偽りの形見 sideエインス

 私の名前は三つある。

 一つは自分がオーダーへと忍び込むために偽造されたフリースという名前。もう一つはエインスという実験体ナンバー。そして、今は無き記憶にして、私の最初の名前。恐らくは愛する母に付けられたであろう名前は記憶にない。


 フリューゲルの命令から背き、戦場から逃げ出した私はフリースという名前を使って逃亡者に成り果てていた。居場所を転々とし、漸くジャンク屋という安住の地を見つけたのだ。ここで働く人たちは何かしらの問題を抱えており、素性を聞かないのは暗黙の了解となっているので都合が良かった。


 しかし、あの少女はなんだ? 名前は確かユイだったか……私と同じくらいの歳で、頭が良くないのか暗黙の了解を破って私に近づいてくる。というか私にしか近づかない。仕事中、気づいたら横に居て、セクハラ紛いな質問をされる。

 帰り道、いつも晩御飯に誘ってくれるのは気を遣ってくれているのかもしれないが、有難迷惑というものだ。

 その上、彼女は変態で馬鹿のあんぽんたん。下心が見え見えで付いていったら何をされるか分からない。

 まあ私は不服にもフリューゲル製最新兵器の八号機なので、簡単に返り討ちにできるだろうが、出来る限り厄介ごとは増やしたくない。


「今日も疲れました。明日のためにさっさと眠って……ん?」


「フゥーフゥー……」


 硬くて埃臭いベッドへと寝転がって気がついた。

 変質者が天井に張り付いていたのだ。あの、紛れもない変態と馬鹿を兼ね備えた少女ユイが、興奮からか鼻息を荒くしている。

 ショッキングな光景に数秒固まってしまい、やがて視線が合った。

 ユイは「あっ……」としまったといった風に顔を青くして、次の瞬間には――


「み、見つかっちゃった。なんだか恥ずかしいわ」


「なに顔を赤らめてるんですか!? さっさと出て行ってください!」


 何の断りもなくプライベート空間に土足で上がり込むような行為だ。

 降りたと思えばもじもじと恥ずかしそうに身を捩らせる彼女を、私は怒鳴った。そのままの勢いで追い出そうと背中を押すが、何故か立ち止まって抵抗してくる。


「ちょっと待って! 私は貴方と友達になりたくて! 決して夜這いに来たわけじゃ――」


「早く帰ってください! 警察を呼びますよ!」


「警察なんて呼んじゃっていいの?」


「……どういう意味ですか?」


「だって貴方、エイ――っ! 危ない!」


 彼女に押し倒された。

 刹那、耳をつん裂くかのような轟音。ボロボロと壁は崩れ落ち、舞い上がった埃を吸ってしまい咳き込む。

 彼女の発言はわからないが、この状況は理解できた。

 奴らだ。オーダー軍か、フリューゲルのどちらかが私の存在を消しにきたのだ。


「くっ!」


 逡巡としながらも私は咄嗟に駆け出す。

 何処に行くのか? いや、充てなんかある訳ない。

 逃げるのだ。奴らから、戦火から逃れるために、いつものように私は逃げる。戦うのは御免だ。

 衝動的な身体。それを拒むかのように脳裏に過ったのは同僚であるユイ。私を庇った彼女は気を失っているのか、こちらに背中を向けてびくともしない。

 此処で私が逃げてしまったら戦いに巻き込まれるのは確実だろう。最悪の場合、もう一発ロケットランチャーが撃ち込まれるかもしれない。


「っ! ああもう! 仕方ないですね!」


 彼女に死なれると夢見が悪い。一生引き摺ってしまうだろう。

 だから、私はわざと敵の布陣に飛び込むように窓から跳んだ。そうすることによって敵に私は脱出したとアピールするのだ。

 肌寒い空気を切り裂きながら魔力を滾らせて変身を完了させる。


「またこの力を使わないといけないなんて!」


 既に銃弾を何発か被弾した。

 しかし、私はオーダーを潰すために造られた兵器だ。銃弾数発くらいはへっちゃらで、身体中に付けられたバーニアを噴射させる。スラスターで調整しながら高速移動を可能にし、敵の真正面を突っ切った。

 私が高機動型をコンセプトに開発された八号機で良かったと安堵する。魔力出力は八万、その全てはブースト速度に直結し、恐らくどの実験体よりも速いだろう。デメリットとして武装が腕部バルカンとマギアソードしかないのは心許ないが、戦うつもりはないので乗り切れる。


 暫くブーストを吹かせ、オーダー軍を振り切った私は路地裏に息を潜めた。

 その理由は主に魔力の回復と、有事の際に取っておいた道具の回収だ。


「ふぅ……なんとか撒けました。でも、もうこのコロニーには居られないです」


 深呼吸をしてからゴミ箱を漁って、現れたのは小汚い段ボール。

 その中にはかつて私が身に着けていた装備が入っており、コロニー脱出の際に使うつもりだった。特に閃光弾などは有効に使えるだろう。


「そこまでだ。エインス」


「っ!」


 背後から声を掛けられ、硬直する身体。

 まさか、まさかと振り返って見ればみすぼらしい格好をした男性。身なりからオーダー軍とは思えず――


「フリューゲルの追手ですね」


 消去法でそうとしか思えなかった。

 図星なのか、男性は精悍な面構えで、此方に拳銃を向けるだけ。


「エインス、こちら側に帰ってこい。みんなお前のことを心配しているぞ?」


「嫌です。私は戦いたくありません」


「駄目だ。今なら敵前逃亡を許してやる……記憶を返して欲しくないのか?」


「それは……」


 そうだった。

 私の大切だった記憶はこいつらに人質にされている。お陰で私は本当名前どころか、親の顔すら思い出せない、親不孝者になってしまった。


「我々はエインスの力を求めている。エインスの力で憎きオーダーを滅ぼすのだ。さあ、一緒に行こう。早くしないとオーダー軍に見つかってしまう。早く……」


「でも……やっぱり嫌だ」


 怖い。

 私は形見のペンダントを握り締め、路地裏の端っこで縮こまる。何処にも逃げ場なんてない。


「ほら、手を取って」


「嫌だ!」


「……聞き分けの悪い子だな。そんな作り物の形見を大切にして……馬鹿な小娘だ」


「えっ?」


「おっと口が滑ってしまったな。いいか、本当のことを教えてやる。お前の家族はオーダーによって殺されたよ。こんな風に、な」


「わ、私のペンダント! 返してください!」


 ペンダントが引き千切られて地面へと投げ捨てられた。


「あ、ああ……私の宝物……」


「だから言っただろう? それは作り物だ。組織がそう仕向けたに過ぎない」


 咄嗟にペンダントを拾い上げるが、星の形に罅が入り、亀裂は広がっていく。そのうち砕け散ってしまい、星は流れ星のようにきらきらと散った。


「お前の両親がオーダーに殺されたのは事実だ。憎いだろう? あいつらが。親の仇を打つためにも帰ってこい」


「私は……私は……」


 フリューゲルは私へと手を差し伸べてくる。

 ああ、比喩でない、悪魔からの誘いだろう。もしも、この手を取ったところで記憶を返してもらえる保証はない。それどころか戦場へと駆り出され、使い潰されると分かっているのに、私はあり得もしない希望の幻想を抱き、手を伸ばそうとした。


 ――ピーピピー……ヒュ……ピピー


 その時、不意に口笛が鳴り響いた。

 何の曲かも分からない、下手な口笛だろう。


「何者だっ!」


 フリューゲルが月へと銃を構えた。

 釣られて仰げば、そこには月をバックに佇んでいる一人の女性。いや、どこか見覚えがあり、巧まずして家で気絶している筈の彼女だと分かった。


「聞こえる聞こえる……美少女の声が……助けを呼ぶ悲しい声が……」


 いや、誰も助けは呼んでないのだが? と心の中で突っ込んでいると彼女は跳び、二、三回転くらいしてから華麗に着地した。

 そして、此方へと振り返った。が、その顔が布切れによって隠されていて、私は湧き上がる羞恥心から顔が熱くなった。


「お、お前はまさかフォース――ってなんで下着を被っているんだ!?」


「あっ! そ、その下着は……!」


 私の下着だと叫びたかったが、フリューゲルの男がいるので憚れてしまった。

 しかし、自分の下着が晒されたことに変わりなく、いや、ただ晒されているよりも酷い。まさか私の下着を被っているなんて……! それもお気に入りだったイチゴ柄のパンツだ。


「私の名前はフォース! 全世界の美少女を手にすると宣言する! とう!」


「はぇ!?」


 変身すると同時に足を振り上げて、フリューゲルを蹴飛ばした彼女、否、フォース。

 識別番号を確認。なるほど。今まで私を気に掛けていたのは同じ研究所出身だったからに違いない。それも名前から察するに四号機で、私よりも先輩だ。

 月夜を背景に戦う彼女の姿は格好良い。まるで私を助けに来てくれたナイトのようだが、ときめきで胸が張り裂けそうにはならない。何故なら、私のパンツを被ったまま戦っている姿は変態そのものだろう……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る