第5話



 来たな、アレがそうね。

 私が見据えるのはビルの真正面、T字型になった大通りの最果て。

 そこにはアイドリング中のトラックが一台。

 ヘッドライトのビームがカスミ漂う夜闇を鋭く切り裂いている。

 運転席からは凄まじい負の感情が街中に渦巻いて大嵐のようだ。


 満月の晩に長々と外界を出歩かず、早々に看板へ帰ったものだから、溜め込んだ魔力にはまだまだ余裕があるもの。

 こちらに向けられた殺意を感知するなんて簡単だわ。


 ―― お前のようなブンヤ如きに我々の気高い理想がわかるものか!

 ―― この車ごとビルに突っ込んで、仕掛けた爆弾で吹っ飛ばしてやる。


 おやまぁ、物騒だこと。

 なるほど、あの諺は正しかった。


 鴻鵠こうこく気取りの小者に燕雀さんの志なんて知る由もない。

 でも残念だったわね。それだけはさせないから。


 私は看板。

 看板そのもの。

 看板を固定する土台も、ナットも、私の一部でしかない。

 だから、その気になれば自由に動かせる。

 タイミングを計りながら、さび付いたナットをゆるめていく。


 きっと……こんなことを燕雀さんは望まないんだろうけど。

 ごめんなさい、老朽化した私にはもう……他に出来ることなんて。


 小型のトラックが凄まじい悪意を放ちながらこちらに向かってくる。

 憎悪の台風は依然として北上中。

 どうやら正面玄関から突っ込むつもりらしい。

 そこは丁度私から見て真下にあたる。

 お馬鹿さん、おいでなさい!


 ナットが外れたら次はボルト。一本、二本、外れていくとやがて看板本体が大きく傾き、心臓がキュッと締め付けられる。


 怖いよ! でも、いくよ。

 えーーい!


 鉄骨から外れた看板は、屋上の手すりに当たって勢いよくバウンドする。

 人間でいえば背中を強打したようなもの。

 刹那せつなの恐怖が私の心を脅かす。

 でも負けない。私は出版社の女神。

 会社を、あの人を、守るんだ。


 トラックの方はT字路に突き進み、路肩の段差を乗り越えた。出版社の入り口へと迫っている。もはや落下中の私から見えるのは、ドンドン大きくなっていくトラックの屋根だけだ。


 うげっ!? ごぶっ! 痛ぇええ!


 ボボ……ボボ ヴァ ディスパレートル!(痛いの痛いの飛んでいけ~)


 激突のすさまじい衝撃、通行人の悲鳴、割れて路面に散らばるフロントガラス。

 鳴り続けるクラクション。

 どうなったの……もう…目が…良く見えない。だれか……。


 とばりが落ちゆく視界。

 どうして? 街のライトはまぶしいくらいに点いているでしょう?


 そこに映った最後の光景はカエルみたいにつぶれて止まったトラックと、待っ二つになった看板だった。

 良かった……これでいい。

 満足感を覚えて気が抜けたのか。

 魂のブラックアウトがやってくる。


 終わりね。

 それじゃあ皆さん、ごきげんよう。


 アデュー!(神のみもとで また会いましょう)



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