繰り返し五分

御角

繰り返し五分

 突如とつじょ、目覚ましのアラームがけたたましく鳴り響く。脳内が一瞬でさぶられるような感覚。うるさくてとても二度寝などする気にはなれない。僕は嫌々いやいや起き上がり、いまだ鳴り響く電子音を手探りで止めた。

 いつも通りの朝、窓からは登校する生徒がちらほら見える。僕も、普段通り学校へ行かなければならない。着慣れない制服にうでを通し、読まずに放置された本の山からボロボロの教科書を取り出しカバンにめこんで、僕は玄関のとびらを軽く押す。

 腕時計を見ればちょうど八時五分、ギリギリ遅刻はまぬがれるはずだ。そう思い一歩踏み出した瞬間、足元にすっと伸びる影が一つ。

 恐る恐るその線を目で辿たどっていくとそこには、年端としはも行かぬ少女が腕を広げて仁王立ちで待ち構えていた。背格好から小学生ぐらいだということはかろうじてわかるが、逆光でその顔は見えない。ぐにゃり。景色が、ゆがんでいく。



 ——わずらわしいアラームの音に、視界が黒くりつぶされていく。気がつけば僕は未だ布団の中にいた。

 そっと目を開き、おおい被さる温もりを全身で確かめる。

「夢、か……」

「夢じゃないよ」

「!?」

 思わず飛び起きて枕元の時計をたたく。その針は八時を指し示していた。

 驚く僕を見てケタケタと笑う少女は、まさしくあの時、目の前に立ちふさがった子そのもののように思えた。

「君は一体……。そもそもなんでここにいるんだ? 不法侵入だぞ」

 困惑する僕をからかうように、彼女は口元を手で押さえニヤニヤしながらこちらを見つめる。その失礼さに段々と腹が立ってきた。

「質問が多いなぁ、探偵さん。こんなところで悠長ゆうちょうにしてていいの?」

「探偵……僕が?」

「そう、あなたは探偵で、私はその助手。だから一緒にいるのは当たり前なの」

 訳がわからない。僕はしがない学生で、彼女のことなど見たこともないはずなのに。

「わからないことだらけって顔してるね。しょうがない、頼りない探偵さんに三つ、ヒントをあげる」

 少女は右手を突き出し、その親指と小指を折り曲げ不敵に笑った。

「一つ、この世界は探偵さんを中心にループしている。二つ、探偵さんの仕事はこの五分間で全てを解き明かすこと。三つ、あなたが全てを思い出せば、このり返す世界からは脱出できる」

「……その言い方だとまるで、ここが現実じゃないみたいだな」

 彼女は依然、微笑ほほえんだままだ。それが余計にこの状況を薄気味悪く思わせる。

「残念だけど、ヒントは終わり。助手に頼りきりなんてよくないよ。あとは自分で解決してみせて」

 少女はそう言うと、僕の制服と教科書をどこからか持ってきて、ドンと机に置いた。真新しい制服がよれ、その背中にシワを走らせる。

「……あれ?」

 おかしい。この一年生向けの教科書達はみんなボロボロなのに、制服だけはやたらと綺麗きれいだ。

「カバンも探ってみたら?」

 僕は言われるままスクールバッグのポケットをあさる。出てきたのは、自分が通っているであろう中学校名がしるされた生徒手帳とクシャクシャに握りつぶされた紙切れ一枚だった。

 慎重しんちょうに、その紙のかたまりをほぐし広げていく。

「卒業式の、お知らせ……?」

 かすれていて内容はほとんど読めなかったが、そのタイトルだけは鮮明に読み取ることが出来た。なんとなくだが、自分の状況が見えたような気がする。

「そうか、生徒手帳によれば僕は中学生、更にこの卒業式のお知らせから考えると中学三年生なんだ。なのに毎日身につけるはずの制服がほぼ新品なんて、矛盾むじゅんしてる」

「……それで?」

「教科書もそうだ。一年生向けしかないのは僕の学年から考えてもおかしいし、制服と対照的にボロボロなのもますますおかしい」

 そうつぶやきながら僕は、手元の教科書を一ページずつめくっていく。規則正しく並ぶ文字列の中に混じる落書き、その罵倒ばとう一つ一つがもれなく凶器となって僕の目に飛びこむ。

 こみ上げる吐き気に耐えられず、僕は教科書を乱暴に閉じた。

「僕は一年生のころいじめられて、それ以来、三年間ずっと不登校だった。だからこの制服も着慣れなかったし教科書もボロボロで一年分しかないんだ。……あってる?」

 少女は目を細めてまた笑った。

「正解! 流石、推理ものばっかり読んでた小説オタクだね。でも……」

 彼女はその小さな手でゆっくりと時計を指差す。

「もう時間切れみたい。それじゃあまた、次の五分で」

 その言葉と同時に世界が歪んでいく。ひど目眩めまいに、僕の意識は呆気あっけなく流されていった。



 ——また、アラームの音で目が覚める。まだわずかに揺れる頭を抱え起き上がると、目の前には少し大人びた様子の少女がいた。

「おはよう、探偵さん」

「お前……助手か?」

 その少女は以前見た時よりも明らかに成長していた。髪も身長もかなり伸びており、別人のようにすら思える。

「なんだ、もう知ってるんだ。つまんない」

 少女は不貞ふてくされたようにそっぽを向いた。どうやら、ループの中で記憶を保っていられるのは自分だけらしい。

「僕は自分のことについては思い出した。でも、それじゃまだ足りないんだな」

「そうだね……全然。ま、他の部屋も調べてみてよ。きっと推理が得意なあなたならすぐに解けるはずだよ」

 そう言えば以前のループでも彼女は似たようなことを言っていた。僕が推理小説好きのオタクだと……。

 もしかして、彼女は僕の知り合いなのだろうか。そんなことを考えながら僕は家のリビングに足を踏み入れた。

 まず目についたのはすみに置かれた仏壇ぶつだんだった。男の写真がかざられ、線香もかれている。見た目は中年のおじさんといった感じだろうか。

 次に目に入ったのは、その側に置かれた写真立てだ。先程見た男が一人、そのとなりには女が寄りって写っており、両端には楽しそうに笑う子供が二人いた。

 これはきっと家族写真だ。父、母、僕、そして……恐らく、妹。この写真に写る妹は、今後ろで僕を見守る彼女そっくりだ。

「そうか、だから……」

「何?」

「いや、なんでもないよ」

 妹ならば僕についてやたらとくわしいのもうなずける。それについて聞くよりも今はとにかく手がかりを探したい。

「あっ……」

 周囲に注意するあまり足元がおろそかになり、僕は何か硬いものを踏んづけてその場に転んでしまった。ブチッ……とテレビの電源が入り液晶が僕の顔を照らす。どうやらリモコンを踏んでしまったらしい。


「——続いてのニュースです。昨夜、首都高で発生した衝突事故により、四十代の女性が意識不明の重体でしたが、今朝、死亡が確認されました。女性の名前は……」


 時刻は八時三分、画面に表れたその顔に、僕は言葉を失ってしまった。

「お母、さん……」

 あの写真で見た母よりも幾分いくぶんか年はとっているものの、その優しそうな顔は間違いなく僕の母のものだった。

 ふと後ろを振り返ると、今まで笑顔しか見せてこなかった少女が初めて、その顔を歪ませうつむいていた。

「……僕の両親は、もう死んでいたんだな」

「うん」

「君と僕は、もうたった二人の家族になってしまったんだ」

 その言葉に少女は困ったように笑う。

「まだ……足りないよ」

「え?」

 その瞬間、彼女は僕の首に手をかけた。少女とは思えないほどの圧迫感。以前にも経験がある浮遊感。脳へ巡っていた血が一気にとどこおる。

「お父さんは過労、お母さんは寝不足で事故。原因はもう、わかってるんでしょ?」

 ああ、そうか。彼女は僕が両親を死なせたと思っているんだ。不登校で引きこもりで、二人に迷惑をかけ続けて……。

 意識が飛ぶ寸前で、彼女は両手の力をゆるめ僕を解放した。肺が、新鮮な空気を求め続けて思わず咳込せきこむ。

「わかった?」

 うつろな瞳でのぞき込む少女の顔には、何の感情も見えない。彼女の目、その奥底には本気で僕を殺そうとする意志が宿っているように感じられた。

「……ああ、今ので全部わかったよ。僕はきっと前にも、お前に窒息ちっそくさせられそうになったことがあるんだ。お前は、両親が死んだことを不登校で引きこもりの僕のせいにして、兄である僕の首をめて殺した。違うか?」

 彼女は何も答えない。

「言っておくが両親が死んだのは僕のせいじゃない……。不登校になって一番辛かったのは僕なんだ! 僕は悪くない!」

 少女は静かに微笑んだ。そのほおに一粒、涙がつたう。

「おい、なんとか言えよ……おい!」

 僕の罵声が響く中、世界はガラガラと音を立てて崩壊ほうかいし始める。その瓦礫がれきに少女がまれていく様を、僕はただ見つめ続ける。何故なぜか、あふれる涙を止めることが出来なかった。



 ——耳をつんく電子音。アラームが僕を叩き起こす。ハッと体を起こし時刻を確認すると八時ジャスト。ループは、まだ終わってはいなかった。

「何で……どこかで間違えたのか?」

 そう目の前の空間に呟いても、答えは何も返ってこない。散乱する本とほこりで埋め尽くされたこのだだっ広い世界に、もう僕の助手はいないらしい。

 もしかして僕は、永遠にこの五分にとらわれ続けるのだろうか。その不安が込み上げては喉元のどもと霧散むさんしていく。

「一応、探してみよう……。あいつも、まだリビングにいるだけかもしれないし」

 そんな淡い期待を抱きながら、僕は再度リビングに足を運んだが、当然そこには誰一人としていなかった。僕は倒れた椅子いすを起こして座り、なんとなくテレビをつける。


「……続いてのニュースです。昨夜——」


 またこのニュースか、流石に何度も親の訃報ふほうを聞くのは気分が悪い。そう思いチャンネルを変えようとしたその時だった。


「昨夜、自殺の様子をインターネットで配信し、首を吊った男子中学生が救急 搬送はんそうされ意識不明の重体となっています。男子中学生はその配信のURLを元クラスメイト達に送りつけ、配信上で『不登校になったのはお前らのせいだ』と連呼していたとのことです。警察は学校でいじめがあったなどの疑いで調査を……」


 咄嗟とっさに立ち上がり、天井を見上げる。頭上のはりには途中で千切れたようなロープが幾重いくえにも巻き付けられ、固定されていた。

 試しに僕はテーブルにのぼり、更にその上に椅子を置いて踏み台にする。手を伸ばせばあっさりと、その馬鹿な試みの残滓ざんしに手が届いた。


「続いてのニュースです。昨夜、首都高で……」


 ——僕は殺されたんじゃない。自分から死のうとしたんだ。全部、全部思い出した。

 父が過労で倒れたのは、引きこもって片っ端から読みもしない本を買い漁り、無駄むだづかいした僕のせい。母が寝不足で事故にあったのは、自殺 未遂みすいで運ばれた僕のせい。きっと急いで病院に向かう途中で……。

 こんなに大事なことを、どうして今まで忘れていたのだろうか。今更後悔しても、亡くなった両親はもう、写真のように笑いかけてはくれない。


「……また、衝突事故で同じく意識不明の重体となっていた十代の女性は、一命をとりとめたとのことです」


 そうか、妹も……。僕のせいで、巻き込まれていたのか。この罪は、つぐなっても償いきれない。

 八時五分。そっと、テレビの電源を落とす。僕の世界は、再び暗闇くらやみに包まれた。




 淡々と流れるニュースの声がおぼろげに鼓膜こまくを刺激する。日の光がまぶたを貫いて、僕の視界を白く染め上げた。

「……夢、か」

 病院のベッドの上で、僕はようやく真実に辿り着いた。

「——夢、じゃ、ない……よ?」

 隣から途切れ途切れに、懐かしい声が聞こえる。カーテンを静かに開くと、そこには包帯まみれの妹が横たわっていた。数年ぶりに見る妹は、本当に別人のように成長していて……それが余計に僕の罪悪感をつのらせる。

「生きてて、よかった」

 そう呟く妹のほうが酷い状態なのに、もっと自分を責めてもおかしくないのに、そう思うと涙が喉にからまって上手くしゃべることが出来ない。

「ごめん……ごめん、僕のせいだ。全部、全部僕の……」

「少しは、反省した?」

 包帯の隙間すきまからかすかにのぞくくちびるが、悪戯いたずらっぽく微笑んだ。

「ああ、もう目をらさない。これからはちゃんと働くし、人のせいになんか絶対にしない。お前をおいて死んだりなんかしない。だから……」

 僕はその届かない距離を埋めるように、精一杯手を伸ばす。

「これからも、お互い助け合って……僕の妹として、助手として、一緒に暮らしてくれますか?」

 その答えと言わんばかりに、彼女は思いっきり口角を上げて包帯越しに満面の笑みを見せた。

「当たり前、でしょ……? だってさ、私達——たった二人の家族、なんだから」


 僕は今、ようやく現実にその両足を下ろし、しっかりと踏みしめた。

 もう二度と、離れることのないように。

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