10、危機

「同胞の恨みだ。お前を殺す」


 抑揚のない声。

 一瞬で背後をとるなど只物ではない動き。


「っ」


 殺られる。

 死を意識したシリウスだったが、女はハッとしたようにその場を飛びのいた。


 月光にきらめいた剣を振っていたのは、――隊長。そして、エディもいる。


 女はすんでのところで避けたらしい。

 フードは外れ、黒い髪がはらりと風に舞う。

 その顔を確認してもやはりカペラではなかった。


(なぜ俺はほっとしてしまったんだ)


 素早く体勢を整えて剣を抜く。


「隊長、いったい、なぜここに……」


「お前の様子がおかしかったから後をつけさせてもらったんだ。正式に報告をあげていないだけで、何か疑わしい情報でも隠してるんじゃないかと疑ってみればこれだぜ」


 誤魔化せていたと思ったが誤魔化せていなかったらしい。隠し事の内容は違うが、結果として助かった。


 騎士三人から剣を向けられた女はギリッと歯噛みした。ぽぽぽぽ、と彼女の周りに火の玉が浮かぶ。魔女だ。本物の。


「油断するな!」

 隊長の声と共に、火の玉が矢のように襲い掛かって来た。


 矢は木に刺さり、燃え移る。


 気を取られると第二矢。このままでは山火事になる。


「シリウス、エディ、散れ。別方向から同時に仕掛けるぞ!」

「やれるものならやってみろ。罪なき同胞を捕らえ、殺したお前たち《魔女狩り》を私は決して許さない!」


 炎の矢は次から次へと飛んでくる。

 魔女の怒りを体現したかのような攻撃だった。


(くそ、このままでは近づけもしない)


 あちこちで火の手があがり、夜の森は不自然に赤々と明るく輝く。


 まずい、と焦るシリウスたちの頭上で。



 ――ドン、と爆発音がしたかと思うと、土砂降りが起こった。



「雨⁉」


 出した自分の声すらもスコール音で聞こえず、火が消えたことと雨雲により周囲は闇に包まれる。背後から何者かに抱き着かれたシリウスは、魔女に襲われたのかとヒヤリとした。

 だが、力なくその場に頽れたのは――


「カペラ⁉ なぜここに……」


 先ほどの魔女と同じ黒髪の女だが、自分が見間違うはずもない。

 押さえられた肩からは大量の血。

 シリウスはぎょっとしてしゃがみ込む。


「カペラ!」


 立ち尽くす魔女の手には短剣が握られていた。

 雨のせいで刃先から血液はあっという間に流れ落ちてしまったが、その刃がカペラを傷つけたことは明白だった。


「貴様!」

「……なぜ、魔女が人間を庇う……⁉」


 魔女は脱兎のごとく逃げた。

 だが、シリウスにその後を追う余裕はない。


「カペラ! おい、カペラ! しっかりしろ!」

「う……だい、じょぶ、です……ってば」


 土砂降りのせいでカペラの肩からは何十倍もの血液が流れているように見えた。


(庇ったのか、俺を)


 この土砂降りは魔女が起こしたことか、それともカペラが起こしたことかはわからない。なんとなくカペラの仕業だろうと思った。


 炎の中で姿を見失った魔女はシリウスを刺し殺そうとしたのだ。

 それを、カペラが、庇った。


 雨はすぐに止んだ。


 隊長やトールが慌てたようにシリウスに駆け寄る。

 シリウスが止血を施している女が魔女だと思ったらしい。魔女と黒髪にローブ姿だ。「よくやった、シリウス」とねぎらいの言葉をかける隊長に「魔女は逃げました」と叫ぶ。


「俺が魔女に刺されそうになったところを――妻が、庇って……ッ!」


 意識のないカペラを抱き上げる。


「今すぐ医者の元へ行きます! 隊長、馬をお借りします!」


 言うが否や走った。


 山男の小屋から離れた場所に繋いだ自分の馬よりも、隊長やエディたちが近くに繋いである馬を見つけた方が早い。


 馬に飛び乗り、カペラを背後から抱きかかえながら手綱を引く。


「シリ……ス様……」

「喋るなアホ!」


 冷たい雨と出血のせいで体温が失われており、カペラは真っ青だった。刺された箇所が悪かったのでは、毒でも塗られていたのでは。訳の分からぬ焦燥感でいっぱいになり、シリウスは体力を消耗させまいと怒鳴った。


「……喋るなって……ひっど……」


 愚痴ったカペラはそれきり静かになる。


「っ、死ぬなよ、カペラ……、死なないでくれ!」


 残してきた仲間たちも魔女の行方も、今のシリウスには何も考える余裕がなかった。



 ◇



 ……わたしの元旦那様はちょっとアホなのかもしれない。

 一年ぶりに再会した時、カペラは他人事ながら心配になってしまった。


 魔女だってわかっているくせに、泣き落とせば屋敷への居候を許可してくれた。こちらは気を使って人避けの香を使おうかと言ったのにも関わらず、堂々と使用人にも引き合わせたりして。


 自室でうたた寝をしてしまったカペラにブランケットがかけられていたり。寝首をかくチャンスだと言うのに何もせず、部屋の中のものに不用意に触れた形跡もなかった。


 屋敷と騎士団の行ったり来たりの生活なんて疲れるに決まっているのに、カペラを見張るのだと言って毎日帰ってきていた。自分だって疲れているくせに、カペラの体調を気遣ったりして。


 馬鹿な人だなあ、と思った。


 そしてこの人は、カペラがこの国にいる限り気が休まらないだろう。


 魔女の情報が入るたびに、カペラなんじゃないかと気を揉ませるのはかわいそうだ。




『フェイ、せっかく見つけてくれた物件だけどごめんね。わたし、やっぱりこの国を出ていくわ』

『エー⁉ 植物はどーすんノ⁉』

『処分する。種だけ持って行くわ』

『エエエエ、貴重な植物が、薬が……。カペラ、早まらないで!』

『もう決めたの』



 

 そんなやりとりをして、シリウスの前から去る覚悟でいたのに……。


「死ぬなよ、カペラ。死なないでくれ……!」


 朦朧とする意識の中、悲痛なシリウスの声を嬉しいと思ってしまう自分がいた。

 こんなに心配して助けてくれようとするなんて、やっぱり馬鹿な旦那様。


 でも、そんな相手のピンチに駆けつけて、咄嗟に身体を張って助けてしまったカペラこそ、世界一の大馬鹿かもしれない。


(だって、見殺しになんてできないもの……)

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