誰より好きだから、誰にも言わない

いち亀

だってあたしたちは、最愛のあなたの

「ねえ、輝海てるみ、」

 向かいに座る星奈ほしなに呼ばれ、あたしは問題集から顔を上げる。

「ん?」

 星奈は私の顔をじっと見てから、

「……いや、もうちょっと自分で考えてみる」

 英語のプリントに視線を戻し、考えるそぶりを見せた。


 星奈の部屋で一緒に勉強する日曜日。分からないところを友達に聞く、それは女子中学生の行動として何もおかしくないけれど。

 あたしはちらっと星奈の手元を見る。シャーペンはプリントを突っつくだけで、まともに解いている気配はない。そもそも英語だったら星奈の方が得意だ。つまり、本当の要件は宿題のことじゃない。


「言ってよ星奈」

 あたしが促すと、星奈はシャーペンを置いて、顔を真っ赤にして俯きながら。

「……輝海と、」

「うん、」

「ちゅー、したい」


 ――予想通りの内容だったのに、声色があまりにも恥ずかしそうで、笑ってしまいそうになる。けど笑うと星奈は猛烈に拗ねるので、それは呑み込んで星奈の頬を撫でる。


「いいよ、おいで」

 あたしはベッドの上に腰掛け、星奈を手招きする。

「うん!」

 私の隣に座る星奈。外じゃ履きたがらないミニスカート、手間のかかりそうな三つ編み、中学じゃできないメイク。完全に恋人モードの気合いが入った彼女の両手が、あたしの頬をはさむ。


「すー、はあ、すぅ――んっ」


 星奈の唇が、あたしのに重なる。彼女の瑞々しいやわらかさを味わいながら、あたしは彼女の頬を指先でなぞる。彼女があたしに伝えようとする想いを、逃さずに包みこむ。


 唇が離れる。目を閉じて余韻に浸る星奈へ、今度はあたしからキス。かっと熱くなった星奈の体を、ぎゅっと抱きしめる。


 唇を離すと、星奈は頬を紅くして、潤んだ瞳であたしを見つめる。

「……輝海からなんて、びっくりした」

 恋人らしい行為を持ちかけるのは、だいたい星奈の方からだ。

「苦しかった?」

「……すっごく嬉しかった」


 そう答えてから、星奈は恥ずかしさのあまり枕で顔を隠す――のを見越していたあたしは、するりと枕を取り上げて、彼女を見つめる。

「ちょっと輝海!」

「星奈は本当に可愛いなあ」

「う~~」

「こんなに可愛いと、もっと好きになっちゃいそうで困っちゃう」

「うう~~~~!」

 ――嘘じゃないけど、大事な本音を隠したあたしの言葉。けど星奈はそんな内心なんて知らないで、あたしに抱きついて叫ぶのだ。

「でも、私の方がもっともっともっと好きだもん!」



 あたしと星奈は、小学校からの友達だ。あたしは一人っ子で両親ともに仕事が忙しく、星奈の家で過ごすことが多かった。星奈は同級生だったけど、あたしにとっては妹のようで。彼女のお母さんの昭子あきこさんも、年の離れたお姉さんのようだった。実の親より、昭子さんは心強い味方だった。


 お互いに一番の親友で、それがずっと続くと思っていたけれど。


 中一の冬、ちょうどクリスマスの頃に。

「輝海のことが好きなの……恋人に、なってください!」

 この部屋で言われたとき、正直、耳を疑った。


 誰かと恋人になるなんて真面目に考えてこなかった、女子どうしでなんて尚更だ。

 けど、涙のあふれそうな瞳で懸命に伝えてくれた星奈を前に、ノーなんて返せるはずなかった。

 あたしが星奈に恋心を返せるかなんて分からなかったけど、星奈の願いを諦めたくはなかった。


「……いいよ、あたしで良かったら。よろしくね」

 イエスを返した瞬間、胸に飛び込んできた星奈を抱き止めながら。


 こんなに可愛い女の子の恋人になれたなら、周りがどう思うかなんて気にしないでいいや、そう決めた。

 けど、面倒ごとは少ない方がいい。あたしたちの関係は、学校の誰も知らない。他のみんなにとっては、あたしたちは仲良しの親友だ。



「はい星奈、勉強戻るよ」

「え~、もうちょっとくっつかせて?」

「じゃあ今日の宿題の予定ぶんが終わったら」

「わ~いご褒美……え、今日の全部!? 長いよ!」

「あんまりあたしを安く見ないの」


 頬をふくらませる星奈。そこに、ドアをノックする音。

「入っていい?」

 星奈のお母さん、昭子さんだ。


「え、待って!」

「いいよ~」

 止める星奈と、許すあたし。

「もう、どっちなの」

 笑いながら、昭子さんは部屋に入ってきた。

「冷めるといけないから、置いとくね」 

 手作りのクッキーと紅茶を運んできてくれたのだ。昭子さんだけは、あたしたちが恋人だと知っている……そもそも星奈はあたしに告白する前、昭子さんに相談したというのだ。あたしは星奈との関係を両親に言う勇気がないから、やっぱり仲良しの親子だなと思う。


「ありがとう~! ほら星奈、食べて頑張るよ」

「うん……」

 昭子さんはあたしたちの顔を見比べてから、大げさに口に手を当てる。

「もしかして、二人だとドキドキして集中できない?」

「うん、星奈はそうみたい」

「ちょっと!」


 昭子さんとあたしに言われ、星奈はバタンと立ち上がり。あたしと昭子さんを見比べてから、母親へと抱きついた。

「だって……もっと好きになっちゃうんだもん」

 恥ずかしそうに打ち明ける娘の頭を、昭子さんは微笑みながら撫でる。


 ――慈愛に満ちた昭子さんの眼差しと指先に、胸の深いところがぎゅっと締めつけられる。

「うちの子、てるちゃんじゃなきゃダメみたいだから。末永く、よろしくね」

 昭子さんが私に言う、その言葉には確かに愛情と信頼が宿っている。けどそれは、娘の親友で恋人である、あたしに対してだ。あたしが昭子さんの一番、ではない。


「はい、お任せを!」

 浮かんだ嫉妬を振り切るようにあたしは頷き、昭子さんと星奈を横から抱きしめる。


「ずっと、ずっと一緒だからね――星奈も、昭子さんも!」


「うん、一緒!」

 曇りなく、星奈が笑った。


「……長生きしなきゃなあ、お母さんも」

 少し寂しそうに、昭子さんは言った。


 きっと昭子さんは、あたしと星奈より先にこの世を去る。そうじゃないとダメだと、昭子さんは願う。

 けど、あたしは。星奈との永訣よりも、昭子さんとの永訣の方が、ずっと怖かった。


 一生そばにいてほしいのは、星奈よりも昭子さんだ。



 星奈と恋人になって、女性を恋の対象として意識するようになって。

 そのときから、少しずつ、昭子さんのそばにいるとドキドキするようになった。星奈の家を出るときは、昭子さんと離れることこそ寂しくなった。

 

 大人びた女性が好みなのだろう、最初はそう思っていた。そもそも芸能人だって、十代のアイドルよりも、年上の格好いい女優を好きになることが多かったからだ。

 親子だから当たり前だけど、星奈と昭子さんは似ている。今はまだ幼い体つきの星奈だけど、大きくなったらこんな色気が出るんだ、そのイメージを昭子さんに重ねているつもりだった。


 けど、多分そうじゃない。

 星奈が昭子さんに甘えるたび、星奈が羨ましくなる。

 昭子さんが旦那さんと並んで仲睦まじそうにしていると、旦那さんが妬ましくて苦しくなる。

 あたしと星奈が親元を離れる前提で、昭子さんが将来の話をするたび。あたしは昭子さんのそばを離れたくないと叫びたくなる。


 昭子さんへの気持ちは恋じゃなくて、母親のような女性への依存と慕情なのかもしれない。そう考えた方が安心できた――だって、あたしの彼女は星奈なんだから。どんな大切な人でも、星奈以外の誰かに恋を向けたくはなかった。


 けど、今。


「やっぱりお母さんのクッキー最高!」

「あら嬉しい、私も食べちゃお」


 昭子さんの指につままれて、唇に挟まれて、口の中で溶けていくクッキーが、あたしは羨ましい。昭子さんの中に、あたしの一部を溶かしたい。

 そんな妄想が頭から離れないのは、やっぱり、恋なのだろう。




 クッキーを食べ終わって、星奈がトイレに行った間、あたしは空の皿をキッチンに返しにいった。

「昭子さん、ごちそうさまでした!」

「おそまつ様~」


 そのまま部屋に戻るのが、なんだか勿体なくて。

 昭子さんと二人きりの一瞬を、逃したくなくて。


「昭子さん、」

「うん?」


 あたしは昭子さんに一歩近づいて、彼女の瞳を見上げて。

 察したようにあたしの髪を撫でてくれたのを合図に、ぎゅっと昭子さんに抱きつく。

「あら、輝ちゃんが珍しい」


 昭子さんの温もりに、においに包まれて、心臓が歓喜に踊る。そのときめきがバレないように、言い訳を口にする。

「星奈みたいに、あたしも甘えたいの」

「いいよ、輝ちゃんは私にとっても娘同然だから」


 娘同然、どう頑張っても恋人にはなれそうもない。

 けど、他の誰かに比べればずっと特別な立場なのだ。だから、娘扱いしてくれる今の自分を手放せない。


「それにね。輝ちゃんはちょっと良い子すぎると思ってたから、たまには甘えてくれた方が安心なの」

 良い子のふりは得意だ。甘えん坊の星奈に比べれば、あたしは優等生に見えるだろう。

 けどあたしの中身は、全然良い子なんかじゃない。一番大切な人たちを騙しているあたしは、良い子なんかじゃない、けど。


「……ありがとう昭子さん、元気出た」

 あたしは良い子のフリを続けるしかない、じゃないと。

「うんうん。星奈のお守り、またよろしくね」

 あたしが良い子じゃないと、昭子さんは星奈を任せられない。娘を預けるに足る人じゃないといけないんだ、あたしは。


 部屋に戻ろうかと思ったところに、昭子さんの聞き慣れない声色。

「……輝ちゃんには話してもいいかな」

「え、何?」


 内緒話をするかのように声を落として、昭子さんは教えてくれた。

「私ね。高校生のとき、女の子とお付き合いしていたの」

 ――止まりそうになった思考を、無理やり動かす。

「……そうなんだね」

 昭子さんと旦那さんは円満な夫婦に見えていたから、そんなこと考えもしなかった。


「もちろん今はね、お父さんと結婚して本当に良かったの。

 けどあの頃は、彼女のことが好きで好きで、一生一緒だって信じてた……女同士じゃ難しいの分かってきて、お互い諦めちゃったんだけどね」

 いつも明るい昭子さんの声に、寂しさと、悔しさが滲んでいた。

 きっと。女同士で愛し合うことが、今よりずっと悪く言われる頃だったのだろう。


「……辛かったんだね、昭子さん」

「もういいんだよ。だって、お父さんと出会ったから星奈が生まれて。その娘が、こんな素敵な女の子とお付き合いしているんだから」


 昭子さんの手が、あたしの頬に触れる。その手から、あたしたちに託す願いが伝わってくる。


「だから。あなたたちは、幸せに結ばれてほしいの。私も、その幸せを守りたいの」


 ――ああ、どうしよう。

 昭子さんの彼女になりたい、あたしの全部で幸せにしたい、その想いが溢れそうだ。


 だから、あたしは誓った。

「うん……約束します、星奈とずっと幸せでいるって」


 昭子さんが人生を懸けた願いを、絶対に裏切らない。

 あたしは、ずっと、星奈の恋人だ。昭子さんへの恋は、永遠に、誰にも言わない。


「だから昭子さんも、ずっと見守っていてね」

「うん、頑張って長生きするよ」


 ――星奈がトイレから出てくる、昭子さんと二人きりの時間が終わる。


「ねえ、何の話してたの?」


 あたしは昭子さんに背を向けて、星奈に歩み寄る。

 昭子さんに見せつけるように、自分に言い聞かせるように。


「星奈が可愛いって話だよ~!」


 今のあたしが笑顔であるように願いながら、最愛であるはずの恋人を、最愛の人の娘を抱きしめた。

 

 

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