第2話 私達、夫に殺されました

 夫が、私を、殺した……? あまりに衝撃的なその言葉に思わず立ちくらむ。倒れたところで幽霊の身では怪我などしようもないのだが。

「私達が武さんに取り憑いてずっと観察していたことは言ったわよね? あの人はあなたが深い眠りについたことを確認して、電気ストーブをつけっぱなしにした後にあの家を去った。彼は既に気がついていたの。あなたが離婚のために浮気の証拠をそろえていることに、ね」

 2番目の妻は淡々と、しかし辛そうに当時の状況を教えてくれた。ご丁寧にストーブには毛布が掛かっていたというから笑ってしまう。確かに、私が睡眠薬を飲んでいたことを彼は知っていたし、私以外に電気ストーブをつけられるのは同じ家に住む夫だけだ。

 よくよく考えれば驚くほど腑に落ちて、最早その事実を否定する気力すら湧かなかった。何も知らずに泣いた昨日の自分が、何も出来ずに殺されたその事実が、ただただ虚しく情けなかった。


「ちなみに私は毒殺。当時は証拠が少なすぎて病死扱いでさ、結局あいつは捕まらずにさっさと再婚したってわけ」

「私は階段から突き落とされたわ。夜だったから目撃者もいなくて……今も周りは事故だと思ってるんじゃないかしら」

 どうやら二人とも、かなり壮絶な死を遂げたようだ。そんな残忍なことを平気でやってのける殺人犯が、今際いまわの際まで自分の夫だったと思うと反吐が出る。

「どうして夫は捕まらないんですか? 流石に何度も結婚相手が死んでいたら職場の人とかに怪しまれますよ、普通」

 私の素朴な疑問に答えたのは最初の妻の方だった。

「そこ、そこが重要なんだよ。私と出会った頃の武は、自らを投資家だと名乗っていた。次は弁護士助手、そのまた次はIT企業のサラリーマン……。つまり、あいつには職場なんてものはない。下手したら名前だって本物かどうかもわからない。結局あいつの人生全部、嘘っぱちの偽物ってことだね」

「そんな……じゃあお金は? 彼が給料だと言っていたお金は一体どこから……」

 止まらない疑問に、今度は2番目の妻がその口を開く。

「私達の死因はどれも病気や事故として処理されている。つまり保険が下りるのよ。勿論、同じ会社だとバレるから名義や種類をその都度変えてね。そうやってやりくりしていることを知った時は流石に殺意が湧いたわ。まあ幽霊の私達が今更、あの人に対して何か出来るわけでもないんだけれどね」

 そんな、それじゃまるで詐欺だ。私は一体どれだけ彼に騙されれば気が済むのだろうか。

「何も、出来ないんですか? こんなに簡単に存在を軽んじられて、命を踏みにじられて、天国にも地獄にも行けないのに!? そんなの……そんなの、あんまりじゃないですか……!」

 泣いて喚いて、憎んで呪って、それでも彼の幸せそうな顔が歪むことはない。いくら真実を知ったところで、死んでしまっては何もかもお仕舞いだ。幽霊が生きた人間を不幸に陥れたなんて話、所詮は眉唾物、作り話に過ぎなかったのだ。


「——いや、出来ることはある」

「え?」

 最初の妻の言葉に私は思わず耳を疑った。

「でもさっき、彼に対しては何も出来ないって……」

 私の反論に、2番目の妻も静かに頷く。

「確かに私達には人一人を呪い殺したり、行動を思いのまま操るなんてことは出来ない。でも少しだけ、ほんの少しだけならその未練を生きている人間に伝えることも出来る。未練の残る場所の近くにいる人っていう条件付きだけど……」

「未練を……伝える?」

「そう、私達幽霊の思念っていうのはいわばラジオの電波みたいなものなんだ。死んだところから発信され続けて、近くにいた周波数の合う人だけがそれを受信出来る。よく霊能者が心霊スポットに行って幽霊の正体を当てたりしているのにはそういうカラクリがあるんだよ」

 その突拍子もない言動に私がただただ驚いていると、今度は2番目の妻が反論した。

「あなたも、私も、何度も……そんなこと何度も試してきた。でも一度だって成功したことないじゃない! 周波数の合う人間なんてそうそういない。そもそも死ぬ瞬間を見せられたところで断片的すぎて意味がわからないだけだもの……。怖がらせる以外に、私達の存在意義なんてないのよ!」

 あんなに冷静だった彼女が、今は髪を振り乱してその感情をあらわにしている。最初の妻も押し黙り俯いてそれっきり喋ろうともしない。私も、気の利いた言葉など持ち合わせてはいない。


 私達の繋がりはただ同じ境遇だということだけで、それ以上でもそれ以下でもない。だけど、無力感に苛まれ続けた二人の気持ちを思うと胸が酷く痛んだ。

「あの……1人だけ、心当たりがあるんです」

 静寂を破って、私はゆっくりと地面に降り立った。二人もそれにつられて下降する。

「心当たりって?」

「はい。私が浮気調査を依頼した探偵さん、実は少し気になることを言っていたんです。証拠をもらった時……女の子に囲まれて羨ましいって、そう言ったんです」

 私は裸足で、車一つ見えない道路をひた走る。

「でも……撮られた写真はどれも浮気相手との2ショットばかり。あの時はさっぱり意味がわからなかったけれど、今ならわかる。彼にはきっと見えていたんですよ……。夫の後ろで漂うあなた達二人が!」

 続けざまに発された私の言葉に、横を走る二人は思わず足を止めた。自分も一拍遅れて立ち止まる。

「嘘……じゃあその探偵さんに私達の思いを伝えれば、もしかしたら……」

「確かに、その人ならあいつの浮気も、依頼人だったあなたのことも知っている。まだ希望は、あるかもしれない」

 そうだ、たとえそれがたった一縷いちるの望みだとしても、どんなに低い確率でも、その小さな可能性に賭けるしかない。何もしないで諦めて、ずっと沈黙し続けるなんて私のしょうには合わない。

「こっちです、行きましょう!」

 私達は、復讐のための一歩を今、確かに踏み出した。

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