Answer

「まずは天井をよく見たまえ」


 キョーコはゆっくりと教室の後ろに向かって歩を進めながら、穴が空いた天井の周囲を指さした。その動きに教室にいる全員の視線が天井に向けられる。


「わずかにだが、所々色が変わっているだろう?」

「本当だわ」


 キョーコの言葉に先生がつぶやいた。


 僕達の学校の天井には不規則な模様が入った白い板……石膏ボードと呼ばれる素材の板が使われている。前に何かの時にキョーコが教えてくれたんだけど、石膏ボードは安く手に入る上に耐火性と防音性に優れていて、学校に使うにはピッタリの素材なんだそうだ。


 そんな白い天井が、キョーコが指さした辺りは所々色が変わっていた。


 何というか……何か液体状の物が染み込んだ跡みたいな感じに茶色っぽくなっているような……黒ずんでいるような、所々ピンクっぽくなってるような……?


 ……あれ? もしかして、この色って……


「カビ?」

「そう、まさしくこの天井はカビが回っているのさ」


 僕のつぶやきを鋭く拾ったキョーコが答えを口にした。


「石膏ボードは耐火性に優れる反面、水濡れには弱い。定期的に水にさらされるとカビが発生しやすい上に強度も下がる。所々、微かにだが天井板がたわんでいるのが分かるだろう? 定期的に水にさらされて、天井板が劣化している証拠だ」

「定期的に水にさらされている……?」

「雨漏りだよ、先生」


『なぜ』と分かりやすく疑問を顔に浮かべていた先生にも、キョーコは答えを示した。


 そんなキョーコに先生はさらに首を傾げる。


「でも朝霧さん、この教室は1階にあるのよ? 雨が降ったのも一昨日の夜から昨日の朝方にかけてでしょう? 今降ってるわけじゃないのに……」

「降った雨が即刻漏る、というだけが雨漏りの全てじゃない。大量に降った雨が建物のハリや柱をつたって、低い方へ、低い方へとひたすら流れ続け、ある所で唐突に漏れ出すというパターンもある。この場合の方が対処が難しいという話だ」


 そうなのか、と僕は目を丸くした。


 世の中の雨漏りって、分かりやすく天井に穴が開いていて、雨が降るたびにそこから落ちてくる水滴をバケツとかで受ける、みたいなイメージがあったけど、そういうのじゃないんだな。


「このパターンの雨漏りは、短時間で収束し、漏る場所が時によって若干ずつ変わってくるという特徴もある。雨が降るたびに常にそこから漏るわけでもなく、量も少量で収まってしまうならば、誰にも気付かれず雨漏りを続けていたという可能性だってないとは言えないだろう?」


 キョーコの説明はよどみなく進んでいく。キョーコを中心に回る空気は、誰にも邪魔できるものではない。


「他の可能性としては、1階の天井と2階の床板の間を通っている配管から漏水しているというパターンも考えられる。他にも色々とあるだろうが……。まぁ、何が原因かまで断定することはできないが、ここの天井が水による劣化を受けている、という事実は確定してもいいだろう」


 なぁ? と、キョーコは先生を流し見て、野球部員三人を流し見て、最後にクラス中に視線を走らせた。独特な雰囲気がある視線に、誰もがツバを飲み込んでコクリと頷く。


「つまり我々の頭上にあった天井は、いつ崩落してもおかしくない状態だったのさ。その下でたまたま彼らが暴れたから天井が落ちたのか、はたまた日々我々が過ごしていた衝撃を受けて少しずつ崩落が進んでいたのかは知らないが、、という話だな」

「で、でも! 弱っていた天井に彼らが振り回した傘が当たって決定打になったって可能性も……!」


 どうにも『野球部三人は悪くない』という流れになりそうなのを察したのか、先生はそんなことを口走った。悪者にされかけている野球部三人組はキッと先生をにらみつける。


 あーあーあー……。『間違えた時は素直に謝りましょう』って、先生よく言ってるのに……。


「その可能性がないとは言えないな」


 そんな悪あがきをキョーコは否定しなかった。だけどあきれたような溜め息はついていたから、内心ではキョーコも僕と似たようなことを思っていたのかもしれない。


「しかしこれは、彼らに傘を構えてもらえればおのずと分ることだろう」


 キッパリと言い切ったキョーコは野球部三人に向き直った。探偵モードのキョーコに視線を据えられた三人はちょっと緊張しているみたいだ。


「一人ずつ、いつもこの教室で野球をしている時のフォームで傘を構えてみてもらえないか。まずは佐倉」

「お、おう」


 指名を受けた佐倉は、傘の先端部分を下にして、傘の中心よりちょっと下の部分を握って構えた。肩幅に足を開いて、右肩と右足を後ろに引いて、ちょっと腰を落として傘を立てる。


「あ……!」


 その時、僕はキョーコが何を言わんとしているのかが分かった。


「この形をよく覚えておいてくれたまえ。次、安藤」

「おう」


 佐倉から傘を受け取った安藤も似たような形で構える。安藤の方がちょっと傘の柄の部分……バットの頭の部分が寝る形だ。


「最後、岩見」

「う、うん」


 最後に岩見が構える。岩見の構えが一番バットが立っていた。


 それでも、


「分かったかね? 諸君」


 それを確認したキョーコは、全員を振り返って口を開いた。


「教室の天井高は、パッと見た感じで言うならば3メートル程度。佐倉達の身長が大体165〜170程度と見積もると、挙手をした時の指先の高さは大体2メートルに届くかどうか。そのビニール傘が60センチサイズと仮定すれば、傘の全長はおよそ80センチ程度。全力で傘を頭上に掲げた所で、数字上先端は天井に届かないのさ」


 キョーコは単純に足し算の数字で言っているけれど、実際は傘の柄を手の中に握り込んでいたり、肘や指先が曲がっていたりするから、高さはもっと低くなるはずだ。ましてやさっき三人が見せたフォームは、膝が曲がっていたり足を開いたりしていて、もっと高さは低くなっていた。


 佐倉達が傘をフルスイングした所で、先端は天井に届かないんだ!


「どこぞの民族の踊りよろしく、頭上に傘を掲げて飛び跳ねていたというならまだしも、丸めた紙を玉に、ビニール傘をバット代わりにした室内野球では、天井に壊滅的な被害は与えられないと思うがね?」


 キョーコの言葉に先生がウグッと言葉に詰まった。今回は先生も反論の言葉が思いつかないらしい。そんな先生の顔色に気付いたのか、佐倉達の顔がパァッと明るくなった。


 その様子を眺めたキョーコは、フッと笑みを浮かべる。


「さて、私の証明は、完了ということでよろしいかな?」


 どこからも反論が出てこないことを確かめたキョーコは、左手を胸に、右手をスカートに添えると優雅に一礼。


「それでは私の出番はここまでだ。諸君のご清聴に感謝する」


 キョーコが言い終わった瞬間、ホームルーム終了を告げるチャイムが鳴った。


 ホームルーム探偵は、今日も5分で謎解きを終えたのだ。




  ※  ※  ※




「であるから、ここにはこの公式をあてはめて……」


 ホームルームが終わると、今日の最初の授業である数学が始まった。チラリと隣の席を見れば、キョーコは一応教科書とノートを広げてシャーペンを握っているけれど、コックリコックリと首が揺れている。髪も寝癖でボサボサの状態に戻っていて、ついさっきまでの『ホームルーム探偵』の姿はもうどこにもない。


『ケータ、後であの三人に、室内野球はもっと人気がない、目立たない所でやってくれと伝えておいてくれないか』


 先生がそそくさと教室から逃げ出していく中、自分の席に戻ったキョーコはそっと僕にささやいた。


『あの野球が室内でやるには少々危ないという部分では、私も先生に同意なんだ。クラス委員のケータからうまく伝えてもらえると助かる』


 そう言い終えると同時にキョーコのまぶたはトロンと下がって、キョーコは睡魔の中に帰っていった。


 ──そのことをあえてあの場所で言わなかったのは、先生にそれを聞かれたら結局佐倉達が怒られるって分かってたからだよね。


 僕はそんなキョーコにそっと笑いかけると、誰にも聞こえないようにひっそりとささやいた。


「お疲れさま、キョーコ」


 まるでその声に答えるかのように、キョーコの首がカクンと揺れた。


 我がクラスが誇る名探偵がウトウトしていられるってことは、今がとっても平和ってことだ。


 僕は後からキョーコに授業のノートを見せてあげられるように、意識を先生と黒板に集中させた。




【ホームルーム探偵・朝霧暁子の事件簿 END】

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