3、初夜のち破局①

 二人の結婚準備は驚くほど順調に勧められていった。


 新居は新しく建てず、王都西部の屋敷を買い上げ、中を軽く改装をするだけに留めた。屋敷の裏手には温室と庭師が使っていたと思われる作業小屋も併設されており、カペラはいたくお気に召していた。

 使用人はスコルピオン家に長年勤めている老夫婦を離れに住み込みとし、通いの家政婦も一人入れることにする。


 シリウスはカペラの話し相手になるような側付きを雇い入れるべきではないのかと提案したのだが、「子どもが出来たら乳母を雇い入れることを考えてみましょう」と逆提案され、赤面して撃沈した。


 ウェディングドレスはお義母かあ様が着たものをぜひお借りしたい、とカペラが言ったため、継母は大喜びで義娘のためにお直しのための針子を呼んでいた。そこに、カペラの母の持ち物だというティアラを合わせ、身内だけのささやかな式をあげて二人はめでたく夫婦になった。


 ――見合いから半年の超スピード婚である。





 そして迎えた新婚初夜。

 挙式を終え、新居に帰ったシリウスはそわそわと落ち着かない気持ちだった。


 カペラは世話人の女にウェディングドレスを脱がせてもらうのに時間がかかっているらしく、先に着替え終えたシリウスはダイニングテーブルについて大人しく待つ。いや、待てずに立ったり座ったりを繰り返す。


(カペラ……、綺麗だったな。今日から俺の妻。「妻」か……)


 そんなことを考えていると、コツ、と窓に小石が当たった。

 食事の支度をしてくれている使用人は席を外しており、カペラが下りてくる気配もない。シリウスは窓をそっと開ける。

 宵闇に潜んだ部下がそこにいた。


「シリウス様。王都東にて魔獣が暴れまわっているとの報告が。以前取り逃がした魔獣使いが再び現れた可能性があります」


 部下の報告に、つい、「なんだと⁉」と声を漏らしてしまう。シリウスらしくもない落ち着きのない声に、部下は事の深刻さによる焦りだと思ったらしい。「街の東門に馬を準備してあります」とすばやく答えた。いや、そうではなく。


「エディ、俺は今日は非番なんだが」

「非番などいつも有って無いようなものでしょう」

「今日の俺は新婚……」

「急ぎましょう」


 ……こういう仕事だから結婚には向かないのだ。


 うなだれながらもシリウスは「先に行け」と部下に合図する。自室で装備品一式を身に着けてダイニングに戻ると、着替え終えたカペラがテーブルについており、慣れ親しんだ使用人のアデールが夕食を運んでいるところだった。


(ああ、くそ。せっかくの結婚初夜だと言うのに)


 だが、仕方がない。

 驚いた顔をしているカペラに頭を下げた。


「すまない、緊急の仕事が入ってしまった! ……カペラ、申し訳ないが今日は先に休んでいて欲しい」

「えっ」

「まああ、シリウス坊ちゃま! お仕事って、そんな、だって今日は……」

「本当にすまない。この埋め合わせは必ずする!」


 言うが否や急いで屋敷を飛び出した。

 部下が準備してくれていた馬に乗ったシリウスは東の森へと駆ける。日中は良い天気だったのが嘘のように空には分厚い雲が浮かんでおり、月は陰りがちだ。王都から離れれば離れるほど闇は濃くなる。


「エディ!」


 先ほど報告に来た部下の背中に追いついたシリウスは、馬を並走させて詳しい情報を聞いた。


「魔獣は三体です。先に隊長、副隊長が向かって討伐、ロドルフォが情報収集に当たっています。おれとシリウス様が到着した時点で戦力に余裕があれば魔獣使いの捜索に当たりましょう」


「通報者は」


「近隣の村の住人です。全員、家の中に避難しているそうなので、そのまま立てこもっているようにと命じてあります」


「了解した。さっさと片付けるぞ」


「…………シリウス様、奥様との時間を邪魔されてちょっと怒ってますよね」


「当然だ! 愛想を尽かされたらどうする!!!」


「貴方、そんなキャラでしたっけ……? すっかり奥様に骨抜きにされていますよね~……」


 そうだとも! と力説したシリウスだったが、部下の指摘にふと気づく。


 確かに出会った瞬間からカペラは愛らしく、魅力的で、シリウスの心をつかんで離さない女性だが――公私問わず常に警戒心を持って行動するように訓練されている自分がこうも簡単に傾倒するなど確かに珍しい。第一、ろくに身辺調査もせずに出会ってすぐに求婚してしまったのもらしくない行動だった。


(それは……カペラがそれだけ素敵な相手だったからだろう。一目惚れとはそういうものなのだ)


 違和感を飲み込んだシリウスは「今は魔獣のことが先決だ」と気を取り直し、手綱を操った。


 ◇


 ばたばたとシリウスが去った後。


「お、奥様、その、こ、こんな日にお仕事だなんて……ねえ~! 無粋ですよねえ、まったく!」


 アデールと言う名の、シリウスがスコルピオン家から連れてきた使用人の老女は大慌てで憤慨して見せた。カペラは緩く微笑み、首を振る。


「とてもお忙しくされていると聞きましたし、わたしは気にしていませんわ。お料理、いただきますね」


 今日だけは特別に料理人を雇って作ってもらった豪華な食事だ。アデールが温めて持ってきてくれたスープに匙を入れて味わう。


「アデールさん、きっとわたし一人では食べきれない量なので、もしも良かったらシリウス様が帰ってきた後に一緒に食べられそうなものは残してもらったら嬉しいわ。お肉料理とかはサンドイッチにしてしまってもいいと思うし……。明日まで持たない物はアデールさんとトムさんで召し上がって」

「奥様……」

「このサラダ、彩りもとっても綺麗ね。素敵なお料理をありがとうございます」


 にこにこして食事をとるカペラに、アデールはほっとしたようだった。「せっかくですのでお肉も少し切り分けてきましょう」と部屋を出ていく。


 人目がなくなったカペラは、「か弱い令嬢って設定だからちょこっと残した方がいいかしらね~……」と悩みながらスープやパンを味わった。


(それにしても本当に仕事人間なのね。思った以上に気楽でいいかも……)


 シリウスがいない方が気兼ねなく薬草園に籠ったり調合ができるため願ったり叶ったりだ。そんなことを考えていると、黒曜石のピアスが僅かに震えた。


『カ、カペラぁ~、助ケテ~……』


 遠隔通信用のピアスから聞こえたのは、行商人フェイの声だ。カペラは小声で囁いた。


「ちょっと。助けてって、なに?」

『……カペラの作ッテくれた、惚れ薬、落としちゃっタ。魔獣が飲んじゃって、俺、ちょー追ワレてる……』

「ええ⁉」


 ブモー! と獣の声が聞こえたかと思うと、フェイが身を潜めているらしい茂みの音がガサゴソと聞こえる。


「馬鹿ね、とっとと逃げなさいよ! 《魔女狩り》に捕まるわよ!」


『逃げたいケド、逃げられナイ! ココ魔獣使いの森! 箒折ラレタ! 移動用の鏡ナイ! ……カペラお願い~! 助けに来て~!』


「ええーっ!」


 魔法使いたちが《魔獣使いの森》と呼んでいるのは王都の東側の森だ。魔獣使いが根城にしており、普段は魔獣たちも人目につかないように大人しくさせているはずだが……。こんな騒ぎを起こしたとあっては、魔獣使いはカンカンに怒ってフェイを出禁にするだろう。


 しかも、王都近郊での騒ぎなのに助けに来いなんてリスキーな。

 だが、運のいいことに旦那様は留守。知り合いを見殺しにするのも寝覚めが悪い。カペラは渋々返事をする。


「しょーがないわね……。迎えに行くから待ってて!」

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