【第三天 華仙境】

「あのータオさん?」

「その名前で呼ばないで」

「あ、すみません……。じゃあ、まこもさん」

 聞きたいことが山ほどある。どれから聞けばいいかわからない。結局、ゴールデンウィークの間はなにも起きなかったし襲われなかった。まこもさんも現れなかったし、てっきり悪い夢でも見ていただけなのかと思っていた。ちょっとだけ。

 両親が殺されたのは事実、俺が一度死んだのも事実。こうして生きているのもまた事実。あさがおを守りながら、ゆうを救うには知っておかなきゃならない。敵のこと、向こうの世界のこと、俺のこと。

「この前の……」

“カチッ”

 口を開いた瞬間、喉元にシャーペンを突き刺してきた。紙一枚の隙間も、カチッと芯を出したせいで埋まる。若干皮膚に刺さったそれは言葉を止める。

 すっとおろして俺を睨む。その目は見覚えのあるものだった。

「案内しろ」

「ど、どこに?」

「どっかだ」



 放課後、俺らはある場所にいた。階段を上がっていっていくと、ちょっとした空間がある。特別教室棟の四階にある柔道場のおどり場。うちの柔道部は部員がいないらしく、活動していないらしい。このドアも鍵がかかったまま。ちなみに反対側の階段を使うと剣道部のほうにたどり着く。ここからでも声が聞こえるし、向こうは人が多いようだ。

 あのときまこもさんが言った「どっか」は「人がいない場所」のことらしい。

——やっぱり言葉足りないよこの人……。

「なんか言ったか?」

「ええいなんでも。それより聞きたいことがたくさんあるんです。どうしてこの学校に来たんですか」

「敬語じゃなくていい。調子が狂う」

 ため息を吐いてブレザーのポケットに手を突っ込む。ガムを膨らませて口の中に戻す。隅に置いてあった机に腰掛けてゆっくりと話し始めた。

「天気っていうのは……あぁ雨とか雪とかの。あれらは自然現象で発生するものじゃないんだ。天の鬼と書いててん、お前も見た化け物の仕業なんだ。私らの任務はそれを排除して世界全体の気を調節すること。それが私、“気象師”の仕事であり、“第零班”の存在意義だ。」

「キショウシ……。ちょっと待って、気って……?」

 まこもさんによると、気っていうのは全部で五種類あるらしい。水、火、木、土、金のそれぞれが調和してこの世界が成り立っているらしい。これが乱れると雨や雪、台風が起こる。普通のてんは自分の中の気、つまりエネルギーを使い切ると自然消滅するそうだ。

 問題なのは周りの気を吸収して異常気象を起こすやつ。そのまま放っておくと二次被害や大災害につながる。

「つまり、五つの気の均衡を保つのがまこもさんの仕事ってこと?」

「ざっくりというとな。それでここに来た理由だけど……近年、異常気象が多くないか?」

「異常気象? んーまあ最近の北海道って夏暑いし、春に雪が降ったり……ってまさか!」

「そう、全部てんの仕業だ。理由は知らないけど、北海道の気は非常に不安定だ。このままだと北海道は……いや……」

 窓の外を見ていた目線を俺に合わせる。窓から光が入って、彼女の顔にコントラストを作る。それは一枚の絵のような姿だった。天から下界を見下ろす神々のような。


「世界は三年以内に崩壊する」


 お告げという名の雷は俺に降り注いだ。俺が求めていたものよりずっと残酷で、世界の真髄を知ってしまったような気にさせられた。

 ふたりの間に無言が走る。剣道部の掛け声がはっきりと聞こえた。グラウンドで練習している野球部の声さえ聞こえてしまいそう。

「そ、そんな……嘘でしょ」

「嘘言ってどうする。だいたい、先日戦ったレベルのてんがこの時期にいるのはおかしいんだ。それにお前のような特殊人物もいるし。正直言っててん予報が当てにならない。明日にはここが海の底になってたりして」

 不気味な笑顔に狂気の一部を感じた。まるで崩壊する日を楽しみにしているようだった。

“キーンコーンカーンコーン”

 定時制のホームルームが始まった。ちょっとだけ、このチャイムに助けられた気がする。

 反動をつけてすっと立ち、そのまま歩き出す。コツンコツンと階段を降りているときに呼び止めた。

「あの! 結局俺はなにをすれば……」

「落ち着けって、早漏かよ」

「な、なにを急に……!」

「童貞かよ。今週末空けとけ。案内してやるよ、“せんきょう”に」

「か、カセンキョー??」


 * * *


「よう」

「ようって、まこもさん十分遅刻」

「そんくらいいいでしょ」

 札幌駅の南口にある白いオブジェ、そこが私たちの待ち合わせ場所。白い石壁に穴が空いたような滑らかな作品。普通の人にはそう見える。

 待ち合わせ場所で有名なせいか、その周りには人が集まってた。

「で、俺たちどうやって行くの?」

「ここから」

 親指でオブジェの穴を指し示す。案の定、蓬木よもぎは困惑した表情を浮かべていた。

「え、この鏡から行くの??」

「やっぱりな。普通の人にこの鏡は見えない。向こうの世界のだからな。このまま入るのはまずい。ちょっとこい」

 蓬木よもぎを置き去り気味に歩いていく。といってもちょっと柱の影に隠れるだけ。目の前からいきなり人間が消えるのは不自然。それに陣を張っている姿を見られるのは恥ずかしい。側から見たらただの厨二病だ。

 手を握って気を送る。全身を包こむイメージで慎重に覆っていく。そうすることで、あずまたみからは姿が見えなくなる。声や物音はするから気をつけないといけない。

 蓬木よもぎへの処置が終わると、すぐに白いオブジェに戻る。「え、なにしたの」と聞いてくる彼を「うるさい」と返す。まあこんなに騒々しい都会なら大した問題じゃないだろうけど。

「下がってろ」

 オブジェの鏡の前に立つ。持ってきたお札をカバンから取り出して表裏を確認する。鏡に貼り付けて手のひらで押さえる。呼吸を整えて気を流し込む。陣の発動から形成まで気を緩めない。

 円形状に紋様と文字が浮かび上がった。反時計回りに自転し始めたら完了。陣の発動は簡単じゃないし、お札も使用後に消滅する。正直いって面倒臭い。どこぞのロボットの道具で気軽に行き来できたらうれしいんだけどね。

「す、すげぇ……アニメみたい」

「呑気だな。まあいい。さっさと行くぞ」

 ポケットからガムを取り出して口に放り込む。今日は五香味、困ったらこれを噛めばいいってだれかが言っていた気がする。

 オブジェに足を乗せて陣を通っていく。

「ま、待って! 置いていかないで!!」


   ◯


『ママ! またあのお話をして!』

ももは本当に好きねぇ。じゃあ話終わったらちゃんと寝るのよ』

『うん!』

『昔々、あるところに、小さな女の子がいました。片方の目がないその子はなんと、鏡の世界から来たのです——』


 * * *


 陣に手を入れるとひんやりとした感覚が伝ってきた。目を瞑って思いっきり飛び込む。

——うっ……あれ、なんともない。

「さっさと来い」

「俺大丈夫!? 足とかなくなってない??」

「安心しろ、一本消えただけだ」

「え!!!!」

「嘘に決まってんだろ」

 目を開けて確認する。両足はきちんと地面についていた。体に異常がないどころか、むしろ体が軽い気がする。引越しのときにやった腰が全然痛くない。

 円形の空間に声が響く。薄暗く、オレンジ色の灯がゆらゆら揺れている。天井は教室くらいの高さだけど、第二体育館ほどの広さがある。地面にはなにか模様が書かれていた。五つの紋様とそれを繋ぐ線。まるでひと筆書きの星のよう。

 後ろを振り返ると鏡がずらりと並んでいた。幅は大体一メートル、高さはちょうど天井から床まで。この空間の壁に等間隔で配置されてる。横を見ても後ろを見ても俺がいる。ちょっと不気味。

「おかえりなさいませ」

 中央には受付のような場所があった。五人の役員が作業していた。襲われたときに会ったアーグェイさんと同じ服を着ている。もしかしてと思って見てみるけど、顔が隠れてわからない。

 まこもさんは会釈もしないでそのまま通り過ぎる。慣れていないがゆえの気まずさから、小声で「お疲れ様です」とペコっと頭を下げた。するとなにかヒソヒソと話し始めた。

——え……俺なんかした!?

 新学期の挨拶をミスったような感覚に襲われる。とりあえず、なにも考えないようにまこもさんの後ろをついていった。

「おう、バオじゃねぇか」

 廊下で会った彼はにこやかに手を振っていた。ガタイが良くて背も高い。とても野生的な印象を受ける。

ズーウェン!! お前、私に言うことあるんじゃねか???」

「あーこの前はあんがとよ。任務代わってくれて」

「一発ぶん殴らせろ!! あと私はバオじゃなくてタオだっ!!」

 犬のように歯を食いしばる彼女をペットを宥めるように「どーどー」と両手のひらを見せる。そのやりとりを見ただけで仲のよさが伝わってくる。想像だけど、結構長い付き合いのそれを感じる。

 ぼーっと様子を眺めていると彼と目があった。黒目の大きい綺麗な目。

「もしかしてこいつが例の……。初めましてだな、俺はズーウェン。よろしくな」

「……! あ、お、俺は蓬木よもぎあさです。よろしくです」

 差し出された手を慌てて握り返す。カイロのような暖かさを感じた。平熱が高い人なのかなと漠然に思った。

 短い会話を終えて彼は歩き出した。兄のような温かみを言葉の節々に感じた。まだ挨拶しかしてないけど、また会いたいってどこか思える人だった。

「なんかいい人だね」

「どこがだよ」


   ◯


 階段を登って地上に出る。庭園を眺めながら廊下を歩く。よく映画とかドラマで見たことある中華風の建築。塗装が一切剥げていない。まるで新築のようだった。

 しばらく歩くと厳かな扉が現れた。装飾の施された美しいもので、美術品と言われても疑わない。この奥にだれがいるのか、緊張感はピークに達していた。

「失礼のないように」

 まっすぐ前を向いて言葉だけ渡してきた。噛んでいたガムもいつの間にかなくなっている。

 門番のふたりがゆっくりと扉を開ける。

 まこもさんはすっと両手を体の前に持ってきてお辞儀をする。右手は握って左手はそれを覆うように添える。見様見真似でなんとなく形を作って頭を下げる。

「くるしゅうない、面を上げよ」

 女性というより幼い子の声が聞こえた。

 横をチラ見しながら体勢を戻す。広々とした空間はひと目でなにか理解できた。王室だ。中央の玉座に座っている人がおそらく王様。そばに立っているのが付き添いの人なのだろう。

「入りたまえ」

 言われるがままに歩き出す。王様と理解してから、圧迫感が体を縮こませる。どこの高校生が緊張せずに王様と会えるのか。

 まこもさんの若干後ろを歩いて王様の前にたどり着く。見た目は幼い女の子。背丈も声も近所の小学生と同じだ。ただ、その言葉の圧は肩書きどおり。

 ふと横を見ると、まこもさんが膝間ついていた。慌てて同じ体勢をとる。重々しい雰囲気にじとっとした汗が流れる。まるで俺を待っていたように、座ったと同時にまこもさんが口を開いた。

「本日はこのような場を賜ってくださり、誠にありがとうございます。このような格好で参上したこと、どうかお許しください。お変わりないごてんがんを拝見することができ、嬉しく存じ上げます」

 いつもの乱暴な口調から想像できないほど礼儀正しく話し始めた。言わされてる感が一切なく、自分の言葉として発している。同じ高校生だなんて到底思えなかった。

「そのものが例の……」

「左様でございます。畏くも陛下のえいりょを頂きたく存じます」

 急に振られて体がビクッと動く。より一層頭を下げて身を固める。

“タッタッタ”

 軽い足音が近づいてくる。その圧力は音に反比例している。案の定、俺の目の前で止まった。心臓が激しく鼓動する。この静かな部屋に音が響いてしまいそうなくらい動いている。緊張というより恐怖、恐怖というより恥ずかしさ。自分の感情も整理できていない。

 混乱に入ってきたのはしゃがんで服が擦れる音だった。

「面をあげよ」

 本当にいいのかと疑問に思いながら、恐る恐る顔をあげる。小さな女の子が膝に手を置いてちょこんとしゃがんでいた。長く両端に垂れた黒髪、左右に大きな装飾が垂れている簪、額に描かれた花のような模様。着ている服は和服のようにも見えるけどどこか違う。どちらかといえば韓国とか中国の衣装に似ている。しなやかな赤い色が陛下ということをより意識させる。

 そしてなにより……。

「かわいい……」

“ゴフッ!!”

 言葉を言い切るかどうかくらいの瞬間、勢いよく頭を地面に押さえつけられた。

「陛下、なにとぞご無礼をお許しください」

「よいよい。手を放してやれ」

 解放された流れで、また顔をあげる。そのとき、左の頬に温もりを感じた。

 女の子が俺の顔に手を添えている。撫でるように動かす。親指を使って左目を瞼を押し下げた。こんなことされるの、耳鼻科に行ったとき以来だ。

 じっと見つめる綺麗な瞳が怖く感じた。特別な理由があるわけじゃない。ただ、本能的に逆らってはいけないと悟った。

 しばらくして、彼女はすっと立ち上がり、玉座に戻った。まだ心臓はバクバクいっている。緊張感の糸ははちきれんばかりに張っていた。

「いいんじゃない?」

 急な現代っ子の言葉遣いに思考が停止する。あの女の子は肘をついてだらんとしていた。

「陛下、まだ終わってません」

「いいじゃん別に。わし堅苦しいの無理、疲れる」

 側近の人と言葉を交わす。なんか見てはいけないようなものを見た気分だ。

 コホンと咳をして姿勢を正す。

「わしはこの国、“ほうらいせんこく”の国王。名をサンという。主の世界とこの世界、あずまと華仙境は言うなれば鏡の関係だ。普段見ている鏡の奥、実は別の世界があるのじゃ。紙一枚にも満たない気の流れがそれぞれの世界を分断している」

 俺の疑問を整理する暇を与えず、そのまま話し続けた。

「関係各所に通達をしておく。このあと忘れずに行くように。タオファをお世話がかりに任命する。あさと言ったな、これから大変だと思うが頑張ってくれ。契約の儀で会えるのを楽しみにしておるぞ。それとタオファ、すべて案内し終わったら私のとこに来い。以上だ」

「御意」

「ぎょ、ぎょい……」

「下がれ」

 側近の人に命令されてそのまま部屋をあとにする。扉が閉まった瞬間、床に崩れ落ちてしまった。重く長いため息をつく。魂まで出ていきそうなほど体の底から息を吐き出す。

 緊張しすぎて話の内容ほとんど覚えてないけど、すでに満足している自分がいる。

 まこもさんにコツンッと足で蹴られて立ち上がる。生まれたての羊のようにおぼつかない。

「お前、陛下にかわいいとか、正気かよ。こっちが肝を冷やしたわ」

「いやーごめん、つい口走って……。で、これからどこ行くの?」

「まずは服からだ。このまんまだと街に行けないからな。あと、あんま自分があずまたみって言うなよ。面倒だから」

 置いていかれないようにしっかりとついて行く。

 故宮のような建物になんだか懐かしさを感じる。それだけじゃない。青い空、涼しい風、暖かい陽光。天気がいいだけで心が浮つく。これも五つの気のおかげなのかな。

「見ろ」

 突然指を指す。その方向を見ると……。

「ここが私たちの世界、華仙郷だ」

 開けた場所から街を見下ろす。はずれのほうには大きな川が流れ、大小さまざまな山が連なる。ここからだと街の建物は豆粒ように見える。しかしその広さに圧倒される。あそこで人が生活していると考えると、心に響くじんとした感情が生まれる。

 間近で街が見てみたい。どんな人がいるんだろう。いくら見ても飽きない。そう素直に思った。

「私は夜のほうが好きだ。時間があったら案内してやる。行くぞ」

 不安だらけだったけど、ほんの少しだけ期待に変わった。

 景色を横に見ながら、彼女の背中を追う。


   ◯


 二階建ての建物が連なる街。細い路地や大きな道など、迷路のような構造をしていた。地面は石畳になっていて歩くたびにコツコツと音がする。

ほうらいせんこく、城下街”

 瓦屋根の木造建築。窓やドアには細かい中華風の装飾が施されていている。

 場所によってはネオンの看板があった。聞くところによると最近流行っているらしい。たまに路地の方を見ると、トタンでできた家や金属の階段があった。見え隠れする現代チックな様式と古代様式。

 まこもさんはまえ着ていた白黒の衣装、俺は無地の焦げ茶の服に着替えている。京都の着物体験って多分こんな気分なんだろう。

「えーっと、次は……雑貨かな」

まこもさん……ちょっと休憩いいっすか」

「情けないなぁ。そんなんじゃ任務もこなせない」

「いやでもこれ見てよ!!」

 両手に大量の袋、前後にカバン、左右に肩掛けのカバン。仕上げに頭の上に荷物が乗せられている。どれもこれもさっき買ったものが詰まっている。しかもパンパンに。

「重いよ!! 絶対一回の買い物の量じゃない!!! まさか、面倒だからって一回で済ませようとしてる……?」

「バレた?」

 悪びれもしないのが、一周まわって清々しい。ため息をついて荷物をおろそうとする。しかし、どれから手放せばいいかわからない。ヘタをすると全部崩れ落ちる。

 服を着替えたあと、ここで生活するために必要なものを買っていた。まこもさんいわく、まだ正式に組織に入ってないらしい。“ある試験”をクリアしなければ、記憶を消されて元の世界に放り込まれるとのこと。しれっと言ってたけど、結構重要な情報な気がする。

「ちょっとでもいいから持ってよ」

「いやだ」

“ガタンッ”

 後ろから手押しの荷車が来て、ちょうど俺らの横で止まった。

「あれ、ももちゃん?」

「おつゆ」

 たすき掛けをして袖をまくり、長い黒髪は邪魔にならないようにひとつにまとめている。しとしと降る雨音のように心地よい声には聞き覚えがあった。そんなことありえないと思っていた。しかし、声を聞いただけで顔が脳裏に浮かんだ。

「確かこのまえ傘を貸してくれた……袋山さん?」

 事件があった日に玄関で傘を貸してくれたクラスメイト、袋山蛍さんに似ていた。後日、傘を壊したことを謝ったときに名前を聞いていた。

 髪型は違うけど、顔や声がそっくりだった。そっくりなんてもんじゃない、同一人物だ。

「この人は?」

「え、あ……あの、同じクラスでこのまえ傘を借りた……」

「悪いが、多分勘違いだぞ」

 まこもさんが簡単に紹介してくれた。彼女の名前は雨梅、幼馴染らしい。生まれも育ちもこの街で、家業の雑貨屋を手伝っているとのこと。

 そう説明されても、やっぱり袋山さんにしか見えなかった。世界には自分に似ている人が三人いるという。でもそれって違う世界でも同じなのか?

「初めまして、つゆでも雨でも梅でも、好きな呼び方でいいよ! 君の名前は?」

「あ、あさです……」

「かっこいい名前! これからよそしくね、あさくん」

 梅雨明けの花のように艶やかな笑顔だった。この世界に来て、初めてできた知り合い。背負っている荷物が重く感じた。

 ため息をついて、ふと顔をあげる。そこには無表情でガムを膨らませているまこもさんがいた。

——やっぱ荷物持たせようかな……!

 このあと結局雑貨屋に行くことになった。話を聞くと、つゆさんの雑貨屋で買い物をする予定だったらしい。

「あ、あさくん、荷物乗せていいよ。まだ距離あるから」

「ありがとう。じゃあお言葉に甘えようかな。正直肩やばかったんだよねぇ。こんなにたくさんの荷物ひとりで……」

 荷台に積まれていたのは身長の何倍もの高さに積まれた荷物。絶妙なバランスで形状を保っていた。どこから拾ってきたのかわからない狛犬の石像が俺を見つめている。

 いくら手押しの荷車といってもその重量はとてもひとりで制御できるものではない。それなのに、彼女は汗ひとつかかないですました顔をしてる。

 服の入った袋をポトンと落とした。そのとき、背後からポンと肩に手を置かれた。

「あれでもまだ少ないほうだよ。すごいなぁ……ねぇ蓬木よもぎ殿?」

 ニタニタとした顔でささやいてきた。まるで小悪魔のような、嘲笑っているような、そんな声が背中をさすった。

「そうだ! ふたりとも荷台に乗っていいよ! 私が運んで……」

「自分で持ちます!!!!」


 ゆるい坂を登って、荷台がギリギリ通れる路地を通る。またしばらく歩くと目的地についた。

“小梅百貨店”

 瓦屋根や年季の入った木造の窓など、古民家のような面持ち。錆ですら雰囲気があると思ってしまう。

 大通りに面したこの商店は繁盛しているようで、活字の看板にくわえて真新しいネオンの看板が備えられていた。

“ドスン”

——今ドスンっていった……。

「ただいまー!」

 荷車を置いて店の中に入っていく。外にも物が置いてあって、荷物を一旦置いてそれを眺めていた。インテリア、食器、タオル、サンダル。デザインは俺の知っているやつじゃないけど、その名のとおりさまざまなものを売っていた。

 そのうちのひとつを手に取る。

「え、これって……ハンドスピナー??」

「ぽいな。まあおかしなことじゃないさ。陛下が仰ったようにこの世界とお前の世界は鏡のような関係。文化が入り乱れてもおかしくない。その証拠に、こんな古代中国風の世界なのに普通に電気が通ってるだろ」

「なるほど……」

 理解したような、してないような。その答えを探すように周りを見渡す。確かに電線のようなものが建物に張り付いていた。つゆさんの雑貨屋も、隣の家も電球がある。なんとも不思議な空間。

「お待たせー! それで、必要なものって?」

「これなんだけど」

 まこもさんがリストの紙を渡す。それを眺めながらふむふむと顎に手を添える。指の仕草がますますゆうに思えてくる。

 ざっと見たあと、「いけそう」とポツリと呟く。

「ついでだし荷物運んで行くよ。家はどのへん?」

「それが……」

 言葉を詰まらせ、しぶるように目線を外す。ふーっとガムを膨らませる。大きく膨らんだそれはパチンと弾けた。

「「決まってない!?」」

 まるで兄弟芸のように息がぴったりだった。俺とつゆさんは目をまん丸にして固まった。それに対して、まこもさんは「おー」と低いテンションで拍手をしていた。

 彼女を問いただすと、リストを指さした。それを確認すると、一番下に小さく“いえ”と書いてあった。書ききれなくて無理やり書いたような字だった。ちょうど紙を持ったときに指で隠れるくらい。

「えーこの荷物どうすんの。てか俺野宿すんの!?」

「一日くらい宿に泊まればいいだろ」

 適当な答えに手が出そうになる。まあ勝てないだろうけど。

 この世界に詳しくないし、ここが街のどの位置かもわからない。部屋を自分で探すなんて不可能に近かった。

 静寂が流れたとき、パチンと手を鳴らす音がした。

「あ、そうだ! ももちゃんの隣の部屋は? 確か空いてたよね」

「「は!?」」

 なんで自分が反応したのかわからない。多分反射的に声が出ただけだと思う。

 しかめっつらのまこもさんに対して、「わー」とまったりとした拍手をするつゆさん。

 部屋があるならそれに越したことはない。それにまこもさんが隣なら安心だ。別に他意はない。慣れない世界に不安なだけ。任務に行くときも行きやすいし。そう、そういうこと。

 少し考えたあと、面倒くさそうにため息をする。おそらくこれは問題ない合図。

「大家に聞いてみるよ。ダメならおつゆんちの倉庫にでも……」

「いいってさ」

「「なんでいるの!!!」」

 雨男の俺にしては珍しく、清々しい蒼天が幕開けの天気だった。

 チリンと風鈴の音がどこからか聞こえた気がした。


 * * *


「木簡には陛下の署名がしてある。誤って消さないように」

「ありがとうございます」

「それでタオファよ、早速だがお前に伝えることがある。五年前……」

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