漣ミナミの個人的事情

 アーケードの下を歩きながら、ミナミはふと、傍らのショーウィンドウに目をやった。レインボーコーンのドライフラワーをあしらったディスプレイの奥に、夏物のワンピースドレスが展示されている。

 だが、ミナミが見つめたのはそのドレスではなくさらに奥、壁面にはめ込まれた額縁付きの鏡だった。

 

 コーンのによく似た明褐色の髪と、鼻梁が高く彫りの深い顔立ち――母のソフィアにそっくりな姿が映っている。メディア企業の海外特派員だった父・漣タケミが、東欧の小国で起きた内戦のさなかに母と出会ったのは、今からもう二十年前の事だ。

 

(やっぱり、これの所為なのかなあ……)


 鏡を覗き込んだまま、ミナミは自分の前髪を一房つまんで捻った。入学当初は生徒指導の教員に目を付けられて、脱色を疑われたこともあった――目鼻立ちを見ればすぐ誤解は解けたのだが。 

 要するに、自分は他の生徒から見れば異分子で、悪目立ちするのだろう。

 今のところちょっかいをかけてくるのは百地グループだけだが、そろそろ他の女子生徒たちにも同調する雰囲気が出始めている。何か些細なきっかけがあれば、すぐにそれははっきりと姿を現してミナミを引きずり倒し、一斉に牙を剥くにちがいない。

 

 中学の時も危ないところまで行った。ちょうど受験と卒業があったおかげで決定的な事態には至らずに済んだが、あの頃のイジメがもう少し早く始まっていたら、どうなっていたことか。

 

(しっかりしなきゃ……隙を見せちゃダメ。百地さんたちを刺激するようなことは避けて――)


 今日も危なかった。眉庇トウゴがあのバスケットボールから助けてくれたのはありがたかったが、その後の成り行き次第では百地グループの嫌がらせがさらなる段階に進んでいたかもしれない。彼の威圧が成功したために事なきを得たが、出来ればトウゴとは今後関わりたくない。

 

 何より、あの得体のしれない現象。

 

(口で『タタタ』って言ったらボールが弾けた……何だろう? 何なのアレ……!?)


 ――絶対に偶然ではない。口止めらしきことも言われたし、確かに彼はのだ。

  

 不気味さに震え上がったその時、不意にスマホが着信音を鳴らした。ミナミはショーウィンドウを離れ、歩きながら応答に割り当てたサイドボタンを指で押し込んだ。 


〈どうも、古手川です。その後いかがですか、お嬢さん〉


 聞き慣れた声が響く。トウゴのことを考えていたわずかな間、現実のやりきれなさをいくらか忘れていられたミナミだったが、この電話はあっさりと彼女を引き戻してしまった。ある意味、この電話はクラスでのイジメよりももっと厄介だった。


「マサさん……? あの、もう連絡してこないでって言いましたよね」


〈すみません。お嬢さんのお気持ちは重々わかっておりますが、私も立場が……組ち――いえ、お爺様には逆らえませんので〉


 「お爺様」とはすなわちミナミの父方の祖父だ。この県に古くからはびこる中規模の暴力団「巖谷会いわたにかい」の組長、漣ツナミといえばその筋ではよく知られた人物だった。

 

〈前にも申し上げた通り、お爺様はお二人を引き取って一緒に暮らしたいとお考えです。タケミさんに父親らしいことをしてやれなかった分、お二人には出来る限りのことをしたい、と〉


 こんこんと諭すような口調で聞き飽きた話を繰り返してくるこの男は、巖谷会の「舎弟」の一人で古手川マサツグという。ツナミに深く心酔し、個人的にその意を汲んで陰に日向に立ちまわる、懐刀のような男らしい。


「お爺ちゃんの気持ちは知ってますし、ありがたいと思ってますけど……ごめんなさい、私も母もなるべくお爺ちゃんのお世話にならずに生きていきたいんです」


 そうは言いつつも、マサツグからの電話を着信拒否に出来ていないことが、ミナミには情けなく腹立たしかった。そして彼が電話をかけてくるのは大概が、ツナミの指示で幾ばくかの金銭をミナミの口座に送金した直後なのだ。

 

 母のパート収入だけでは、ミナミを高校に通わせながら二人が暮らすことは容易ではない。ツナミからの送金は――その原資は非合法の手段で集められたものと容易に知れる――ありがたくそして悍ましかった。

 

〈……〉


 マサツグは電話機の向こうでしばし無言になった。

 

〈また電話します……組の中でおかしな動きもありますので、くれぐれもお気をつけて。こちらでもできる限りのことはしますが――〉


 ミナミは返事をせずに通話を切った。

 

 

 いつのまにか立ち止まっていたことに気づき、ことさらに歩調を速めて再び歩き出した。ミナミと母が暮らすアパートは、この繁華街を抜けた先にある。もたもたしているとどんなトラブルに遇うか、これまたわかったものではない。

 

「私たちには……」


 思わず声を出してそう言いかけ、語尾を飲みこんだ。


 私たちには――二人で静かに暮らす権利すらもないんだろうか?

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可聴領域マシナギオン 冴吹稔 @seabuki

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