6、元夫婦の同居
「……フォーマルハウト伯が……亡くなった?」
驚くシリウスにカペラは頷く。
「ええ。……ほんの数日前よ。馬車の事故でね。――白状すると、わたし、姿をくらませたふりをして時々は家に帰っていたのよ。父が仕事でいない間にこっそりね。だけど、その父が亡くなってしまったから、お屋敷は売りに出すことになってしまったわ」
屋敷の相続人になったところで、女一人が暮らしていくには難しいだろうと、父親の同僚――つまりは王城の執務官たちに止められてしまったそうだ。
カペラの父は周囲にも「娘は修道院に入った」と話してしまっていたらしい。今さら実は嘘でしたとも言えず、還俗したらしたで「まだ若いのだから」と縁談を持ちかけられるのは必須で、さらには「身体の弱い病弱な令嬢が住んでいる」となれば、王都の警備の巡回ルートに組み込まれるのは想像に難くない。
「だから、困っていて……」
「ふん。自業自得だな。結局、自分でついた嘘が巡り巡っているんだ」
すべてカペラが悪い。
カペラもしゅんとした表情で「わかっているわよ」と項垂れた。
とはいえ、シリウスにとっても一時は義理の父だった相手の不幸は痛ましかった。疲れているらしいカペラの細い首や手、擦りきれたドレスについ同情してしまう。
そんな逡巡を感じとったのか、カペラがすがるようにシリウスの手をガッシと掴んだ。
「お屋敷を手放すのは仕方のないことだと思っているし、わたしもこの一年潜伏していた『隠れ家』があるからいいの。でも、薬草園の植物を丸ごと移動させるための場所は見つからないし、時間も足りなくて……。お願いシリウス。あなたのお屋敷の離れの温室、少しの間だけでいいから貸してもらえないかしら」
「……なぜ俺に頼む!? 俺は《魔女狩り》なんだぞ!?」
しかも、次に会った時には捕らえると宣言までしたのに。カペラはうるうるとシリウスを見上げた。
「あなたしか頼る人がいないのよ……」
「嘘泣きはやめろ」
冷たく言い放ち、手をほどく。
「他の魔法使いに頼めばいいだろう! あの時の子どもはどうしたんだ」
「子ども? ああ、あの子は行商人で、国中を渡り歩いている一族の子だから難しいのよ。……それにしても、おかしなこというのね。あなたは魔法使いを捕まえる側の人間なのに、『他の魔法使いを頼ればいい』なんて、わたしたちの存在を認めるような言い方だわ」
「っ別にお前たちの存在を認めたわけじゃ――」
「でも、一年前はわたしのことを見逃してくれたでしょう? ありがとう、本当に感謝しているのよ」
「…………それは、」
結局シリウスはカペラの事を上官たちに報告しなかった。何も「見なかった」ことにしたのだ。
捜査の手もフォーマルハウト伯に及ぶことはなかった。カペラもそれがわかっているらしく、情に訴えればシリウスが助けてくれると思ったらしい。
「勘違いするな。自分の妻を逮捕するなどという不名誉なことをしたくなかっただけだ!」
「もちろん、あなたの立場はわかっているわ。アデールさんたちが近寄ったりしないように温室の周囲には人避けの香を焚いておくし、食事や寝床の世話もいらないわ。迷惑はかけない。……ねえ、うっかり魔法植物の種子をばらまかないように覆いをかけてるせいで貴重な植物が枯れそうなの。今すぐ温室が必要なの~っ! お願い助けて~!」
荷車にかけられた布をちらりと捲ってみせられたシリウスは絶句した。
屋敷から家財道具でも持ってきたのかと思えば、荷台に乗っているのは植木鉢に移植したらしい植物ばかりである。
「そんなこと知るか! 見逃してやっただけでも感謝して欲しいくらいなのに、よくもノコノコと俺の前に顔を出せたな!」
「だって緊急事態だもの! お願いします!」
「図々しい! 了承するわけがないだろう!」
「お願い~~~! お願いお願いお願い~!」
しつこい。
このまま縄をかけて捕らえてやろうかと思ったシリウスだが、
「……父様も死んじゃって、母様の遺してくれた植物まで枯れちゃったら……、わたし……」
悲しげな顔をされて勢いが削がれる。こちらが非道なことをしているような気分になるではないか。
チッ、と舌打ちをしたシリウスはカペラを睨んだ。
「『少しの間』というのはいったいいつまでだっ!」
「い、一か月以内には出ていくわ!」
「一か月を過ぎたら叩きだすかひっ捕らえるかするからな⁉」
……甘すぎるという自覚はある。
それに、自分は女の泣き顔ぐらいで心乱されるような人間ではないはずなのだが。
「わかったわ。ありがとう、シリウス!」
ぱあっと輝くカペラの顔。
ご褒美をもらった子どものような笑顔とは対称に、シリウスはますます渋面になった。
「~~~あくまで植物を移動させるための借り置き場だからな! 当然、おかしな薬作りなどは認めないし、薬品を使うことも禁ずる! 人避けの香とやらも焚くな!」
「え、でも、アデールさんたちにはなんて……」
「『屋敷を人手に渡すことになったので、植物の一時保管場所を探していた』とそのまま説明すればいいだろう。何でもかんでも魔法や薬で誤魔化そうとするな!」
困り果てて元夫の元を訪ねてきてしまった、というのは別段おかしな話ではないはずだ。
そう言うシリウスの顔をまじまじと見たカペラは笑った。
「……一年前も思ったけど、あなたって実は情に篤い良い人よね。そういうところ、好きだわ」
「好っ」
落ち着け、これもこの女の手口だ。
ぷいと顔を背けたシリウスは「さっさといくぞ」と荷車に手をかけた。
今さらこの女と深く交流を持つつもりはない。だが、どうせなら、魔法使いたちの話をうまく喋らせ、何かいい情報を得られないか試してもいいかもしれない。カペラが自分を利用するように、シリウスもまたカペラを利用してやるのだ。
「……ひとつ聞きたい」
「なあに?」
「……お前、精神操作系の香水か何かをつけていやしないか? 婚約期間中、いつも甘い匂いをさせていただろう。今も同じ匂いがする」
「精神操作系って……。そこまで大げさな物じゃないわよ。ちょっと好意を得られやすくするだけの、」
「居候期間中はつけるの禁止だからな。屋敷についたら即刻、風呂に入って落とせ」
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