【第五天 雨のち】
“キーンコーンカーンコーン”
「おっはー
「あ、仙おはよう」
「世紀末かよっ!!」
体の中心から力がみなぎっている。心なしか顔つきも堀が深くなっている気がする。今ならだれが来たって無敵だ——
武道場にて。
『もっと相手を見ろ! 目を瞑るな!』
『はい!』
鍛冶屋をあとにしたその日、昼食後に
元々、
『甘い!』
『いてっ!』
隙をつかれて頭を叩かれた。もちろん手加減をしてくれたおかげで、そんなに痛くない。でも体の疲労がピークに達していた。小突かれた勢いで尻餅をつく。
こんなに動いたのは何年ぶりだろう。明日は絶対筋肉痛になってる。
『ちょっと休憩にすっか』
『おーい』
そこに
彼女の両手には大きな袋が握られていた。
『おかえり……ってかなにそれ。』
『非常食。さっき王室に行ってたんだけど、陛下からの伝言……』
そういって胸元から木簡を取り出した。どうも嫌な予感しかしない。
『鏡不鏡区で修行していいって——』
鏡不鏡区で約二ヶ月もの間修行を続けた。ひたすらに素振りと地稽古を繰り返した。寝たら叩き起こされるし、非常食はまずいし、散々だった。そしてなにより、
彼いわく、あそこの区域で修行ができるのは最初の修行を除いて、特例中の特例らしい。だからこの機会を逃したくなかったらしい。俺が休んでいる間も、修行していた。
陛下がなんで許可を出したのかわからない。
その後、さらに一ヶ月間、学校の合間をぬって修行を続けた。こっちの世界でも華仙境でも剣を振り続けた。そしてとうとう、昨日、
「俺の名を言ってみろ!!」
「え、
“ゴツン”
「あ、ごめん」
カバンが顔面に直撃した。その拍子で顔が元に戻った。ひとときの無敵は儚く散った。
頬に手を当てて、ぶつけた人を睨む。しかしそれは睨むというより、怯えた子犬のようだった。
「
「なんだ?」
「痛い」
「だからごめんって」
俺のことなんて気にも留めず、仏頂面で席につく。
この一ヶ月の間、たまに
もちろん、
「あ、
「どうせ宿題写すんでしょ。はいこれ」
「あんがと」
学業に関して人のこと言えないけど、
ちなみにうちの高校のモットーは“高い次元での文武両道”。皮肉にしか聞こえない。
「お前ら、いつそんな仲良くなったんだ? そんな話しているイメージないけど」
仙が疑うような目で見てきた。言われてみれば、そう見えるかもしれない。なにか重要なことを話すときは柔道場のおどり場に行くし、
学校での交流は少ないのかもしれない。そもそも、
「まあなんか席替えしても隣だったし、宿題やってこないし」
「だって……わかんないんだもん……」
珍しくしょげている。いつも蹴られているぶん、ちょっとした背徳感がある。
「まあいいっか。それにしてもいい天気だな。今日の体育、サッカーだったよな。女子にいいところ見せるチャンス!」
「確か女子はテニスだったよね。テニス場から見えればいいけど」
以前は苦手意識があった体育だけど、今では好きな科目のひとつになった。修行を始めてから基礎身体能力が上がったおかげで、運動自体に抵抗がなくなった。
汗をかく気持ちよさを知った今、こんないい天気を見るとつい外に出たくなる。
「俺も楽しみだなぁ。サッカーなんていつぶ……」
“ザーザー”
「ということで、体育は男女対抗でドッヂボールをやってもらいます」
快晴だった空は急に曇りだし、大粒の雨を降らせた。ゲリラ豪雨かと思ったそれは止まず、しとしとと雨を降らせ続けた。
日焼けしなくてよかったとよろこぶ女子、女子と体育ができて発狂する男子、サッカーができなくて絶望する仙。
「どうしたのさ。女の子にいいところ見せれるよ」
「無理だよ、俺実は……ドッヂボール苦手なの!!!!!」
悲痛な叫びをあげて、両手で顔面を覆う。すっと膝を揃えてしゃがむ。やけに背筋がピンとしていて、ちょっときもい。
「パスはいいよ。でも豪速球はダメでしょ! 取れないよ!! ほかの球技だったら弾いたりしてなんとなくごまかせるけど……ドッヂは無理やん!!!」
相当ドッヂボールが嫌いなのか、エセ関西人になっている。
まあ別に俺は女子の目とか気にしてないから、どんな種目でもいい。それより気になるのは今日の天気だ。俺が襲われた日と酷似している。嫌な予感がした。
エセ関西人を立たせて無理やりキャッチボールをさせる。ボールを投げながらゆっくり下がる。隣でキャッチボールをしている
「
「心配ないよ。さっき倒したから」
「え、あぁそうなんだ……。じゃあ雨が降ってるのは……」
「余韻だよ。水面に波を立てれば、凪になるまで時間かかるだろ。その証拠にさっきに比べて雨が弱まってる」
「はーいそれじゃあここに集まってー。今から試合を始めまーす」
体育館のオールコートでドッヂボールをする。ふたクラス合同で男女別、つまり男子チームは約四十人、女子チームも約四十人だ。今回の特別ルールで、外野に行く人数は任意。内野がいなくなったら負けというものだ。もちろん、外野が当てれば内野に戻れる。
一部の女子は面倒になって見学をしたり外野にいったりしている。よく見る光景だ。女子が相手だし、向こうのやる気がないため、男子も盛り上がりきれていない。
“ダンダンダン”
ボールをつきながら女子担当の体育の先生が現れた。フィールドの中央へ行き、ボールを鷲掴みにして仁王立ちしている。
「あ、あれは……」
「「バレー部顧問、速攻の宮澤!!!」」
身長一六九センチ。顔が小さく、細身の短髪女子。高校時代にインターハイで優勝し、大学時代に世界大会にも出場した経験を持つ。そこでみせた、超低姿勢からのネットギリギリの一撃が世界を震撼させた。
隠密からの奇襲ような攻撃。業界からは“忍者”と呼ばれ、恐れられている。
追伸、一部のサディストお姉さん大好き男子から人気がある。
「あらあら、怖気ちゃってどうしたの? ただのドッヂボールだと思った? 男なら腹ぁ隠れや」
「まずいぞ……。このままだと自分から当たりに行くやつがいるぞ!!!」
「くっ……体が……勝手に……!」
「斉藤ぉ! 耐えろ! 耐えるんだ!!」
絶望的な雰囲気が漂う。そこにひと筋の光がさす。
ゆっくり、堂々と歩いてきた。そして、宮澤先生の前に立ちはだかる。
「あ、あれは……」
「「空手部顧問、ドMの石崎!!!」」
身長一八〇センチ。ガタイがよく、ボディービルダーのような筋肉がある。高校時代、ヤンキーに絡まれたことがきっかけにマゾに目覚めた。それから度重なるマゾ経験で肉体が変化。ちょっとやそっとの打撃では気絶しなくなった。
そのしぶとさから、総合格闘技業界からは“アンデッド”と呼ばれ、恐れられている。
追伸、根は優しいため、女子に人気がある。
「宮澤先生、私の存在をお忘れですか?」
「もちろん忘れてないですよ。でも石崎先生、自分から当たりに行きそうだし」
「愚問ですね……一回で満足すると思いますか? 何回だって取ってみせますよ」
ふたりの周りに覇気が見えた。最強の矛と最強の盾、果たしてどっちに軍配が上がるのか。
といっても、盛り上がりを見せているのは先生方だけだった。俺ら生徒は気後れして、ちょっと離れた位置に立っている。
「このままでは面白くありません。負けたほうの先生が勝ったチーム全員になにかおごるのはどうでしょう」
「いいでしょう。それで、なにをおごるのですか?」
宮澤先生がボールを両手でガッチリ待った。気合の入った顔で高らかに宣言した。
「幸福堂、一日百個限定、けんちゃんの幸せニコニコ肉まん!!!」
体育館の空気が変わった。それもそのはず。幸福堂の肉まんは世界の料理雑誌にも掲載されるほど有名だった。北海道民で知らない人はいない。
ゾロゾロと足音が聞こえた。男子全員がフィールド内に入ってきた。女子もまた、総出で迎え撃つ。その一番先頭にいたのは
「タダ飯いっただき!」
「確か好きな人にあげれば、結ばれるんだったよね」
「肉まん肉まん肉まん肉まん肉まん肉まん肉まん……」
異様な空気感に包まれた体育館。全員が位置について、それぞれの欲望のままに試合が始まる。
「ジャッチは私たち体育委員が務めまーす。ジャンプボールの人いいですかー? それでは始めまーす」
“ピー”
「「血祭りじゃぁぁぁぁあ!!!」」
◯
「いやー疲れたねぇ」
「仙、ほとんどなんもしてないじゃん。授業中も寝てたし」
放課後になって心身ともに解放される。掃除当番の仙はまだ帰れないけど。
ちなみに、ドッヂボールの結果は引き分けだった。接戦の接戦で、どちらも譲らなかった。授業終了のチャイムが鳴り、内野の数を数えたらどちらも同じだった。
肉まんはおあずけで、落胆する者もいた。けど、みんないい汗をかいていた。こんなに気持ちのいい体育は初めてかもしれない。
カバンに物を詰めて廊下に出る。
雨はもう止んでいるし、ほどよい夕暮れになっている。窓から見える景色にちょっとだけほっとする。なにもなくてよかった。
「わぁ! 空綺麗」
無邪気に窓の外を見ている人がいた。ガラガラッと二重窓を開けて外の空気を感じている。
「袋山さん?」
「よ、よ、
光が彼女を照らしてコントラストを作る。その姿は一枚の絵画のように美しかった。
そういえば、ちゃんとしゃべったのはゴールデンウィーク明け以来かもしれない。いつも挨拶はしてくれるけど、それ以上の会話はなかった。彼女が何部かもわからない。ちょっと勇気出してみようかな。
「雨止んでよかったね」
「そうだねぇ。空に滲んだ夕日がとっても綺麗」
「そういえば、何部だっけ?」
「美術部だよ。
「帰宅部。一応バイトしてる」
屋根から落ちる雨の雫のように、ポロポロと言葉を繋げる。高校入学してからもう三ヶ月も経っているのに、うぶなテンプレを使って会話をする。
大した内容じゃないのに、袋山さんは太陽のように微笑んだ。
「へぇ、
「俺も元中はいないかな。元々江別に住んでたし」
「あ、そっか……」
その事情を察したらしく、気まずい雰囲気になる。忌引きで休んでいたのもあるし、ニュースで大々的に取り上げられたせいでみんなが知っている。それは悪いことじゃない。変に気を使われると、こっちが申し訳なくなる。
“キーンコーンカーンコーン”
タイミングを図ったかのようにチャイムが鳴る。
「あ、私部活行かないと……! じゃあね」
「う、うん。じゃあね」
カバンを背負い直して、小走りで部室に向かっていった。その背中を見ていると、鈴の音が聞こえてきそう。
「会話って難しいなぁ」
インキャであることをちょっとだけ後悔した。
窓の外をまた眺める。彼女が開けた窓から涼しい風が入り込んでいた。雨上がりの匂いとともに。
「いらっしゃいませー」
飲み物を買いに近くのコンビニにやってきた。スーパーと比べると当然高い。値札を見て一瞬手が止まる。
——まあたまにはいいっか。
今日の気分はミルクティ。カツゲンでもよかったんだけど、下校中に飲むって考えるとペットボトルのほうが便利。紙パックだと、飲みかけをカバンに入れられない。
買うつもりはなくても、なんとなく陳列棚を見てしまう。たまに限定品を見かけると、ついつい買いたくなる。お店側にとっていいかもだな俺は。
「一点で一五四円です」
財布を開けて小銭を探す。確か、ちょうどあったような気が……。
「あーんもぉー! 肉まんがもうひとつしかないぃ! 売り切れちゃうぅ! 前の人が買っちゃったらヒナたんの分なくなっちゃうぅー! どうしようぉねぇやだぁ。食べたひ食べたひぃ」
「あ、肉まんもいいですか」
“チャリーン”
「ありがとうございましたー」
——あの店員さん爆笑してたな。
コンビニを出ると空は暗くなっていた。西側が微かに赤く、街灯がもうそろそろ活躍しそうな時間帯だった。とりあえず、ミルクティを飲もう。
「あ」
「ん? あ、
お馴染みのジャケットを羽織ってポケットに手を入れていた。夏場なのに暑くないのだろうか。
「お前もコンビニか」
「うん、さっき買ったところ。あ、そうだ……」
コンビニの袋から肉まんを出す。お腹減ってないし、
「お、お前……いいのか……?」
「もちろん。
「否定はしないけど、なんか恥ずかしい」
といいつつ、素直に肉まんを受け取る。普段あまり表情がないけど、肉まんを持っている今はなんだかうれしそう。彼女の背景に“にくまん”って見える。そんなに喜んでくれると、こっちも心が暖かくなる。
「じゃあ俺は……」
「ちょっと待て」
手に持った肉まんのシートを剥がした。両手を使って半分に分けた。紙袋のほうを照れ臭そうに差し出してきた。
「ほ、ほらよ。半分やるよ」
お腹は空いてなかった。でもその姿を見て手が自然と受け取っていた。彼女の優しさがその手からも伝わってくる。
車止めのガードパイプにふたりで腰掛けて、肉まんを頬張る。普通の肉まんなのに、今まで食べた中で一番おいしかった。
下校中に友達と寄り道。心の中で憧れていたシチュエーションなのかもしれない。ただコンビニで買い物しただけ。それでも、高校生してるなって実感した。それに
「
肉まんを食べ終わってミルクティーを飲んでいた。
「あ、ありがと……」
頬を赤く染めていた。しかもしっかり俺の目を見てお礼を言ってくれた。俺の耳が熱くなっているのがわかった。ただでさえ夏で暑いのに、さらに暑くなるなんて……。
出会って長いのに、高校生みたいなことはふたりとも慣れてないみたい。それがなんだかおかしく感じた。
「あーもう! 笑うなよ!」
「ごめんごめん、つい」
「それよこせ。肉まん食べたら喉乾いた」
「はいはい」
修行も学校生活も、やっと動き出した。そんな気がした。
「私が
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