【第十一天 追うもの】

 八月の北海道は気温差が激しい。昼間に三十度を超えたり、夜に二十度を下回ったり。上旬は暑い、下旬は寒い。ちょうど季節が切り替わる月だ。

 学校から帰ってもクーラーはない。扇風機で我慢する。

「ただいまー」

「あ、お兄ちゃんだ。おかえりー!」

 その声に体が固まった。靴を乱雑に脱ぎ捨てて、キッチンへ向かう。カレーのいい匂いが部屋に充満していた。

ゆう……」

「どうしたのそんな慌てて。あ、カレー楽しみなんでしょ。もうすぐできるからね!」

 高校の制服を着た彼女がそこにいた。なに食わぬ顔でカレーの味見をしている。ゆうは連れ去られたはず。どうしてこの家にいるんだ……。

 恐る恐る近づいてゆうの肩を触ってみた。しっかりと感触がある。カレーも本物。幽霊ではなさそう。

「ど、どうしたの?」

「だってゆうは……連れ去られて……」

「なに寝ぼけてんのさ。ていうか、あさがお呼んできてくれる? ご飯にしようよ」

 太陽のように温かい声も、ちょっと寝癖のある髪の毛も彼女だった。頭を撫でると、猫のように頭を寄せてくる。

 言われたとおり、あさがおを呼んで晩ご飯にする。俺とあさがおゆう。三人でご飯を食べたのはいつぶりだろう。

「おいしい……」

「でしょ! ゆうちゃん特製の野菜カレーは絶品なのだ」

「お姉ちゃん、にんじんあげる」

 なにも変わらない日常だった。あの事件が起こるまえと同じだった。幸せだった。

 ふたりとたわいもない話をして、ご飯を食べる。家族だからあたりまえ、でもそのあたりまえが今は最高に幸せだった。

 今までのが悪い夢だったのかもしれない。

「そうだ、今度の休み……」


 顔を上げると、そこは俺の元実家だった。事件当日のまま、両親の死体が転がっていた。


「な、なんで……!」

「お、にい……ちゃん……」

 後ろを振り返るとゆうが立っていた。髪の毛で顔が見えない。異様な雰囲気で足がすくんだ。

「お兄ちゃん……」

 横を見ると、両親の死体の前で座り込んでいるあさがおがいた。目を見開き、口を金魚のようにパクパクさせている。垂れ流れている涙が床に水溜りを作る。

「なにが起きてるんだ……」

 首をゆっくり戻すと、目の前に眼球があった。鬱血した目と、はちきれんばかりに開いたまぶたが俺を睨んでいる。

「おにい……ちゃ……ちゃん」

 ゆうの手がだんだんと近づいてくる。撫でるように顔をつたって、俺の目を——



「やめろ!!!」

 周りを見渡すと、そこは俺の部屋だった。体を触ったてみても、掛け布団をどかしてみても、俺だし俺の部屋だった。

「夢か……」

 心臓はまだ落ち着いていない。背中も汗をかいている。

 ゆうが現れる悪夢。なんだか夢に出てくることはあった。でも今日ほどリアルなものはなかった。あのとき感じた喜びを返してほしい。悪夢の中でも最悪な悪夢だ。

 シャワーでも浴びて、目を覚そう。


   ◯


 八月十四日、北海道の学校はもうそろそろ夏休みが終わる。お盆があったり、学校が始まったりと忙しい月だ。

 そんななか俺は……いや、俺たちは部屋でゲームをしている。

「なぁ、俺たちこんなんでいいのか?」

「どうしたの、ゲームの話?」

 唐突に仙が言葉をこぼす。夏休みの多くが仙と遊ぶか、華仙境にいるかの二択だった。仙はなにをしていたのかわからないけど、多分なにもしてないんだと思う。そうじゃないと、あの発言はしない。

 対戦が終了してコントローラーを置く。背伸びをしてバタンと床に寝転んだ。

「せっかくの夏休みなのにどこも行ってなーい。女の子とイチャイチャウフフしてなーい。これが華の高校生だと言いますかい? あさくん?」

「俺にふらないでよ……」

ももさんに会いたーい」

 届かない叫びは地面に流れた。仙には申し訳ないけど、まこもさんとしょっちゅう会っている。同じ班だし、仕事がない日は練習に付き合ってくれる。

 といってもここ数日任務がない。花火大会のてん以来、小さなてんすら出てこない。もしかしたら他のメンバーが行っているのかも。

 ふと窓越しに空を見る。今日も天気は荒れてなく、清々しいほどピクニック日和だった。

「ビアガ今やってるかな」

「ビール飲めないでしょ」

「屋台のほうだよ。あ、じゃああれな、負けたやつがジュース奢るってことで」

 結局、家にこもって夜に外出することになった。なにもない平和な日常を満喫する。


   ◯


 ある日、おつゆさんの家でまったりと時間を過ごしていた。アーグェイまこもさん、それに豆豆マメも一緒だ。それぞれ持ち寄った食べ物や飲み物を口に運ぶ。

毛毛ケダマって暑かないのかな」

「さすがに肉まんも夏毛になってるでしょ」

「ふたりとも、豆豆マメね」

 風鈴の音が鳴って、窓から涼しい風が吹く。部屋を一周して空気と馴染む。気の乱れが一切ない心地いい空間。

 もともと蓬莱仙国は気の乱れが少ない。先月のようなてんが発生するのは珍しいこと。ほどよく曇りになって、ほどよく雨が降る。まさに調和の取れた完璧な世界。

「最近お仕事どう?」

「そもそも任務がない。てん予報でもずっと晴れの予定。安定しすぎて体が鈍りそう」

「俺もっすよ。最近の東って異様に天気いいっすよね」

 現地に住んでいる俺も、華仙境にいる人も、みんな感想は一緒だった。天気がいい。初対面の人と話すみたいに、テンプレで発言する。

 季節の変わり目が一番天気が崩れる。北海道は今がその時期。それでも天気が乱れる予報はない。

「まあ天気がいいことに越したことはないけどね」

 ズズズッと淹れてもらったお茶を飲む。おつゆさんの持ってくるお茶はどれもおいしい。日本のシンプルなお茶と違って、複雑な深みがある。それに健康にもいいらしい。確かにそういう味をしている。

「今日どこの夜市開いてたっけ? 三大以外で」

「近くだと虎尾じゃない?」

 虎尾夜市は街外れにある小さな夜市。畑や田んぼしかない田舎で、食べ物が安い。週一でしか開いておらず、地元の人くらいしか行かない。

「俺、夜用事あるから三人で行ってきて」

「おいあさ、まさか!」

「妹と映画見に行くだけだよ」

 ふたりで外出するのはそう珍しくない。特に最近は任務もないし、よく買い物やゲーセンに行ってる。まこもさんの「シスコン」という言葉は一旦スルーしておこう。

“チリン”

 また風鈴が鳴った。いつもなら涼風を感じさせるものだけど、今日はそれにくわえて、平和の文字が頭に浮かぶ。小さな音色でさえ楽しめるほどに。


   ◯


 華仙境から帰ってきた。街灯の灯りがついているものもあれば、まだ反応していないものもある。映画の時間には間に合いそう。

 待ち合わせ場所はサッポロファクトリー内にあるユナイテッド・シネマ。札幌駅から歩いて行ける。チカホを使ってもいいけど、今日は外を歩きたい気分。だって天気がいいから。

「綺麗だなぁ」

 夕日がビルの隙間から差し込む。橙色と紺色のグラデーションが札幌の空を覆う。こういうときだけ、ビル風に哀愁を感じる。

 地図アプリを見ながら歩いていく。多分合ってると毎回言いながら角を曲がる。札幌は街が碁盤目状になっているから、比較的わかりやすい。といってもたまに迷うけどね。

「あとはここを真っ直ぐ……」

「やあ」

 声をかけられて立ち止まる。首を振って周りを確認していると、「こっちだよ」と声が聞こえた。俺の真正面に声の人物がいた。

 見た目は同い年くらいの女の子。短髪で運動ができそうな子だった。どこの高校かわからないけどセーラー服を着ている。そんな子に見覚えなんてなかった。

「どちらさま?」

「やば! やっぱ僕のこと見えるんじゃん!」

 その言葉で即座に理解した。この女がこの世界の住民ではないことを。

 今まで生活してきて見たことない。ということは他の班の人か結界師だろうか。または普通の住民か。いきなりのことで頭が混乱しているけど、ひとつ言える。こいつは俺のことを知っている。

「そんな怖い顔しないでじゃん。僕だって任務で来てんじゃん? リラーックス、リラーックス」

「任務? っていうことは気象師?」

「いやー」

 頭に手を当てて恥ずかしそうにしている。にこにこというか、にやにやしながら顔を上げた。


「てめぇの妹、ぶっ殺すんじゃん」


 自分の言っていることがわかっているのか。彼女の発言と表情がまるで合っていない。どんな心境なら、そんな爽やかな笑顔になれるのだろうか。

 俺の心は暴発寸前だった。

——こいつが……父さんと母さんを……!!!!

 呼吸が荒くなり、酸素が足りなくなる。ぼーとしてきた頭にはあいつの顔しか見えてなかった。少しでもあいつが動けば、俺も動く。

「あれ? これって言っちゃダメなんだけ? まあいいじゃん。どうせ死ぬんじゃん。変わらなーい、変わらなーい」


 理性を保っていた紐が今切れた。


「このぉくそがぁぁぁぁぁぁ!!!」

「あらよっと」

 全力で殴った拳は空振りになった。後ろにトントンと小さく飛んで距離を取られる。そのあとも連続で攻撃するが、一向に当たらない。

 ガードレールの上に飛び乗って俺を上から見下ろす。

「やめといたほうがいいじゃん。私の姿、君にしか見えてないの。この意味、わかるよね?」

 はっとして周りを見渡した。通りすがりの人は俺を怪しんで距離を取っている。動画を撮影する人、子どもを隠して走る人、どこかへ電話する人。

 目の前に敵がいるのに攻撃は当たらないし当てられない。人に見られている状態で、体に気をまとって姿を消すのはまずい。突然人が消えたら騒動になる。

「あ、あそこらへんにいそうじゃん。さっさと終わらせよーっと。バイバーイ」

 ガードレールの上から一瞬で姿を消した。

 心臓がドクンと大きく鼓動した。

あさがおが危ない……」

 走り出すと同時に携帯を使った。

——頼むから出てくれ!!

 一回目のコールに応答はなかった。最悪な結果が頭をよぎる。じっとりとした汗が垂れる。

 余計なことを考えないように頭を振って、手で叩く。俺がまず落ち着かないといけない。頭ではわかっているのに、心臓が急かせてくる。

 二回目のコールが始まった。

“トゥトゥトゥトゥトゥトゥン……なに?”

あさがおか!? 今どこにいる!!」

“うるさっ、今は映画館のホールだよ。お兄ちゃんこそどこなのさ”

「今向かってるから……向かってるから、そこから動くなよ!!」

“え、ちょっと。どういう……”

 電話を切り、ポケットにしまう。さっきよりも速度を上げてあさがおを守りに行く。



 あさがおの手を引いて、札幌の地下を走る。サッポロ・ファクトリーから大通まで地下の歩道空間がある。

「ちょっとお兄ちゃん! ちゃんと説明して!!」

「そんな時間ないんだよ!!」

 地上は信号機もあるし、人目につきやすい。偶然かどうかわからないけど、今日のチカホはだれも歩いていなかった。

 目的地は札幌駅、人が多ければ錯乱もできる。あとは地下鉄か電車でどこか遠くへ逃げる。それしかない。

「みーつけた!」

 道のど真ん中に彼女はいた。ファクトリーから大通への道はここしかない。

「先回りされた……! あさがお、こっち!」

 バスセンター前駅の三番出口から外へ行く。やつが追ってきているのが足音でわかった。

 階段を上がって外に出ると、テレビ塔が近くにあった。このままテレビ塔に向かって走れば、大通のチカホに入れる。大通の地下は広く、店も人も多い。少しは時間稼ぎになるだろう。

 ちょうどそのとき、信号が青になった。そのまま真っ直ぐ……。

“グアァァァァァア!!”

「て、てん!?」

 道を阻むように上から降ってきた。目線は完全に俺たちを向いている。丸腰の状態でこいつを倒せるわけがない。しかもあさがおを庇いながらとなると、余計に仙器が必要になる。

 後ろからは足音、目の前には雄叫び。絶望のあまり、足が止まった。

「お兄ちゃん……どうしたの。ねぇってば」

“グァァァ!!”

 大きく振りかぶって、殴りかかってきた。なにもしなければ当たる。それでも動けなかった。


「せいっ!!!」


 流星のごとく現れた人物にてんは吹っ飛ばされた。

「ったくよー、この登場の仕方何回すればいいんだ」

まこもさん!!」

 鯉が描かれた戦闘服が風でなびく。面倒くさそうにため息をついている姿でさえ、今は心強い。

「どうしてここに」

「走りながら説明する。今は緊急事態だ。妹の姿も消して逃げるぞ」

 手を繋いでいる妹の手に気を送り込む。まだまこもさんみたいに早くできないけど、走りながら徐々に形成して行く。

 外だと相手に有利すぎるため、別な出入り口から地下へ潜った。周りからは見えていないのと、非常事態なため、走って改札を抜けた。

“ビコン”

「ん?」

 不思議そうな顔をしている駅員さんを通り過ぎて階段をくだる。そこにちょうどよく列車がやってきた。中央の車両は人が多かった。万が一のことを考えて空いている先頭車両へ乗り込んだ。

“バボン、バボン”

 ドアが閉まって、発車した。逃げきれた安心感からその場に崩れる。

「いい加減にしてよ……。お兄ちゃんはなにがしたいの!!」

 だれもいない車両に声が響く。聞こえているのは俺らだけ。涙ぐんでいる痛々しい声だった。

 今一瞬でも手を放したら気のまといが分裂してしまう。そうなってしまうと、あさがおは俺を見れなくなる。周りにだれもいないことを確認して、気のまといを消す。

 座席に座らせて、あさがおの前でしゃがむ。赤く跡が残っている右手首が目に入る。言葉を限界まで選択して、声に出す。

「ごめん、今はまだ言えないんだ。でもこれだけは覚えたてほしい。全部、あさがおを守るためなんだ」

「なにそれ……。そんなんで“はいそうですか、ありがとうございます”って言えると思ってんの。ちゃんと説明してよ」

「そ、それは……」

 言葉が出てこなかった。気象師のことやあの事件のことを話しても信じてもらえない。かりに信じてもらえたとしても、それは俺が望んでいない。

 事情を知ったとしても、あさがおは見ることもできない。今目の前にだれかが立っていても、殺そうとしても気づかない。ただ死を待つだけ。いつ来るかわからない死の恐怖を植えつけたくない。

 それに俺が気象師をして、あさがおを守りながらゆうを探しているなんて知ったらどう思うだろうか。あさがおならきっと、気を遣ってしまうだろう。なにもできない自分を責めるだろう。そういう子なんだ。

「もういい。私は帰る。守りたいなら勝手にすればいい……。せっかくの楽しみを潰してまでごっこ遊びしたいならすればいい!!」

「このくそっ……」

「やめてまこもさん!」

「どけ! 人の気も考えれないやつが大嫌いだ!! 一発ぶん殴らせろ!!」

 なんとかして押さえつけているけど、力が強い。これは本気できれてるやつだ。

 まこもさんが怒るのも無理はない。でもあさがおの言うことも正しい。説明のせの字もないことを言われて納得する人はいない。俺は……ダメな兄貴だ……。

「ちょっと、こんなとこにいたじゃん。逆の端いってたから時間かかったなぁ。まぁ結果オーライ。おーけー、おーけー」

 連結部分のドアを閉めて、完全に俺らだけの空間にする。今この場所に逃げ場はない。

「私が時間を稼ぐ、妹を連れて後ろに行け。次の駅で降りるぞ」

「あら、そうはさせたくないじゃん!」

 手を上から下へ振り下ろした。その瞬間、車両の全部ドアと窓が岩で塞がれた。岩の下敷きになる直前であさがおを引き寄せる。

「落石に注意じゃん」

とくか……というか、お前はだれだ。どこの所属だ。なんで妹を狙う」

「質問が多いじゃん。そんなの……教えるわけないじゃん!!」

 地面を蹴って一気に近づいてきた。目的は俺たち。それを察知して、まこもさんが壁になってくれた。その隙を使って、車両の一番端に行く。

 この狭い空間だと仙器が使えない。体術ひとつで敵と戦わなければならない。

「せいっ!」

「くっ……! なかなかやるじゃん……でも!!」

 一進一退の攻防が続く。床、壁、手すりなど、あらゆるものを攻撃に利用する。臨機応変に体の軸を対応させ、流れるように打撃を叩き込む。

 打っては離れて、蹴っては離れてを繰り返している。接近しての関節技や絞技を警戒しているのだろう。高度な読み合いが目の前でおこなわれている。

「よそ見っ!!」

 敵の隙をついて脚を払って転倒させる。すかさず馬乗りになって顔面に一撃を入れようとする。

「よそ見はどっちじゃん」

まこもさん上!!」

 頭上には大きな岩が配置されていた。今にも落ちてきてきそうなゴツゴツした岩だ。このままだと自分も下敷きになってしまう。けどそんなバカなことをするとは思えない。下手に手を出せばやられる。

 ニカッと敵が笑った。

「うぐっ!!」

 思いっきり腹を蹴飛ばされた。その勢いで俺のところまで飛んできた。腹を押さえて立ち上がろうとするけど、力が入らない。

 敵はゆっくりと立ち上がって近づいてきた。不敵な笑みを浮かべて。

「最期に言い残すことは?」

「ふ、ふふふ」

 壊れたように笑い出した。それの意味を俺は知っている。

「今だ!!」

もくとく陣発動!!」

 今まで溜め込んだ気を使い、もくとく専用の陣を発動させた。そこにまこもさんが水の気で俺をサポートする。壁に押さえつけた陣符を中心に陣が形成される。

 ふたりの気が合わさり、大技を繰り出す。

「水月蔓打!!」

 陣から太い蔓が伸びて敵を殴打する。打撃のたびに半月状の水が敵を切り裂く。遠距離でも近距離でも使える打撃と斬撃の合わせ技だ。

 うなりながらくる乱撃に翻弄している。固く防御体制を取って動かなくなった。

“円山公園、円山公園、お出口は左側です”

「行くぞ!」

「ばかじゃん! ドアは落石が……ってない!!」

 この攻撃の目的は岩の除去。ギリギリの発動で焦ったけど、なんとかなった。奇策を破られて脳の処理が追いついていない。その隙にホームへ逃げた。

「待て!」

「させない」

 まこもさんが掌底を突き出すと激流が押し寄せた。水に飲まれた敵はそのまま車両の奥まで押された。

“ドアが閉まります”

 敵を乗せた列車は闇に消えていった。


   ◯


 円山公園にあった解体工事中のビルに転がり込んだ。一階はガレキが多く埃っぽいため、二階は行くことにした。

「ここまでくれば大丈夫だろう」

「ああ……俺、もう気が持たない……」

「それ、どっちの意味だ」

 壁によりかかって休憩する。さっきの攻撃で体内の気が大量になくなった。もし少しでもタイミングが早くなって、気をためることが十分にたまらなかったら……。想像しただけでゾッとする。

 あさがおの全身を見る。傷はなさそうで安心した。本人はずっと不機嫌そうだった。怒りが通り越してもろもろ放棄している。口を開けば聞こえないくらいの小ささで文句をいう。ため息と舌打ちが交互に聞こえてきた。

あさがお……」

“カランッ”

「だれ!」

 フロアの奥のほうから物音がした。よく見てみると柱の影ともうひとつ影があった。柱の裏にだれかいる。

 空気が張り詰めた。

「あ、あなたたちこそだれ……!!」


 その声に聞き覚えがあった。


 ゆっくり近づき、姿を確認しようとする。

「おい、なにやったんだ! もどれ!」

 柱から少し出ている足を見る。履いている靴を確認する。疑惑は確信に変わった。なぜならその靴は俺が買ってあげたやつだからだ。

ゆう……ゆうなのか?」

 影が動き出す。柱の影で隠れていた顔が月明かりに照らされる。

「お兄ちゃん……」

ゆう!!」

 走って駆け寄った。

 やっと会えた。やっと会えたんだ。

 無事だった。ちゃんと生きていた。

 嬉しさのあまり、涙が止まらなかった。溢れる涙が視界を見えなくする。それでも彼女はしっかりと見えている。


 この腕で抱きしめ……。


 * * *


蓬木よもぎ!!!!!!」

 蓬木よもぎが倒された。

 妹に駆け寄った瞬間、その妹が腹に一撃を入れた。気が緩んでいたせいで、もろに入って気絶した。

「お前……だれだ……!」

 “カタンカタンカタン”

 新しい音が暗闇から聞こえた。ゆっくり、私たちをあおるように歩いた。妹は蓬木よもぎを肩に背負い、もうひとりの刺客はその横に並んだ。

「あっけなかったの。やっぱりこうすれば早いの。二兎追うものは一兎も得ず、イエンホンは戦犯なの」

 背丈は小学生くらい。手には女の子の人形を抱えていた。白く淡い青が入った漢服をひらつかせている。

 見た目は子どもでも敵は敵、すぐさま仙器を構える。

「やめたほうがいいの。今のあなたでは勝てないの。だってもうひとりの妹の後ろに……私の家族がいるもの」

「まさか!!」

 悪い予感は的中した。妹の後ろに中華風の服をきた中年男性が立っていた。手には小刀を持っている。物音すらならなかった。

 状況は最悪だった。蓬木よもぎを奪われ、妹が人質になった。それにさっきの戦いで気を使っている。回復までまだ時間がかかる。

「あなたは可愛いの。だからご褒美をあげるの。この男を持っていくか、あの子を殺すか。私の行動を選択してなの」

 苦渋の選択だった。蓬木よもぎを見捨てるか、妹を見捨てるか。頭の中ではすでに答えが出ていた。しかし、それを言うにはあまりにも非人道的だった。

——妹を殺して蓬木よもぎを救う。

 妹にはなんの思い入れもない。でも蓬木よもぎは違う。出会ってから今まで、退屈だった日常が少しは楽しくなった。確かに勉強の小言うるさいし、体術弱いし。それでもみんなのために頑張ってくれた。

 一生懸命修行するのも、他人のために手を差し伸ばすのも、ひとりで背負い込むのも、全部あいつだ。

 だから……あいつの考えくらい……知っている。


「連れていけ」


 これが私の……私らの答えだ。

「懸命なの。やっぱりあなたは可愛いの。また会いましょうなの」

 三人は霧のように姿を消した。工事現場の灰色の世界が目の前に広がった。ほこりっぽいフロアに残されたのは私と妹だけ。それ以外はだれもいない。


 私の相棒がいない。

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