【第五天 雨のち】

“キーンコーンカーンコーン”

「おっはーあさ。なぁ聞いてくれよ。さっきコンビニ行ったら……ってなんだその顔!」

「あ、仙おはよう」

「世紀末かよっ!!」

 体の中心から力がみなぎっている。心なしか顔つきも堀が深くなっている気がする。今ならだれが来たって無敵だ——


 武道場にて。

『もっと相手を見ろ! 目を瞑るな!』

『はい!』

 鍛冶屋をあとにしたその日、昼食後にズーウェンさんが修行を手伝ってくれた。代用品の剣を使って握り方や振り方などの基礎から教わった。今は実践形式でさっき教わったことを復習している。けどこれがうまくいかない。

 元々、ズーウェンさんは斧使い。剣は苦手って言ってたけど、軽くあしらわれている。まして向こうは木刀なのに、まったく歯が立たない。圧倒的な経験と技術の差を見せつけられた。

『甘い!』

『いてっ!』

 隙をつかれて頭を叩かれた。もちろん手加減をしてくれたおかげで、そんなに痛くない。でも体の疲労がピークに達していた。小突かれた勢いで尻餅をつく。

 こんなに動いたのは何年ぶりだろう。明日は絶対筋肉痛になってる。

『ちょっと休憩にすっか』

『おーい』

 そこにまこもさんが帰ってきた。さっき武道場に行く途中、侍女に声をかけられてどこかに行ってた。

 彼女の両手には大きな袋が握られていた。

『おかえり……ってかなにそれ。』

『非常食。さっき王室に行ってたんだけど、陛下からの伝言……』

 そういって胸元から木簡を取り出した。どうも嫌な予感しかしない。

『鏡不鏡区で修行していいって——』


 鏡不鏡区で約二ヶ月もの間修行を続けた。ひたすらに素振りと地稽古を繰り返した。寝たら叩き起こされるし、非常食はまずいし、散々だった。そしてなにより、ズーウェンさんが生き生きしていた。

 彼いわく、あそこの区域で修行ができるのは最初の修行を除いて、特例中の特例らしい。だからこの機会を逃したくなかったらしい。俺が休んでいる間も、修行していた。

 陛下がなんで許可を出したのかわからない。

 その後、さらに一ヶ月間、学校の合間をぬって修行を続けた。こっちの世界でも華仙境でも剣を振り続けた。そしてとうとう、昨日、ズーウェンさんから一本とれた。

「俺の名を言ってみろ!!」

「え、あさだろ?」

“ゴツン”

「あ、ごめん」

 カバンが顔面に直撃した。その拍子で顔が元に戻った。ひとときの無敵は儚く散った。

 頬に手を当てて、ぶつけた人を睨む。しかしそれは睨むというより、怯えた子犬のようだった。

まこもさん……」

「なんだ?」

「痛い」

「だからごめんって」

 俺のことなんて気にも留めず、仏頂面で席につく。

 この一ヶ月の間、たまにまこもさんとも修行をした。彼女の動きはズーウェンさんと全然違った。素早い重心移動と正確な太刀筋のズーウェンさん。それに対してまこもさんは滑らかで不規則な動きと高低のある攻撃。彼女も剣は苦手って言ってたのに、一本どころか膨らませたガムすら割れなかった。

 もちろん、ズーウェンさんは手加減してくれてた。だから一本とれた。やはりまだ、圧倒的に量が足りない。経験も修行も。

「あ、蓬木よもぎ、ちょっとノート見せろ」

「どうせ宿題写すんでしょ。はいこれ」

「あんがと」

 学業に関して人のこと言えないけど、まこもさんと比べたらいいほうだ。このまえあったテストで、彼女はまさかの赤点を取った。しかも三教科。てんに関する知識はあるのに、勉学に使う脳みそはないようだ。

 ちなみにうちの高校のモットーは“高い次元での文武両道”。皮肉にしか聞こえない。

「お前ら、いつそんな仲良くなったんだ? そんな話しているイメージないけど」

 仙が疑うような目で見てきた。言われてみれば、そう見えるかもしれない。なにか重要なことを話すときは柔道場のおどり場に行くし、まこもさんは基本寝ているかガムを噛んでいる。

 学校での交流は少ないのかもしれない。そもそも、まこもさんがほかの女子と話しているのですらあまり見かけない。

「まあなんか席替えしても隣だったし、宿題やってこないし」

「だって……わかんないんだもん……」

 珍しくしょげている。いつも蹴られているぶん、ちょっとした背徳感がある。

「まあいいっか。それにしてもいい天気だな。今日の体育、サッカーだったよな。女子にいいところ見せるチャンス!」

「確か女子はテニスだったよね。テニス場から見えればいいけど」

 以前は苦手意識があった体育だけど、今では好きな科目のひとつになった。修行を始めてから基礎身体能力が上がったおかげで、運動自体に抵抗がなくなった。

 汗をかく気持ちよさを知った今、こんないい天気を見るとつい外に出たくなる。

「俺も楽しみだなぁ。サッカーなんていつぶ……」

“ザーザー”



「ということで、体育は男女対抗でドッヂボールをやってもらいます」

 快晴だった空は急に曇りだし、大粒の雨を降らせた。ゲリラ豪雨かと思ったそれは止まず、しとしとと雨を降らせ続けた。

 日焼けしなくてよかったとよろこぶ女子、女子と体育ができて発狂する男子、サッカーができなくて絶望する仙。

「どうしたのさ。女の子にいいところ見せれるよ」

「無理だよ、俺実は……ドッヂボール苦手なの!!!!!」

 悲痛な叫びをあげて、両手で顔面を覆う。すっと膝を揃えてしゃがむ。やけに背筋がピンとしていて、ちょっときもい。

「パスはいいよ。でも豪速球はダメでしょ! 取れないよ!! ほかの球技だったら弾いたりしてなんとなくごまかせるけど……ドッヂは無理やん!!!」

 相当ドッヂボールが嫌いなのか、エセ関西人になっている。

 まあ別に俺は女子の目とか気にしてないから、どんな種目でもいい。それより気になるのは今日の天気だ。俺が襲われた日と酷似している。嫌な予感がした。

 エセ関西人を立たせて無理やりキャッチボールをさせる。ボールを投げながらゆっくり下がる。隣でキャッチボールをしているまこもさんに話しかけた。

まこもさん、今日の天気ってまさか」

「心配ないよ。さっき倒したから」

「え、あぁそうなんだ……。じゃあ雨が降ってるのは……」

「余韻だよ。水面に波を立てれば、凪になるまで時間かかるだろ。その証拠にさっきに比べて雨が弱まってる」

 まこもさんの言ったとおり、ザーザー降っていた雨の音はほとんど聞こえなくなっている。

 てん予報の訓練をしてたはずなのに、てんの存在に気づけなかった。これじゃあただの“事情を知っている人”だ。もっと、周りの気を観察しないと。お荷物だけは絶対になりたくない。

「はーいそれじゃあここに集まってー。今から試合を始めまーす」

 体育館のオールコートでドッヂボールをする。ふたクラス合同で男女別、つまり男子チームは約四十人、女子チームも約四十人だ。今回の特別ルールで、外野に行く人数は任意。内野がいなくなったら負けというものだ。もちろん、外野が当てれば内野に戻れる。

 一部の女子は面倒になって見学をしたり外野にいったりしている。よく見る光景だ。女子が相手だし、向こうのやる気がないため、男子も盛り上がりきれていない。

“ダンダンダン”

 ボールをつきながら女子担当の体育の先生が現れた。フィールドの中央へ行き、ボールを鷲掴みにして仁王立ちしている。

「あ、あれは……」


「「バレー部顧問、速攻の宮澤!!!」」


 身長一六九センチ。顔が小さく、細身の短髪女子。高校時代にインターハイで優勝し、大学時代に世界大会にも出場した経験を持つ。そこでみせた、超低姿勢からのネットギリギリの一撃が世界を震撼させた。

 隠密からの奇襲ような攻撃。業界からは“忍者”と呼ばれ、恐れられている。

 追伸、一部のサディストお姉さん大好き男子から人気がある。

「あらあら、怖気ちゃってどうしたの? ただのドッヂボールだと思った? 男なら腹ぁ隠れや」

「まずいぞ……。このままだと自分から当たりに行くやつがいるぞ!!!」

「くっ……体が……勝手に……!」

「斉藤ぉ! 耐えろ! 耐えるんだ!!」

 絶望的な雰囲気が漂う。そこにひと筋の光がさす。

 ゆっくり、堂々と歩いてきた。そして、宮澤先生の前に立ちはだかる。

「あ、あれは……」


「「空手部顧問、ドMの石崎!!!」」


 身長一八〇センチ。ガタイがよく、ボディービルダーのような筋肉がある。高校時代、ヤンキーに絡まれたことがきっかけにマゾに目覚めた。それから度重なるマゾ経験で肉体が変化。ちょっとやそっとの打撃では気絶しなくなった。

 そのしぶとさから、総合格闘技業界からは“アンデッド”と呼ばれ、恐れられている。

 追伸、根は優しいため、女子に人気がある。

「宮澤先生、私の存在をお忘れですか?」

「もちろん忘れてないですよ。でも石崎先生、自分から当たりに行きそうだし」

「愚問ですね……一回で満足すると思いますか? 何回だって取ってみせますよ」

 ふたりの周りに覇気が見えた。最強の矛と最強の盾、果たしてどっちに軍配が上がるのか。

 といっても、盛り上がりを見せているのは先生方だけだった。俺ら生徒は気後れして、ちょっと離れた位置に立っている。

「このままでは面白くありません。負けたほうの先生が勝ったチーム全員になにかおごるのはどうでしょう」

「いいでしょう。それで、なにをおごるのですか?」

 宮澤先生がボールを両手でガッチリ待った。気合の入った顔で高らかに宣言した。


「幸福堂、一日百個限定、けんちゃんの幸せニコニコ肉まん!!!」


 体育館の空気が変わった。それもそのはず。幸福堂の肉まんは世界の料理雑誌にも掲載されるほど有名だった。北海道民で知らない人はいない。

 ゾロゾロと足音が聞こえた。男子全員がフィールド内に入ってきた。女子もまた、総出で迎え撃つ。その一番先頭にいたのはまこもさんだった。

「タダ飯いっただき!」

「確か好きな人にあげれば、結ばれるんだったよね」

「肉まん肉まん肉まん肉まん肉まん肉まん肉まん……」

 異様な空気感に包まれた体育館。全員が位置について、それぞれの欲望のままに試合が始まる。

「ジャッチは私たち体育委員が務めまーす。ジャンプボールの人いいですかー? それでは始めまーす」

“ピー”

「「血祭りじゃぁぁぁぁあ!!!」」


   ◯


「いやー疲れたねぇ」

「仙、ほとんどなんもしてないじゃん。授業中も寝てたし」

 放課後になって心身ともに解放される。掃除当番の仙はまだ帰れないけど。

 ちなみに、ドッヂボールの結果は引き分けだった。接戦の接戦で、どちらも譲らなかった。授業終了のチャイムが鳴り、内野の数を数えたらどちらも同じだった。

 肉まんはおあずけで、落胆する者もいた。けど、みんないい汗をかいていた。こんなに気持ちのいい体育は初めてかもしれない。

 カバンに物を詰めて廊下に出る。

 雨はもう止んでいるし、ほどよい夕暮れになっている。窓から見える景色にちょっとだけほっとする。なにもなくてよかった。

「わぁ! 空綺麗」

 無邪気に窓の外を見ている人がいた。ガラガラッと二重窓を開けて外の空気を感じている。

「袋山さん?」

「よ、よ、蓬木よもぎくん!?」

 光が彼女を照らしてコントラストを作る。その姿は一枚の絵画のように美しかった。

 そういえば、ちゃんとしゃべったのはゴールデンウィーク明け以来かもしれない。いつも挨拶はしてくれるけど、それ以上の会話はなかった。彼女が何部かもわからない。ちょっと勇気出してみようかな。

「雨止んでよかったね」

「そうだねぇ。空に滲んだ夕日がとっても綺麗」

「そういえば、何部だっけ?」

「美術部だよ。蓬木よもぎくんは?」

「帰宅部。一応バイトしてる」

 屋根から落ちる雨の雫のように、ポロポロと言葉を繋げる。高校入学してからもう三ヶ月も経っているのに、うぶなテンプレを使って会話をする。

 大した内容じゃないのに、袋山さんは太陽のように微笑んだ。

「へぇ、蓬木よもぎくんと清水くんって小学校一緒なんだ。私、この学校に元中も知り合いもいないなぁ」

「俺も元中はいないかな。元々江別に住んでたし」

「あ、そっか……」

 その事情を察したらしく、気まずい雰囲気になる。忌引きで休んでいたのもあるし、ニュースで大々的に取り上げられたせいでみんなが知っている。それは悪いことじゃない。変に気を使われると、こっちが申し訳なくなる。

“キーンコーンカーンコーン”

 タイミングを図ったかのようにチャイムが鳴る。

「あ、私部活行かないと……! じゃあね」

「う、うん。じゃあね」

 カバンを背負い直して、小走りで部室に向かっていった。その背中を見ていると、鈴の音が聞こえてきそう。

「会話って難しいなぁ」

 インキャであることをちょっとだけ後悔した。

 窓の外をまた眺める。彼女が開けた窓から涼しい風が入り込んでいた。雨上がりの匂いとともに。



「いらっしゃいませー」

 飲み物を買いに近くのコンビニにやってきた。スーパーと比べると当然高い。値札を見て一瞬手が止まる。

——まあたまにはいいっか。

 今日の気分はミルクティ。カツゲンでもよかったんだけど、下校中に飲むって考えるとペットボトルのほうが便利。紙パックだと、飲みかけをカバンに入れられない。

 買うつもりはなくても、なんとなく陳列棚を見てしまう。たまに限定品を見かけると、ついつい買いたくなる。お店側にとっていいかもだな俺は。

「一点で一五四円です」

 財布を開けて小銭を探す。確か、ちょうどあったような気が……。

「あーんもぉー! 肉まんがもうひとつしかないぃ! 売り切れちゃうぅ! 前の人が買っちゃったらヒナたんの分なくなっちゃうぅー! どうしようぉねぇやだぁ。食べたひ食べたひぃ」

「あ、肉まんもいいですか」

“チャリーン”


「ありがとうございましたー」

——あの店員さん爆笑してたな。

 コンビニを出ると空は暗くなっていた。西側が微かに赤く、街灯がもうそろそろ活躍しそうな時間帯だった。とりあえず、ミルクティを飲もう。

「あ」

「ん? あ、まこもさん」

 お馴染みのジャケットを羽織ってポケットに手を入れていた。夏場なのに暑くないのだろうか。

「お前もコンビニか」

「うん、さっき買ったところ。あ、そうだ……」

 コンビニの袋から肉まんを出す。お腹減ってないし、あさがおにでもあげようかと思っていた。せっかくだしまこもさんにあげよう。

「お、お前……いいのか……?」

「もちろん。ズーウェンさんから聞いたんだけど、まこもさんって肉まん好きなんだね。しかも超がつくくらい。バオってニックネーム、なんでかなって思ってたけど、そういうことだったんだね」

「否定はしないけど、なんか恥ずかしい」

 といいつつ、素直に肉まんを受け取る。普段あまり表情がないけど、肉まんを持っている今はなんだかうれしそう。彼女の背景に“にくまん”って見える。そんなに喜んでくれると、こっちも心が暖かくなる。

「じゃあ俺は……」

「ちょっと待て」

 手に持った肉まんのシートを剥がした。両手を使って半分に分けた。紙袋のほうを照れ臭そうに差し出してきた。

「ほ、ほらよ。半分やるよ」

 お腹は空いてなかった。でもその姿を見て手が自然と受け取っていた。彼女の優しさがその手からも伝わってくる。

 車止めのガードパイプにふたりで腰掛けて、肉まんを頬張る。普通の肉まんなのに、今まで食べた中で一番おいしかった。

 下校中に友達と寄り道。心の中で憧れていたシチュエーションなのかもしれない。ただコンビニで買い物しただけ。それでも、高校生してるなって実感した。それにまこもさんは黙ってれば美人だし……。

蓬木よもぎ……」

 肉まんを食べ終わってミルクティーを飲んでいた。

「あ、ありがと……」

 頬を赤く染めていた。しかもしっかり俺の目を見てお礼を言ってくれた。俺の耳が熱くなっているのがわかった。ただでさえ夏で暑いのに、さらに暑くなるなんて……。

 出会って長いのに、高校生みたいなことはふたりとも慣れてないみたい。それがなんだかおかしく感じた。

「あーもう! 笑うなよ!」

「ごめんごめん、つい」

「それよこせ。肉まん食べたら喉乾いた」

「はいはい」

 修行も学校生活も、やっと動き出した。そんな気がした。


「私が蓬木よもぎを……いや、そんなことない……と思う」

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