[chat 5]ココアブラウンの贈り物・後編


 そういえばヒナは、まだ帰ってこない。あの様子なら、今日は昼飯まで戻ってくることはなさそうだ。

 今のうちに完成させて明日のサプライズにするのもいいな。


 とか妄想に浸っていると、待ち詫びた、焼き上がりを知らせる歌が聞こえてきた。ミトンをはめオーブンをそっと開ければ、黒褐色の丸い菓子と火蜥蜴ひとかげたちが整然と並んでいる。ほとんど割れておらず、生地のふちにはピエもしっかりできていた。

 さすが俺……と言いたいところだが、これは火蜥蜴たちの火加減が絶妙だったお陰だな。


「おまえさんたち、強火から中火への変更タイミングが最高じゃねぇか。ありがとよ」

「クゥルル、ルルゥ」


 上機嫌な三匹をそれぞれ撫でて調理台の上に降ろしてから、冷ますために敷紙ごと平皿へ移す。下位精霊は人の言葉を喋る奴も多いと聞くが、こいつらは歌うだけで喋った試しがない。精霊使いのローウェルは、個性によると言っていた。


「ルルゥトゥルルゥ?」

「これはな、マカロンムーって焼き菓子だ。今回はチョコで作ったが、都会だとカラフルな詰め合わせとかも人気だな」


 火蜥蜴たちに解説しつつ、絞り袋に入れたガナッシュクリームをマカロンの平らな面に絞って、大きさの近い物を合わせ挟んでゆく。全部で十三個、そのうち一つは試食用だ。

 そっと摘みあげ、表面がつるりと滑らかなのを確認する。ひび割れもなく、形も綺麗な円形だ。香りは当然ほんのり甘やかなチョコレート。そっと歯を立て、小さな菓子を半分ほどかじり取る。

 焼きたてなので歯触りはカリッとしているが、中身はしっとりふわっとしていて、噛むほどに甘くほどけてゆく。俺にはちょっと甘過ぎだが、くどさはないし、ヒナなら喜んでくれるんじゃないだろうか。

 つぶらな瞳で見あげてくる火蜥蜴たちに親指を立てて見せてから、俺は手を洗い、完成したマカロンムーを器に並べて蓋をすると、冷蔵室の片隅に布を被せて隠した。


 昼食の時間に戻ってきたヒナが厨房に入るなり残香に気づいたので、翼ったちのチョコ作りのせいにして誤魔化す。ヒナも何かを隠しているらしく、俺たちは互いにうかがうような空気をかもしながら今日一日を過ごしたのだった。

 


  ***



 そして迎えた「恋人の記念日」当日。

 今さらになって、ヒナの恋人でも何でもない俺がチョコ菓子を贈るのはどうなんだ、と正気に返るも後の祭りだ。昨今は家族や友人同士でプレゼント交換することも多いというし、そういうていで渡せばいいじゃねぇか、と自分を納得させる。

 詰まるところ俺は、会心の出来上がりだった菓子をヒナに食べてもらいたくて、喜んでもらえるのが楽しみなんだよな。チョコレートマカロン十二個なんて一度に食べられる量でもないのに。

 まぁ、翼の姉妹はそれぞれに渡したい相手がいるわけで、それぞれの相手と一緒の時間を過ごすのだろうし。ヒナは……思えば今日どうするのかを聞いていなかった。


「おまえさん、今日も採取に行くのか?」


 朝食後の食堂を片付けていたヒナはびくっと肩を跳ねさせて俺を見、それからふるふると頭を振った。何だその挙動不審。

 今日は夜桜工房の奥方から贈られた春色ワンピースを着ている。この格好なら確かに、森へ行く予定はないんだろう。とか考えていたら、逆に聞き返された。


「ダズは、どこか、いくです?」

「俺は、別に……。洗い物片付けて、休憩して、昼食の仕込みをだな」

「ヒナも洗うのおてつだいして、おやつ……」

「おやつ?」


 食いしんぼうか、と思ってつい聞き返す。そういえば昨日はおやつもなしで、何かしていたもんな。そんなことを思い出していたら、もじもじと震えていた尻尾が不意にぶわっと膨らみ、ヒナは焦ったように手元の布巾ふきんを握りしめた。


「ヒナ、ダズに、おやつ作ったです! の!」

「……え」


 思わず、意味のない声が漏れた。ヒナは白いおもてを綺麗な桃色に染めて、尻尾をせわしなく動かしている。嘘ではないだろうが、いったいどこで、何を、どうやって。色々な言葉が頭をぐるぐる回って、通り過ぎてゆく。

 しくも本日は「恋人の記念日」だ。大陸の慣習にうといヒナへ、アライグマ姉妹たちが何か吹き込んだのかもしれない。なぜか不安げに俺を見あげてくる狐っこへ何と答えたものか迷いつつも――俺たちはひとまず厨房へ引っ込むことにしたのだった。




 本日快晴、開け放った窓から爽やかな風が吹きこんでくる。

 竈門かまどの上に折り重なって寝ている火蜥蜴たち。今日は恋の鳥も翼っ娘たちもおらず、厨房には静かで長閑のどかな空気が満ちていた。

 互いに言葉少なく洗い物を片付け終えた頃には、時刻もちょうど午前のおやつどき。ヒナがどこかへ何かを取りに行くというので、俺は珈琲を二人分淹れてから、昨日作ったチョコレートマカロンを冷蔵室から出しテーブルに乗せる。


 期せずして「恋人の記念日」におやつのプレゼント交換、とか。

 年甲斐もなく高鳴る心臓に自身で呆れてしまう。


「ダズ、おまたせです」

「おう、いや、全然」


 戻ってきたヒナが抱えていたのは、陶器でできた蓋付きの器だった。厨房の備品ではない見覚えのない食器に、何が出てくるのかと胸がざわめく。

 この妙な空気がたまれず、俺はテーブルの上に置いたマカロンの器を無言でヒナのほうへ押しやった。狐の耳が一瞬ピンと跳ね、尻尾がさわさわと椅子の座面をこすりだす。ヒナは持ってきた器を俺の前に置くと、マカロンの器を慎重な手つきで開けた。途端、薄荷はっか色の両目がきらめき、太い尻尾が勢いよく動く。


「チョコ! かわいい! いっぱいある!」

「おう、これはマカロンムーって焼き菓子だ。ちょっと……甘い物なのに作り過ぎたけどな。冷蔵室に置けば二、三日はつから、ゆっくり食えよ」

「まころん? うん!」


 細い指が黒褐色の焼き菓子を摘み上げた。小さな口がマカロンを端から遠慮がちにかじり、もぐもぐと咀嚼そしゃくする。一日置いたので生地とガナッシュが馴染み、昨日よりはしっとりした口当たりになっているだろうか。


「あまくて、おいし! まころん、すきっ」


 尻尾をゆっくり揺らしながらマカロンを味わうヒナのとろけるような表情に、気に入って貰えて良かったと俺は胸を撫で下ろした。

 マカロン効果なのか衣装のせいか、ヒナの姿が妙に乙女らしく見えて、俺は落ち着かない気分で目の前に置かれた陶器の蓋を取る。途端にふわり香る、上品な甘さ。中に入っていたのは――。


「これは、マロングラッセか?」


 一見するとチョコレートを連想する、黒褐色にシロップ漬けされた栗が幾つか。珈琲を飲んでいたらしいヒナが慌ててカップを置き、ぶんぶんと被りを振る。


「ちがうですの。しぶかわ、に、っていう……」

「あー、なるほどな。渋皮は残して煮てあるのか。だから色が出るのか」


 俺が栗をさじで一つすくい上げると、今度はヒナが俺の挙動をじっと見つめてきた。正直落ち着かないが、料理人としては気持ちもわかるので、なるべく意識しないようにしつつ口に含み、ゆっくり噛み締める。

 予想していたより控えめで上品な甘さと、栗のしっとりほくほくした食感が、口一杯に広がってゆく。和国版マロングラッセかと予想していたが、むしろ素材の甘みを十分に生かす優しい甘さのおやつだった。


「美味いなこれ。渋皮煮、っていうのか」

「やったっ、うれしい!」


 ヒナが破顔し尻尾をぱたぱたと揺らすものだから、俺は照れ臭くなってしまった。昨日一日どこかでアライグマ姉妹と、これを作っていたのだろうか。厨房だと俺にばれてしまうから……ということだろうか。

 お互いにサプライズを仕組んでいたのだと知れば、何とも面映おもはゆい。


「これ、日持ちするのか?」

「うん、れいぞうしつなら、だいじょぶ」


 得意げに大きく頷くヒナを眺めていると、弟子がどこか知らない場所で修行して帰ってきた寂しさのような、なのにこのサプライズが特別扱いらしく思えて気分がいいような、えもいわれぬ感情が湧きあがる。

 もしかしたらヒナは他の奴らにも記念日のプレゼントを渡したかもしれない。日頃のお礼、または親への感謝的な気持ちで、俺におやつを用意してくれたのかもしれない。


 そう、頭のどこかで弁明しつつも――。

 今日だけは余計なことを考えず、この穏やかな時間を二人で堪能たんのうしようと。俺は密かに心の中で決めたのだった。




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革命砦の料理人 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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