【第二天 蓬木、散る】
* * *
『っていうことだから頼む! どうしても外せねぇ用事なんだ。代わりに任務行ってくれ! このとおり!』
『やなこった。どうして私が』
『サンキュー! じゃあ俺もう行くわ、じゃな!』
『おい! 話はまだ——』
非番だったのに駆り出された。クソ面倒くさい。
雨降ってるし、人とぶつかるし、全然出てこないし。ここにきてからストレスしかたまんない。
——あれ、私あのときって……まあいいか。
「ちょっと待ってくださいよ! 速いですって!」
「お前が遅いだけだ、
「
そろそろ日没、このまま現れなければ本当になにしに来たんだかわからなくなる。まあこんなことは日常茶飯事。予報どおりになるとは限らない。明日になればあいつに任せればいい。一番面倒なのは“異常気象”だ。
工事中のビルの屋上、縁に座ってその機会を伺う。暇つぶしに傘を回す。雨が弾ける。それの繰り返し。
足をぶらつかせて、ガムを噛む。今日は仙草味、そこそこ好きなやつ。ふーっと膨らませると、コーラ味のガムみたいな色になる。それを割らないで口に戻す。それの繰り返し。
「お前焼いたら雨止むかな」
「だから俺は
「今日の気圧配置は?」
「今日は……西低東高ですね。温帯低気圧が移動する予報です」
春に三日の晴れなしとはまさにこのことだな。気圧が交互に移動せるせいで乱れが生じる。だからこの時期は予報が頼みの綱になる。変わりやすい“
「いた」
“ピシャリ”
傘を閉じてそのままビルから飛び降りる。
「待ってくださいよー!!」
◯
気づいたら瓦礫に埋もれていた。あんな付属品のような腕でも腕力は相当なもの。それにあの図体で意外と俊敏。地面で足を滑らした隙を狙われた。
「三小……ってお前らなんでここにいるんだ! 早く逃げろ!」
今回の
この任務を押し付けてきたあいつの顔が浮かぶ。
「帰ったらあいつぶん殴ってやる……!」
こうなったら仕方がない。別にこんな雑魚、相剋の気じゃなくても倒せる。不利な相手と戦うのは今に始まったことじゃない。
いつもなら気にしないでやりたいようにできるけど、今回は
「ザ、ザムイ……ザムイ……ザザザザザザァァァァァァ!!!」
腹を突き出すように走り出した。ブルブル揺れている腕が気持ち悪い。もぎ取ってやろうか。ご丁寧に向こうから突進してきてるし、カウンターが合わせやすい。
腰を落とす。右足を下げる。後ろに重心を置く。左手を前に伸ばす。両手を構える。相手の動きに目を合わせる。
——もう少し近づいたら……。
「ザアァァァァ!!」
「え……」
「まずいっ!! 逃げろ!!!!」
その叫びはあまりにも遅かった。振り向いたときにはもうあいつらの目の前だった。
——食われる……!
また仲間を失う、そう思った。しかし、異変が起きた。
あいつが食うのをやめた? それとも攻撃の準備をしているのか? だとしたらなんであいつらは逃げない? 疑問が疑問を増やす。状況が把握できないで動くのは危険すぎる。でも、このまま放っておくのもいいとはいえない。
唖然としていると、必死な声が聞こえてきた。
「あぁぁぁぁ!! 俺だって結界師の端くれなんだ!!!」
「
原因がわかったおかげで攻撃に移れる。急いであいつらのもとへ向かう。
近づくとそれは鮮明に見えた。結界だ。厳密にいうと、今あいつが発動しているのは結界じゃない。結界の一部だ。地面に対して水平になるように結界を張っている。敵を輪切りにするように張ることで、動きを封じることができる。
見た感じ、せいぜい四枚ほど。敵も少しずつ動いてきている。壊れるのも時間の問題。
「早く……もう保ちません!!!」
“バリンッ!!”
「よくやった」
結界が割れると同時に私が追いついた。敵の正面から掌底を繰り出す。水の気を練り込んだ一撃は深く刺さり、
今がチャンスだ。ここで一気に決める。
“ジャラジャラ”
腰についけていたものを手に取る。こいつを使わなくても仕留められるけど、さっさと終わらせたい。
「な、なんだあれ……」
「うわわわぁぁ……建物壊さないでくださいね!」
「気が向いたら」
長さ約二メートルの鎖の両端に拳ほどの錘が取り付けられている。鎖が絡まっていないか確認をして軽く振り回す。問題はなさそうだ。
“双水流星”
通称“双水”、私専用の仙器だ。人によって体内に流れている気の属性が変わってくる。さらに言えば、同じ属性でも性質が変わる。私とあの
この流星錘は私の気に合わせて製造されたもの。ゆえに他人が使っても能力を引き出すことはできない。ただの武器と同じだ。まあ普通の武器に比べて本体の性能もいい。雑魚相手なら気を使うまでもない。
「泣いたり叫んだり、動いたと思ったら急に止まるし。まったく……」
「変わりやすい
地面を蹴って一気に近づく。まだあいつは地面に這いつくばっている。跳躍して空中で体を捻る。右手を離して左手で双水を持つ。その勢いを利用して双水を振り回す。水平方向から垂直方向に変えて、気を流し込む。次第に錘の部分が青くなる。水を纏ったその瞬間、もう一度体を一回転させる。
背中めがけて錘を振り落とす。
“バリッ”
寸手で回避された。空振った双水は地面にめり込む。横に跳躍した
鎖を巻きつけるように体を回転させて攻撃をいなす。右手に持ち替えて、下から斜め左に向かって振り上げる。
「ザザ!?」
体に生えた腕のうち一本に絡み付いた。そしてそのまま渾身の力で引っ張る。少しでも敵の動きを封じることができれば上出来。あるいは………
“ブチッ”
血飛沫とともに腕がもげた。自由になった腕は宙を舞って地面に落ちた。想定済みのこと。すぐに双水を手元に戻し、敵の足を狙う。
自分を中心に弧を描いた錘は狙いどおりに足に絡みつく。敵の重心移動を見極めて最小限の力で引っ張る。下手に強く引っ張っても体力を使うだけだからだ。それに運が悪ければ鎖が絡まって解けなくなる。そうならないギリギリのラインを攻める。
右手に持ったまま左手で鎖の中央を押して回転する。ドドンッと崩れて、地面に寝そべる。この隙を逃すわけにはいかない。すかさず双水を戻して腰を落とす。息をすーっと吸う。腹のさらに奥あたり、丹田に空気を溜める。ふっと下っ腹に力を入れて息を止める。
“ポンッ”
丹田に一粒の滴が落ちた。
——
「
低い姿勢から繰り出される高速の打撃連打。両手を使って錘を八の字を描いて振り回す。敵に当たった跳ね返りを利用した方向転換をすることにより、従来の打撃より不規則かつ高速に繰り出される。そこに水の加速が加わる。
その速さがゆえに、錘が分身して軌道を可視化する。それが水蓮の花に似ていることからこの名前がついたらしい。まあ自分がやっているのを見はたからたことないし、本当にそう見えているのか知らない。けど、先生がやっているのは見たことがある。錘が分身するとかそういう次元じゃない。まさに、花が顕現していた。
「ザッザッザッザ!!」
打撃のせいで声を出す暇すらないらしい。このまま押し通す!
「おららららぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
敵はなすすべなし。これなら……いける!
ステップを踏んで体勢を変える。双水の軌道を垂直方向にし、重力を利用した重い一撃を放つ。
——これで最後……。
「グワァァァァァァ!!!!」
命を枯らす叫びがつんざいた。音圧に押されてたまらず耳を塞ぐ。ふらふらっと後ろに倒れそうになったけど、なんとか耐えた。まだこんな気力が残ってたのか。
窓を揺らしガラスが割れる。地面を揺らし小石が弾む。空間が歪む感覚に襲われた。まずい。でもどうしようもできない。明らかな隙を敵に見せている。
想定していたどおり、敵は腕を振りかざした。
——やられる……!
「ザザザァァァ!!!」
「!?」
腕は私には届かなかった。いや、目的は私じゃない。地面に向かってまっすぐ殴り、腕を突き刺した。地面が陥没したわけでもないし、地下の下水パイプを狙ったわけじゃない。こいつらはそんなに頭はよくない。なら、どうして……。
警戒を強める。周囲の気配を注意深く探る。
「なんだこの音……まるで地面の中を……ってまさか!!」
こいつの目的がわかった。私と戦っているときも、今も、狙いは私じゃなかった。
弾かれたように目線を送る。そこにいるのは男ふたり、ターゲットにされている
喉がはち切れんばかりに叫んだ。
「逃げろ!!!」
その声は敵の叫びよりもか弱かった。棒立ちの彼に敵の攻撃が襲う。地面から突き出てきた腕が彼の心臓を貫く。
“グサッ”
* * *
ここはどこだ。なにも見えない。左右どころか、上下すらわからない。水の中に浮かんでいるような感覚がする。
確かさっき、あの女の人がなにか叫んでいたような気がする。重要なことなのかな。でもなにも思い出せない。雨の音のほうが鮮明に覚えている。頬をつたう雫、生暖かい液体、赤黒く染まる水溜り。
恐る恐る自分の胸触ってみる。しかしそこにはなにもなかった。ぽっかりと穴が空いていた。
「俺……死んだのか」
一瞬、体を突き抜けるような痛みを感じた。それを自覚するときにはもうここにいた。不思議と苦痛は感じなかったけど、死んだってことは理解できた。
「そっか……俺の人生、これで終わりなんだな。よくわからない化け物に殺されるなんて……」
“リン”
「ん? なんだ?」
突如どこからか鈴の音が聞こえた。風鈴のような涼しげで小さな音。リンリンリン。徐々に音は近づいてくる。でもいくら探しても誰もいない。ものすらない。幻聴を聞いているのか?
“リン”
俺の目の前で鈴が鳴った。確かにそこにある、そう感じる。
——なんなんだ、一体……。
「お出迎えに参りました」
「えっ……」
聞き覚えのありそうでない女性の声。だれの声だ? ようこそって? 記憶を辿って答えを出そうとする。しかし、そんな時間すら与えてくれなかった。
「な、なんだこれ!?」
ぽっかり空いていたはずの胸から緑色の光が溢れていた。植物の蔓のようなものが四方八歩に伸びる。次第に光が強くなっていく。
「ま、眩しい……」
* * *
「嘘だろ……ひ、人が……死んで……」
「泣いてないで蘇生仙術かけろ、このグズがっ!!」
「俺、結界師っすよ! それにこんな大穴どう見ても……」
迂闊だった。単純な物理攻撃しか持っていないと思っていたけど、戦略に合った変則を見せるなんて。こんな芸当ができるなら、取り込んでいる気の量も半端じゃないはず。
思考が揺らいで焦りがでる。目の前の敵に集中しないといけないのに、足がもたつく。手が滑る。防戦一方になる。敵の攻撃をいなすのに精一杯で、この場面を打開する策を練れない。
「ザザザァァァ!!」
死角からの攻撃をもろに喰らう。殴り飛ばされて建物にめり込む。敵はその隙を逃さなかった。
「くそがぁぁぁ!!」
——先生……私……また……。
そのとき、眩い光が視界に広がった。
緑色の光。雨で分厚い雲が空を覆っているのに、まるで太陽がそこにあるように輝いていた。
「なにが起きたの……ってこれは!?」
そこには数多の植物が蔓を伸ばしていた。一本一本、光を発していた。壁にも地面にも空中にも広がっていた。そのうちの一本を辿ってみる。おそらくこれは……アイビー? 植物には詳しくないけど、喫茶店かどっかで見たことがある。
目を滑らせていくと中心にたどり着いた。一番光が強い部分。たまらず腕で目元に影を作る。かろうじて見えるところを目を凝らす。そこにいたのは……。
「あ、
彼の胸からこれらが生えている。こんなの、普通じゃありえない。自分の怪我も雨が降っているのも忘れて、ただ呆然と立ち尽くしていた。
この区画が緑で覆われてしまいそうなほど広がっていた。ただならぬ気を感じる。その膨大さもそうだけど、性質も特殊だった。今まで感じたことがない。
“リン”
どこからともなく鈴の音が鳴った。その瞬間、膨れ上がった気を一箇所に凝縮するように敵に絡み付いた。さっきまで伸びていたものが巻きついて球体になる。
「ザ……ザ……!」
抵抗もできないまま、高密度の気に押しつぶされていく。その様子は残酷で美しかった。とうとう身が耐えられなくなって、巻きついた蔓とともに消滅した。
あたりは静けさを取り戻した。さっきの衝撃と
目の前で起きた現象に頭が追いついていない。ただ放心状態で太陽に照らされている。夢を見ていたのか、それとも現実か。その区別さえつかない。
「
遠くから聞こえた声ではっと我にかえる。顔を引き締めてすぐに向かった。
見る限り、
「ひとまずここを離れる。お前は自分でいけるな」
「はいっす!」
彼を抱えてあのビルへ向かう。
* * *
目が覚めるとそこは暗い場所だった。廃墟というより工事中の建物みたいだった。まだ意識がぼんやりする。体を起こしてみると例のふたりがそこにいた。
「あ、気がついた。大丈夫か? なんか体に異常とか?」
「い、異常? 特には……っていうかあなたたちって」
「とりあえずこれを飲め。少しは楽になるだろ」
竹でできた水筒を渡してきた。言われるがままそれに口をつける。
それはお茶だった。でも普通のお茶とは違う。舌にまとわりつくような感覚がある。抹茶や緑茶の新鮮なまろやかさというより、干物のような濃縮された味。もちろん、味自体が濃いわけじゃなく、クセがあるけど飲みやすい。
「おいしい……」
ふっと気持ちのいいため息をついた。その反応を見て、女性が俺に問う。
「お前はだれだ」
「お、俺は
「そうじゃない。こっちの人間かどうかって聞いてんだ」
彼女の話は掴みどころがなかった。若干いらついているようにも見える。そんなこといっても、俺にはさっぱりだ。
説明が欲しいと思ったそのとき、もうひとりの彼が「まあまあ」と宥めて丁寧に教えてくれた。
「俺の名前は
その話は聞き取れた。けど理解はできなかった。つまり、彼らが言うにはさっきの化け物は本物で、霊感がある人だけ見えるってこと? 今までの人生で幽霊とかお化けを見た経験はない。能力なんてなおさらわからない。
反応に困って首を傾ける。そのと女性が深いため息をついた。呆れられているのか
、単にそれが癖なのか。どっちにしろいい気分にはならない。
「まあいい。もうひとつ、お前に兄弟はいるか」
「双子の妹と、ふたつしたの妹がいるけど」
しばらくして立ち上がった。なにも言わずに、背中を向けて歩き出した。
「た、
「帰るぞ」
タジタジになる
——あれ、ここって……。
不思議に思って窓に近づいた。下を見ると、人が豆粒に見えた。もちろん、彼女らはいなかった。この高さから落ちてどこにいったっていうんだ。
「な、なんなんだ……」
◯
地元に着くとすっかり夜になっていた。自転車を漕いでいるとちょっとだけ肌寒い。服に穴が空いているからかもだけど……電車にのっているとき本当に恥ずかしかった。
見慣れた街並み、通い慣れた家までのルート、切れかけの街灯。それを感じるとなんだか安心する。まして今日みたいな変なことが起こったあとならなおさら。きっとあれは夢だ。地下鉄で寝ていたのかもしれない。服が破けているのは……なにかひっかけたんだろう。そうに違いない。
家が見えてきた。自転車から降りて車庫に入れようとする。
「あ、
玄関のドアを開けたままにして、中には入らず立っていた。俺を待っているのか? 自転車を車庫に入れて
「なんで中に入らな……」
「……」
そこは玄関だった。血に塗れていたが。
床だけじゃない、壁にも天井にも滴るほどついていた。
「
脳裏に彼女の顔が浮かんだ。ふらつきながら家の中に入っていった。
「頼む……頼む……!」
この血が彼女じゃないことを祈りながら、リビングに行く。そこに
肉は飛び散り、骨が散乱している。胴体といえるものは一切なかった。かろうじて残っていたのは頭と何本かの指だけだった。内臓が生々しく壁に張り付いている。どうしてこうなったのか。だれがこんなことをやったのか。頭の中は疑問と憎悪と吐き気でいっぱいだった。
“次は明日の天気です”
つけっぱなしのテレビから天気予報が流れる。そのテレビも半分以上画面が割れていた。この非日常的な空間にある唯一の日常。生まれて初めて、天気予報で心が落ち着いた。
——
階段を駆け上がって部屋に入る。けどそこにはだれもいなかった。カバンはあるし、携帯は充電したまま。少しものが倒れているのが気になる。
「出かけてはいない。なら
ひとまず玄関に戻った。
「警察に連絡……」
「遅かったか」
背後から声がして、咄嗟に振り向いた。そこには
「なんでここに……」
「やられたのはふたり……おい、もうひとりの妹はどこだ」
「見当たらないんだよ。携帯は置きっぱだったから、もしかしたら誘拐されたのかも……」
興味なさげに「そう」とだけ言って立ち去ろうとしていた。この状況を見て、なにも説明がない。あのときもそうだ。言葉がいちいち足りない。束の間の安堵はいらだちに変わった。
「ちゃんと説明しろよ! なにが起きてんだよ!!」
歩く足が止まった。風が吹いて彼女の髪を揺らす。ゆっくり振り向いて俺の目を見つめていた。
「この世にはふたつの世界がある。私たちの住む世界とお前が住む世界。ここの住民を私たちは“
ふたつの……世界? 人じゃない? 化け物が殺した?
作り話もいいとこだと初めは思った。ファンタジーが過ぎる。でも、家の中の有様を目の当たりにすると、信じざるを得なかった。あれは人の仕業じゃない。
その真実はあまりにも残酷で無責任なものだった。恨む相手が化け物なんて……。このことをほかの人に話したら、頭がおかしくなったと言われるに違いない。行き場のない感情が胸に渦巻く。
「だったらなんで……なんで教えてくれなかったんだ!!!」
「教えてどうなる? お前になにができる? どうせあのとき言っても信じないでしょ。素質はあっても使えなきゃ意味がない。無能なんだよお前は」
言い返せなかった。馬鹿にした言い方はもちろんむかついた。でも、その言葉自体は芯をついていた。俺はなにもできない。
拳を握った。爪が刺さるほど強く握った。悔しくてたまらなかった。今日起きた現実と無能な自分。
——俺がなにをしたっていうんだ……。こんな……こんな……。
神のいたずらにしては度が過ぎている。運命だとしても酷すぎる。簡単に感情が整理できるわけがない。ただ立ち尽くすだけで精一杯だった。
「お前らはまた襲われる。だからお前だけでもこっちの世界で匿うことができる。さて、どうする?」
「ちょ、ちょっとまって。なんで俺だけなんだ。妹も一緒に……」
「ねぇお兄ちゃん、さっきからだれとしゃべってるの……。だれもいないでしょ……」
憐れむような、痛いものを見るような目だった。助けを求めるように
「その子は見える人じゃない。一般の
「だったらなおさら一緒のほうがいいでしょ」
「通れないんだよ。向こうの世界に行くための陣にね。だからお前の選択肢はふたつ。ここに残って妹の死体を見ながら死ぬか、私と来てお前だけ助かるかのどっちかだ」
迫られた選択は雑だった。どっちの選択をしても
『お兄ちゃん、一緒に遊ぼ』
『見て見て、満点。すごいでしょ』
『あ、ついでにアイス買ってきて。お兄ちゃん』
『気をつけてね』
『あいよ——』
涙が溢れていた。自分の不甲斐なさのせいか、
——いやだよ……一緒に……いたい……。
鼻をすすったそのとき、背中に暖かいものを感じた。
「お兄ちゃん……」
目が覚めた気分だった。そうだ、俺は兄貴だ。
もう迷いはない。ゆっくり立ち上がって、
「連れてってください。あなたの世界に」
「それが賢明だ。じゃあ……」
「勘違いしないでください! 俺は妹を見捨てない。
「家族を守る力を、俺に教えてください!!」
深く頭を下げた。恥ずかしさとか見栄はない。妹たちを守るためにはこうするしかない。もしかしたら能力が使えないかもしれない。
そんなのは百も承知だ。地を這ってでも、この身が滅んでも守るって決めた。それが俺の決意だ。
「頭上げろ」
舌打ちが聞こえたような気がした。ビクッとしてこわばる体をゆっくり元に戻す。
“コツン”
頭になにか当たった。反射的に「いたっ」って言ったけど、そんなに痛くない。頭だけ動かして前を見る。そこには
「あ、あの……」
「うるさい。何時だと思ってんだ」
すっと手をどかす。その手をそのまま妹の頭に乗せた。同じくらいの身長、もしかして歳も
そんなことを思った矢先、
「なにをして……」
「気絶させただけだ。このほうが都合がいいだろ。それより、本当にいいのか」
「ああ、男に二言はない」
「あっそ」
自分から聞いておいて、興味なさそうにひと言吐き捨てた。それ以上会話することなく、彼女は消えた。
“ピーポーピーポー”
タイミングよく救急車とパトカーが来た。呼んだ覚えなんてない。まさか
彼女の顔を覗き込む。気絶というよりすやすやと気持ちよさそうに寝ているようだった。
「君たち大丈夫? 怪我はない?」
◯
ゴールデンウィークも終わって学校にも慣れてきた。結局あの後、警察の指示に従って妹を病院に預けた。心配していたけど、翌日の朝にはいつもどおり起きていた。
遺品整理とか葬式なんてやったことない。わからないことが多すぎて、ほとんど親戚に任せていた。
“キーンコーンカーンコーン”
さすがにあの家には住めない。親戚の家に居候することになった。息子さんがちょうどひとり暮らしを始めたらしく、部屋が空いていた。場所も札幌だし、前よりも通いやすくなった。
——こんな形で引っ越しなんて。俺ですら寂しいって思ってるんだ。
「連絡以上かな。最後にみんなに紹介したい人がいます。入ってきて」
“ガラガラ”
ざわつく教室。もしかすると雨の音かもしれない。今日も今日とて雨だし。
窓の外をぼんやりと眺める。雨の雫がガラスに溜まってゆっくり落ちていく。なんだか心も落ち着いていく。
「今日からこのクラスに転校してきた……」
転校生なんて興味ない。多分事情があって転校してきたんだろうけど、それどころじゃない。家族を失ったんだ。こんなジメジメした日は特にネガティブになる。
「はぁー、切り替えないとなぁ……。そういえば転校生って……」
「
「え……? はぁ!?」
そこにいたのは
——あれ、でも他の人には見えないんじゃ……?
「じゃあ、あそこの席に座って」
俺の周りから「めっちゃ美人」「かわいくね?」「絶対ドS」と言葉が飛んでいた。他のクラスメイトがあれこれ言っている間、ただそのことだけ気になっていた。
トットットッと軽い足音が鳴る。カバンを置いて席に座る。空いている席……空いている席……。
「って俺の隣かよ!!」
「じゃあ
「ちょ、待って!」
「よろしく」
「えぇぇぇぇぇ!!」
桜前線とともに彼女はやってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます