遅れてきた怪盗

一矢射的

お前が『ナルキッソス』だ!



前略


 きたる四月一日のエイプリルフール。

 午前れい時ちょうどに御家の秘宝「アポロンの涙」を頂きに参上する。


 貴殿は屋敷の警備を厳重にしても構わないし、警察に頼っても一向に差し支えない。いかなる障害が在ろうとも吾輩はしゅくしゅくと目的を遂行するのみである。


                          怪盗より愛を込めて




「た、大変だぁ! 怪盗ナルキッソスから犯行予告状が届いたぞ!」

「な、なんと! 不可能を可能にするという、あの怪盗? 大胆不敵な盗人が、ご主人様のコレクションに目をつけたというのか」

「奴にかかれば妄言うそすらも真になるという。いったいどうすれば?」


「まぁ、落ち着きなさい、皆の衆。いつかこんな日が来るだろうと思っていた。ちゃんと打つ手は考えてある」

「しかし、ご主人様。彼奴きやつは、これまで一度たりとも狙った獲物を逃したことがないそうですよ? 失敗しらずの不敵な輩だとか」

「ならばこちらも数多の難事件を解決した失敗しらずの名探偵を雇えば良いんだ」

「なるほど、超人怪盗と名探偵の対決ですか。それは面白そうだ」

「はっはっは、これは見世物じゃないんだがね。チケットを売れないのが残念だよ」



 そして時は流れ、二〇二一年の三月三十一日。

 犯行予告の三十分前、金谷ユタカの屋敷は大騒ぎだった。

 金谷家の宝である『アポロンの涙』は四百カラット、重さ百グラムもの巨大ダイヤモンドで、大きさはイチゴほどもある超がつくほどの一級品。これは世界でも指折りの貴重な宝石であり、断じて賊にくれてやるわけにはいかなかった。


 現場となるのは古い美術品や、ブロンズ像が飾られた金谷のコレクションルーム。その中には制服を着込んだ警察官と、トレンチコートで決める刑事の姿があった。さらに ひと際目立つのは、まるでモデルのように長身で足長の青年だった。

 その男こそ金谷が見初めた名探偵、二ノ宮マコトであった。


 短い髪に泡が弾けたようなパーマをかけ、女性どころか男性すらも見とれてしまう美しい風貌ふうぼうの持ち主であった。茶色がかった瞳はどこか外国の血を感じさせ、柳の葉を連想させるスッキリした眉にはどこか高潔さと知性を感じるのだった。

 そのくせ、彼の服ときたらチェック柄の緑スーツに赤ネクタイと、やたらに奇抜で目立つ格好をしていた。

 この見ているだけで目がチカチカしてくるチェックのスーツこそが探偵のトレードマークであり、SNSの話題をかっさらった要因でもあった。

 探偵なら目立たぬ服装を心掛けるべきでは? 

 指摘されることもしょっちゅうあったが、その度に二ノ宮はこう返すのだった。



「地球の緑化運動に貢献こうけんしたいんでね」

「緑が好きなんだ。目に優しいから」



 名探偵が口を開けばこのような軽口ばかり、まったくもってどこまで本気なのか測りかねる男だった。

 仕切りを任された警視庁三課の田島警部補は心配そうに、そんな探偵の顔色をうかがうばかり。腕を組んで落ち着き払った二ノ宮とは対照的な二人だった。



「も、もうすぐ例の時刻だぞ。だ、大丈夫だろうか」

「大船に乗ったつもりで居て下さい。この二ノ宮がついていますよ」



 取り乱しているのが宝石の持ち主ではなく警防の責任者なのだから、依頼人の金谷も苦笑いを浮かべるしかなかった。太鼓腹たいこばらをゆらしながら咳払いし、金谷は横から口を挟むことにした。



「いえいえ、わざわざ皆様に来てもらった手前、こう言うのも恐縮なのですが……あの金庫に宝石がしまわれている以上、奴も手出しは出来ませんよ。今回のために作らせた特注品です。アレを開けられるのは、この世で私一人だけなのですよ」



 くだんの金庫はコレクションルームの奥にずっしりと鎮座していた。

 その高さは何と二メートル。


 なんでも暗証番号を打ち込むだけでなく、声帯認証と虹彩こうさい認証のダブルチェックをクリアしなければ開かない仕組みだという話だった。

 スパイ映画でよく見かける、目と声で本人を確認する方式であった。

 怪盗が金庫を開けるのには、金谷本人しか知らない開錠番号を入手した上で その二重認証をクリアしなければいけなかった。警備の目が光る中、そのような真似を実行に移すのは到底不可能だった。

 二時間ほど前、金谷本人の手で宝石は確かにその金庫へとしまわれたのだった。


 金庫の説明を聞き終わると、二ノ宮はフームとうなって、ポケットからリモコンのような装置を取り出した。



「疑うわけではありませんが、ちょいと失礼」

「二ノ宮くん、それは?」

「電波探知機という奴でして。機械という奴は少なからず電磁波を発していますからね。この金庫に怪しい仕掛けがあれば、即座に発見できる優れものなんですよ」

「へぇ、随分とハイテクだねぇ」

「やれやれ、まさか警部補殿に感心されるなんて光栄ですね」



 あきれた様子で田島に相槌を打ちながら、探偵はリモコンを金庫のあちこちに近づけては表示される数値を確認していった。

 金谷はその様子を眺めながら不思議そうに尋ねた。



「仕掛けと言いますと?」

「この金庫を作った職人が怪盗から買収されていた場合、何らかの仕掛けがほどこされているかもしれません。例えばですが、下からタイヤが四つ出てきて、金庫が車に変形するというのはどうでしょう」

「はぁ?」

「暴走する金庫は誰にも止められない。廊下を爆走し、壁を突き破り、犯人の元まで保管された宝石を送り届けるわけです」

「漫画の話ですか?」

「残念ですが、実際にあった奴の手口です。警察の不手際が過ぎるのでマスコミには伏せられていますがね」

「愉快犯の奴がやりそうな手口ですなぁ! 探偵もメカの勉強が必要な時代ですか」

「椅子に腰かけたまま推理するなんて時代遅れですよ。現場で科学的な検証を行う、それがFBIで学んだ私のやり方です」



 二ノ宮は自信満々だったが、彼の持つ探知機は無反応のままであった。



「おやぁ、気を回しすぎたか? 私としたことが」

「まぁ、用心するに越したことはありませんよ。。やれやれ、これで一安心」



 盗めるわけがないとタカをくくっているのか、金谷はまるで他人事のように笑っていた。そうしている間にも壁にかかった時計の針はみるみる進んでいき犯行予告である午前零時が近づきつつあった。


 コレクションルームの壁には中世ヨーロッパに作られたという古めかしい振り子時計が飾られていた。コチコチコチ、揺れる振り子の音が否応なしに室内の緊張感を高めていた。


 どこから怪盗は現れるのだろうか? 窓か? 天井裏か? それとも誰もが思いもよらぬ侵入方法か? もしや、警察に化けており、何食わぬ顔をして警備に混じっているのでは?


 様々な憶測おくそくが皆の心を過ぎった。

 コチコチコチ、ドクンドクンドクン。

 振り子と心臓の高鳴りが共鳴し、リズムを等しくしたその瞬間、とうとう長針と短針が文字盤の十二を指し示した。


 ボーン、ボーン……。


 振り子時計が午前零時の訪れを告げる鐘を鳴らし、現場に居合わせた者全員が固唾かたずをのんで怪盗の出方をうかがった。


 だがしかし、鐘が鳴り終わり、その余韻よいんが消え去っても室内は静かなままであった。怪盗の高笑いはどこからも聞こえてこなかった。



「どういうことだ……?」

「怪盗ナルキッソスは来なかった」

「奴は嘘つきだ」

「人騒がせな! エイプリルフールの嘘だとでも?」


「いや、結論を出すのはまだ早い。金庫の中をあらためてからです。忘れたのですか、奴が何と呼ばれているのか! 『不可能を可能にし、嘘を真実に塗り替える超人怪盗』ですよ。ゆめゆめ油断しないことです。さぁ、金谷さん!」



 二ノ宮の叱咤しったが飛び、正気に返った金谷がノロノロと金庫に近づいていった。

 生体認証を済ませ、暗証番号が打ち込まれ、金庫のレバーに手がかけられた。


 はたして中身は? 全員が注目する中、きしんだ音を立てながら開かれる金庫。

 その中は洗われたように空っぽであった。残っていたのはビロードの台座だけ。


 さしもの金谷もサッと顔色が変わった。



「な、ない! 宝石がなくなっている! バカな! 金庫は開かれもしなかったのに! 誰一人として金庫に近づいてすらいなかったのに! まるで手品だ!」

「こ、これはいったい!? 二ノ宮くん?」


「むむむ、敵ながらアッパレとしか言いようがない。しかし、私も名探偵と呼ばれた男。この謎は必ずや解き明かしてみせましょう。五分です。五分、私に下さい。零時五分までに見事この謎を解明してみせましょう」



 二ノ宮探偵はブツブツ独り言をつぶやきながら、コレクションルームの中を歩きだした。同じ所を何度も何度もグルグル歩き回る様子はゼンマイで動くオモチャみたいだった。


 そして、猶予ゆうよの五分が経過した。

 怪盗は鮮やかに犯行予告を達成してみせた。

 対する名探偵としては、ここで醜態をさらすわけにはいかなかった。



「わかりました!」

「本当ですか、私の宝石は戻るのでしょうか?」

「おぉ! さすがは二ノ宮くんだ。して真相は?」


「簡単なことです。奴は変装の名人だ、怪盗のたしなみという奴でしょうか。そして、金庫を開けられる人間はこの世に一人しかいない」

「ということはつまり!?」



 田島警部補と警察官たちの目が金谷へと向けられた。



「そうです! その金谷が怪盗ナルキッソスの変装なんだ」

「な、なんですと? いや、それは違う! そんなわけがない」



 金谷の反論も聞こうとせず、短気な田島は手錠をかけようと躍起やっきになっていた。



年貢ねんぐの納め時だぞ、ナルキッソス。神妙にしろ、御用だ」

「ええい、違うと言っているだろう! その推理には穴がある。生体認証を目の前でクリアして見せただろうが。どうやって機械を誤魔化すというのだ」


「おや、言われてみるとその通りですね」

「に、二ノ宮くん? 困るよ。それこそ、金庫職人を買収すればどうにかならんかね? 私のメンツがかかっているんだ。しっかりしてくれないと」

「とりあえず、金谷氏の身体検査をしてみましょうか」



 調べた結果、金谷は間違いなく本人であると証明されただけだった。

 勿論もちろん、宝石など所持していなかった。



「な、なんたる無礼! 宝石を盗まれたばかりか、私を犯人扱いするとは! 名探偵もこれまでだ! どうしてくれるのかね、時価五千億は下らない宝石だぞ! 何とも許し難い! これじゃ私は破産だよ、まったく!」



 もはや醜態しゅうたい以外の何物でもなかった。

 怒り狂う金谷に、二ノ宮と警察は屋敷を追い出されるのだった。

 対決の結果は誰の目にも明らかで、怪盗の勝利で終わったかに見えた。

 だがしかし、勝負はここからまさかの意外な展開を見せるのであった。











 そして事件から一年が過ぎた。

 もう誰もが宝石盗難事件を忘れかけた頃、金谷の屋敷を再訪さいほうする者が居た。



「夜分遅くに申し訳ありません。何分、約束があるもので」

「ちょ、お客様! 勝手に上がられては困ります」



 もう日が変わろうという刻限に玄関の方で大騒ぎが起きた。何事かと金谷がいぶかしんでいると、事務室の扉が開き入ってきたのは二ノ宮であった。



「君は? よくもまぁ、私の前に顔を出せたものだな」

「忘れられていないようで、何よりです。あの事件の謎がようやく解けたので、是非、内密にお話をしたくて」


「ご、御主人様、すいません。この人がいきなり……」

「良い、お前は下がっていなさい」


「お人払い、感謝します」



 二ノ宮は今日も例のチェック柄スーツを着ていた。おどけた服装。だが、そのニヤニヤ笑いが明らかに以前と違った。どこか自信を感じさせる挑発的な冷笑が彼の顔に張り付いていた。

 大富豪である金谷は負けず嫌いなことでも有名だった。若造風情ふぜいに挑戦されて後に引くわけにはいかなかった。事務机で仕事をしていた金谷は、眼鏡を外すと立ちっぱなしの二ノ宮をにらみつけた。



「それで、今頃なにが判ったというのかね? 宝石の在処ありかかな」

「それも重要ですが、肝心なのは怪盗が金庫から盗み出した その方法でしょう」

「ほう、興味深いね。どうやったのかな?」


「判ってしまえばどうという事はありません。不可能を除外していって、最後に残ったものが真実なのです。やはり衆人環視の中、あの金庫から宝石を盗み出すのはどうやっても不可能だ」

「何を言っているんだ?」

「つまり、怪盗ナルキッソスは宝石なんか盗んでいなかった」

「ふざけるな! 宝石はなくなっていただろう!」

「ですから、宝石は最初から金庫に入っていなかったんです」



 窓の外で落雷が瞬き、事務室を静寂が支配した。

 金谷の表情には明らかな動揺が見て取れた。

 一方で探偵は穏やかな微笑をたたえたままであった。

 やがて、金谷はおもむろに口を開いた。



「……何をおっしゃりたいのかサッパリですな。ちゃんと宝石は金庫にしまった。探偵さんと警部補もその場面に立ち会ったはずですが」

「確かに拝見しました。けれども、閉じかけた扉の影で、貴方が宝石をこっそり握り込んだとしてもどうせ死角になって見えやしないんです」

「君はまだ私を疑うのか!」

「それしか可能性は残されていません。握り込んだ宝石はポケットにしまい、トイレに行くフリでもして秘密の隠し場所にしまい込む、それで計画は完了です。後はカラの金庫を見て驚いた演技をすれば良い」


「なんだね、その幼稚なトリックは! まったく馬鹿げてる!」

「小説や映画とはワケが違います。実際は単純な方が上手にいくんですよ。いつだって奇術の種明かしを聞けばあきれる程シンプルなものですよ」

「動機はなんだ? 私が君をからかって喜ぶ人間だとでも?」

「まさか、保険金ですよ。あの宝石には多額の保険金がかけられていたそうではないですか。もしも宝石が盗まれたら保険会社から大金が支払われるわけです。当時、貴方の会社は経営が火の車で、何としてもお金が欲しかった。けれど、家宝の宝石を手放すのは忍びなかった。そこで一芝居うつことにしたのでしょう? 我々という目撃者の前で」

「ふん、証拠は? 怪盗が盗んでいないという証拠はどこにある?」

「ここにありますとも」



 探偵が金谷に突き付けたのは小型の拳銃だった。

 愕然がくぜんとする金谷に二ノ宮は笑顔のまま続けた。



「怪盗ナルキッソスは盗んでいない。盗むのは、これからです」

「お前、探偵ではないな? まさか……」

「お忘れですか? 怪盗は変装の名人なんですよ」



 正確に言えば、変装ではなかった。

 二ノ宮とナルキッソスは同一人物であるからだ。

 名探偵の隠した裏の顔、それが警察にも通じる超人怪盗の正体だった。


 そして、コレクションルームの振り子時計が鐘を鳴らした。

 二つの顔を持ったその男は、金谷に告げた。



「丁度、午前零時になりました。今は四月一日エイプリルフール、貴方が偽の予告状に書いた時間ピッタリです。何か問題でも?」

「……嘘を真に塗り替える超人怪盗。たったそれだけの理由で一年も待ったのか」



 そして、零時五分までに謎解きを終えるという嘘も、これで真実になった。

 嘘などついたことはなかった。この男は、これまでに一度たりとも。

 二ノ宮は心の中で一人ほくそ笑むとキザったらしくいつもの台詞を吐くのだった。



「怪盗ナルキッソス、ただいま参上。宝石は確かに頂いた」


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