第3話 私、天に召されました

「ふわぁ……暇、だな」

 埃だらけの事務所に、荒いラジオの音声だけが流れている。探偵というのはつくづくつまらない仕事だ。浮気調査だのペットの捜索だの、世間はまるで何でも屋のように俺達を扱う。そのくせ報酬は雀の涙。全く、泣きたいのは俺の方だ。

「今からでも、インチキ霊媒師にジョブチェンジするか……?」

 そんな馬鹿げた考えをぶら下げながらいつものように朝刊を眺める。

「こういうところに案外、仕事のネタがあったりして……いや、ないか」

 そう思いめくった新聞の隅に何か、見覚えのある人が載っているような気がした。四角く縁取られた証明写真。今野、美保みほ。その名前と顔を、確かに俺は見たことがあった。

「火事で……死亡!? そんな、馬鹿な……」

 美しい微笑みをたたえたその姿、間違いなく1ヶ月ほど前に浮気調査の依頼を受けた女性だ。ちょうど昨日、その証拠を渡して報酬をもらったのだから、それはもうはっきりと覚えている。まさか、離婚まであと一歩というところで亡くなってしまうとは……。何とも不憫なことだ。


 ドンッ

 唐突に窓ガラスが激しい音を立てて揺れた。思わず心臓が止まりかける。

「何だ、風か?」

 目の前で半開きのドアが、壊れかけの蝶番ちょうつがいを軋ませながらゆっくりと開いた。そこに人はいない。しかし流れ込んでくる冷気は、そこに何者かがいることを知らせるように揺らめいている。

 ああ、女だ。昨日会った女、その幻が俺に向かって手招きをする。こういう場合、大体は無視が一番なのだが、不思議と目の前の元依頼人からは何の敵意も感じなかった。むしろこちらに助けを求めているような、そんな風にさえ思われた。

「い、え、に、き、て」

 声は聞こえないものの、女の口の動きからそう言っていることが読み取れた。読唇術というのもたまには役に立つらしい。

 俺が立ち上がると女の霊はふっと消え、また辺りには生ぬるい空気が漂い始めた。報酬のない仕事がまた1つ、増えてしまった。

「あーあ、何でこんなにお人好しなのにモテねぇのかなぁ……俺」

 ため息と共にこぼれた愚痴は、つけっぱなしのラジオに呆気なくかき消され、その行き場を失った。


 彼女の家は調査の過程で教えてもらった。だから、場所自体はわかっているつもりだった。しかし実際に行ってみると、以前に見た家とは比べ物にならないほど崩れ、真っ黒焦げという言葉がぴったりなほど酷い有様だった。辺りにはまだ毒々しいにおいが立ち込めており、危うくむせ返りそうになる。


 空気が悪いせいか頭がくらくらする。何だか意識がはっきりしない。やはり1人で来るべきじゃなかったか? そう後悔しかけた時だった。

「探偵さん、私、私——」

 聞き覚えのある声と同時に、様々な映像が走馬灯のように脳内を駆け巡る。それはさながら、他人の人生を追体験しているかのような感覚だ。机にばら撒かれた写真、何度も向き合い書くのを躊躇ためらったであろう離婚届、これは……。

「そうか、これが彼女が伝えたかったことか」

 睡眠薬を飲みストーブを消す彼女、炎に包まれ呻き苦しむ彼女、その悔やんでも悔やみきれない最期の訪れをまざまざと見せつけられる。これはただの火事などではない。れっきとした、殺人だ。

 ようやくわかった。あの男に取り憑いていた霊はきっと、同じように殺された女達だ。男は決してモテていたわけではなかったのだ。証拠はない。だが、だからこそどんなに小さなことも見逃してはならない。久しぶりに、探偵の血が騒いだ。


 完全殺人など、まやかしにすぎないことを証明してやろう。俺はそう決意し証拠を足で稼ぎまくった。元妻達の不審死の記録、生命保険の加入履歴、犯行当時の周囲の証言、これだけ集めれば疑いをかけるには十分だ。

 そうして準備を整えた俺は、警察に全てを話すことにした。こんなポッと出の探偵の戯言など信じてはくれないだろうが……それでも、何もしないよりはマシだろう。証拠も出来る限り揃えた。あとは成り行きに任せるしかない。

 俺は意を決して、警察署に単身乗り込んだ。




 ——今日は私のお葬式。そして、私が未練を捨てて天に帰る日。参列者はみんな静かに、私に祈りを捧げてくれる。それがとても心地よい。

「にしても、喪主がいない葬式って……笑っちゃうよね」

「本当に……あの探偵さんには感謝してもしきれないわ」

 段々と薄れていく二人を眺めながら、私ももうすぐ消えるのだと、そう悟った。


 探偵の彼はとてもよく頑張ってくれた。あちこち駆け回り、僅か3日であらゆる情報を集めてしまった。

 警察も夫の怪しさには薄々勘づいていたようで、用意した証拠は思ったよりもあっさりと受け入れられ、驚くほど簡単に彼は捕まることとなった。

 今一番怖い思いをしているのはきっと浮気相手の女だろう。そう考えるだけで、生前の憎しみが少しだけ軽くなったような気がした。


「そろそろ、時間かしら」

 別れの挨拶が終わり、私の遺体は火葬場へと運ばれていく。あの二人は一足先に天に昇ってしまったようだ。

 最後に会場を見渡すと、疲れ切った表情の探偵と目があった。

「——」

 探偵は、私の言葉に静かに微笑み踵を返した。


 温かい炎が私を包む。あの時の、痛く苦しいものとは違う、優しい熱だ。燃え残った思いが塵となって、煙突から立ち上り空にかえっていく。その煙を道標に、私もこの世から旅立つ。

 ありがとう、探偵さん、みんな。どうか元気で。向こうでも、私はきっと寂しくなんかない。仲間が、あの二人が先に待っているから。


 さようなら、あなた。

 私、あなたを捨てて、天国に行きます。

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私、夫に殺されました 御角 @3kad0

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