第6話



 いつも不機嫌と言われる俺だが、今ほど不機嫌な日は珍しいだろうな。

 なんせ、自分の不注意が原因で大切な友達を失ったんだから。


 燕雀なんて名乗りながら、どうも俺はまだまだ弱者の気持ちになり切れていなかったようだ。


 ある種の無責任なはげましが、結局は巡り巡って誰かを傷付けちまう。

 そんな良くある出来事すら忘れていたんだからな、クソッ。


 だが、まだ諦めるのは少し早いかもしれない。

 アイツは普通の人間とはちょっとばかし違うんだから。


 そう、世にも珍しい「自我を持ったしゃべれる看板」なんだから。


 壊れた所を直せば、またよみがえるんじゃないのか?

 どうなんだ、リサ?

 このままじゃ、屋上の一服が寂しくて仕方ない。


 しかし、かくも不思議なお喋り看板を修理できる奴とは?

 そんな奴がどこにいる?


 そもそも、リサを描いた看板職人はいったい何者なのか?

 これについては幸いにも、持ち前の好奇心からある程度 調査がすすんでいた。


 我が社の経理部けいりぶには古い帳簿が山のように残っていたので。

 現金出納帳の埃を払いながら熟読したところ。

 看板代を支払った取引先を、どうにかそこから見つけだした。

 看板製作会社のニギミタマ。


 どうやら当時ソコで働いていたカラスヤマという人物がリサの生み親らしい。

 生憎、現在は退職して行方知らず。そこまではもう判明している。

 問題はその先というわけだ。


 出版社の方では、二度と看板の落下事故なんて起きないよう新品の購入を検討していやがる。それを何とか説得して思い止まらせるのも大変だったが、それ以上にきつかったのは大至急カラスヤマを見つけてリサを修理させなきゃいけないこと。

 なんせ時間がない。状況の理解者もおらず、こっちはたったの一人。


 爆弾魔を退治した会社の救世主を修復してやりたい。

 そんな言い訳で出版社の屋上をいつまでもカラにはしておけないんだ。


 探偵社に金をばら撒いてとうとう標的の居所を探り当てた。


 カラスヤマは現在フリーのイラストレイターとなって東京の青山に自宅兼アトリエを構えているという話だ。そこまで判れば、あとは首根っこ捕まえてでもやらせるだけ。


 待ってろよ、リサ。



「燕雀さん? 雑誌の記者をしていらっしゃる?」

「そうですが、今日は取材ではなく仕事を頼みに来たのです」

「ほう、雑誌に載せるイラストでしょうか? いま流行りのスタイルは一通り何でも身につけていますよ。やはり近頃は劇画が人気ですかね、どのような絵が入用でしょう」

「そうではなく、看板の修理を依頼したいのです。我が社の名前に見覚えはありませんか? かつて貴方が屋上の看板を手掛けた出版社なのですが」

「これは……また懐かしい話を」



 カラスヤマ家の客室にて、俺達は相手の腹を探り合う。

 胡散臭うさんくさいのはお互い様ってわけだ。


 年齢は三十半ばといった所だろうか。カラスヤマは一見すると穏やかで物腰も静かだが、いかにも芸術家といった感じの神経質そうな男だ。

 駆け引きは嫌いじゃないが、今はとにかく時間が惜しい。

 単刀直入にいくしかなかろう。



「あの看板、かなり特別ですよね。人と話せる看板娘なんて、そんじょそこらでお目にかかれる品じゃない」

「なんと! 貴方には彼女の声が聞こえたのですか」

「ええ、まぁ。運命のお導きでしょう」



 カラスヤマは何故かバツが悪そうに頭をかいている。

 まるで触れられたくない過去を掘り起こされたようだ。

 だがね、申し訳ないが、すっとぼけるのはナシだぜ。

 俺は更にたたみかける。



「何でも、あの絵の『価値を理解する者』にしか、彼女の声は聞こえないそうですね……」

「芸術家としては、作品に共感して頂けたことを感謝するべきなのでしょう。しかし、あれはまた随分と昔の作品ですからね」

「どうやって作ったんです? カラスヤマさんは魔法使いか何かで?」

「そんな大したものでは……ただ、ご先祖様が妖怪画を手掛けた絵師だったそうで。そのせいですかね。ウチの一族が本気で絵筆を握ったその時、生涯に一枚だけ『生きている絵』を描けるそうなのです。私は一族の異端者で日本画ではなく洋画の道に進みましたが。そんな私にもちゃんと血の恩恵はあったようなのです」

「何でも、モナリザを超える美の極致を目指したのだとか」

「リサに聞いたのですか? お恥ずかしい。モナリザを日本語に訳すと『親愛なる妻のリザ』となります。そこから名をとってリサ。彼女をよくそう呼んでいました。別に看板なんだから、凝ったタイトルをつける必要もないのに」

「どうも、カラスヤマさんは、当時の志を良くは思っていないようですね?」

「まったく、若気の至りですよ。モナリザを超えようなんて身の程知らずな」

「リサが聞いたら悲しみますよ、その言葉」



 俺は無遠慮にタバコをくわえると、火を点ける。

 失礼なのはオアイコってモンだぜ。

 生みの親が我が子の存在を否定するとはね、まったく。

 いや、そのくらいは よく有る話か?




 詳しい事情を聞くと、流石のカラスヤマもショックを受けた様子だ。

 どうやら愛情の全てがついえたわけでもないらしい。



「そうですか、リサが真っ二つに割れて……燕雀さんは……彼女に好意を?」

「どちらかと言えば。だから修理してやりたいのです」

「なるほど、しかし、難しいですね。今の私が愛するのは、二階で寝ている妻と子どもたち。かつて一度だけ出版社の前を妻と二人で通ったことがあります。でも、リサの叫ぶ声は、もう私にも聞こえなかったのです」

「アンタが別人になってしまったから?」

「ええ、家族を養うため、金の為に絵を描くようになってしまった。芸術など、もう私には縁の遠いものです。創作の女神にも愛想を尽かされて、世間さまの流行りを追いかけるだけ。そうなった今の私が、ここにいる」

「人は誰しも大人になるもんです。しかし、身勝手ながら……当時の感情を今一度蘇らせてはくれませんかね」



 真の男は、目と目で語り合うものだ。

 熱い信念は、必ずや瞳の中に炎となって現れる。

 だから男同士は判り合えるのだ。

 カラスヤマは目を伏せ、小さくうなずいた。



「……やってみましょうか。昔の創作ノートは残っているので、それを読みながら若かりし日に思いを馳せてみましょう」

「やってもらえますか?」

「リサを愛してくれた貴方の為に、挑戦しますよ」



 愛? そうなのか? 

 相手は絵だぞ?

 これも愛なのか? 

 女性を愛する気持ちと芸術を愛する気持ちはまったく同じではないだろう?

 自問自答の末、俺はカラスヤマの発言を素直に認めざるを得なかった。

 まぁいい、別に頬を赤らめるような年ではないんだ。コッチは。

 こぼれ出た安堵あんどの言葉は、虚飾とは無縁な真実の結晶だ。



「ありがたい。これで何とか」

「しかし、あの絵に新たな魂を吹き込むのは貴方です」

「というと?」

「私はただ依頼を受けて絵を描き上げるだけ。それにタイトルをつけるのは依頼人ということですよ。ダヴィンチのモナリザもそうだった。名は体を表すもの。彼女の生き様を知る、他ならぬ貴方が付けてやって下さい。そうすればあの絵はきっと生まれ変われる」




 【看板、修復作業中】


「久しぶり。随分と可哀想な姿になってしまったね、リサ」

「……」

「まぁ、君からすればお互い様かもしれないな。リサから見れば私も抜け殻同然の『可哀想な姿』に見えるのだろう」

「……」

「だがそれは誤解さ。確かに今の私はかつての情熱を失った腑抜ふぬけかもしれない。だが、魂まですっかり燃え尽きたかと言えばそうではない。今の私は家族を幸福にすることへ深い情熱を燃やす父親だ。自分の為ではなく誰かの為に、生き方を変節したのだよ」

「……」

「そして、リサが私の創造物……いわば私の娘であることも変わりはない。その点をどうか誤解してくれるなよ?」

「……」

「やれやれ、独り言だな。昔はリサの意見を聞きながら絵に修正を施したものだが。目の形はどう、光の向きはこう、鼻の高さはどう、本人の感想が聞けないというのは不便なものだ」

「……」

「ところで、ひとつだけ忠告してもいいかな? いや、忠告というよりもむしろ創造主からのお願いなんだが」

「……」

「今後は人間社会に深入りせず、遠くからそっと見守ってはくれないか?」

「……」

「一族が手掛けた妖怪画の中には、魔性を秘め、人間をとりこにする恐ろしい物もあったという言い伝えでね。出来る事なら自分の創作物にそうはなって欲しくない」

「……」

「人を虜にしてこそ真の芸術かもしれない。モナリザにそんな魔性がないとは誰にも言いきれない。でも、二次元と三次元の間には深い境界線があって、そこを安易に踏み越えてしまうのは宜しくないことだと私は思う。親になった身としては、切にそう願うのさ」

「……」

「理由はどうあれ、君は人を傷付けた。今後もそのようなことが起こるようなら、私は君を描いた責任をとらなければいけない。そうだろう?」

「……お父様」

「リサ!? 今の声は君かい?」

「私は絵、看板なのです。それをわきまえていないリサだとお考えですか? 貴方の妻が産んだ子どもと私では立場が違う……実際のところは、姉妹でも何でもないのですよ」

「すまん、つまらない事を言ったな。芸術は人生を豊かにするもの。それ以上でもそれ以下でも在りはしない」

「リサはお父様に描かれたことを誇りに思います。その誇りを胸に、これからも看板としての性分を果たすのです」

「……本当にすまない、こんな作者で」



 【修復完了】



 こうして、おフランス出版の屋上に看板娘が帰ってきたわけだ。

 少なくとも、見た目だけは。


 哀しいかな、修復作業は無事に完了し、看板は新しく生まれ変わったというのに。

 リサはもう俺と口をきいてくれなくなった。そうなってしまった。


 なぜだ? 俺の付けたタイトルが気に入らなかったのだろうか。

 『秋葉原のモナリザ』そこまで悪くないと思うが。


 たとえリサの生み親がどう思おうと。俺にとっての彼女は、ルーブル美術館所蔵の世界的名画にだって引けを取らない傑作けっさく

 ウチの出版社の看板娘であると同時に、秋葉原の顔。

 高度経済成長の象徴でもある電化製品、カラーテレビやクーラー。その素晴らしさをこの手でつかもうと、誰もが期待に胸を膨らませて秋葉原の電気街へやってくる。そんな人たちを笑顔で出迎える、新時代の美女。

 かくも美しい、恵みの太陽にも値する意味を込めたというのに。



「なぜ微笑むばかりで、語り掛けてくれないんだ?」



 彼女を見上げながらそう呟いた時、不意に一陣の風が場を吹き抜ける。


 ―― 本物の名画は、気軽にお喋りなんかしないものよ?


 ふとそんな声が聞こえたような……。

 成程、題名が完璧すぎたというわけか。

 モナリザと肩を並べる存在になった以上、俺とバカ騒ぎばかりもしていられないだろう。それに俺の方だって、いつまでも屋上で独り言をつぶやく変わり者でもあるまい。絵の中の女にウツツを抜かしていないで、いい加減に嫁さんでも探しに行けというわけか。


 少し寂しいが、それも良かろう。

 ならばせめて、記者としての実力を遺憾いかんなく発揮し、我が社を高みに押し上げてやるか。


 この会社が存続する限り、看板娘である彼女も時代を越えた芸術として君臨し続けるのだから。モナリザほど有名でないにしろ、それによって彼女の願いも叶えられるだろう。

 継続は力なり。歴史のある絵は名画に決まっている。



「それで良いな? リサ」



 これが最後の独り言。

 もちろん返事なんか……いや、アデューと聞こえたような。


 落日を背景にタバコを吸い終えると、俺は約束を果たすべく背を向ける。

 彼女はずっとここに在り続けるだろう。

 秋葉原に我が社がある限り、ずっと。













 そして時は流れ、はるかな未来。

 秋葉原がサブカルチャーの聖地となった頃。

 物語の最後を飾る舞台は、ある少年の自室。

 タッチペンを机に置き、作業を終えた少年が思いっきり背伸びをした。



「よーし、出来たぞ。全三十ページの名作だ。これで新人マンガ大賞は頂きだぜ」



 今となっては漫画もパソコンで完成させるのが主流であった。持ち込みも、応募も、わざわざ出版社や、郵便局に原稿を持っていく必要すらなくなった。ただ、ネット回線を通じて作品を送信すればそれでコンテスト参加の手続きは完了だった。


 少年は鼻歌まじりにマウスをクリックして出版社のホームページにアクセスした。

 出版社のバナーは、会社のイメージキャラを描いた可愛らしいものだった。少年は良く知らなかったが、何でもモナリザをオマージュしたキャラクターらしかった。

 白い帽子にサマードレスのアニメ風お姉さん。

 そんなバナー。



「リサちゃんだっけか? これから御社専属の漫画家になるから、末永く宜しくな」



 冗談まじりに少年がそう呼びかけたその時だった。

 バナーのアニメキャラが魅力的な微笑みを湛えながらこう応じた。



「ボボボン・ボンジュール」



 歴史ある出版社の看板娘は、いつの時代も誰かに愛されているものだ。

 なんといっても、愛され上手のリサなのだから。


 しかし、そのキャラクターを世に送り出したを知る者はもはやいない。

 生みの親が時の周期に忘れ去られても、創造物だけが独り歩きをする。

 かような事態は、往々にして起こり得るのだ。


 叶った夢は、きっと半分だけ。


 半分だって贅沢ぜいたくすぎる。

 それでも彼らは永遠に焦がれて駆けるのだろう、ずっと。


 おお、セラビィ!(人生なんてこんなもの)


 伝説とは、孤独な作者一人の手で作られるものではない。

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秋葉原のモナリザ 一矢射的 @taitan2345

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