第4話
翌日になっても、私は「モナリザ・ショック」を引きずったまま。
いつもは早朝の秋葉原に響き渡るボンジュールの美声も、今日はお休み。
電気街の皆さん、ごめんなさい。
それでも いつも通りの一日は過ぎ去り、あっという間に黄昏がやってくる。
実の所、私なんか居ても居なくても、世の中に何の影響もないから。
ご存じだった? スズメさん? あぁ、どうか行かないで。(ちゃんと最後までハナシを聞けや、なめてんのか鳥頭コラァ!!)
でもたった一人、こんな私を
彼は落ち込んだ私を見たら、どうしても放っておけない性質なのだ。
「なぁ、そこまで落ち込まなくても良いんじゃないか。モナリザはモナリザ、リサはリサだろうに。考えてもみろよ、スパゲッティとラーメンの味比べなんて別に意味ないだろ?」
「そのラーメンが、スパゲッティを超える為に作られたものでも?」
「……親の期待が大きすぎるだろ」
燕雀さんは転落防止用の手すりに寄りかかってこちらを見上げている。鉄筋の台座に支えらえた「私という看板」は、屋上のどの辺に位置しているかと言えば 柵のそばギリギリに設置されているから。看板の前面にスペースは余りないの。
つまり私の居場所はとても見晴らしがいい。
あたかも転落死寸前の人が拝む光景。
定位置の高所から大通りを見下ろせば、歩道を進む沢山の通行人が目に入る。
あぁ、やっぱり。
誰も、こちらを見上げて立ち止まったりはしない。
たったの一人、燕雀さん以外は。
うぅ、私はこんな有様だというのに。
今日もきっとモナリザ先輩は大勢の観客に微笑を投げかけているのだ。
あまりに差がありすぎて、もはや
もう身を投げてしまいたくて、私はえんじ色の夕焼けにぼやく。
「モナリザ先輩がスプレーをかけられたり、ケーキを投げつけられたりすれば驚天動地の大騒ぎだっていうのに。私が同じことをされても、きっと皆は笑うだけなんだわ。道化ね、私は」
「バカ言えよ」
「え?」
「俺がぶん殴る。ケーキを投げた奴の
「……ありがとう」
「我が社の看板だからな」
「忠誠心があるのね、燕雀さんでも」
「なんだよ、でもって」
「だって仕事の話は愚痴ばかりなんだもの。社会の暗部を暴き続けるのは辛いって、てっきり仕事が嫌いなのかと思うじゃない」
「俺のような奴を拾ってくれた会社だからな、感謝はしてる」
「俺のような? 似合わないこと。自信家の貴方が」
あらあら、燕雀さんは心底おどろいた様子で肩をすくめたじゃないの。
「自信家だって? もしかしてお前さん、燕雀の意味を知らないのか?」
「ツバメとスズメでしょう?」
「そうじゃなくて、ことわざが在るのさ。
「それってどういう意味?」
「つまらない奴に立派な人の考えなんか判るはずもないってこと。燕やスズメは小さい者の例え。
「燕雀さんが、つまらない奴? ハーン、フーン、有り得ないわ。貴方ったら、どうしてそんなペンネームにしたの?」
「最初は皮肉のつもりだったんだがね。俺はもともと新聞記者志望だったんだ」
燕雀さんが話してくれた所によると。
まだ彼が大学生だった頃。
初めて挑んだ新聞会社の面接で、よせばいいのに「正義の為にペンをとり、世の中の不正を正したい」などと熱弁したそうなの。
そうしたら面接官のオヤジに笑われてしまって。
「燕雀が鴻鵠の志なんて判るはずもないだろう? 世の中は複雑で、何が正義かは一概に言えるものではない。出直してきな、若造」
そんな捨て台詞と一緒に面接室を追い出されてしまったのだとか。
燕雀さんはタバコの煙で輪を作って吐き出すと、自虐めいた調子で言ったの。
「なにが
「それで、ペンネームを燕雀に?」
「皮肉のつもりだったが、案外と板についてしまったよ。どうやら俺は弱者の側へ寄り添うのが性に合っている」
「
「オホン、つまり話をまとめるとな。人間なんて、だれしも我が身をつまらない存在だと
「そうかな」
「そうだとも。重荷にしかならない劣等感なんぞ捨ててしまえ。どうせ、完璧な人間なんてどこにも居やしないんだからな。恥をかくことなんて誰にでもある。誰も私の価値を判ってくれない? 当たり前だろうが。そもそも自分の価値というものは判ってもらうものじゃない」
「じゃあ……なに?」
「見せつけるモンだよ、自分の価値ってモンは」
「ウイ。実践を踏まえたご指導、メルメルシー」
何だか憑き物が落ちたみたい。
そして、ようやく自分の気持ちに気付けたの。
燕雀さんはいつもぶっきらぼう。
タバコ臭くて、愛想がなくて、皮肉屋で。それでも時折みせてくれるその温かい笑顔が、孤独な私にとってどれほどの救いであったのか。
彼の笑顔はモナリザ先輩以上だった。
私にとって、そうだったんだ!
「メルシィ、燕雀さん。死んだリサの心がどうやら生き返ったわ」
「おいおい大袈裟だな」
「私は絵に描かれた看板でしかなくて。風雨にさらされ、このまま
「みんなを笑顔にしてやんなよ。モナリザのようにな」
「……そうだね」
「リサ。ここ秋葉原が、なぜ日本でも有数の電気街になったか、知っているか?」
「ノン」
「起源は戦後までさかのぼる、大空襲によって東京が焼野原だった頃の話だ。当時の秋葉原ではよく
「焼野原の東京にもラジオを求める人たちが……?」
「いつの時代も人は情報を欲し、それに踊らされるものなんだろう。例え、どのような境遇下であろうともな。人はパンのみにて生きるにあらず。きっと情報には力があるんだ、人を豊かにする力が。それを信じているからこそ、俺はどうしても情報を発信する側で働きたいのさ」
「ご立派ね」
「アンタも! そんな秋葉原の出版社を象徴する看板なんだ。ドーンと構えていろよ」
やがて燕雀さんはタバコを灰皿スタンドに投げ込むと、私に背を向ける。
「しばらく此処へは来れないかもしれないが、寂しがるなよ」
「どうして?」
「編集部に
「きょ、脅迫状? いったい誰がそんなものを?」
「いわゆる内ゲバ大好き連中でね。大学に巣食う反社会勢力の実情。そんなタイトルの記事を書いたのがよほど気に入らなかったようだな。アメリカの沖縄返還以降、過激な学生運動も落ち着いてきたというのに。まだこんな時代
「なにそれ? 警察は?」
「さてね、俺の死因くらいは調べてくれるかもしれん。何でも組織のリーダーは警察さえも恐れる天才爆弾魔らしいからな。いったい大学で何を学んでいるんだか」
「そんな!?」
「そんな顔するなって。冗談だよ、インテリ学生が相手だ。
冗談じゃないわよ! そんなのってないわ。
何とかしなきゃ、私が。
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