4、初夜のち破局②

 せっかくの食事が……と残念に思いながらも、カペラは戻って来たアデールに「やはり体調が優れないので部屋で少し休ませてもらう」と告げる。心配されたが少し眠れば大丈夫だと言い添えて。


 部屋に戻り、クローゼットに隠してあった箒を引っ張り出す。黒いローブを被り、念のためいくつか薬品もポケットに突っ込み、窓から飛び立った。


 分厚い雲が月を覆い隠してくれているため、空飛ぶ魔女の姿の影が地上に落ちないうちに森へと急ぐ。日中天気が良かったのはカペラが前日のうちに雨除けのお香を焚いておいたからだ。その皺寄せが夜にやって来たのか、あと数刻もすれば雨が降り出すだろう。


 馬で走るよりもずっと速いスピードで移動しながら、カペラはピアスを触ってフェイに連絡を取った。


「フェイ、今どこ?」

『木ノ上……。カペラ、《魔女狩り》来てる。気をつけて』

「げっ」


 最悪だ。暗い上に木が生い茂っているため、カペラの姿は彼らから見えにくいだろうが……。


 森の上空まで着たカペラは、懐から取り出した手のひらサイズの球体を地上に向かって放り投げる。ぼん、と爆弾のように弾けた球体からは大量の水蒸気が上がり、辺り一帯を霧に包んだ。アメフラシの花を乾燥させ、砂状になるまで細かくしたものをつめて作った特製の煙幕だ。


 この隙に高度を下げたカペラはフェイを見つけ出し、自分の箒に飛び移らせる。


 ブモブモと魔獣の鳴き声が聞こえたが、フェイの姿が見えなくなればじきに鎮静化するだろう。ぐっと高度を上げて森から飛び立つ。


「カペラ~~~!!! アリガト! 助かっタ! 命の恩人!」

「まったくよ、も~……。うちの温室に《鏡》があるから、それ使ってさっさと帰んなさい」


 やれやれと帰路を急ぐ。


 だが、運の悪いことに強い風が吹き、目深に被っていたローブのフードが外れてしまった。

 そして運の悪いことに雲の切れ間から月が覗き、カペラたちの影が地上に落ちた。


(げげげ、しまっ……)


 さらに運の悪いことに、地上には人がいた。

 

 驚いたように馬を嘶かせて足を止め、上空を見上げた赤毛の騎士が――……


(うっっそ、シリウス様……⁉)


 なんで。

 なんで彼がここに。


 カペラは振り返りもせず箒で疾走した。


 顔を見られた? いや、ほんの一瞬だったし。距離もあったし。というか、なんでこんなところに。だって第五部隊所属って。下っ端騎士だって。まさかそんな。


(シリウス様が《魔女狩り》……⁉)


「ヤバ。今の騎士、コッチ見てたネ」

「…………のよ」

「エ?」

「あれ、わたしの夫なのよ……!!!」


 事の重大さを理解したフェイが押し黙った。雨粒がぱらぱらと降り始める。



 ◇



(カペ、ラ……?)


 たった今見たものの正体にシリウスは脳の処理が追いつかなかった。


 雲の切れ間から月が覗いた瞬間、明らかに不審な形の飛行物体の影が見えたら馬を止めるだろう。

 そうして見上げた先に、箒に跨った女と少年がいた。


 ――シリウスの視力は常人よりもかなり良い。《魔女狩り》にとって身体能力の高さは武器だ。その目に見えたのは、フードからこぼれた艶やかな黒髪と美しい紫水晶の瞳だった。


 そんなまさか。愛しい妻は屋敷にいるはずだ。


 シリウスは馬を反転させた。


「シリウス様、どこへ⁉」

「魔女を追う! お前は隊長たちと合流せよ!」


 部下に指示を残し、シリウスは元来た道を走りなおす。


 降り始めた雨が身体を濡らし、王都西側の屋敷につく頃には髪や身体はベタベタだった。中に駆け込むと、ダイニングはすっかり片付けられており、驚いたようにアデールが飛んでくる。


「まあ、坊ちゃま、早いお帰りで……」

「カペラは!」

「奥様ならもう休まれておりますが」


 アデールの声を無視し、二階に駆け上がったシリウスは寝室の扉を勢いよく開けた。部屋の中は真っ暗で、広い寝台の上でシーツの塊がもぞもぞと動く。


「……あら……? シリウス様……?」


 目を擦ったカペラが不思議そうな顔で起き上がった。


「どうかなされたのですか、そのような格好のままで……」

「カペラ、お前、ずっと屋敷にいたか?」


 詰問するようなシリウスの口調に、カペラは不思議そうに瞬く。


「……? はい、食事もいただきました」

「そうか。……すまない、休んでいたところを起こしてしまったようだな」

「いえ。あの、……シリウス様もゆっくりお休みになってくださいね」


 夫の身体を案じるようにカペラが微笑む。


「…………ああ」

 シリウスは悪かったと言って寝室を出ると、まっすぐにカペラの私室へむかった。


 カペラは普段通りに見えたし、焦った様子もなかった。


 だから、――彼女の部屋を覗いても何もないはずなのだ。


 半分くらい荷解きが終わっていない箱。

 本。

 吊るされたドライフラワーやハーブ。


 クローゼットを開け、吊るされたドレスを押しやると、くしゃくしゃに丸められた黒いローブと、しっとりと濡れた箒が押し込まれている。動かぬ証拠だった。


「――無断でレディのクローゼットを開けるなんて無粋ですよ、旦那様」


 音もなく入室したカペラが言う。


「ずっと屋敷にいたにしては髪が湿っていると思ってな」


 シリウスは振り返りざま剣を抜いた。

 喉元につきつけてもカペラは動揺しなかった。


 やはり、先ほど見たのは、この紫水晶の瞳だ。


「騙していたのか。俺を」


「騙されたのはこっちです。下っ端騎士だって言ったのに、《魔女狩り》だったなんて」


「先ほどの騒ぎは。連れの子どもはどこだ」


「さっきの騒ぎはわたしは無関係です。あの子どもは知り合いで、興奮した魔獣に追われているから助けて欲しいと連絡を受けたので迎えに行ったまで。先に言っておきますが、わたしもあの子も人を攻撃するような魔術には通じていないわ」


「魔女の言葉など信じられるものか」


「でしょうね。でも事実よ。それから、父様はわたしが魔女だってことも知らない普通の人間だってことは言わせてちょうだい」


 カペラ・フォーマルハウトはこんな女だっただろうか。


 いつもの儚げな雰囲気などどこにもない。


 凛とした眼差しに射抜かれたシリウスはたじろいだ。カペラは視線を外すと、ふ、と自嘲気味に笑う。


「……でも、何を言っても無駄よね。あなたたち人間は話も聞かずにわたしたちを捕らえるの。ひっそり生きているだけの魔法使いでも、見つけ次第捕らえて、拷問して、……殺すんでしょう?」


 騙されるな、とシリウスは内心で呟いた。


 悲しげな顔をされたって相手は魔女だ。シリウスが剣を引いたが最後、高笑いして逃げ出すかもしれない。《魔女狩り》が存在するのは、過去、何度も魔法使いたちに煮え湯を飲まされてきた歴史がこの国にはあるからだ。騙されまいとする。


 しかし、相手はほんの数時間前に愛を誓い合ったばかりの妻なのだ。


 数か月間やり取りを重ね、愛おしく想ってきた相手を捕らえて拷問にかけるなんて……。



「……出て行ってくれ」



 シリウスは剣を下ろすと、荒々しい足取りでカペラの横を通り過ぎた。


「お前とは離縁する。二度と俺の前に顔を出すな」

「……それは、見逃してくださるということ?」

「…………」

「シリウ、」

「次に俺の前に現れた暁には! その時は《魔女狩り》としてお前を捕らえる」


 冷たく言い放ったシリウスは勢いよく扉を閉めた。


 廊下ではアデールが座り込むような形で壁に凭れ掛かっていた。カペラが何かをしたらしく意識を失っているが、健やかに胸が上下していることから眠り薬の類を使わされたのかもしれない。


 カペラの部屋からは物音一つしなかったが、アデールを応接間のソファに横たえたシリウスの側に、どこからともなくひらりと紙が舞い落ちた。



『お世話になりました』



 次にカペラの部屋を覗いた時には、彼女の姿と荷物は消えていて。

 結婚指輪だけがテーブルの上にぽつんと残されていた。

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