しかけてきた時、俺と泉の仲のことを気にしていた」
「ほう。どういうこと」
「俺と泉が〈凄い仲良い〉と思ってたみたいだった。あと、森下と太田が付き合ってることについても〈泉から聞いてるかもしれない〉と言っていた。でも、おかしいよな。どうして泉が、俺と直接的に関係のない、森下と太田のことについて話題にしたと思っていたのだろうか」
「たしかに」
「ここまで言ったことをまとめるとこうなる。まず、太田は、何者かに脅されて席替えの工作を行った可能性がある。また、あいつが席替えの工作をしたことを俺が知っていると聞いて慌てだした。さらに、俺が太田と森下の関係を壊しうるような情報も知っていると思い込み、俺に怯えていた。そして、太田は俺と泉が親しく話す間柄だと思いこんでいた。
これらがつながっているとすると、真相はこうだったんじゃないか。泉は3組のカップルの複数から隣の席にできないかという相談を受けた。泉は、太田と森下の関係を壊しかねない情報を掴んでいたので、それをチラつかせて太田に工作するよう脅した。その後、俺が工作した事実を知っていることに気づいた太田は、俺が泉からこの事件の真相を聞いていると思って怯えていた――こう考えると、この席替えを操作したのは、泉だったと言うべきじゃないか」
「ほう」
「間違ってるか」
「さっきから何も否定してないじゃない。全部あってるって」
泉はそう言ってケラケラ笑った。相変わらず俺と泉と店員以外誰もいないコンビニの中に、泉の声が響く。それが少し不気味で、俺は眉をひそめた。
「真相を突き止められて爆笑するのは、サスペンスドラマに出てくる犯罪者っぽいな」
「よくわかったなと思って感心して笑っちゃったのよ」
「俺が手に入れられた情報に基づいて推理しただけだから、不完全だったと思う。特に、誰が工作を依頼したのかとか、太田をどうやって脅したのかとか、わからないところが多かった」
「そりゃ、私しか知らないはずのことだしね。じゃあ、種明かししよっか」
泉は紙パックの紅茶を吸った。中身はもう底をついていたらしく、ズズズっという音がした。
「大筋はキノコの推理で合ってるけど、いくつか補足がある。まず、私に席替えの工作を頼んできたのは松村ちゃんと藤田。2人共、いつも結構いい情報をくれるからさ、断れなかったんだよ」
「なるほど、そうやって情報を集めてるのか」
「うん。誰かに話を通して欲しいとか、誰かに遠回しに文句を言って欲しいとか、そういうちっさなお願いに答えて信頼関係を作ってるんだ――情報を集めるには貸し借りが大事なんだよ」
泉はこともなげにそう言ったが、俺は舌を巻いた。たかが中学生の噂話を集めるためにどんだけのリソースを割いてるんだこいつ。
「特に藤田は、滝川ちゃんが自分に飽きてるんじゃないかって不安に思ってるらしくて、一緒に話す機会を作りたかったらしくてね」
それから泉はとんでもないことを言い出した。
「でもね、こっからが面白い話なんだけどさ。太田に席替えの工作をしてもらうことになった事情だけど……実は、太田は滝川ちゃんと浮気してたのよ」
「ま、マジか」
「うん。つい最近、週末に2人でデートしてるとこ見かけちゃってさ。藤田は気づいてないけど、滝川ちゃんの気持ちが自分から離れてることには勘付いてるみたいね」
「同じクラスで浮気は相当な胆力がいるな」
「いやぁ、そうね。滝川ちゃんはもうバレて良いと思ってて、それをきっかけに別れられたら良いかなと思ってるみたいだよ。
でも、太田は彼女の森下ちゃんや藤田と喧嘩になるのを怖がってるみたいで、こないだ土下座して他のやつに黙っててって言われたんよ。だから、誰にも言わない代わりに、席替えの工作を手伝ってくれないかって頼んでみた。キノコは脅したって言ったけど、私はお願いしただけだね。工作のトリックも太田が考えたんだよ」
「お前、じゃあそれ、俺に言っちゃダメだったんじゃ……」
「うん、ダメだね」
そう言って泉は爆笑したが、俺はドン引きしていた。このドス黒い話を笑い話だと思ってる泉が怖い。どんだけ修羅場を見てきたらこうなるんだ。
それに太田、あんな爽やかイケメン風な見た目でエゲつないことやってるな。喧嘩になるのが嫌なら浮気なんてしなければいいのに。俺はため息をついた。
「そんなクズと付き合ってしまって、森下が可愛そうだな」
「まあ、でも……」
「でも?」
「これももう言っちゃうけど、森下ちゃんもちょっと前、浮気してたのね。太田は知らないんだけど」
それを聞いた俺が顔をめちゃくちゃにしかめると、泉は我慢できないというように笑い出した。もうダメだ。登場人物がクズばかりで、どう捉えたらいいのか感情が追いつかない。森下が浮気してたのはイメージと違いすぎてだいぶショックだ。
「ところで、今聞いた話、俺がどこかでもらすと……」
「駄目。その場合、私の総力をあげてキノコのあだ名をカビに変えてあげる」
「やめてくれ」
カビと呼ばれるくらいならキノコの方がマシだ。どっちも菌類だけど。泉は冗談で言ったみたいだったが、こいつだったら本気になれば出来るだろ。
そこで俺はふと気づいたことがあった。
「じゃあ、口止め料代わりに、聞いていいか」
「なるほど、そこは貸し借り無しにしとかないとね。何が聞きたいの?」
「お前、どうして俺に席替えの工作を推理させたんだ。黙ってりゃ良かったのに」
「なるほど。やっぱそこが気になるか」
泉は紙パックをテーブルの上に置き、腕を組んだ。
「1つは、キノコを試してみようと思ったんだ。美月が、キノコは小学生のときはめっちゃ頭いいやつだったとか言ってたからね」
「あいつそんなこと言ってんの……絶対馬鹿にしてるだろ……」
「そうかもね。でも結果は期待以上。ちゃんと黒幕までたどり着いたんだから。偉い」
「そりゃどーも」
なんだかよくわからないけど、泉に気に入られたみたいだ。ただし、美月とはいつかちゃんと話す機会を作るべきだな。あいつ何を言いふらしてるんだ。
「もう一つは、太田が席を工作したトリックが本当に分からなかった。次の学活のタイミングで席替えやりそうだし、そのタイミングで太田が日直になることはわかってたから、なんとかできないかって頼んだら、太田はできる、としか言わなかった。トリックはよく知らなかったんだ。だから一緒に考えてくれる人が欲しかった」
「なるほど」
「あと最後に、これが本音なんだけど、藤田と滝川ちゃんと太田と森下ちゃんの状況が面白すぎて黙ってるのがしんどくなっちゃってね。キノコがこの真相に辿り着くくらい賢かったら、バラさない方が得だってわかってくれるだろうから、シェアして笑おうと思ったのだよ」
「まあ、たしかにその話を喋らずにいるのは厳しいな」
「そうでしょ。でもキノコは他の人に言っちゃ駄目だよ……ま、言いふらす友達もいないと思うけどね」
「よくわかってるじゃないか」
そう言うと泉はニヤッと笑った。なるほど。だから俺をターゲットにしたのか。交友関係に詳しい泉なら、俺が日常的に話すやつが卓球部の奴らくらいだということはわかっているだろう。卓球部の連中なんて「太田ってだれ?」という感じだろうしな。もう1つ気になっていたことがあった。
「あと1つ気になってて」
「まだあるの?」
「俺と泉が隣りの席になったのは、偶然だったのか?」
そう言うと泉はニヤッと笑って、小さな声で「それは秘密」と言ったので、俺は深くため息をつくしかなかった。太田が、泉と俺の仲が良いと思っていた理由がやっとわかった。
3組のカップルも、太田も、俺も、全部こいつの手のひらの上だったのだ。
(「手のひらの上で」おわり)
手のひらの上で 山田ツクエ @ymdtke
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