【第十天 ふたつの花火】
ある日——
“今日の北海道は昼から雨となるでしょう”
『
また別の日——
“季節外れの冷気で全国的に寒くなる予報です”
『違う。あの
そのまた別の日——
“今日は全国的に晴れの予報です。洗濯ものを干したり、ピクニックに出かけるのもいいですね”
『やっと倒せたね。さすが
「最近、
「ギクッ! べ、別に変わんねぇよ」
朝の仕事が片付いて、いつもの店で昼食をとっていた。豚の角煮が乗った控肉飯と、鳥の内臓と生姜を使った下水湯。これらを決まって頼むの。あとは気分次第で副菜を頼むけど、今日はいらない。
「そうでしょうか。少なくとも中元節の異常気象の件で顔を覚えられたみたいですよ」
「なんでだよ。あいつサポートのサポートだったろ」
中央広場に発生した
結界師もいたおかげでほとんど機会はなかった。結界を張るまえに一回守っただけ。いうのはあれだが、全然ひとりでも討伐できた。
「そのあとですよ。街の復興を積極的に手伝ってましたからね。特に炊き出しが人気だったそうですよ」
箸でご飯をつついて考える。確かにそんなことをしていたような気もしなくはない。でもそれであいつが変わったなんて思えない。というか興味がない。
蓮華でスープを飲んで、残りのご飯をかき込む。小銭を入れた巾着を取り出して数を数える。
「
「ぶっ殺すぞ。帰って寝るだけだ」
店主のおじさんに金を渡して、家路に着く。
——まじで眠い。これ夜寝れないやつだ。あいつは今ごろ学校かな。
真上にある太陽が街を照らす。じっとりとした湿気が暑さに拍車をかける。ジャケットを脱ごうか迷ったが、手に持つのも面倒くさい。
ポケットに手を入れて、家まで歩く。
◯
「ここ模試に出る可能性があるから、ちゃんと覚えて……って、
夏休みに入ってから数日経ったあとも学校に行ってる。
一年生のときから大学受験だの、全国模試だの、耳にたこだった。私はどうせ大学に行かないし、そもそも三年後に世界が残っているかわからない。それなのに、この学校の夏期講習は全員出席必須だった。
ばっくれてもいいけど、このまえサボったとき学校から連絡が来たらしい。さすがに面倒だから、仕方なく椅子に固定される。
「早く終わんないかなぁ」
蓬莱仙国と比べたらまだ涼しいほう。でも慣れてしまえば結局暑い。
暇つぶしに、プリントの余白に落書きをする。肉まんをひとつ描いて、もうひとつ描いて。手足をつけて……。
「肉まんマン?」
「っ! なに見てんだよ!!」
「え、いや……もう講習終わったのになにしてんのかなって」
周りを見ると、先生はいなかった。他のクラスメイトも片付けをしている。確認のために時間を確認すると、昼休みの時間だった。夏期講習は午前中だけ。
教室に残ってだべっている人もいれば、そそくさと帰った人もいる。とりあえず、プリントと筆記具をカバンにしまう。
「なになにどうしたの? 俺のこと呼んだ?」
「呼んでないよ……」
画面外からひょっと顔を出す。確かこいつは清水仙って名前だっけ。
カバンを下ろして、
「つーかさ、今日の古文、寝てて記憶ないわ。宿題とかある?」
「ないよ。まあ俺もうとうとしてたから保証しないけど」
「まじ寝みーよな。名前も古文じゃなくて呪文に変えたほうがいいんじゃね」
こうしてみると、やっぱり幼馴染なんだなって思う。私や華仙境のみんなと話すときと感じが違う。気の遣い方が別物。
——こんな笑い方するんだな。
「あ、あの……
「なんもなんも」
方言が出る
別にコミュ場違いじゃないけど、場違い感が否めない。ふたりは
「そういえば
「あれは私悪くない」
「私も絵を描いてて、半分聞いてなかったなぁ」
「なんか逆に先生が可哀想に思えてきた……」
さっきまで柵の外だったけど、清水のひと言で会話に参加した。だれかが口を開けばみんなが答える。それの繰り返し。
学校のこと、趣味のこと、夏休みのこと。どれもこれもたわいもなく、天気のようにコロコロと変わる。
「ジャケット着てて暑くないの?」
「触ってみ」
ポケットから手を出す。こんなの人に話すの初めてかもしれない。もちろん、華仙境のあいつらを除いて。
「冷たっ!!」
「末端冷え性だから」
「わ、私も触ってみたい」
不思議なことに話が尽きない。学校の休み時間はほとんど睡眠時間に当てている。授業でクラスメイトと話すくらい。それも英語の掛け合いとか。それをカウントしちゃダメな気がする。
高校に入ってやっと、学生らしいことした。
——久々だな。
天気も
◯
「あら、なんかうれしそうね。いいことでもあったの?」
「別に」
ここで飲むお茶は格別においしい。茶葉はおつゆが持ってきてくれたものだけど、お香がいい隠し味になっている。
「“今日は”女なのね。陛下のおそばにいなくて大丈夫なの?」
「今日は非番なの。代わりが護衛についているから大丈夫」
お湯を沸かして茶葉の入った急須に入れる。それを注ぐ用の急須に入れて冷ます。おちょこに注いで、会話を挟みながら飲む。
それぞれ持ち寄った食べ物を口に運ぶ。お気に入りはやっぱり肉まん。
——肉まんのち羊羹。季節外れの月餅が味覚を直撃するでしょう。なんてね。
「そういえば、みんなって花火大会見にいく?」
七月二十七日、つまり明日の夜に花火大会がある。場所は川沿いで、例年多くの人が押し寄せる。王宮からでも見えなくない。少し遠いのと、ずっと立っているのがきついから人はいない。仕事帰りにちらっと見るだけ。
花火なんて興味ない。人も多いし行きたくない。
「私は行くんじゃないかな。陛下が行きたがると思うから。
「そうねぇ、彼次第かしらね」
「
口を濁すようにお茶を啜る。美人には美人の悩みがあるんだろう。まあ関係ないけど。
月餅を半分に割って口に放り込む。しょっぱいものを食べたあとは甘いものが必須。そのあと、渋めのお茶で口を整える。お茶が暖かいのもあって、温泉上がりのような気の抜け方をする。
まったりしているところをおつゆに阻まれた。
「ももちゃんは
「なんであいつが出てくるんだよ」
真っ当な意見を返したはずなのに、頭を傾げている。
「好きじゃないの?」
「んなわけあるかよ」
甘ったるい話をお茶で流す。
確かに悪いやつじゃないし、最近任務のときも頼りになる。でもそれは仕事仲間として見ているだけ。そこに恋愛感情はない……はず。
「じゃあ私が誘っちゃおうかな」
「お好きにどうぞ」
「冗談だよ」
女子っていうのは何歳になっても恋バナが好きらしい。こういう状況になると、いつも聞き専になる。
口を開けば
表面上の話が進んでいき、だんだんとムカついてきた。その原因はわからないけど、むしゃくしゃした。
「
「あら、やきもち?」
「やっぱりそうなんだぁ、残念」
誤解を解こうにも、みんな聞く耳を持ってくれない。私を除いた四人で目配せをする。そしてなにか決めたように、同時に頷いた。
「ももちゃん、
“チリーン”
風鈴の音が部屋に響いた。まるで私の心を表しているようだった。
* * *
「
「きゅ、急になんだよ」
夏期講習のあと、仙の家で遊ぶことにした。こいつの部屋には漫画もテレビもゲームもある。充実しすぎて、このまま住みたいくらいだ。
今は最新ゲーム“スマートブレイカー”、通称“スマブレ”で遊んでいる。ゲーム自体は得意じゃないけど、やるのは好きだ。
お互い画面を見ながら、言葉を交わす。
「高校生といえば、女とデートだろ」
「お前の口からそんな言葉が聞けるなんて。一周まわって嬉しいよ」
鼻垂れ小僧だった仙が今では立派な男子高校生になっている。
男子っていうの何歳になっても恋バナが好きらしい。こういう話をするときはきっと……。
「仙、もしかして好きな人いる?」
「バレた?」
「隠す気ないしょ」
修学旅行の就寝時も、試合まえの練習のときも、バレンタイン前日のときも。決まってこのフレーズから入る。
対戦するキャラクターを選ぶ。「このキャラ強いよねぇ」とか「ロマンで行くわ」とか、一旦話を逸らせる。
“レディ……”
ゲームが開始される。ここまでの勝率はハンデありで五分五分。若干仙が優勢だ。ハンデなしで戦えたらいいんだけど、そこまで得意じゃない。
「俺、
「え……?」
“ゴー!!!”
全身に衝撃が走った。驚きのあまり画面から目をはずし、直接仙を見てしまった。
「隙あり!!」
慌ててコントローラーを持ち直して、ゲームに集中する。相手の動きを見て、攻撃を予想して、コンボを決める。
仙のほうがゲームが得意だし、毎日やってるのも強さの理由。でも今回に関しては、俺が集中できなかった。よりによって仕事仲間の
動揺でミスが続き、一本取られてしまった。残り残機、ふたつ。復活の間に理由を聞いてみた。
「そりゃクールで、美人で、おまけに運動神経がいい。惚れないわけないだろ」
「で、でも勉強はまったくできないよ」
「ばかは正義! 一緒に補習とか、男は憧れるだろ」
前半までは理解できたけど、後半が聞き取れなかった。もしそれが正しければ、俺は男じゃないのかもしれない。
さらに聞いてみると、惚れたきっかけは体育でドッヂボールをやったときらしい。普段は手を抜いて平均を目指している。そうでなければ目立つし怪しまれるからだ。そんな彼女が肉まん欲しさに見せた意外な一面。これをギャップ萌えというのだろう。
確かにあの一件から、
残り残機、ひとつ。
「手が冷たいってことは心が暖かい証拠だよ、
ダブルダウンで残機ゼロ。
キメ顔をして、勝利したキャラクターと同じポーズを取った。
——もう……なにもつっこまない……。
無言でコンティニューを押して、もう一戦始めた。
* * *
七月二十七日。
今日が夏期講習の最終日。これが終われば、はれてちゃんと夏休みになる。なるけど、それよりも重要なことがある。
——どうやって誘おう……。
花火大会の時間は二十時から二十一時の約六十分。夜市から場所が近いため、花火を見るまえも、見終わったあとも楽しめる。正直、夜市でご飯を食べるだけでもいいんだけど——
『
『おい、なんか聞こえたぞ』
『まあまあ細かいことは気にしない! 頼んだよももちゃん——』
ああなったらなに言っても聞かない。仕方なく
プリントの余白に戦略を立てる。
——気象師たるもの、あらゆる状況を予測しないと。
思いついた言葉を乱雑に書く。線を引いたり、矢印を書いたりして考えをまとめる。
「シンプルに行くかぁ……それともなんか湾曲な表現で」
ご飯に誘って流れで言う。任務だと言って無理やり連れて行く。なにも言わずに気絶させて連れて行く。どれもこれも妙案とはいえなかった。
考えれば考えるほど、頭の整理がつかなくなる。普段だったらこんなに悩まないで「シャワー借りるわ」とか言えるのに。変に意識してしまって言葉が喉を通らない。
——どうしちゃったんだ私……! どれもこれもおつゆのせいだ!!
どこか遠くてくしゃみの声が聞こえた。気がする。
“キーンコーンカーンコーン”
追い討ちをかけるように、夏期講習が終わりを告げた。周りは荷物を片付けて、帰る準備を始めた。ここを逃せばもうあとはない。
「哎呀……こうなったらやけくそだ!」
* * *
「え、花火大会?」
「そうなの。今日、豊平川でやるみたいだから……そ、その……一緒にどうかなって」
今日は七月の最終金曜日、毎年この日に花火大会がある。実際に行ったことはないけど、北海道のニュースで大々的に取り上げられている。
袋山さんからの誘いはとてもうれしかった。
「そっか、今日か……えっと……」
「あ、もう部活行かないと!
「ちょっと待って!!」
その叫びも虚しく、彼女は行ってしまった。
まずいことになった。そう、それは数分前——
『え、花火大会?』
『夜市の近くの河川でやるんだ。お前こういうの好きだろどうせ。あ、あれだからな! おつゆと
『あ、まあ……ん?』
『早めに行って夜市回りたいから……十八時に中央広場で待ち合わせな。遅れたら肉まん奢りな——』
と言って、俺の返事を待たずに去っていった。さっきの袋山さんもそうだけど、言い逃げが女子高生で流行っているのか?
「って、呑気なこと考えている暇ないぞ……どうすれば」
よりによって、ふたりとも待ち合わせ時間が同じ。花火大会だし、打ち上げ時間もそんなに差はないだろう。そうなると俺が考えないといけないのは……。
「どっちを断ればいいんだ……!!」
そもそもなんでふたりとも当日に誘ってきたのかわからないけど。イベントなんて事前に情報を知れるし、先に約束しておいたほうがお互い都合がいいはず。
「なに考えてんだ! 今はそんなことどうでもいいだろ!!」
一瞬の判断が今後を左右する。正しくそれができるほど、俺は大人じゃない。
このまま悩んでいても仕方がない。約束の時間まで余裕がある。一旦家に帰って頭を整理しよう。
◯
「我が妹よ。なんじの問いに答えよ」
「こ、これは……! 分岐する予感!!」
かくかくしかじか、リビングにいた妹に相談してみた。まだ中学生だけど、考え方は俺よりも大人だ。人付き合いも少なそうに見えて、案外多い。転校翌日には新しい友達の家で遊んでいるほどにコミュ力が強い。
「なんだ、本当に分岐じゃん」
「ど、どうしたらいいかな」
「そんなん決まってる。あとのほうと行けばいい」
俺が散々悩んだ問題にあっさりと答えを出した。
それで用件が解決したと自己判断した妹はヘッドホンをつけようとする。それを必死で止めて説明を求めた。
「上書き保存だよ。最初に誘った人は誘っただけだ。約束をしたわけじゃない。もし被ったのなら上書き保存すればいい。ゲームと同じで、保存してないなら消える」
少し強引な自論だった。でもそれに納得してしまった俺もいた。一度腑に落ちたら、もうそれでいいと思えてしまう。
「じゃあそうしよっかな」
自分の部屋に戻って準備をする。
「あいつ、来るかな」
「
* * *
十七時三十分、少し早く来てしまった。
中央広場は待ち合わせによく使われる。現に目の前でカップルが熱い抱擁を交わしている。日本に比べたらだいぶオープンなお国柄。いや、お世界柄とでもおうか。
ガムを噛んで時間を潰す。今日はミックスフルーツ味、そういう気分。
十八時三十分、まだ
「まああのふたりは来ないだろうよ」
手からぶら下げている袋を触って確認する。まだ暖かい。とりあえず待ってみることにした。
二十時、花火が鳴る音がした。ここからでも一応見えるけど、建物が邪魔で特大花火の上しか見えない。中央広場に残っているのは屋台くらい。
お腹も空いたし、あそこでなにか買おう。
二十一時、花火大会終了の段雷が鳴った。興味なんてなかったから別に見れなくてもいい。音だけ聞くのは毎年のこと。部屋にいるか外にいるかの違いだけ。
それなのに、心にぽっかりと空いたような脱力を感じる。途中から花火の会場に行くこともできた。そうすれば他のみんなに会えたと思う。ここにいる必要なんてなかった。
でも、なぜだか体が動かなかった。多分、この脱力のせいだろう。
「臭豆腐、おいしかったなぁ」
このあと、また人が増えるだろうから今のうちに帰ってしまおう。
ジャケットのポケットに手を入れて、歩き出す。今日はなんだか、手がかじかむ。
「よう、
「ぶっ殺すぞ。帰って寝るだけだ」
「あ……はい……」
◯
私が住んでいる建物の外には非常階段が備え付けられている。錆びついたボロボロの階段が私の居場所。こういう気持ちのときはここに座ってぼんやりと夜景を眺める。
おすすめは中腹より少し上。ネオンがちょうどよく目に入る。
ここはスラムほどじゃないけど、比較的貧しいところだ。家賃が安い分、壁も薄いし穴だらけ。窓から光が入るならいい物件。窓なしトイレなしもあるくらいだ。
「私には……ここがお似合い……」
ジャケットの前を閉めて、壁に体を委ねる。冷たくて鉄臭い。それでも少しは落ち着く。あとは音楽でも聴きたいけど、学校帰りにそのまま来たから、携帯は制服の中。
脳内再生した曲を口ずさむ。
「いたっ!」
「えっ」
* * *
十八時、札幌駅白いオブジェ。
「よし、まだ間に合う!」
待ち合わせ場所には人がたくさんいた。おそらく他の人も同じ目的だろう。
白いオブジェに到着すると、すぐにわかった。浴衣を着て、髪をまとめている袋山さんがそこにいた。
「よし、じゃあ……」
「任せたぞ」
近くにいた仙に向けて言葉を置いた。もちろん、あいつには俺の姿も声も届いていない。戦闘服に身を包んで、袋山さんを通り過ぎていく。
「あ、あれ……清水くん?」
「やっほー袋山さん、とりあえず歩こうか。そこで説明するよ」
出会ってからここまで、さまざまな思い出がある。つらかったこと、笑ったこと、支え合ったこと。どの瞬間を切り取っても、彼女がいた。彼女が寄り添ってくれていた。
頻繁に蹴られたり暴言を吐かれたりする。でもそれは信頼があるから。
恋愛感情としてじゃなく、友情として。
「気の乱れから予測すると、
家を出た瞬間に悪い気の流れを感じた。
“ごめん、
「いた」
意識を
仙器を抜いて構える。
「花火大会は俺が守る!!!」
◯
「どうしてここに……」
「
非常階段を降って彼女に近づく。今にも壊れそうなギイギイという金属音が暗い路地に響く。彼女を通り過ぎて、目の高さが同じになるようにくだる。
しっかりと見つめる。呼吸を整える。言葉を循環させる。そして彼女に渡す。
「ごめん」
深く頭を下げた。せっかく誘ってくれたのに、それを裏切ってしまった。これで許してもらおうなんて思っていない。
「なんでここってわかったの」
「陛下が力を貸してくれたんだ。中央広場で
ひとりで歩いていた陛下は快く引き受けてくれた。中元節の一件があって、もしかしたら居場所もわかるんじゃないかって思っていた。案の定、大まかな位置が特定できた。その付近にあるのは俺らの家。そこに向かった。
部屋にもいないし、屋上にもいない。そのとき、外から歌声が聞こえてきた。氷雨のように冷たく、しとしとした声だった。
「聞いてたのかよ……ん? お前なんで戦闘服なんだ?」
目を背けていた彼女が俺を見る。
今日あったことをすべて説明した。袋山さんにも誘われていたこと、断ったこと、
『よし、これなら花火に間に合う……!』
“トゥトゥトゥトゥトゥトゥン”
『
『もしもし、こちら札幌総合病院です。
『え、あ、はい』
『実は妹さんが……』
急いで病院に向かうとベッドで
ベッドに近寄り、手を握る。
『お兄ちゃん……私は大丈夫だから……花火大会行ってきて……』
『で、でも』
『いいから——』
「
もう一回頭を下げて謝った。怒っているに決まってる。失望したかな。殴られるかな。嫌いになったかな。どんなことでも俺は受け入れる。
「なーんだ……」
空気が抜けたような声が聞こえた。顔を上げてみると、
「いつまで突っ立てんだよ。ここ、座りな」
自分の隣を叩いて俺を呼ぶ。「で、でも」と行くのを躊躇していると、「もういい、怒ってないから」と無表情で言われた。本心か建前か、どっちかわからないけど、とりあえず座った。いつにもまして緊張する。
少しの間のあと、ぽつりと呟いた。
「ありがとう。会いに来てくれて」
優しい言葉だった。俺が想像した単語は一切出なかった。天気雨のように、雨の湿り気はあるものの、暖かい光がさしていた。
「それに、私こそ悪かった。ちゃんと返事を聞いてなかったし、携帯持ってなかったし。気象師なのに
「ラベンダー味の肉まん。お前の意見を参考にして作ってみたんだ。冷えてるのは許せよ」
手渡された肉まんを見る。暗くてよくわからないけど、ちゃんと紫色をしていた。ラベンダーの香りもする。肉とラベンダーが合うかわからない。好奇心と警戒心を抱いて、かぶりつく。
「どうだ?」
「おいしい……おいしいよこれ!」
ラベンダーの風味が強くなく、ほどよくアクセントになっている。ハーブよりも味のクセがなくて、脂っこいはずなのに爽やかがある。
ひと口、またひと口と食べていく。商品としての肉まんはもちろんおいしい。しかし、手作り料理にある独特のうま味が食欲をそそる。完璧でない味がむしろ完璧。
「この味クセになりそう」
「だろ」
俺は初めて、彼女の笑顔を見た。
屈託のない満開の花が咲いていた。無邪気に目を細めて、肩をすぼめる。
いつも無表情かしかめっつら、または嘲笑うしかない彼女。こんなにも愛おしく笑うんだな。
「ん? どした?」
「なんでもないよ」
肉まんを食べながら夜景を眺める。暗闇にあるボロい建物と遠くに見える光り輝く街並み。路地とのコントラストがノスタルジックを感じさせる。生まれは違うのに「ただいま」と言いたくなる。
路地は街とは違ううるささがある。缶のような鉄屑の音、不良の笑い声、野犬の鳴き声。雰囲気に浸れるBGMとして申し分なかった。
そこで思い出した。確かポケットに
「ねぇ、ひとつ聞いてもいいか?」
「いいけど」
「どうして私を選んだの?」
その答えはもうすでに出ていた。躊躇いもなく、真っ直ぐ彼女に伝える。
「
「そっか、じゃあリベンジしないとな」
肉まん片手に小指を出してきた。指切りなんて小学校以来だろうか。この歳になってやると思わなかった。
——まったく、無邪気だな。
小指を絡めて一回縦に振る。末端冷え性って言っていたけど、彼女の小指は暖かかった。
雨のち晴れ、今夜は星がよく見えるでしょう。
* * *
「
「きっと花火大会でなにかあったんだよ。ももちゃんもやりますなぁ」
「あれ……私、昨日……。くっそ恥ずかしいことやった気がする!!!」
「どした?」
「うるせぇ! ぶっ殺すぞ!!」
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