日なたの君に憧れてたんだ

 来ないと思ってたんだがなあ。


 お前ね、子供がこんな夜に外をうろつくもんじゃないよ。親御さんに習ったろ、飯時と夜更けには人んちに行っちゃいけないって。そもそも何やってんだ、平日のこんな時間に。夜遊びにしちゃ宵の口だ、いい子が出歩くには暗すぎる。

 図書館でレポート? ああ、そうか電車がないもんなあの路線。ラッシュの時間帯を乗り逃せばこれとあと二本ぐらいしかないのか。かわいそうに。

 とりあえずこれどうぞって準備がいい……ああ、おまけ集めてんの? お茶のこういう小物を目当てにしてるやつってあんまり見たことなかったからな。やっぱ複数買いとかするんだな。ありがたくもらうよ。そろそろ熱中症とか危ない時期だからな。


 でな、も一度聞くぞ。


 明かりが点いてたから? 蛾みてえなことを言うなあ──いや、悪口じゃないんだ。軽口。気は悪くするやつだなこれ、ごめんな。お前にこういうこと、あんまり言わないようにしてたんだけど、つい。俺の油断だ。忘れてくれ。

 最近顔見なかったから心配ってのは、そうね、うん……悪かったよ。けどね、お前もこんなおじさんの顔見慣れるほど見てるってのもどうかと思うよ。もっと見て楽しいものとか、お前の歳ならそういうものがいくらでも見つけられるだろうし──


 こら。

 喋ってる途中で手出すなよ。乱暴だな。


 って言われてもな。見ての通りだよ。痣。この歳で青タンこさえてんのも格好つかないだろ、だから引っ込んでたってのに……くそ、ちょっと煙草吸いに出ただけだぞ。そこ狙い澄ましたように来るんだからな。俺の引きが悪いのか、お前の間が悪いのか、どっちでもろくでもないのが困ったところだな。

 見た目ほど痛かないんだよ。だからとりあえず手ぇ放してくれないか、襟が駄目になるからさ。このシャツ、柄気に入ってんの。


 じゃあ、とりあえず座れよ。ペットボトルのお茶、お前の分もあるんだろ? じゃあそれ飲みながら聞いてりゃいい──そんなに長い話にもならない、いとまがほんの少し喋っておしまいだ。


 こないだ仕事の話したろ。そう、スーツ着て人ん家行ってちょっとアレな物引き取っておしまい、っていうちょろいやつ。あれ俺は運転役だったから、本当に細かいことは何にも知らなかったんだよな。聞く気もなかったし。言われた通りのところに車寄せて走って、荷物と人ごと指定された場所に降ろすだけって内容だしな。明るいうちに終わるんだもの、そんなもんいい仕事だろ。家に帰ってそのまま風呂入って、酒開けてテレビ点けて愉快な気分で居間で寝てたよ。今の時期って布団がいらないところだけは長所だよな。その辺転がって寝ても風邪をそんなに引かない。そんな具合で雑に寝転がってたんだよな。


 ぱぁんって柏手打つみたいな音と、そこそこの衝撃で跳ね起きた。


 何だろうな、起きたはいいけど当たり前に状況なんて掴めねえの。とりあえず天井の照明は点いたままだったから、その辺のろのろ見回したんだ。テレビの効果音で寝が浅いところを叩き起こされたかって画面を見たけど、やってんのはニュースの天気予報だった。あんな地味な画面で俺が聞いたような音が鳴ってたら放送事故かなにかだよ。

 じゃあ完全に寝ぼけての空耳かって納得して、せっかく目が覚めたんならもう一度飲み直すか風呂入るかって二択について考えようと足を組んだ。


 左太腿の内側に、見事な青あざができてた。


 そういやさっき衝撃もあったな、って一瞬納得した。けど考えるまでもなくおかしいだろ。酒飲んでひっくり返ってた俺の足を誰が引っ叩けるっていうんだよ。仮に俺が寝た隙に該当箇所をしばいて立ち去ったやつがいたとして、それがのは道理が通らないだろう。

 まだ可能性としてはな、俺があざを見落としてた、っていうのもあるわけだ。間抜けな話だけども、何か知らないうちにがっつりぶつけて数日かけて晴れて青あざ、ってのはまあない話じゃない。自慢じゃないが俺は覚えが悪いからな。

 けどな、痛くないんだよ。子供の手のひらくらいの大きさで、色も一番痛い頃の緑がかった青だからな。お前も経験あるだろうけど、ああいうのはちょっとつついただけで結構痛い。それが指先で押そうが軽く叩こうが、少しの痛みもないんだから明らかに真っ当なあざじゃない。


 どうするかって考えた。とりあえずその日は飲むのは切り上げて、締めに風呂に入ってから布団で寝た。

 そんな馬鹿を見るような目を向けるんじゃない。こっちには中身入りペットボトル鈍器があるんだぞ。やめなさい心がちょっと痛むから。


 だってなあ。痛いんだったら未だしも痛くないんだもの。青あざができるのは外聞が悪いけども、内太腿やら脇腹なら脱がなきゃ見えないしな。決まって寝てたり居眠りしてるところをやられるのは不愉快だったけど、目が覚めたんなら寝直せばいいだけだからな。一日二回は来なかったから、ちゃんと満足できる二度寝ができたら俺の勝ちだよ。あとは万が一を考えて人に会わないようにしてたくらいか。だからお前ともしばらくお話できなかったんだよ……悪かったな。


 で、一週間ぐらいだったかな。珍しく日の昇ったあたりに起きて顔洗うかって洗面所行って、鏡を見た瞬間、ばちんといつも以上に派手な音がしたと同時に、顔面に思いっきり衝撃がきてのけ反った。

 その結果がだよ。案の定痛くはなかったけど、目の周りが真っ青だ。とんだ四谷怪談だろ。

 さすがにそろそろやべえかなって思った。なんせド早朝で見えるところで見える場所やられてるからな。本気にしても遊びにしても、やり口がタチ悪い方に向かってんのは明らかだろ。そんでこないだ世話になった人──高原さんに連絡取ったの。一応『何か』あったら伝えてほしい、とは言われてたからね。この状況は十分『何か』だろうなって思ったからな。


 教えられた番号に掛けたら、二コールで繋がった。多分着信画面みたんだろうな、ってのが第一声だもん。何か起きてるのが大前提だから、話は早いけどちょっと面白かった。

 そんでまあ、これこれこういうことですって一連の流れを報告したのよ。そしたら三分ぐらい保留が入って、


『ちょっと車の中見てもらえますか? 仕事のときに出してもらったやつです』


 何か見つけたらまた掛けてくださいって言って、電話が切れた。


 俺はとりあえず外に出て、物置の前に止めておいた車ん中を物色した。三十分ぐらいがさごそやって、灰皿の吸い殻、ガムの銀紙、ちょっと嫌いな知り合いが忘れていったライターなんかが出てきた。


 そういう心当たりのあるゴミと一緒に覚えのない栞が一枚出てきたもんだから、俺はそこそこ迷った。迷って、判断を諦めて、高原さんにもう一度電話を掛けた。


 結論から言えばな、栞が正解だった。この間運んだもんにくっついてたはずが、どういうわけか俺の車に紛れ込んでたんだな。ビデオ通話でゴミ映して判断してもらったよ。どうすればいいですかって質問したら、引き取りに行くんで駅まで出てこられますかって返ってきた。面倒だったから燃したら駄目ですかって聞いたら、


「そうしたらもっとひどくなりますよ」


 それは困るだろ。だからちゃんと車飛ばして駅まで行って、喫茶店で無事に引き渡したよ。そんなに待たなかったし、車代とコーヒー代は出してもらえたからな。一件落着って話だよ。


 そう、栞一枚だよ。あんな紙っぺら一枚で、大の大人がこのツラだ。もっと見る? 脇腹あたりならまだ残ってるぞ。全身打ち身の経過図鑑みたいで面白いっちゃ面白い……悪かったよ。どうしてそんな顔をするんだ。冗談だよ。


 まあ、高原さんあちらの不手際だってことで、報酬にちょっと色がついてな。危険手当だよ。名目がどうあれ、俺としちゃ銭がもらえるなら万歳だ。見た目がみっともないことになったが、そんなもん誤差だよ。何より死んでねえしな。死んでなくて金があるなら問題ない。まだこううやってだらだら過ごせるわけだからな。総合してまだ俺の勝ちだ。


 おっかなくないのかって?


 おっかないっちゃそうだけど……痛くないしな。生活におけるたまの刺激だよ。暇が潰せて、少し危ない目に遭って、ちゃんと金が貰える。その上で平穏無事な日常が送れるんだから、結果としては花丸ものだろ。普段だらだら過ごせてるんだ、たまには面倒ごとにつつかれるのも面白いだろ。どうせ死ぬまでのちょっとした暇潰しだ、だったら面白い方がいいし、金になるならもっといい。それでどうにか折り合いがついてる──お前にする話ができて、ついでにちょっといいお茶が揃えられる。俺にとってはそれだけで充分なんだよ。


 さて、せっかくだ。どうせ掟破りの夜のご訪問だ。コーヒーでも飲んでいくか? 久しぶりだからな、お前のために淹れてやろうじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

縁側いとまが閑談録 目々 @meme2mason

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ